3、失くした恋の話@



 その日は雨だった。

 駅から走ってきて旗の家のデカイ玄関で荒い息を整える。

 オレは濡れてしまった迷彩のパーカーを体ごとぶるぶると振って滴を落としていた。

「これを使いなさい」

 旗がタオルを貸してくれた。

「あざっす」

 小さな声で言ってそれでパーカーのフードからはみ出した頭を拭いた。

 玄関の電灯にキラキラと光る派手な頭髪を見て、旗は感心したような声で言った。

「綺麗に染まってるねえ。痛みが激しそうだけど、そうは見えないよ」

 ・・・痛みは、短いから見えないだけだよーん。心の中でふざけて返す。表面上は無言だった。どうにもこの男相手だとひょうきんになりきれない。

 オレはタオルを旗へ差し出しながら言った。

「これ、ありがとうっした・・・。頭は、アレです。知り合いが勝手にやるんで、綺麗に見えてるならそいつの腕がいいんでしょーねえ」

「へえ、友達に美容師の人がいるのかい?」

 人懐こい表情でオレを覗き込む。ちらりとそれを見上げて視線をそらした。別に野郎と見詰めあう趣味はねーよ。

 何だかこのオッサンの目と会うと居心地が悪く感じるのだ。

 ひょうきんになれないし居心地の悪い視線。仕事請けたの間違いだったかな・・・。

「・・・あー・・・まあ、そんな感じですかね〜。オレ金ないんで、実験台になってタダにして貰ってるんで」

 旗は少し黙ってオレを見た。タオルを持ったままで廊下に突っ立って。

 自分がちょっと突っ込みすぎた、と思ってるらしいのが表情から判った。

 別に同情していらねーぞ、オッサン。好きで貧乏やってんだから。

「入っていいっすか?」

 いつもの部屋のドアを指差すと、ハッとしたように目を瞬いて、ああ、と頷く。

 オレはいつもの場所に座ってレコーダーを出す。筆記用具とノート。あとは本人に喋って貰うだけ。

 窓の外は薄暗く、部屋の中には雨音が響く。まだ昼の2時なのに電気が必要だった。

 食器をかちゃかちゃ言わせながら、トレーを運んで入ってきて、旗はいつものようにお茶をくれた。

「・・・さて、今日は言ったとおりに、まだ人に話したことがない箇所だね。―――――妻が死んだ話だ」

 オレは片眉を上げて俳優を見上げた。

 うん?

 今、何かちょっと胸の辺りがちりちりと―――――――――

 何だかもやもやしたものに突如襲われてリアクションが遅れた。だけど既に自分の中に入ってしまったらしい旗は、窓の外を見ながら話しだしていた。

 レコーダーのスイッチを静かに入れる。


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 妻は細身で小柄で、キラキラと挑むみたいな瞳で見てくる人だった。黒髪を肩の辺りで揃えていて、たまに耳たぶのイヤリングが髪の間から揺れるのを見るのが好きだった。

 だからよくアクセサリーを贈ったね。

 そうすると喜んでくれたから。

 その笑顔を見るのが好きだった。

 口元を両手で覆ってくすくすと笑うんだ。性格が明るかったとはいえないかもね。でもその慎重な性格も計画性が強い考え方も実際私をよく助けてくれたよ。

 結婚して2年経ったころ、妻が身ごもった。

 私は5人家族の末っ子で育っていて、この世界に入ってからは一人のマネージャーとの関係は濃くなる一方で普通の家庭の雰囲気を忘れかけていたから、家族を望んでいた。

 早く父親になりたかったんだ。

 彼女に自分の子供を産んで欲しかった。妻が妊娠すると、本当に嬉しかったね。彼女は私にすぐには知らせずに、一人で悩んでいたようだったけど、偶然それを知ることになり、外出先で飛び上がったものだった。

 ・・・ん?何を悩むのかって?

 ああ、それは・・・・妻は、少しばかり体が弱かったんだ。子供の頃はそうでもなかったようだけど、成人する前にした病気が原因とか言っていたな。とにかくよく風邪やら何やら小さな病気をしていたんだ。

 それに小さな子供があまり可愛いと思えないタイプの女性だった。だから悩んだんだろう。命をかけて生むかどうかで。

 自分はあなたと二人の生活でも満足よって言っていた。

 私は子供が欲しかったし、自分の家庭が欲しかった。だから結婚したら勿論そのつもりだったから、彼女が悩んでいると知って驚いたね。

 だけど二人で育てよう、君の子供が見たいし、抱きたい。そう言うと、頷いてくれた。

 出産で母親になれば体も心も強くなることはよくあると聞いていたし・・・まあ、出産で命を縮める人だっているのは判っているんだが・・・。そう望んでいたんだ。

 子供を産んで、強くなってほしいと。

 妊娠に気付いたわけ?・・・ははは、それは実際のところ、偶然だったんだ。

 私の鞄から、病院の診察カードが出てきたんだよ。産婦人科の。前日に台所においていて、机の上に置いていた診察券が落ちて入ってしまったようだった。

 二人ともそれに気付かずに持って出てしまったというわけさ。外出先で私が先に気付いた。

 私はその時、婦人科の病気も女性は産婦人科で診療を受ける、とは知らなかった。だからそのカードを見て絶対に妊娠だと疑わなかったわけだ。そして「子供が出来たのか!?」と妻のところに飛んで行ったんだ。たまたま妊娠で合っていたってだけだけどね。

 私にも知られてしまったし、彼女はついに決心した。子供を産もうと。楽しかったな。休みの日には一緒に子供用品を見に行った。彼女はまだまだ先よってあまり行きたがらなかったけどね。私は、嬉しくて。

 君は新生児が履く靴下を知ってるかい?こんなに小さいんだよ。本当に小人用みたいに。全部が柔らかくて、小さくて、可愛いんだ。

 子供用の爪きりとか、帽子とか。ケープとかミトンとか。

 本を買って読んだりしたんだ。父親のために、みたいな本だよ。心積もりを促すような、啓発本だね。

 どうやって妊婦に寄り添うか、とかそんなことも書いてあった。私はいつもそれを持ち歩いて、仕事場のスタッフにからかわれながら読んでいたな。

 赤ちゃんって、こんなに慈しまれる対象なんだな、と改めて思った。

 本当に楽しみにしていて、毎日が幸せだった。

 だけど―――――――――――

 その子は、結局生まれなかった。


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 旗の表情がくしゃりと歪んだ。

 オレはそれに気がついて、メモを取る手を止める。

「・・・休憩しますかー?」

 一応聞くと、いや、大丈夫だと手を振った。

 庭に面した大きな窓からは相変わらず森のようなこの家の庭。今日はずっと雨で暗く、影が出来ているせいでいつも以上に深くて広い森のように見えた。

 雨が涙の代わりになればいいのにな、と思った。

 このオッサンは、子供を失って悲しんだのだから。今はもうそんなに泣けなくても。

 身内を失った喪失感は、オレでもまだ覚えている。だから黙ってソファーに座っていた。

 呆然と庭の暗闇を見詰めているようだった。きっと思い出しているんだろう。その輝く楽しい日々を。

 しばらくして、旗が声と表情を元に戻して言った。

「すまない、続けるよ」



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 ある日、私はドラマの撮影中で、北海道に居た。

 今日の場面を撮り終わったと息を抜いたとき、マネージャーがすっ飛んでくるのが目に入った。

 聞けば、奥さんが病院へ、と言う。

 真っ青な顔をしていて、今思えば知っていたんだろうと思うけど、マネージャーは私にはとても言えなかったんだろう。

 私は走って電話をしに行った。

 病院には妻の母がいて、娘は流産した、と言う。何があったんですかと聞くと、自然流産だといわれたと。

 まだ安定期に入ってなかった。このくらいの流産は割合に普通の、自然のことだから母親も自分を責めないようにと医者からも言われると。

 とても残念だった。

 私はガッカリしてしまって、そこでの残りのシーンを撮るためにかなり頑張らなければならなかった。まだ2日間の撮影スケジュールが残っていてね。

 電話に出た妻は、私は大丈夫だからそれを終わらせてねと言った。だからそうしたんだ。

 毎日言い聞かせていた。これは自然のことらしいし、妻の体は大丈夫だというのが救いだって。

 また、もしかしたら子供を授かることもあるだろう。妻が無事だったことに感謝しよう、そう思って。

 折角授かったその子には会えなかった、だけど私にはまだ彼女がいるって。

 また二人の時間が来た。




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