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 実家に着くと、いつものように父が迎えに出てきていた。

「お帰り、まり」

 大学で非常勤の教授をしている父が穏やかに微笑む。私は欠伸を一つしてから、ただいま、と言って笑った。

 と言っても私はここに住んだことないのだけれど。大学生の時から一人暮らしをしていて、その間もうちの両親はあちこち引越しまくっていた。だから最終的に落ち着いたのが沖縄だと知って、えらく驚いたものだった。

 私の荷物――主に学生時代のアレコレや、古い衣服など――は引越しの度に段ボールで運ばれて、その先でも開けられることのないまま次の家へ運ばれた。

 だから処分するなんて簡単なはずだ。ただ単に、娘や孫に会いたいと言えば、ちゃんと雅洋も連れてきたのに〜と私は意地悪く思う。

 引退してから髪を染めるのをやめた母が、白髪を光に煌かせながらにこにこと笑って出てくる。

「暑いでしょう、中に入りなさい」

 私は昼寝をしていたんだよ、と父がカウチに戻るのに、昼寝ってまだ朝の内よお父さん、と突っ込んでいると、母は冷たいレモネードを入れてくれる。そして夫や息子や夫の母の事などを色々聞いてから、それで?と私に言う。

「今日はどうするの?3日もあるんだったら、観光でもしてくる?」

 私はレモネードを飲み干して、一つ氷を口の中に滑らせる。がりがりと噛みながら首を傾けた。

「ここに居る間の洗面用具とか、買いに行ってくるわ。邪魔になるのが嫌で持ってきてないの。ついでに、銀行にも」

 両親が沖縄に家を買ってから、社会人の私はお盆休みや年末年始はここに来ていた。その時に便利かなと地元の銀行に口座を一つ作っていたのだけれど、それはもう要らないから、名義変更というより解約に行こうと思っていた。

 微々たる金額ではあるけれど、現金が残っている。お金は大切にせねば。この家には当たり前だけど小川姓の判子を置いてあるし、解約の方が簡単だわ〜、と思っていた。

 母は時計を見て言う。

「じゃあ今から行ってくる?それともお昼ご飯の後にする?」

 私はグラスを台所に運んでから言った。

「今から行ってくるわ。後でゆっくりしたいし」

 そんな訳で、小さなポーチに小川まり名義の通帳と判子、小銭入れと携帯だけを入れて、私は最寄のショッピングモールへと出かける。

 父の小さな黄色い軽自動車を借りた。ここでは車がないとどこにも行けない。まだ若干のアルコールが残っていたから、都会では到底出来ないことだけどこの田舎では大丈夫。

 何せ、他には車が一台も走ってなかった。アルコールのあと睡眠とレモネードで中和もしたし、と自分に言い訳をする。彼がいたら――――夫の彰人が居たら、こら、と言われてしまうだろうけど。想像してくくくと笑った。

 海沿いの道を音楽もかけずに走る。横には青く煌く海が広がっていて、太陽は暑く、私はうきうきと弾んでいた。

 クーラーもつけずに窓を開けっぱなしで突っ走る。流れる汗も気持ちよかった。自然の音と自分だけ。その贅沢を思う存分味わっていた。

 実家から一番近い小さな街に、これまた小さなショッピングモールがある。

 海水浴場とリゾートホテルが2軒あるので寂れずにそれなりに賑わっているようだった。

 久しぶりに来たそこの駐車場に車を停めて、強烈な日差しの中モールの入口に向かって突っ走った。駐車場は空いていた。まだ夏休みには早いからきっとホテルもガラガラなのだろうな、と思う。

 この時、もっとちゃんと違和感を感じておくべきだったのだ。だけれども私は、久しぶりの実家や沖縄という南国や子供から解放された喜びの方が強くって、異変には気付かなかった。

 いくら暑い夏の昼間で沖縄だったとしても、人が居なさ過ぎない?とか。

 動いている人間が誰もいないシーンとした空気がおかしくない?とか。

 全く気付かずに、日差しから逃げようと車から走って無人のショッピングモールの入口に突っ込んで行った。そして、立ち止まった。目の前の光景に驚いて。

 小さな建物、テナントが30店舗くらいのアメリカのモールを模倣した作りになっているショッピングモール。真ん中は2階までの吹き抜けになっていて、円を描くようにそれぞれのテナントが並んでいて、1階はスーパーになっているそこの真ん中の広場に。

 大量の人がいた。

 というか、集められていた。

 そして一様に怯えた顔をして、全員でこちらを見た。彼等の前には一人の男性。その男が手に握っているのは、拳銃・・・・に、見える。

 私は汗を垂らしたまま荒い呼吸をして、突っ立った状態で呆然とその光景を眺める。

 ――――――は?

 人々が怯えていて、その前には拳銃らしきものを持ったマスク面の男が立っていて、皆静まり返っていて・・・・って、え?これは一体何?

 一瞬、映画の撮影か何かかと思った。

 だけども私の登場に驚いたらしいマスク男が振り返って、目があったときに、これは紛れもない現実で、笑っちゃうけど強盗かなんかなんだろうな、と判った。

「・・・客が増えたな。おい」

 拳銃を持った男が顎をしゃくる。私がまだ呆けた顔でそれを見ていると、どこからか別の男がわいてきて、私のポーチを取った。

「え?」

 ハッとして振り向くと、いきなり湧いた男は黙って人々が集まって座っている方へ真っ直ぐ指を伸ばした。

 ・・・行けって、こと?あそこへ?

 私がつい指で同じように指すと、男が頷いた。こちらもすっぽりとスキー帽を被って両目だけを出しているので表情が判らない。まだ汗が引かないままで私はゆっくりと歩く。

 そして固まって座らされているらしい人たちの端っこに同じようにして座った。

 私の隣に座っている女の人がちらりと私を見る。その目は、どうして逃げなかったの、と言っているように見えた。

 いや、だって。私は心の中で呟く。

 ショッピングモールに入っていったらまさしく強盗の最中だった、なんて、そんなこと普通ないでしょうが。

 まだ若干混乱したままで私が憮然として前をむくと、拳銃を持った男が話し出した。マスクで多少こもってはいたが、よく通る声だった。

「さて、ちょっくら客が増えたから話を中断してしまったが、要はこういうことだ。今、この建物は俺達が制圧している。さっき客が入ってきた以外の入口は、今シャッターを下ろしてるから、申し訳ないがここから動かないで貰いたい。俺達の目的は多様だが、人質である君達を傷つけるつもりは今のところはない。ここまでは、いいか?」

 男がたらりと全員を見渡す。何人かが頷いたのを確認して、また言葉を続けた。傷つけるつもりはない、のところで隣の女性が深く息を吐き出したのが判った。

 途中参加の私には判らないけど、何かとても恐ろしいデモストレーションか何かがあったのかもしれない。

「君達の持ち物は集めて外に出した。警察がもうすぐやってきて、人質が誰と誰なのか確認するだろう。俺はここのオーナーに用事があるから呼び出して貰う。他の二人は目的が違うが、とにかく君達は大人しく人質になって事が終わるのを待っててくれ」

 え。と私は思わず顔を上げた。

 ・・・・警察が、来る?持ち物を確認する?だからさっき私のポーチは取り上げられたってこと?

 人質と言った。これは強盗事件ではなく――――人質立てこもりなのか!?

 つい、あらまあ・・・と呟きそうになった。そんな、ちょっとちょっと・・・・。ついさっき沖縄に着いたばっかなのよ、私。何だってこんなことになってるのよ〜!ああ・・・こんなことなら昼ごはん食べてからにしたらよかった、出発・・・。

 後悔すれどすでに遅し。きっと、この事件はテレビで放送されるに違いない。そして実家の両親と、恐らく多分どこかで情報を手にするはずの夫、彰人が仰天するのが目に浮かぶようだ。

 ・・・・あああああああ〜・・・・ちょっと面倒臭いわ〜・・・。

 絶対、怒る。親ではなく、あの人が。可哀想に、その時周りにいる人たちごめんなさいね、と心中で謝った。彼は不機嫌になるといきなり凶悪犯みたいな雰囲気に豹変し、強烈な怒気で周りを怯えさせる。それはそれは恐ろしくなるのだ。

 息子の雅洋が駄々をこねて暴れるとき、私がどれほど脅かしても全く聞きはしないが、手に余った私が困り果てて助けを求めると、彼はただじっと子供の目を見る。するとやんちゃ坊主が一発で大人しくなる。子供心に生存危機を感じるらしい。

 しかもその、彼の爆発装置は、主に私に関することに直結している。・・・・今回のこれは、まさしくそれに当てはまる。

 ああ・・・どうか彼が大人しく滝本さんを探していて、テレビやラジオに触れてませんように。どうか神様。ヤツに気付かれないようにお願いします。でないと、怒り狂った彼は絶対ここまで来る。何を賭けてもいいけど断言できる。

 駄目駄目、面倒臭い!そんなこと駄目よ〜!人質になるより面倒臭い・・・。

 私が一人でぶつぶつと祈っている間にも、物事は着々と進んでいたらしい。その内にパトカーのサイレンの音とか、ヘリコプターの音とか聞こえだし、建物の周囲が騒がしくなってきた。

 犯人の男たちは3人組らしく、いずれも拳銃やナイフを手にしていて、このクソ暑いのに顔をスキー帽で隠している。たまに鋭い目つきで人質を見回していた。

 人質は皆、諦めたような顔で大人しく床に座り込んでいる。傷つけるつもりはないと聞いたことで、ある程度の安堵が広がっているのだろう。ならば大人しくして時間が経つのを待とうと決めたみたいな雰囲気だった。

 クーラーが効いている上にリノリウムの床は冷たく、お尻からしんしんと冷えだした。

 買い物客と店員なのだろう。見回すと、制服を着ている者、名札をつけている者との判別がハッキリついた。まさか従業員全員集めてこれだけではないだろうし、客の中には子供が見当たらないから、一部の人たちは証人として外に出されたのかもしれないな、と考えた。男3人で見張れる人数がこれくらいだったって事か。それに私がのこのことやってきたのか・・・。

 もしかしたら、駐車場で停めた時に、誰か物陰から呼んでくれてたのかも。

 行っちゃ駄目だって叫んでくれてたのかも・・・。でも暑さから逃げるために、私は全力で店まで突っ走ってしまった。・・・あーあ。

 男が言った通り、私が飛び込んできた入口以外はシャッターが下ろされているようだった。男達は一人だけを必ず残してふらりと消えたりする。何をしているのかは判らないが、目的が色々あるようだから作戦の内なのだろう。

 警察が拡声器で叫びだした。包囲されてるとか何とか怒鳴っている。マジで、これ、撮影じゃないの?私は首を捻る。

 目の前の光景があまりにもバカバカしくて笑いそうだった。

 隣の女性にこっそりと聞く。

「あの拳銃、おもちゃとかではないんですか?」

 するとここのスーパーの店員らしい女性はちらりと私を見て、少し体を近づけた。そして小さな低い声で話す。

「・・・おもちゃじゃありません。最初に何発か天井や床に向けて打ち、建物の中にパニックを起こしました」

 はあ、成る程。とにかく威力は見せ付けられているから、見張りが一人になっても誰も人質同士で協力して襲い掛かろうとか考えないんだな。拳銃が本物であれば、それは確かに危険だしね。

 主犯格らしい男が携帯電話で警察に用件を伝えだした。

「ここの、オーナーは来ているか?湯田だよ、あいつを呼べ。交渉?そんなことはしない。こちらが欲しいものはハッキリしている。湯田を寄越せ。―――――おいおい・・・何の為の人質だと思ってるんだ?」

 店内音楽が消された吹き抜けの小さな建物には、男の声がよく響いた。

 さっきまでの何となくだらんとした空気が、その言葉で一気に緊張したのが判った。人質とされる何人かがハッと息をのんだ音がする。

 マスクの男がゆっくりと人質を見回す。両目しか見えてないが、微笑んでいるらしい。若干の喜色を滲ませた声で、携帯に話していた。

「ほら、人質諸君が緊張しているぞ。叫び声が聞きたいのか?この人たちは傷つけないと俺は言ってるんだ、一応な。でもさっさと湯田が来ないと、その前言は撤回する羽目になる―――――」

 王様ゲームだ。

 私はじっと観察しながら思った。

 今、この男はここを心理的にも支配していて、それを楽しんでいる。だけどデカイ事をして自分が大きくなったかのような感じになり、それを心地よく思っているというのとはちょっと違うらしい・・・・この男は、既にイっちゃってるのかもしれない。嬉しそうではあるが、興奮はしていない。自分がしていることは判っているのだろう。だけど、普通じゃない感じが話し方からするのだ。

 舌打ちをしそうになって、慌ててこらえた。


 ・・・どっちにしろ、バカ野郎だ。




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