B


 警察と電話で話している男の目が人質を見回す。辺りは緊張に満ちていて、皆パッと顔を下へむけて視線が合うのを避けていた。

 マスクの中で軽く笑ったらしい男は電話に向かって言った。

「人質諸君は犠牲にはなりたくないらしいぞ。さっさと湯田をこちらへ寄越せ。俺はあいつに話しがあるんだ」

 そしてそのまま返事も待たずに電話を切る。

 私はそれを見ながらバカ野郎め、と心の中で罵っていた。警察が簡単にはいそうですか、とその男を寄越すわけがない。それでその人に何かあったら責任が取れないだろう。既に人質であるのは仕方がないが、目的となっている人を犯人に差し出すことなんて普通に考えたらやらないよね。

 どうしたいんだろう。

 当たり前だけど、事態は進展しなかった。警察が盛んに外からスピーカーで呼びかけている。

 男はそれを立ったままずーっと聞いていたけど、仲間から何やら耳打ちされて、軽く頷いた。そしておもむろに一番前に座らされていた女性に鋭く尖ったナイフを向けた。

 女性は喉の奥で微かに悲鳴をあげ、体を強張らせる。男はまた携帯で電話をかけると、ベラベラと話出した。

「血、見るぞ」

 ナイフの切っ先が女性の頬を軽く切る。体を縮こまらせて、女性が高く叫んだ。携帯電話を悲鳴を上げる女性のほうへ向けた後、男は立ち上がって、また話出した。

「・・・湯田だ。ヤツをこさせろ。次は、一人消える」

 座らされた数十人は皆恐怖で固まっていた。その一番後ろに座りながら、私は犯人を睨みつける。ナイフを突きつけられる恐怖は、個人的に知っている。しかも2回も経験がある。

 彼女の悲鳴でその過去の記憶が鮮やかに蘇って、吐き気がした。

 標的とされた女性のすすり泣きが響く中、周りの人間が彼女を抱きかかえて励ましている。皆、震えているようだった。

 男はもう彼女には興味がないように、ただ入口の外を眺めている。

 じっと入口から外を見ていたけど、その内にぽつりと呟いた。

「・・・やっぱり駄目か。アイツの家を襲うべきだったなあ〜・・・」

 ぼんやりと物騒な独り言を言うと、集められた人質ご一行様の方を振り返った。

「申し訳ないが、人質の諸君、移動していただく」

 え?と何人かが声を上げる中、3人の男達は拳銃を縦に振って動かしながら、吹き抜けの広場に集められた私達をそのまま1階のテナントに入るように誘導した。

 化粧品メーカーの店舗に50人くらいの人間が詰め込まれる。小さなその店内の中で商品棚を縫って無理やりに全員を詰め込み、店舗固有の入口のシャッターを半分閉じてから、男が言った。

「俺は、ここのオーナーに恨みがある」

 スキー帽で隠した口元がもごもごと動く。

「ヤツを引きずり出すために人質をとったんだが、どうやらそれではダメらしい。君達を傷つけないつもりだったけど、仕方ないから予定変更だ。一人ずつ、俺と来て警察を説得してくれ。多少痛い目を見て貰うけど、そこは不運な自分を責めて諦めて」

 さらりとそう言うと、お前、と一番前に居た男性に拳銃を向けた。男性の背中が固まるのが判った。

「俺と一緒に来い。後の諸君は自分の順番を待っててくれ」

 喉の奥で微かに悲鳴のようなものを上げる男性は男に連れて行かれる。残り半分のシャッターも腰の位置くらいまでガラガラと下げて、二人の足音は遠ざかって行った。

 窮屈に押し込まれた店舗の中で、ざわめきが広がりだす。まさか、そんな、どうしたらいいの、どうにか外へ出れないか、小さな声で話す人々。皆、完全に怯えていた。

 私は眉間を寄せて少しだけ開けられたシャッターの隙間を睨む。・・・畜生。何だってこんなことに?私はストレス発散しに来たのよ!なのに更にストレスが溜まるハメになってるわ〜!!

 狭い店の一番奥の方で他の人に体を押されながら立っていた。私はそのままでくるくると周囲を見回す。

 ムカつく、ここのオーナー!てめえの身の安全はどうでもいいからさっさと出てきて私達を解放しろっつーの!心の中で見たこともないここのオーナーに呪いをかけて、忙しく考えた。

 シャッターをもう少し上げて脱出出来ない?でもそうするとガラガラと音が立つからばれるのか。ではでは・・・

 私は体を押し付けるようになってしまっている隣の女性に聞いた。

「この店、裏口とかないんですか?各テナントに、非常口と言うか・・・。隣の店舗にいけたりなんかは?」

 私服に名札をつけた同じ歳くらいの女性はこのショッピングモールで働いているらしいから聞いたのだ。彼女は少し体を捻って私とは完全に違うイントネーションで答えてくれる。

「ないです。一階のテナントブースには窓や個別の出口はないんです」

 残念そうだった。そりゃあそうか、皆こんなのは嫌に決まっている。

「ってことは、入口はあのシャッターだけ?」

 それって消防法は大丈夫なのか?

 私の台詞に彼女は頷いた。真ん中の方からすすり泣きが聞こえ出した。ああ、止めてよこんな時に泣くの。通勤電車より密着度が高いんだから!

 私はイライラと振り返って、きっと前方を睨むと、ちょっとすみません、を繰り返しながらぐいぐいと入口に向かって歩き出した。

 痛い!おい、何するんだ!と様々な応援を頂いて窮屈な店の中をどうにか入口の下ろされかけたシャッターまで辿り着く。

 次は自分かも、と思っていたらしいスーツを着た男性が眉間に皺を寄せてしゃがみ込む私を見た。

「・・・何考えてるんですか?」

 私は屈んでシャッターの下を覗き込んだ。犯人がさっき連れて行った男性にナイフを突きつけて、携帯で警察と話させているのが見えた。・・・これだけの隙間なら・・・屈めば、何とか・・・。

 3人組の他の二人はどこに行った?見回せる範囲では見えない。

 私は顔を上げて、怯えて真っ青になっている男性を見上げて言う。

「勿論、逃げる方法です。ここで犠牲者になるのを待っているなんて嫌ですから」

 驚いたようだ。周囲にざわめきが走る。

「いや、でも唯一の出口で犯人が立ってるでしょう。無茶ですよ」

 後ろの女性が言う。たまたま運悪く居合わせた買い物客のようだった。私は肩をすくめる。

「犯人は3人しかいない。他の全部の出入り口を見張るなんて無理でしょう?他を一つでも開けられたら、そこから警察を呼べますから」

 え、だって・・・・といいかけたまま、その女性は言葉が続かないようだった。私達のやり取りを聞いていた他の人が、それもそうだ、と言う小さな呟きが漏れる。

「何故か、人質の見張り役を置いてないんですよね・・・。だから後の二人が何をしているのかが判らない。だけど、見える範囲で犯人は入口の男一人だけなんです。今は警察との交渉に忙しいから、チャンスはチャンスですよ」

 私が考えながら話すと、はい、と真ん中の方で手が上がった。・・・何なんだ、ここは教室じゃないぞ、そして私は別に教師でもない、と私は思いながら、流れのままに、はいどうぞと意見を促す。

 シャツにエプロンと名札をつけたその男性は、各メーカーの店舗から見える、一階のほぼ半分を占めているスーパーで働いているらしかった。格好が、肉屋か魚屋だ。

「食品のバックヤードに入れば搬入口もあるし、店員入口もありますよ」

 ・・・ふむ、成る程。私は頷く。そりゃあそうだよね、スーパーでも百貨店でもそこは違いないはずだ。商品のやり取りをする入口だって存在するはず。

 するとまた、今度は身近なところではい、と手が上がる。私はつい、どうぞと言ってしまった。

 今度は女性の店員らしい。

「ここは外部との出入り口のシャッターは電動ですから、手で開け閉めは出来ませんよ」

「え、そうなんですか?」

「はい、各テナントの店舗入口は手動のシャッターなんですけど・・・」

 じゃあ駄目じゃん。うまく裏口でも開けられたらとにかくそこから警察に入ってもらえると一瞬期待したのに。電動ってことは、手を引っ掛ける箇所がないんだな、と想像する。でもそれだったら電気を全部落とせば――――

 私が考えたことを、やはり他の数人も考えたらしい。

「ブレーカー落とせばいいんじゃない?」

「そしたら電気も消えるし、犯人もパニっく起こすかも」

「ああ、成る程、いいですね」

「いやでも、電気室の鍵は事務所でしょう?そこまでどうやっていくんですか?」

 おおお、何だ何だ、いきなり議論が活発に始まったぞ。私は驚いて今や運命共同体となってしまった人々を見回した。どうやら皆、真剣に逃げる方法を考え出したらしかった。今までは身の危険はないとされていたのが、変更になったことが大きいのだろう。向こうは武器を持っているが、人数で言えば人質の方が圧倒的に多いのだ。

 そこで、私の隣にいた男性が、声を張り上げた。

「みなさーん、ちょっと落ち着きましょう!おかしい事言ってますよ、さっきから。そもそも電動シャッターなんだから、電気室に行ってわざわざブレーカー落とさなくても、開閉スイッチさえ押せれば全入口は開くでしょうが」

 ―――――――おお。

 ざわめきが一瞬で収まり、その次はどよめきが起こった。

 私も思わず隣の男性をじろじろと見てしまう。本当だわ、まさしくそうよね、ドアを開けたいだけなら開けるのボタン押せばいいんではないの!

「で、その電動シャッターの開閉ボタンはどこにあるんですか?」

 ところが残念なことに、その問いに答えられる人間はいなかった。人質になっているのが殆どメーカーの人間や、スーパーでのアルバイト、もしくは客だったからである。

 ガッカリ、て空気が狭い店内に広がった。

 ・・・うまく行かないもんだな。

 あ、でも。私は顔を上げる。そして真ん中らへんで窮屈に突っ立っている、先ほどのスーパーの店員らしき男性まで声を飛ばした。

「シャッター関係ない出入り口だって、勿論ありますよね?開店後の搬入じゃないでしょうし」

 ただのドアだってどっかにはあるだろう、そりゃあ!と思っての質問だったけど、それには暗い顔で即答されてしまった。

「ありますが、電子ロックです。番号は知りません」

 何故だー!!頭を掻き毟りたくなった。そんな防御を固めなきゃならないくらいの規模じゃないでしょうが、ここのショッピングモールは!小さいっつーの、電子ロックなんか必要ないっつーの!

 ここに押し込められてからまだ10分程度だけど、既にストレスはマックスまで届きそうになっている。何せ乗車率150パーセントの通勤電車並みの混み方で、電車と違って終わりが見えないのだ。

 私はイライラとしゃがみ込んで、シャッターの隙間から顔を覗かせて怒鳴った。

「ちょっと、ねえ!」

 連れて行かれた男性に携帯とナイフを突きつけていた男が振り返った。そして懸命に警察に助けてくれと話している携帯を取り上げて通話を切り、振り返ったままで何だ、と聞いた。

 私は変な体勢のままで声を張り上げる。

「トイレ行きたいのよ!」

 嘘ではない。実際にトイレには行きたい。だけれども、偵察の意味も勿論あったけど。男はしばらくこっちを見ていたけど、連れて行った人質1号を伴ってこちらに歩いてきた。



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