Love the love.



 付き合っている女の子が目の前に正座して座り、不機嫌な顔で俺に向かって唇を尖らせる。

 マスカラをたっぷり塗ったまつ毛でパチパチと瞬きをして、俺をじっと見ているはずだ。

 見てなくても判る。俺は雑誌から視線をあげないままで彼女が次の行動にうつるのを待った。

 彼女が正座をする時、そして前に座る時はいつでも唇を尖らせている。今まではそうだった。

 そして、次のデートの約束だとか、誕生日に欲しいプレゼントだとかのおねだりが始まるに違いない。

 その顔は十分可愛い。多少計算も見えるけど、でも十分可愛いよ。

 彼女が息を吸い込む音がした。

「ハルはさ、ちゃんとあたしを見てくれないよね」


 ―――――――――おや?


 彼女の部屋で、俺は見ていた雑誌から目を上げる。

 今まで付き合ってきた女の子からの教訓、その1。『女性が話し出したら取り合えず視線を向けろ』。

 だけどちょっと予想と違ったな。

 こういう台詞が出てくるとなると、次は―――――――――――

 彼女は膨れっ面でこっちを見ている。

 もう少しでため息をつきそうだった。だけどその代わりに、俺はにっこりと微笑む。

「見てるでしょ」

「・・・見てない」

 微笑が影響しているのはちゃんと判ってる。さっきよりは格段に勢いがなくなった声で、彼女は視線を外した。

 雑誌を床に置いて、俺は目の前の女の子をじっと見た。

 この子と付き合って・・・えーっと、半年くらいかな?ついに、来たか。そんなことを思っていた。


 女の子はよく、宇宙語を話す。


 よく判らないタイミングで笑うし、いきなり膨れて怒り出す。


 ・・・この子も、やっぱり宇宙人だったか。


「俺は今、君といるでしょ」

 今付き合っているこの“子猫ちゃん”は腰のところが気持ちいい。彼女の腰に手を回して引き寄せるときの感触が、俺は好きだ。

 柔らかく俺の手にもたれかかるその重さや温かさが。

 昨日の夕方にした、その行為とその後のことを思い出していたら、彼女の緊張したような声にハッとした。

「ハル!」

「―――――うん?」

 彼女は決心したような顔で、見たこともない真剣な顔で、俺にこう言った。

「ハルは、テル君と・・・甥御君と、あたしと、どっちが好きなの!?」

 ・・・・出た。


 俺は彼女を通してその向こうの壁に貼ってあるポスターをぼんやりと眺めた。

 ・・・・ホラ、また宇宙語を話してる・・・。


 女の子ってよくわからない。

 そんなコトバを話して、そんな体を持って、どうして平然とこの星にいるんだ?

 そんな瞳をして。

 そんな唇で。

 そんな柔らかさを持って。

 一体どうして、地球には男と女しかいないのだろうか。

「ハルってば!」

 彼女の声で現実に戻る。

 俺は呟くように答えた。こういうときは、こう答えるって世の中の法則で決まっている。

「君が好きだよ」

 別に嘘じゃあない。

 俺の答えにまた一段と勢いをなくした声で、それでも彼女は続きを言ってしまう。

「・・・じゃあ・・・じゃあ、テル君とあたしどっちが大事?」

 ああ、残念。この子も・・・宇宙人決定だ。

 俺はまったりと、特別変な間も空けないで答える。

「テル」

「―――――――」

 彼女は目を見開いて俺を見つめている。

 またため息を飲み込んだ。


 そんなこと聞いてどうするんだ?

 テルとは甥の広輝のことで、5歳しか離れていない、この世で唯一の身内だ。

 自分の両親と姉、テルの母親でもある俺の姉が亡くなってから、二人で力をあわせて生きてきた。

 あいつには俺が必要だったし、俺にもあいつが必要だった。

 テルが大事、それは呼吸をするのと同じくらいに当たり前のこと。

 どうしてそんなのと比べるんだ。

 涙でいっぱいにした瞳で俺を睨み付けて、彼女はこういう。

 バイバイ、あたしは結婚出来て、あたしだけを大切にしてくれる男を探すから。

 あなたの大事なテル君と一緒の扱いは、もう御免よ。

 俺は立ち上がって、自分の荷物をまとめて持つ。

 残念だ、そう言った。

 俯く彼女の髪の毛に枕の羽毛が引っ付いている。それを指で掴みとって、ゴミ箱へ捨てた。

 それは緑色のプラスチックのゴミ箱の中でふわふわと漂い、中々下に着地しない。

 まるで、俺みたいだ、そう思った。主に、ふらふらとしているところが。

 背中を丸めている彼女を見る。

「じゃあね、今までありがとう。君のご飯は美味しかったよ。体には、気をつけて」

 そう言って、玄関で靴を履き、ドアを静かに閉めた。




 ・・・まーた、振られたなあ〜・・・・。


 街は昼下がりだった。

 俺はふらりとその喧騒の中に紛れ込む。別に行き先を考えもしないでただ人波の流れに従って歩いていた。

 俺は神谷春嵩(ハルタカ)という。職業は名刺を持たないフリーライターで、いつでも何とか食ってるって状態だ。

 知り合いのツテを頼って仕事を貰っている。雑誌やチラシ、パンフレットなどに文章やコピーを書いたりしている。そして毎日は、大体いつでも休憩時間だ。

 金はないし、所属場所もない。だけど代わりに、俺には時間と自由がある。


 それが、俺には大事なことだ。

 だって自由がないと、すぐに飛んでいってやれないんだから。

 困ったことが起きると、決まって空を見上げて佇むテルの元へ。


 今まで付き合った女の子は最後になると必ず聞いた。「テル君と私のどっちが・・・」その後に続く言葉は女の子によって違ったけど、それでも必ずテルとの比較をしたがる。

 神谷春嵩というこの人間の中で、優先順位の一番トップはいつでも甥の広輝がいるのだ。それは彼女達は付き合って数ヶ月ですぐに気付く。でもそれを受け入れることの出来る女の子はまだいない。

 ちなみに、それをテル本人が聞くと仰け反って嫌がるに違いない。だけどもそうなんだから仕方ねーよな。俺の関心のトップはテル。


 あーあ、今晩、どうしよっかな〜・・・・。

 自分の部屋は一応ある。一応ってのは、ほとんど住んでいないのでガランとした部屋で、居心地がよくないのだ。付き合っている時は女の子の部屋にいることが多い。だからあまり帰らない。

 女の子の部屋は、いい匂いがする。

 そして柔らかいものや優しい色合いのものが多い。

 それはとても安心する。

 それこそ今は別々に住んでいるテルのところに転がり込めばいいのだけど、そうするとまたアイツは、あの童顔を嫌そうに歪めて吐き捨てるに違いないしな。

『出てけ、ハル』って。

 絶対言う。

『女に振られたからって一々ウチにくんな』って。

 ぜーったい、言うよな。

 いつでも散らかっててカーテンも締め切ってて暗くて、もしかしたらカビが生えてるんじゃないかと思うテルの部屋は、居心地という点では女の子の部屋とは天と地ほどの差がある。

 だけども、そこにはテルがいる。

 見るたびに違う髪色をしていて、金色のピアスを二つつけている俺の甥が。肌が白くて自分より背が低い、童顔の可愛い甥が。

 ・・・うくくくく・・・とつい笑いが漏れる。その、ぶーたれた童顔を想像したらいつも笑えてくるのだ。

 可愛い〜テル君ったら!

「き〜めたっと」

 気分が上がってきた。


 やっぱ、テルの部屋に行こう。





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