A


 ピピピピピピ・・・

 アラームが鳴って、窓の外を放心したようにみていた旗がハッと我に返った顔で立ち上がった。

 そして本棚に歩いていき、アラームセットしていた時計を止める。

「・・・すまない神谷君、今日はこれまでにしていいかな」

 オレはレコーダーのスイッチを切って頷くと、帰り支度を始める。

 まだぼんやりしたままで旗が話した。

「悪かったね、ちょっとぼーっとしてしまって・・・」

 いーえ、とオレは返す。

 もう死んでる妻との出会いを話しているのだ。淡々や飄々と話される方が驚く。

 オレだって母親の話しをするときはちょっとはアッチに行っちゃってるはずだ。これだけはどうしようもなくて、聞いてるほうがすることは、その世界の邪魔をしないこと。

 自伝には必ずある厳しい時代の話しに入る手前なのだ。本人の挙動不審は当たり前で、オレは黒子として徹する必要があるのは判ってる。

 興味なさげにするか身を乗り出して聞くかは相手によって変わる。旗は、聞き手としての熱意は必要がない相手だった。

 いつでもオレの存在は忘れたような顔で、どこか遠くを見ながら話す男だった。そしていきなりこっちに戻ってきて、神谷君は?などと質問を飛ばしやがるのだ。

「じゃあ、失礼しやーっす・・・」

 オレは中途半端に頭を下げて通り過ぎようとすると、旗が不思議な表情でオレを見た。

 泣き笑いのような、その直前のような、ちょっと歪んだ顔で真っ直ぐこっちを見たままで口を開いた。

「今度は、誰にも話したことないところを話そうと思うんだ。また連絡するから、宜しく」

 オレはその表情に一瞬言葉をなくしてしまった。何となく不安な感じがしたのだ。だけど何とか瞬きをしてから頭をもう一度下げて部屋を出た。

 腕に嵌めたG-shockは夜の6時をさしている。

 腹がなって唸りながら、暗くなりつつある高級住宅街を歩く。

 あー・・・・腹減った・・・でも家にはなーんにもなかったよな、確か・・・。ひもじい度、半端ね〜・・・・。

 どうすっかな、そんなことを思いながら歩いていたら、ポケットに突っ込んだ携帯が鳴った。

 今進めている旗の自伝の担当者からだった。

『神谷君、今日の分済んだ〜?』

 やたらとせかせかとした担当者の声が響き渡る。・・・うっせ〜っつーの。オッサン、もうちょい静かに話してくれや。

「・・・今出てきたとこっす」

『あ、そうなんだ、お疲れ様。時間あったらこの後打ち合わせ、いいかな』

 オレはにやりと笑った。やった、晩ご飯ゲ〜ット!!


 担当者の河野さんはわりと近くにいたってことが判った。

 その後15分後にはファミレスで落ち合って、オレは待望の晩ご飯にあずかっていた。

 やったぜ、ラッキー!目を輝かせておろしハンバーグにフォークを突き刺す。

 しばらくバタバタと他の担当しているらしい作家達と携帯で話していた河野さんは、ようやく話しを終えて電話をしまい、オレを見た。

「お腹すいてたんだね〜、神谷君」

「ういっす」

 ガツガツと食べるオレの横で、河野さんは今までの原稿について話しだす。

 今までの感じではいいと思う。もうちょっと他人との繋がりについて引き出して欲しい、等々。

 オレは黙って鞄を漁り、テープレコーダーを机にのっけた。

「今日の分、聞きますか?」

「あ、聞く聞く。イヤホンある?」

 黙ってセットして差し出す。ちょっとオッサンうるさいんだよ。飯に集中させておくれ。

 河野さんが今日の旗の話を聞いている間にオレはご飯を片付けた。

 ごっちゃんです!編集部!!両手を合わせて頭は下げといた。

「・・・おおお〜、いいじゃん、いい感じじゃん」

「ぼーっとしたまま喋ってました。これは明日には送れるっすよ」

「あ、助かる。ちょっと予定押してるからさ」

 河野さんは安心したように息を吐く。そこでオレは思い出して、そうだ、と口を開いた。

「叔父に聞いたんっすけど・・・前のライターさん、逃亡したってマジっすか?」

 うん?とちょっとだけ目を開けて、河野さんはオレを見た。

 そしてごそごそと鞄に荷物を仕舞いながら、返事をする。

「あー・・・うん、そうなんだ。いきなり逃げたんだよね。ちょうど今くらいまで話も進んでたんだけど、ある日ちょっと休みますって連絡来てそれっきりよ。原稿、コピーはあったけど全部そいつが持ってたし、もう仕方ないから神谷君にお願いしたの」

 今ぐらいまで?ってことは、恋愛話まで?それで逃亡?・・・意味わかんねえな・・・。

 オレは首を捻る。一体どうしたってんだ、そいつは。

 河野さんがひらりと手を振った。

「だから神谷君、旗さんには結構な苦労かけてんの。2度目なんだよね、話してもらうのも。しっかりやってくれ。間違っても君は、そんな無責任なことしないでよね」

 バンバンと肩を叩かれる。その勢いに体が前のめりになった。

 くそ、オヤジのバカ力め・・・。

 でもご飯のことがあるから睨むだけに留めておく。ご飯は大事だよ、うん。

 河野さんはちょっと辛そうな顔を作って言った。

「次は奥さんが亡くなる所なのかな」

「・・・はい。今まで話したことない話をするって言ってました」

 オレがそう言うと、途端に目を輝かせて河野さんは身を乗り出す。

「おおー!凄いじゃない!あの人の奥さん、事故死なんだよ。それで本人がどういった状況だったかを語ったことはないんだよね。それが聞けるっことだ!すげーな、神谷君!」

 君、気に入られてるんだねえ!そう言って大声で笑っていた。

 オレは肩をすくめてフードを被る。

 気に入られてる・・・?そんな風には思わないけどなあ〜・・・。

 ずるずると椅子にずれ落ちながら、ふう、とため息をつく。

 ・・・亡くなった妻・・・・か。ああ・・・・面倒くせ。


 帰り道、オレは気持ちの良い風に吹かれながら歩いていて、たまたま空を見上げていたときに右手を突っ込んだポケットの中に硬い紙きれを発見した。

 出してみると、いつかのあの滝本と言う男に貰った名刺だった。

 調査会社・・・調査?

「・・・・」

 暗い夜道を歩きながら、俺は今度は携帯を取り出す。

 リダイヤルで3秒、電話の向こうには聞きなれた色男の声。

「・・・ハル?オレ。・・・うん、あのさ、旗の・・・前のライター知り合いだっつった?」

 たらたらと歩きながら話す。

 電話の向こうのハルの背後には賑やかな音。複数の人間が騒がしくしているみたいだった。

「うん、そいつと会いたいんだ。・・・・いや、資料見せて欲しくて。前の原稿そいつが持ったままだって・・・。うん」

 電話で話しながら駅前のコンビニでアイスを買った。馴染みの店員に手だけを振る。

 たまに話す女の子。くりくりの大きな目が結構可愛い。

「話が聞きたいんだよ。いや、別に困ってねえけど・・・うっせーな、クソジジイ!」

 最後はいつもみたいに喧嘩口調になったけど、何とか目的は達成して電話を切る。

 ふう、とため息をついてその場でアイスを頬張った。

「・・・・・あー・・・・めんどうくせ」


 帰って寝よ。



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