2、意識したから@
そして日曜日。
お昼ごはんを食べたあと、教えて貰った住所を探しつつ、あたしは自転車で真ちゃんの家に向かっていた。
「あっつー・・・い・・」
雨・・・頼むから降ってくれ。ここしばらく水玉なんて見てないぞ。いやいや、雨でなくてもいい。このお日様をさえぎってくれるなら。
日差しは既に夏。キラキラなんてレベルでなく、ギラギラの太陽の光を、被ったキャップで遮りながら進む。
もう暑いからと、今日は夏のスタイルだった。黄色のタンクトップの上に半そでの黒いパーカーを羽織り、くるぶしまでのジーンズを腰履きしている。そして日よけの白いキャップに、裸足に白いスニーカー。
服装は明るくても気分はちょいブルー。これから始まるスパルタ授業を想像して暗くなっていた。ペダルを漕ぐ足も重く感じるぜ。
先日古典を教えて貰った日から3日間、あたしは意欲をもって学校にいる間の真ちゃんを観察したのだ。そして、判ったことは二つ。
1、どうやら英語は普通に喋れるレベルであるらしい。
2、超がつく、生真面目。
うちの高校を担当している英会話教師のMr.Carticeと真ちゃんが廊下で立ち話をしているのを、掃除用具入れの影に隠れて聞き耳を立てていた時は驚いた。
会話のテンポが速すぎて、ついていけなかったのだ。真ちゃんの声が大きくなかったのもある。そして、アメリカ英語のあの巻き舌。音がこもって余計わからない。
流暢な会話にも驚いたけど、日本語ではマトモな文章を話さない真ちゃんが長文を話しているという事実には、耳を疑ったものだ。
・・・・喋れるじゃん、お前―――――――っ!!!
口に出して突っ込みそうになって危なかった。隠れてんのに見つかったら意味ないし。
だって日本語なら会話は単語のみ、前置きなし、主語も目的語もなしでいきなり、とかも普通にあるあの真ちゃんが、英語であったら文章を話している!!言葉が変わると、性格も変わるんだろうか・・・。うーん、それはあるのかも。
そして、だるそーに行動するわりには、提出期限や条件、その他決められた事は細部に至るまで規則を守る、ようだった。生真面目というか、融通がきかないのかもしれない。
うちは進学校のわりには校風が自由というか放置気味なので、髪を明るく染めている者もピアスを開けている者もいるが、そういえば真ちゃんは何もしてないな〜と思った。
・・・ま、それは面倒臭いとかそもそも興味がないってだけかもしれないんだけど。うん、多分そっちだよね。
小学校の時にはなかったこれらの特技(?)が判って、あたしは自分の知らない真ちゃんの今までの6年間にとても興味を持った。
どんな学校で、何をしてたんだろう。大学はどうするんだろう。気になる・・・。でも何か、気軽には聞き難いしなあ、過去のことって。関係ないって言われてしまえばそれまでだし・・・。ほら、軽い会話ってのがあの子とは存在しないからさ。将来のことも、真ちゃんには聞き難い。ううーん・・・。
考えながら自転車を操って角を曲がると、白いマンションが見えた。
「・・・あった」
マンションの自転車置き場に愛車を停め(ちなみに自転車の名前はヴィヴィアンである)、郵便受けで名前を確かめる。梶。発見〜。
―――――――303号、303号っと・・・。
エレベーターを使わずに階段で上がり、ドアの前にきてから立ち止まった。額の汗を拭き、羽織っていたパーカーは脱いで腰でまく。
あたしは呼吸を整えてから、ゆっくりとチャイムを押した。よし、約束の1時5分過ぎ。タイミングはOK―――――――
ガチャリと鍵を開ける音がして、私服の真ちゃんがドアを開けた。
ちょっとドキッとした。
灰色のTシャツを着ている体は案外大きくて逞しく見えて、制服の時とはイメージが違ったから。
あたしはキャップの縁から真ちゃんを見上げて笑う。
「こんにちは。今日も宜しくね、真ちゃん」
ふざけて敬礼するあたしからすっと視線を外して、真ちゃんは玄関から一番近い部屋のドアを開けた。
「ここ」
あ、ハイハイ。さっさと来いってことね。
あたしは慌てて玄関に入り、靴を脱ぐ。裸足でスニーカーを履いていたから、持参したハンドタオルで足を拭いた。ペディキュアの赤い色がキラリと光り、ちょっと楽しい気分になる。
これからやりたくない教科をスパルタ教師に特訓されるのだ。何であれ、気持ちが上がるもので囲まれたい。
「あ、真ちゃん、これお母さんから」
あたしの様子をじっとみていたらしい真ちゃんに、持ってきたバスケットを渡す。中身はサンドイッチやポテトチップス。育ち盛りの男の子への土産として、お母さんが朝から張り切って作ったものだ。
中身を確認して、真ちゃんは嬉しそうな顔をした。やったぜ母ちゃん、真ちゃんの胃袋を掴んだ!あたしは心の中でこっそり笑う。嬉しそうだなあ、あははは。
「お邪魔しまーす」
真ちゃんの脇を通り抜けて部屋に入る。
そこはシンプルな部屋だった。
黒と青のツートンカラーでまとめられた部屋には、これといった装飾はなく、本棚が一つと、勉強机、それにベッド。壁には学校にありそうな時計とカレンダーだけ。服や雑誌やCDなんかが散らかっていないし、ついでに言えば生活感もさほどない。・・・本当にここで寛いでるの、真ちゃん?自分の部屋とは大いに違うその様子に、あたしは戸惑ってしまった。
とりあえずここよね、と思い、部屋の真ん中に置かれた座卓の前に座って、きょろきょろ見回していた。
「はい」
声がして、頭の上に何かをのっけられたのに気がつく。
後ろからきた真ちゃんがあたしの頭に乗っけたそれは、前回のテストのリーディングの問題用紙だった。
おう。あたしはその場で丸めてゴミ箱に突っ込みたくなる。
「やって」
「・・・はい」
余計なお喋りはなしってことね。そもそも真ちゃんからは挨拶すら貰ってないけれど、判りましたよーだ。あたしは鞄から筆記用具を取り出して、戦争にいくかのような気分で問題用紙をにらみつけた。
本日の個人指導、スタート。頭の中でゴングが鳴った音を聞いた。
窓を開けてはいるけど風がない日で、真ちゃんの部屋の中はムシムシと暑かった。
座卓に座り、問題用紙と格闘して40分後、真ちゃんが終わりを告げたから、あたしは息を吐き出して彼に用紙を提出した。
黙々と採点をする真ちゃんを眺める。・・・あ、眉がよった。あそこ間違えてたんだろうな・・・あ〜あ、また呆れたため息ついたあああ〜・・・。酷い。そんな顔しなくても!観察して一喜一憂していたら、ふと顔を上げた真ちゃんと目があった。
「・・・何、百面相してんの」
「してない!」
採点が終わったらしく、真ちゃんが隣に回ってきて説明を始める。あたしは姿勢を正して意識を集中し、それを聞いていた。
「長文になると、弱いな」
「・・・うん」
「節で区切ってる?一気には読めないぞ」
「・・・判ってるけど・・」
「後ろから後ろから読もうとするのは時間の無駄。前から順に意味を拾うんだ」
「それが難しいんだけど!?」
「もう一回ね」
真ちゃんはサラッと宣告して、うんざりするような長文の問題だけをまた目の前に出だしてくる。・・・・くっそ〜・・・。
あたしが問題と格闘してる内に、真ちゃんは暇を持て余して、その内なんと、漫画を持ってベッドに寝転んだ。うん、ちゃんとこの部屋で落ち着くことが出来るんだな、と判ったけれど、何も今それをやらなくても良くない?
「・・・真ちゃん、それ、エグい」
あたしが声に恨みも妬みも込めて言うと、真ちゃんは寝そべって顔の上で漫画を持ったまま、こちらを見もせずに言った。
「それ、終わらして」
・・・・・うぐぐぐぐぐ。くそおう!あたしは何て立場が弱いんだ!!
家庭教師が、生徒が勉強している間に見える場所で漫画を読んでいいはずない。でもあたしはお金も払ってないしな・・・。確かに、あたしは真ちゃんの貴重な休日を邪魔しているだけの女だしな・・・。くそ。
考えれば考えるほど仕方ないとは思うけど、それと感情の問題は別である。
ムカつきながら文章を読もうとすれば、ますます理解からは遠ざかっていった。大体異国の言葉でかかれた文章なのだ。そんなに簡単に読めるわけないでしょ〜!
ああ、噛み付きたい。だけどテストに噛み付くわけにいかないから、ここはやっぱり―――――・・・
「もう!真ちゃんたら、気が散るから止め―――――」
イライラが限界にきて、あたしはついにパッと顔を上げる。すると、何と今度は、真ちゃんは寝ていた。
「え」
漫画は手から落ちて、真ちゃんの顔の横に転がっている。瞳は閉じられて、体は脱力してベッドに沈んでいた。
・・・・・寝てるし。ねーてーるーしいいいいいい〜!!
「ええ〜?嘘でしょおおお〜・・・有り得ないから!」
つい出た文句も、大きい声では言えないところがあたしは小心者だ。うううー!マジでムカついた。いいの?!寝ちゃっていいの、家庭教師!?
ついにあたしは問題用紙を放り出して、座卓をまわり、ベッドのそばに這い寄る。
どうやって起こそうかな・・・。ベタに鼻でもつまんどく?それか耳元で大声で叫んでみる?いやいや、それはちょっと酷いよね。いくら何でもね。あたしはスッキリするとは思うけどね。
とりあえず、真ちゃんの腕を指でつんつんとつつく。
「・・・おーい、真ちゃん?」
ピクリとも動かないな・・・。
上を向いて寝息を立てる真ちゃんの顔を覗き込む。じっとりと、額には汗が浮かんでいた。
「部屋、暑いもんね・・・」
でもこうやってじっくり眺めると、真ちゃんて結構男前なんだよな〜・・・。
その柔らかな存在感と独特の雰囲気ばかりに目がいくけど、よくよく見ると・・・。鼻筋も通ってるし、真っ直ぐな眉も、奥二重の目も。
・・・ヒゲも、伸びてきてる・・・。
「うわあ〜・・・成長だ」
あたしはベッドの脇にしゃがみこんだままで真ちゃんをガン見して、興奮のあまり両手をバタバタ振りたくなるのを堪えた。
顎のところにまばらに少しだけ生えているヒゲが気になって仕方ない。触りたい。うう〜触ってみたい!・・・男の人、なんだなあ・・・。もう、小学生の男の子じゃないんだ。広くなった肩幅、太くなった首筋、ゴツゴツした大きな手も。あたしの知っている真ちゃんじゃ、ない。
自分の顔が赤くなったのが判った。
体温が急に上昇する。
―――――――ドキドキする・・・。うううーん、どうしよう。ヒゲに触りたい。ザラザラした感触をこの指で味わいたい。
風の通らない暑い部屋に眠る、真ちゃんと二人。部屋の気温がまた上がった気がした。
汗ばんでる真ちゃんの寝顔。
・・・・・触れてみたい。
思わず唾を飲み込んでから、あたしはハッとして自分のほっぺをパチパチ叩く。
いやいやいや、何考えてんのよ、あたし!ここには勉強しにきたんでしょうが!そう、決して、眠ってしまった真ちゃんに触る為なんかでは―――・・・。顔でも洗いにいく?そうすればスッキリして変な考えなんか―――――――
後ろにある座卓の上の問題用紙なんて、その存在を忘れてしまった。
そろり、と手を伸ばした。
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