A

  

 手をのばして、そおっとヒゲを触ってみる。

 チクチクと指先に感じる小さな刺激。

 うわあああ〜!!と心の中で叫んだ。・・・くらくらする〜・・・。ダメだ・・・これは、大変だ〜・・・。

 あたしの指は意識を持ったみたいに、勝手に動いて何度も真ちゃんの顎を撫でる。

 一度指が唇に触れてしまって、その柔らかい感触に慌てて手を回収した。うわああああ〜お、びっくりした〜!声出しちゃうとこだった。

 でも、どうしよう・・・。今度は口元から目が離せない。


 ―――――――キス、とか。


 してみたい・・・・・・・かも。真ちゃんと。



「ちょーっと待て・・・待って待って待って」

 小声でブツブツと繰り返す。いやいや、でも。さすがにそれは、どうよ、あたし。

 高1の時、告白されたことがあって、ちょっとだけ付き合った彼氏と軽いキスの経験はあった。だけど結局色々なことがうまくいかなくて、その子とはそれだけで終わったんだけれど。その時のファーストキスは、冬だったからか唇が結構冷たかった、という感想くらいしか残らないような、軽いものだったのだ。

 キス。口付け。真ちゃんと。あらあらあらあらあら〜!

 寝込みを襲うってことになるよね?・・・・・・多分。いや、多分でなく、そのまんまそうか。ヤバイヤバイ、ヤバイよあたし!何考えてるの、ちょっと〜。

 部屋の蒸し暑さと好奇心と混乱で、頭がぼーっとしてきた。もう、何だかよく判らないや。・・・そうだ、暑さのせいにしよう。だってこんな室温、勉強なんか無理。無理だよ。さっきからあたし、英語の長文の単語一個だって読めないもの。

 頭が溶けちゃってるんだ、きっと。

 だから仕方ないんだ。

 こんなに欲しいものが、今、目の前にある。

 あたしはベッドで眠る真ちゃんをじっと見詰める。

 あたしは、今、この人の唇を渇望している。とっても興味があるの。キスしてみたいの、今すぐに。

 頂いちゃおう、やっぱり。

 そう、これは、全部今日の暑さのせい―――――――――



 あたしは更にベッドに近寄り、真ちゃんの体の右側に両肘をついて身を乗り出す。

 息を殺して、そっと唇を近づけた。

 軽い、本当に一瞬触れるだけのキスをするつもりで。

 そうしたらきっと満足するはず―――――――――――


 唇が、触れた。

 あ、柔らかい、そうあたしが思った瞬間、いつの間にか伸びてきていた大きな手があたしの後頭部を強く押さえつけた。

「んん!??」

 えええー!?

 驚いて、目を見開く。

 あたしは真ちゃんの手に押さえられてバランスを失い、彼の上へと倒れこんでしまっている。二人の唇はしっかり合わさって、既に十分暖められた体温を更に上昇させる。

 汗をかいて湿っている頬や顎もこすれて触れ合う。さっきは指先に感じていたヒゲのザラザラ感を顎にも感じて、体に電流が流れたみたいな刺激があった。

 え。え!?あの――――――

 真ちゃんは閉じていた唇を柔らかく動かして、包み込むようなキスを何度も繰り返す。下唇を軽く噛まれて、舌で舐められる。その度にあたしの体はビクンと跳ねた。息継ぎの合間を縫って、あたしは必死で言葉を出そうとする。

「あの、真ちゃん、んん・・・ちょっと待―――――」

 彼はやめない。音をたてて何度も何度も繰り返される。触れ合うだけじゃない、深いキスだ。こんなのは初めてだ。ダメだ、考えられない。あたしの頭はくらくらして、心臓の音は聞こえそうなくらい大きかった。息が出来ない。何が何だかわからない〜!

「・・・・・」

 押し付けていた手が緩んだのを感じて唇を離し、あたしは浅い呼吸を繰り返す。

 瞼を開けると間近にある真ちゃんの瞳もうっすらと開かれて、あたしをじっと見つめている。後頭部に差し入れられた手はそのままゆるく髪を掴んで、うなじを撫でていた。

「・・・・寝たフリしてたの?」

 何て言えばいいか判らないし大体強烈に恥かしいので、あたしは彼から視線を外してから、とにかく気になっていたことを確認する。

 バレない予定の小さなキス。

 真ちゃんが寝たフリを続けていれば、唇が触れた、それで終わったはずだった。

「・・・・・いや」

 低い声で真ちゃんが言った。

「寝そうではあったけど、まだ、寝てはいなかった。ぼーっとしてただけ」

 ぐっと詰まる。

 何てこと!・・・・あたし・・・・襲うの、早すぎたんだああああ〜・・・。

 思わず真っ赤になった頬を両手で押さえる。あううう、恥かしい。今すぐこの場から消えてしまいたい。何度からパクパクと口を開け閉めしたあとで、あたしは小声で言う。

「あの・・・ヒゲ、いっぱい触っちゃったの、ごめんね」

「あー、あれが気持ちよくて、そこはほとんど寝てた」

 寝転んだままで真ちゃんは口の左端をあげ、瞳を細めて少し笑った。

「・・・椿」

「はいっ?」

 真ちゃんに名前を呼ばれることなんて滅多にないから、反射的に返事をしたあと目をあわせてしまって、あたしは思わず緊張する。

「キス」

「へ?」

「したかったのか?」

 ・・・そぉーんなにゆっくりと改めて聞かれると・・・・非常に恥ずかしいのですが・・・。もうあたし、これ以上照れるの無理なんだけど。

 だけど真ちゃんは返事を待っているようだったので、至近距離からの視線を外して、仕方なく口の中でごにょごにょ言う。

「・・・えーっと・・・。あの――――・・・寝てる真ちゃんみてたら・・・つい、こう、そのぉ、してみようかなあ〜って、思って・・・ほら、何て言うの?好奇心、とか・・」

「その先は?」

「は?」

「その先まで、しようと思った?」


 ・・・・その先。


 って、キスの先?キスの先って・・・・。


 コンマ2秒で想像した。知識としては知っているあたしは思わず手の甲で口元を押さえて、もの凄く狼狽してしまう。うにゃにゃにゃー!

「え〜っ・・・!!いーやいやいや、そ・・・そこまでは、さすがに!!」

 スルッとあたしの髪から手を解いて、真ちゃんは苦笑した。

「なんだ」

 苦笑したまま、ふ、と息をはいて、真ちゃんは起き上がった。あたしは力が抜けて、その場にペタンと座り込む。

「まあどうせ、無理なんだけど」

 真ちゃんは腕で額の汗をぬぐって呟いた。

 ・・・何が無理なんだろう。頭のヒューズが飛んだような状態でぼんやりとあたしは考える。漫画を拾って本棚に片付けながら、真ちゃんが続けた。

「俺、今ゴムもってないから」


 ――――・・・・はぁーいーっ!???


 我が耳を疑った。

 何て言ったあああ???今、今、今ー!!・・・真ちゃんたら真ちゃんたら真ちゃんたらあああああ〜!!!

「椿、持ってんの?」

「ふえっ!?いーえいえいえ!ももも、持ってないですよそんなの!」

 寝込みを襲ったのは自分であるという事実を棚にあげて、あたしは多分真っ赤だっただろうと思う。ゴムゴムゴムって、まさかまさかまさかのあれでしょうか!?・・・いや、それは大事なことなんだけど!!ほんと大事なことなのはわかってるんだけど、でも、そこ!?それなの!?

 頭はショートして大変だ。だって、それってことは真ちゃん、あたしとそういうことする気があるってことなのかな?ああ、もうほんと、キャパオーバー・・・。

 両手で顔を挟んだまま真っ赤になって絶句するあたしを見て、真ちゃんは面白そうに言った。

「・・・その格好」

「んん?」

 彼が何って言ったのか判らなくて、そのままで思わず顔を上げた。あたしの格好?えーっと?今度は一体何の話??

「野郎の部屋にその格好」

 ・・・え、どこか変?声は出なかったけれど、心の中でそう呟く。お洒落じゃないかもしれないけど、勉強するには窮屈じゃない格好で―――――・・・。あたしが首をひねったのを見て、真ちゃんはベッドに腰掛ながら言った。

「腕も胸元もお腹も足も見えてる」

「・・・は!?」

「誘ってんのか、全然意識してないのか、どっちだって話」

 ―――――――マジで!?

 ・・・・じ・・・・自覚、なかったっす・・・。あたしは思わず自分の頭を叩こうかと考えた。でもさ、つーか、タンクトップなんだから、腕もデコルテも見えてんの当たりまえじゃん・・・。

 真ちゃんは面白そうな顔のままであたしを見ている。どうやら混乱して大パニックを起こしているあたしを見て楽しんでいるらしい。きっと顔色は赤や青にかわりまくっていることだろう。何てことだ!

「・・・ご・・・ごめん・・・」

 野郎の部屋にって・・・。うわー、ハッキリ言って、そんなことどっちも考えてなかった。ただ暑いから、タンクトップだったわけで・・・汗かいたから、上を脱いだわけで・・・だって体育祭やら文化祭でもこんな格好はしてるわけで・・・それを誘ってるのか、って・・・ええ!!??

 今更ながら恥ずかしくなって、あたしはパーカーを腰から外し、上に羽織った。

 真ちゃんは苦笑したままだった。頭に手を突っ込んでかき回し、乱れた前髪の間からじっとこちらを見て言った。

「別にいいんだけど。俺は、意識されてないんだなと思った」

「・・・」

 うお〜!だって、意識はしてたけど!でもでも、やっぱり幼馴染だしあたしの中ではまだ真ちゃんは小学生のイメージで!!

 実際には座り込んだまま固まっていたあたしだけど、気持ちの上ではジタバタ暴れて地面に転がっている状態だ。どっかーんって火山が噴火して、灰と一緒に空に舞っているイメージ。阿鼻叫喚だ。混乱のあまり。

「そしたら、あれで驚いた」

「・・・あれ?」

「寝てたら、いきなりキス」

 ・・・・・あああああ〜・・・・・穴があったら入りたい・・・今すぐ消えたい・・・消えたいです、神様。どうぞあたしを消してくださいいいいい〜・・・。

 両手に顔を埋めて、上げられなかった。耳の中では鼓動がうるさく鳴り響く。

 そうか、家に入るとき、真ちゃんが視線を外したり、そっけなかったのって、まさかそれが原因??!挨拶もないなんて思ってたけど、まさかあたしの格好見て、そんなこと思ってたなんて〜・・・。真ちゃんは、意識していたんだ。

「自覚ないとか。・・・危ねーなあ、お前」

「す、すみません・・・」

「で、好奇心でキスとか」

「うううう〜ごめんなさーい!」

 もう、謝るしかない。とにかく謝るしかない。だって入れる穴がないんだもん。もうどうしようもないから、これは、修行の一環だと思って――――――

「もし今ゴムがあったら」

 真ちゃんの低めた声が耳に入り、ビクンと大きく、あたしの体が震えた。

「俺、止めてなかった」

「え」

 驚きでつい、手が離れた。真ちゃんをまじまじと見つめる。

 ・・・・今、何てった?止めてなかったって・・・そのまま進んだってこと??・・・ってことは、それってことは・・・。

 あたしは、またもや体中の血が燃え上がったのが判った。

 そのまま暫く、もういつもの、冷静で何を考えているのかよく判らない表情に戻って固まるあたしをみてたけど、ため息をつくと、真ちゃんは座卓の前に座った。

「初めてだったのか?」

「え・・・っと。あの、キスは初めてじゃない・・・けど。でももっと軽いのだけ・・・」

「へえ。何ならもう一回する?」

「ふえ!?」

「キス」

「い―――いえいえいえ!しません!」

 何てこと言うのー!!あたしは仰け反った状態で叫ぶ。アッサリと!そんなにアッサリと!もしかして真ちゃん、キスに慣れてるの!?ってか慣れてるっぽいよね!?だって躊躇なく深いヤツしたもんね!?

 真ちゃんはのびかけの前髪の向こうから、じっとあたしを見た。

「次にこんなことがあったら、襲われても文句いえねーぞ。判ってる?俺、男だからね」

「へ・・・」

「今度は誘われたんだと判断する」

「あの・・・えっと・・・わかりました・・・」

 真ちゃんは必死で頷くあたしを見てヒョイと肩をすくめ、また言った。

「で、出来た?」

「へ?」

 問題用紙のことだと判るのに、10秒は使った。

「・・・・まだ」

 すると次は、あからさまに呆れた顔で見られた。



 ・・・・・・・・・・もう、あたし、本当消えたい・・・。





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