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 朝の空港は明るくて、賑やかで、浮き立っている。

 私は延々と真っ直ぐに続く動く歩道にぼーっと立って、大きな窓ガラスの向こうに並ぶ飛行機の集団を眺めている。

 足元にまとわりつく子供がいないって、今では何か不思議。絶えず周りに目を配り、あのやんちゃ坊主が走って行ったら人にぶつかるなとか足元を見なさいとか言わなくてもよくて、かさばる着替えやオムツの入った鞄を持つ必要もなくて、一日に100回は聞く「かあーちゃ?(お母さん)」に反応しなくてもいい、というのが不思議だ。

 私が、個人で公共の場にいることが、不思議に感じる。

 ・・・これが子供を産んで育てるってことなんだな、と思った。

 私は、桑谷まりという。結婚して小川姓から桑谷姓に変わって、ちいーっとも慣れないまま結婚生活をしていたけれど、まさかの(いや、そりゃやることやってまさかも何もないんだけど)妊娠発覚で、それからは当たり前だけど戸籍名である桑谷さんと呼ばれる事が圧倒的に多くなった。

 息子を産んで1年半、やっと自分が桑谷さんと呼ばれることに慣れたのだ。あ、はいはい、私のこと?と思うくらいには慣れた。

 夫は桑谷彰人と言う。

 長身で、岩のような体をした、黙っていれば人に威圧感を与える男。普通の人の3倍ほどは濃くて特殊な内容で固められた過去を持つ彼といろんな事があって恋に落ち、スピード婚約をして半年焦らし、やっと結婚したら案外すぐ妊娠した。その息子の雅洋を今年の4月からあらゆる手を使って無事に保育園に入れ、私は手が空いたので夫の実家(毛糸屋さん)の手伝いをしたり、近くのデパ地下で臨時の短期販売員をしたりしている。

 そして、今日から3日間、沖縄の実家へ里帰りなのだ。朝一番で息子を保育園に放り込んでからそのまま空港に来た。そして、搭乗ゲートに向かって移動中。

 飛行場の上に広がる青空をぼんやりと眺める。・・・今日もよく晴れてる・・・。飛行機、久しぶり・・・。ぼーっと見ていたら口が勝手に開いてきて涎が落ちそうだ。危ない危ない。

 いつの間にか動く歩道の終わりが近く、私は前を見て荷物を持ち直した。この降りるとこで蹴躓いたら結構恥かしい。

 この旅の始まりは、こうだ。私の実母である報道カメラマンの母が、仕事を引退した。そんなわけで両親が、いよいよ終の棲家用にと沖縄に買って住んでいた家に手を加えだしたのだ。殆ど海外生活だった母の部屋(書斎?)を作り、ベランダのデッキを改造して物置も作ったらしい。壁を取り払ったり何だかんだで楽しく手を加えている・・・・のはいいのだが、そこで問題が起きた。

 二人の唯一の子供である私の荷物の処分に困り、自分の分は自分で何とかするように、と電話が来たのだった。

「えー、面倒臭い・・・。もういいよ、適当に処分してくれて」

 先週の週末夜の9時、私が電話口でアッサリそういうと、母親が盛大にブーイングをした。

『捨てるのは簡単だとでも言うつもり?捨てるなら捨てるで自分でやりなさい!』

 電話でぎゃあぎゃあ言い合いをしていると、後ろでパジャマ姿の息子に馬乗りにされていた夫の彰人が言ったのだ。

「沖縄、行って来たら?俺まだ繁忙期前の最終連休で3日取れるから、雅の世話も出来るし。産んでから一人でのびのびしたことないだろう」

 私は思わず振り返った。

 ・・・・ちょっと、今の言葉胸に沁みたわ〜!感動を胸に、いいの?と再度聞くと、彼はニッコリ笑ってああと言った。

 うっそ〜。惚れ直すわ、ハニー。と真剣に言ったら彼はにやりと笑って、言葉でなく態度で示してくれ、と言ったから、私は首を傾げて息子の雅坊をじいっと見た。

 すると彼はいきなり雅坊を肩に担いで寝かしつけに行ったから、その直接的な行動に笑ってしまったのだった。

 そんなわけで一気に自分の荷物を片付けるついでに慣れない育児で溜まった疲れのリフレッシュもしようと、一人で里帰りとなったのだ。

 嬉しかった。

 足元にまとわりつく子供の小さな手の感触がなくて寂しがるかも、と思っていたが、全然そんなことはなかった。あああ〜!!清々するわ〜!って大声で叫びたいくらいだ。一人で、自分の速度で歩けるって、幸せ〜!喉からして叱らなくてもいいって、幸せ〜!好きなだけ本が読めるって、幸せ〜!!!

 それにそれに、と私は口元を片手で隠して笑う。搭乗口近くにあるスナックの販売カウンターまで真っ直ぐに歩いて行った。


 ―――――――ビールも飲める。




 那覇空港は涼しかった。適温とは言い難い低温に保たれていて、飛行機から空港内へ向かう繋ぎ廊下を歩く間にかいた汗がすっかり冷やされた。まあ、ビールを空港で、ワインを飛行機でも飲んでいた私の少し酔っ払った頭を冷やすには丁度いいくらいだったけど。

 私はもそもそとストールを出して肩にかける。女性は冷やしちゃ駄目なのよ、全く。

 空港からはいつもタクシーに乗る。

 金に困ってないうちの両親は、飛行機の往復チケットと共にタクシー代までを送ってくるのだ。それは独身の時から主婦になった今でも変わらず、こういう時、私はあくまでも一人娘なのだなあ!と思うのだ。

 ま、ラッキーと思って有難く使わせてもらっている。

 帰るにあたって息子を連れてでなく私一人だと言うと母はまた盛大なブーイングを繰り返し(孫に会わせろと4回は言った)、桑谷さんも休みなら一家で来い、と言ったのを、母親の仕事を彼に経験させるいい機会だから、断る!と頑固に言い張ったのは私。実際のところ家族で帰っても良かったのだけど、やっぱり皆で行く?と聞こうとした出発前日に舞い込んできた電話で事情が変わったのだ。

 どうやら、彼の昔からの知人で、かつては一緒に調査会社を経営していた友人(というと、彼はすこぶる嫌そうな顔をして否定するが)の滝本さんという男性が行方不明になったらしいと。

 長身、整った顔だけど冷たい印象、眼鏡、柔和な雰囲気で敬語で話す。考えが読めない瞳をしていて、ゆったりと微笑んでいる男性だった。恐ろしく頭がきれそうで、醸し出している柔らかさが逆に怖かった。近づかないのが賢明、そう私の本能が告げていた。そんな男が行方不明?

 現在彼と付き合っているらしい女の子から電話があった時、かなりの好奇心を持って電話を引き継ぐと、私の夫はあっさりと「ほっとけば」と言いやがったので驚いた。

 ・・・いやいや、それはあまりにも薄情じゃないの?って。調査会社の社長なんて変わった職業しているんだから、何かの事件に巻き込まれていることだってあるんじゃないの?と私が後ろから聞き耳を立てていると、面倒臭そうに「ほっとけば」と言ったものだから、思わず後ろから拳骨で背中をどついてしまった。やだ、私ったら、ついね、つい。

 彼は滝本さん本人はともかく、その彼女には情もあるし、迷惑をこうむっているのだろう調査会社の他のメンバーが可哀想だからと結局探すのを手伝うことになったから、やっぱり私一人での出発となったのだ。今日あっちを一日手伝って、後は知らないと言っていた。今日は保育園があるけど、明日明後日は保育園がないから息子の相手をしなければならない。

 家事は一通りの事が出来るし、何をさせても早い男だからきっと大丈夫だろうけど、雅坊の夜泣きにどう対処するかが見ものだわ、と私は一人で笑う。赤ん坊は思い通りにはならないぞ、とこっそり呟いて。

 それにしても、会社の立ち上げまで一緒にしといて何故あんなに仲が悪いのかがもの凄く謎の男達だけど、それは敢えては聞かない。それを聞くとまだ私の知らない彼の暗い過去が大量に出てきそうで怖かったのだ。

 彼の過去に関しては片目を瞑って見ると決めたのだ。

 だから、聞かない。



 空港を出てタクシーに乗り、実家の住所を告げる。沖縄本島の北まで約1時間ちょい。私は座席にもたれて、心から一人を満喫していた。

 沖縄の人は夏場の昼間、太陽が厳しい内は出歩かない。だからだろうか、道は閑散としていて、道路も空いていた。すいすいと進む車の中で、私は幸せに一眠り。久しぶりに思う存分アルコールを飲んでいて、目を配らなければならないチビはおらず、口は出さないが呆れ顔で牽制する夫もいない。

 きっと、寝顔は笑っていたはずだ。私はストンと眠りに落ち、実家に着くまで幸せな夢で遊んでいた。




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