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 ついに6限目終了のチャイムが鳴って、移動教室だったあたしは教材を持って教室に戻った。見回すと既に教室の中に真ちゃんの姿はなくて、焦って帰り支度をする。

 詳細ちゃんと教えなさいよ〜、とニヤニヤしている唯と佐和子に顔をしかめて舌を出して見せ、教室を飛び出した。

 廊下の窓から見える空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうだ。今年は梅雨入りも遅くて、7月末まで長引くのではないか、との予想も出ていた。

 湿度の高い校舎の中を駆け抜ける。下駄箱をあけて靴を履き替えながら真ちゃんを探すと、入口のところで空を見上げながら立っているのが目に入った。

「真ちゃん!ごめんね、お待たせ」

 言いながら近寄ると、真ちゃんはくるりと振り返って黙って頷き、すぐに歩き出す。

「あ、待って」

 慌てて後を追いかけた。足が速い真ちゃんに追いつくのに必死で息はすぐに上がりそうだ。

「・・・真ちゃん、何か急いでる?先生はあんな事言ったけど、用事があるなら無理しなくていいんだよ?」

 そうそう、何なら今からでもキャンセルしてくれて、ほんといいんだよ?それは心の中で言ったのだけど。

 すると前をゆく背中から、ぼそっと呟く声が聞こえた。

「用事はない」

 あたしは鞄を胸に抱え、競歩してるみたいな勢いでついていく。何よおおおお〜!このスピード、しんどいったら。

「ねえじゃあどうしてこんなに歩くの早いの〜?」

「雨が」

「はい?え、雨?」

「降りそうだから」

 あたしは彼の後ろで汗をかきながら首を捻った。・・・・うん?確かに降りどうだけど・・・・・。それでにしたって、こんなにいそがなくったって!ついていくのが大変だ!

「どこに行くの?」

 既に切れてきている息で懸命に聞く。

「お前の家」

 すぐそこじゃん!!!・・・くそう、自分が濡れたくないからって、こんなに早歩きしなくても・・・。

 前をゆく背中を恨めしく睨みつける。湿度が高いから、湧き出てくる汗が背中を伝う。その不快感にもイライラした。

「・・・真ちゃん、ねえ、キツイからさ、ちょっとペース落として!」

 もう駄目だあああ〜っと思ってついにそう言うといきなりピタッと止まったから、あたしは彼の背中に顔からまともに突っ込んだ。

「・・・っぶっ・・・」

「あ、悪い」

 ・・・ほんと、何なのよおおお〜・・・。なんであたしはこんな目に。打った鼻先をさすりながら真ちゃんを見上げると、振り返って困った顔をしている。

「・・・傘」

「ふえ?」

「持ってないから。お前、濡れたらヤバイし」

 あたしはビックリして手を止める。

 え、もしかして・・・真ちゃん、あたしが濡れないように?自分じゃなくて、あたしが?

「・・・えーっと。それはとっても有難いんだけど、あのー、早歩きも相当疲れますので・・・」

 小さく言うと、真ちゃんはぽりぽりと頬を掻いている。

「別に濡れても大丈夫だよ、冬じゃないし。とにかく、競歩みたいなスピードはやめて普通に歩こうよ。真ちゃんだって疲れるでしょ?」

「別に」

「・・・あっそ」

 この野郎、と一瞬心の中で思ったけれど、もうあたしの家が見えてたから、とにかくどうぞ、と案内する。

「ただいま〜」

 玄関を開けると、いい匂いがした。

 パタパタと足音がして、お母さんが出てくる。あたしの後ろの真ちゃんに気付いて、あら、と言って立ち止まった。目を見開いている。

「真ちゃんだよ。今日、なぜか勉強を見てもらうことになって」

 面倒臭くて説明を大幅に端折ったけど、お母さんは全然気にしてないみたいに頷いた。

「本当だわ〜、真一郎君。あらあらあらあら〜!久しぶりね〜!いきなりこんなに大きくなって〜」

 ・・・お母さん、声がいつもより1オクターブは高くなってますけど・・・。

「どうぞ上がって上がって〜!」

「お邪魔します」

 真ちゃんは淡々と軽くお辞儀をすると、あたしに続いて2階に上がった。まだ階下からお母さんが色々話してたけれど、あたしは「忙しいから!」とドアを閉めてやる。

「ごめんね、うるさくて。お母さんもホントお喋りだからさ〜、捕まったら大変だよ、真ちゃん」

「うん。・・・知ってる」

 その返事に笑ってしまった。あははは、そりゃあそうだよね。小さい頃は本当にお互い入り浸りだったもんね。

「あたしお茶淹れて、ちょっと着替えてくるね。汗だくだわ〜」

 真ちゃんに断って一階に下りると、待ち構えていたお母さんが早速寄ってくる。

「ちょっと椿!真一郎君、いい男になったじゃなーい!びっくりしたわ、お母さん」

「・・・・お母さん、声大きいよ」

 手で音を下げるジェスチャーをして、あたしは洗面所で着替える。タオルで汗を拭いて顔を洗い、Tシャツとジーパンを手早く着た。その間も続くお母さんの話に答えたり笑ったりしていた。

「はい、お茶。これね、さっき焼いたのよ。持っていってー」

 いい匂いがするな、と思っていたら、それは焼きたてのアップルパイだったらしい。ツヤツヤと小金色に輝いて、お皿にのっている。

「おお〜素敵!ありがとう。いい匂い、これだったんだ〜」

 あたしは嬉しくお盆を貰って、自分の部屋に運んだ。

「お待たせ、真ちゃん」

 部屋のドアを開けた途端、真ちゃんの目が、アップルパイに釘付けになる。そりゃお腹も空いてるよね、成長期だもんね・・・。どうぞ、と勧めたら、早速頬張っていて笑えた。

「テスト」

 口をもぐもぐさせながら、真ちゃんが、あたしに向かって手をヒラヒラさせた。

 ・・・んーと、先日のテスト、出せってことよね、多分。テストが何?って聞き返したらどう言うかな・・・。きっと、出してってそれだけが返ってくるよね、うん。

 はいはい、と机に這っていって、テスト用紙の束を探し出す。リーディングと古典を取り出して、真ちゃんに渡した。

 真ちゃんはあたしの回答を一読して、問題用紙をこちらに渡す。

「やって」

 もう一度解け、ということらしい。

 ・・・あーあ。始まっちゃったのね・・・。あたしは諦めのため息をついて、それからは気合を入れる為に深呼吸をした。だけどこうなってしまった以上、仕方ない。あまり時間を無駄にしないためにも、ちゃっちゃとやってしまわねば。

 それにこのテストは、一度答え合わせをした時に復習済みだ。全部さらっと綺麗に解いてみせて、真ちゃんを驚かせてやろうっと。

 あたしはフォークを置いてシャーペンをとり、テスト用紙に向かった。



「終わり」

 時計を見て、真ちゃんが告げる。

 あたしはばったりと後ろに倒れこんだ。

 ・・・・・もう、ショックで起き上がれない・・・。

 復習したはずの箇所は見事に判らず、頭をかすりもしなかったのだ。だから結局一度目にテストに向かい合った時と同じレベルの回答をしてしまった。あああああ〜・・・何でよ、どうしてなの??

 復習、したのよ。ほんとほんと。ちゃんと判ったはずだったのに・・・。

 これはもう古典アレルギーに違いない。絶対そうだ。あたしと古典は相容れない運命なんだ―――――――

 そんなことを考えてウダウダ転がっていたら、真ちゃんの手が寝転がっていたあたしの右肩を叩いた。

「やるぞ」

 その決意したような声色にうんざりする。・・・・・くっそ〜泣きたい。だけど・・・仕方ない。覚悟を決めよう。

 あたしは力を入れて起き上がり、真ちゃんと机を挟んで前に座った――――。



 「今日は、終わり」

 真ちゃんがテスト用紙からあたしを解放してくれたのは夜の7時半。なんと、夜の7時半だった。

 信じられない、もう2時間もやってんじゃん!だったけど、しごかれただけあって、ちゃんとテストの回答は理解した上で答えを導き出せたのだから、ほんと凄い。

 真ちゃんは混乱していたあたしの知識を引っ張り出し、整頓し、丁寧に引き出しにしまうような作業をしてくれたのだ。

 途中からは、ああ!なるほどね!ってセリフが口から連発で、判っていく楽しさまで生まれた。

 首を回して凝りをほぐしている真ちゃんに向かって、床に手をついてお礼を述べる。

「ほんっと、ありがと。とても判りやすかったです。お陰さまで古典には自信がもてるようになるかも!」

 すると真ちゃんは、ストレッチをやめずにこういった。

「次、日曜日に」

「え、終わりじゃないの?」

 あたしはパッと顔を上げる。そこには眉間に皺をよせた真ちゃんがいた。

「・・・・こんなんで終われるか」

「ええ〜・・・」

「英語、まだだろ」

「ううう〜!もう十分だよう!あたしの成績に真ちゃんは責任ないんだから〜!」

「ダメ。気持ち悪いからやる。日曜日」

 ガガーン!ショックでそれ以上口がきけないあたしだった。あたしの大切な日曜日・・・・スパルタ家庭教師と過ごすはめになったみたい。

 なんせ普段無口の真ちゃん、必要だと思うことにしか口にしないため、厳しいお言葉がストレートであたしの心臓や頭に突き刺さっていたのだ。言葉をオブラートに包むってことをしない。単刀直入に、かなり辛辣なお言葉を貰い続けたわけで。この2時間で、あたしは満身創痍。どこを見てもボロボロの、とても可哀想な状態にあるのに〜。

 違う、と、ダメ、と、やり直し、と、そうじゃなくて、の単語はもう聞きたくない。あ、あと、呆れた表情でシャーペンをくるくる回すのと。

「俺の家で」

「・・・・」

「・・・・返事」

 真っ直ぐに見られて、あたしは金縛り状態で、小さな声で言った。

「はあー・・い・・・」

 ガックリ。

 玄関まで真ちゃんを見送ると、やっぱりお母さんが出てきて晩ご飯をしきりに勧めてたけど、またいつもの「微笑のような顔」をして真ちゃんはあっさり帰っていった。

「残念!一緒に食べたかったわあ〜」

 指を鳴らして悔しがるお母さんに、あたしは心底脱力する。

「・・・・やめてよおおお〜・・・」

 今日は、もう無理です。あたしのキャパオーバー。

 丁寧に教えてくれたけど・・・怖かった。うううー・・・。顔をしかめて頭を振る。

 でも判るようになった喜びは大きいし、必要なことだと判る。それに同じ受験生である真ちゃんの時間を使わせているんだから、あたしが文句を言ってはいけないだろう。日曜日も気合いれて行かなきゃ。

 両手でこぶしを作ってファイティングポーズを取る。強くなるんだ、椿!!

 とりあえず―――――――今日はもうゆっくりしましょ。

 唯と佐和子には明日でいっか、とも思ったけど、逆の立場なら気になって仕方がない、と気付いた。

 「ほら見ろ!いい雰囲気なんてならないじゃん!」とブーイングのメールを簡単に送って、用意してあった晩御飯をがつがつと食べ、お風呂に入ることにした。

 あたしに今一番必要なのは、あっついシャワーで覚醒すること。

 そしてスパルタ教師のダメ出しを忘れてしまうこと。





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