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 スキー帽の男は淡々と返す。

「申し訳ないが、もうちょっと我慢してくれないか?」

「出来るわけないでしょ!生理現象なんだから!もう何時間拘束されてると思ってるの?!」

 既にムカつきまくりの私は屈んだ状態でシャッターの隙間から男に喧嘩を吹っかける。犯人の男は呆れたようだった。何やら口の中でブツブツ言って、それから声を上げて他の二人を呼ぶ。

「・・・仕方ないな。ちょっと休憩だ」

 銃を向けられていた男性が泣きそうな顔でため息をついた。

 そんなわけで化粧品メーカーの店舗のシャッターはガラガラと上げられ、人質は男女別に分かれてトイレタイムとなった。

 ギュウギュウ詰めだったのが解放されただけでも皆喜んでいた。私も大きく深呼吸する。あー、鬱陶しかった。大勢の人間で呼吸も出来ないくらいだった。

「これ以上イライラしたくないんだ。速やかに行動してくれ。命までは取らないと言いたいが、指の一本二本は躊躇しないぞ」

 スキー帽の中から男が言う。均等に全員を見回していた。

 女性は21人だった。それが一列に並んでトイレまでぞろぞろと歩く。目だけを動かして、小さなショッピングモールの作りを確認した。

 さっさとトイレを済ませ、出てみると見張り役の男と目があった。私はスタスタと男に近づいた。驚いたように私に向き直る。

「あのー、こういうのって成功率低いと思うんですけど、どうやって逃げるつもりなんですか?」

 構わずに私は言葉を投げた。本当に答えが欲しかったわけではなく、反応が見たかっただけだ。トイレを済ませた女性達が、遠巻きに眺めている。

 男は出ている両目で私をじっとみたけど、首を振っただけで返事はしなかった。そしてナイフをむける。並べ、そう言っているんだなと理解した。

 ・・・よく考えたら、犯人の男3人の中では、仕切っている男しか話してないな・・・。また列を作って吹き抜けの広間に戻りながら私は考える。

 外国人?・・・でも目は黒い。肌もアジア系だろう。話せないのか、話さないのか・・・。主犯格の男の言葉は判っているんだろうし、外国人だったとしても日本語の理解は出来るんだろう。

 次は男性の番で、並んでトイレに連れて行かれる。私はそれを見ながら、主犯格の男に話しかけた。

「すみませんが、水を下さい」

「何?」

 私はまっすぐにスーパーを指差す。

「あそこに食品と飲み物がある。お金はあなた達に取られたし店員さんが居ないから仕方ないけど、ちょっとお腹に何か入れさせて。喉も渇いたし、お腹もすいたわ」

 しばらく黙って私を見ていたけど、男はゆっくりと首を振る。

「それは我慢してもらおう。これ以上の要求は聞けない。自分は人質であると判ってるのか?」

 私はふんと顔を上げる。

「成功率の低いバカ騒動に巻き込まれた被害者であるのは判ってるわ。でも人間としての扱いを要求しているの。さっきから無駄に時間ばかり経ってるじゃない。一体何がしたいのよ?」

 話しているうちに怒りがこみ上げてきて、私はつい説教口調になる。腰に手をあてて睨みつけた。

 無言で男がいきなり近づいた。それと同時に私の左腕に痛みが走る。

「―――――」

 ナイフで切られたんだ、と判ったのは数秒後だった。

 女性達から悲鳴が上がる。とっさに切られた左腕を右手で押さえて、私はよろけた。

「・・・イライラさせるなと、言ったはずだな」

 スキー帽の男が言った。私はそれを睨みつける。

 くっそう・・・痛い。カッカするのも考え物よ、私ったら。こんなことで血を流すくらいなら献血に行くわ、と口の中でぶつぶつ言った。

「さて、女性の皆さん、戻ってて貰おうか。――――男女別に閉じ込めとけ」

 男性陣がトイレから戻り、次は隣り合う店舗二つに分かれて入る。半分になったのでぎゅうぎゅう詰めから解放されたのは嬉しかった。

 またシャッターが半分だけ閉められて、私は床に直接あぐらをかいて座っていた。

「ちょっとあんた大丈夫?!」

 おばさんが一人近寄り、ハンカチを当ててくれる。私はにっこりと頷いた。

「大丈夫です。痛いけど、切っ先がかすっただけ」

「もう突っつかないで大人しくしておきましょうよ、危ないよ」

 柔らかいイントネーションの中に、本気の心配をかぎとる。私は頭を下げた。

「すみません、心配して頂いて。だけどこのままじゃ埒があかないでしょう。警察が何をしているのか知りませんが、そのうち本当の怪我人が出る気がするし」

 主犯格の男の目は本気だった。お腹や胸を刺されなかったのは幸運としかいいようがない。私は今更ながら流れてきた冷や汗を拭って、周囲を見回す。

「何か・・・使えないですか?何か。奴らを慌てさせるもの・・・」

「何かって、あなた、まだやる気?」

 私はおばさんの顔を見上げた。そしてハッキリと頷く。

「はい。もうここにいるのは飽きましたし、家族が心配しているはずですから」

 ―――――その内一名は心配の余り怒髪天きているはずだし、とは言わなかった。

 大体あの主犯格の男はイカれているかも知れないが、犯罪には慣れてなさげだ。自分達の許容範囲からおおきくずれる人質を取ってどうする。長時間に渡れば渡るほど、人間は恐怖にも慣れる。反撃されたら敵わないくらいの人数の大人が人質にはいるのだぞ。しかも、人質を見張っていない。

 私は借りたハンカチで腕を縛って立ち上がる。そしてにっこり笑った。

「皆さんはここに居て下さい。危ないことは無鉄砲な私だけで十分ですからね」

 女性陣がざわめく。半分以上は止めときなさいよ、と引き止める声だった。私はそれに適当な相槌を打ちながらまたしゃがみ込んでシャッターの下から覗き込んだ。

 また、見張りがいない・・・。後の二人は何してるんだろう。

 後ろのほうから声が飛んできた。

「あの、火災警報機はどうですか?」

「はい?」

 私はパッと振り返る。服飾関係の店員らしい可愛らしい女性が、指を天井に向けていた。天井につけられた、丸い物体。・・・火災・・・警報機。

 ああ!と私が言うのと何人かが手を叩くのが同じだった。

「いいかも。あれは凄い音だし、犯人も驚きますよ」

 中年の女性が嬉しそうに言う。するとその隣の人が、でもスプリンクラーも発動しちゃうんじゃないんですか?と言って、また議論が始まった。

「探知機ならスプリンクラーが動くけど・・・ベル鳴らすだけなら水の放出はないんじゃないですか?」

 店員さんが言う。何人かが頷く。つまり天井にライターの火を近づけたらスプリンクラーも出ちゃうけど、警報機だけを鳴らせばあの凄まじい音だけが出る、と。

 成る程。いいアイデアだ。私は屈んでシャッターの向こうの吹き抜けの広場に目をこらした。警報機・・・どこにあるんだろう。

 私の隣に来て同じく屈んだ店員さんが、あっちに、と指で指す。

 スーパーが入っている店舗のレジ付近を見ると、確かに見慣れた赤いボックスがあった。あそこに警報ボタンがある。よしよし、オッケー。

 見張りがいないのが気になるけど・・・とにかく見渡したところ、銃で武装した男は主犯格のヤツ一人しか見えない。

 そのスキー帽の男は唯一の入口から外を見て警察の出方を観察しているようだった。

 チャンスだ。

 私は痛む左腕を無視して履いていたヒールサンダルを脱いだ。

「どうするの、あんた?」

 おばさんが後ろから聞いてくる。勿論、と私は答えた。

「あれ、押してきます。そして出来たらシャッターの開閉スイッチも探してきます」

 ええ!?と女性陣が騒ぎ出すのを、しーっと口に指を当てて静めた。

「バレたらやばいから、静かにお願いしますね」

 その言葉に女性達は手で口元を覆う。

 ヤツは後ろを向いている。私は床に這いつくばって、匍匐前進でシャッターを潜り抜けた。音は立たなかった。男は気付いていない。裸足で音を消し、中腰のまま、大きな柱の影を目指して全速力で突っ走った。

 リノリウムの床で裸足がこすれて2度ほどペタと音がして冷や汗をかいた。

 何とか柱の影に転がり込んで、しゃがみ込む。耳の中で鼓動がバクバクしていた。呼吸をゆっくりとして、緊張を静める努力をした。ふと顔を上げると、女性陣が入れられている隣の店舗の半分だけのシャッターの向こうから、唖然とした顔で見詰める何人かの男性陣と目があった。

 苦笑してみせると、驚いたことに2人ほどが同じように裸足になって伏せの状態でシャッターを潜り抜けてきた。

 するすると私のところまで近づいて、限りなく小さな声で言った。

「・・・反撃ですか?協力します」

「何するつもりですか?」

 あらまあ〜・・・物好きって、どこにでもいるのね、私はまた苦笑を零し、ここではすぐ見付かるかと身振りで示し、スーパーの中へと中腰のままで入っていく。棚やワゴンがたくさんある店内に身を潜め、急遽作戦会議となった。ただし、小声で。

「火災警報機鳴らせば犯人も驚くんじゃないかって女性の皆さんが。で、出来たらシャッターも開けて、警察の突入を促すか、皆で逃げるかしたいんです」

 簡潔に私が言うと、男二人は一瞬黙った。そして、何度か頷く。

「いいですね。中で何か起こったと判れば、警察も動くかもしれませんね」

「じゃあ私は事務所の方へ行きましょうか?」

 若い方の男性が言うのに、危険だから3人で動きましょう、と提案する。他の二人と鉢合わせになったら最悪だ。

 店内の時計を見ると既に夕方の5時だった。畜生。お昼ごはんもまだだってのに〜!改めてムカついてきた私だ。

「―――――では、行きます」

 頷いて、そろそろと身を起こす。まさかスーパーの棚をつかってかくれんぼをするハメになるとは思わなかった。人生は何が起こるか判らないものよね、本当。

 壁際をゆっくりと進み、今までの人生で触ったこともない赤いボックスに近づく。そしてガラスを押し上げて、勢いよく非常ボタンを押した。

 瞬間、じりりりりりりりりりりりりー!!!とけたたましい緊急ベルがショッピングモールの中に響き渡った。店内音楽も消された状態ではまさしく大音響で、耳を通したベル音で頭が割れるかと思った。

 思わず両耳を手で押さえてしゃがみ込む。

 強烈な音に涙目になっていると、主犯格の男が何か叫んでいるのが聞こえた。ちらりと影から覗くと、どこで鳴っているのかを確かめようと反対の方へ走り出したところだった。人質の皆さんも自分達でテナントのシャッターを開けて固まって覗き見ている。

 よし、とりあえず成功だ。

 中腰のままでまたスーパー内を駆け抜けて、バックヤードに突入する。スーパーで働いているらしい年かさの男の方が、こっちです!と先導する。長いバックヤードには色んな商品が台車に乗って置かれていた。こんな光景はデパ地下と同じだな、などとつい観察してしまった。

 すると前方に、いきなりあとの犯人の内の一人、武装した男が現れた。警報機の音に驚いているらしく、ワタワタと天井を見上げている。まだこっちには気付いていないらしい。

 走る速度は変えないで、私は咄嗟に台車に乗って置かれていたものを引っつかんだ。それなりに重いそれが桃の缶詰であるのを確認するより先に、それを武装した犯人目掛けてぶん投げた。

 ところがあまりコントロールのよくない私の投げたそれは男からそれて壁に当たる。わお、やばい。失敗した〜!と思っていたら、後ろから更に桃缶が3つほど飛んできた。それが見事に男の頭にヒットする。

 ゴン!と結構な音を立てて男は壁にまで当たって崩れ落ちた。

「わお!」

 私が走りながら後ろを振り返ると、若い方の男性がピースサインを掲げながら走っていた。いい肩持ってるぜ、兄ちゃん!心の中で絶賛する。

「ここです!」

 店員の方が事務所と書かれたドアを開ける。その入口にあったビニール紐を持って、私は頭を押さえて転がっている男の所に戻った。

「ちょっと、あんた邪魔」

 馬乗りになって両手を後ろで縛り付けてやった。店員さんの男性がシャッターの開閉ボタンの場所を探している間に、若い方の男と一緒に犯人を更に縛り上げた。彼は鬱憤晴らしに犯人を一度蹴っ飛ばしたけど、気持ちは判るから黙殺した。

 そして事務所で一緒に捜索する。電子ロックのドアでもいいですよね、と鍵棚も調べた。

 そうこうしている内に、警報機のベルが止んだ。天井を見上げて思わず動きを止める。

「止められちゃいましたね。急ぎましょう」

 焦って私が言うと、男性二人もハイ、と言う。見付かったらアッサリと銃で撃たれそうだ。そんなのは嫌だから、頑張ろう。武装した男はまだあと二人居る。

「あ、電気室の鍵は発見です」

 若い方の兄ちゃんがいい、ブレーカー落とすのでもこの際いいでしょう、とやけくそ気味でその案をとることにした。電子ロックのドアなんか、停電させてから蹴破ってやる!と決意を固め、自分が今裸足だったことを思い出した。・・・駄目だ、ドアより先に足が壊れる。





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