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「何驚いてるの。普通だよ、こんなの」

「・・・普通ではないのではないですか?」

 平林さんは軽く笑って、さも美味しそうに目の前でビールを煽っている。

 ビール・・・久しぶりに見たな。もう全然飲んでないから、どうして私の前にビールが置いてあるのかが不思議でならない。

 お酒は飲めるし好きだったから以前はよく飲んだけど、離婚騒ぎでお酒から遠ざかってしまったのだ。単に、娘が酒に頼るのを恐れて親が遠ざけたんだけど。一時私の実家では、アルコールというアルコール全てがなくなったのだ。両親が一切を捨ててしまって。

 それはまあともかく、平日の、営業時間中にアルコール摂取。証券会社では勿論そんなことなかった。保険会社、これが普通なのか!?それともこの人はいつでもこんなことしてるの!?

 頭の中で激しく疑問が沸き起こる。だけどそれを質問する暇はなく、今度は私の目の前には次々とお皿が並んでいった。

「・・・うそ」

 ピザ、フライドポテト、大盛りのチキンサラダ、蜂蜜トースト、魚のトマトソース炒め。

 何だこの大量の料理は。油の塊のような内容の数々は。若干の眩暈を感じてつい額に手を当てる。注文した男はさっそくポテトに手を出しながら、軽やかに言った。

「ほら、尾崎さんも食べて」

「ええと・・・私は結構です」

 見ただけで、胃が拒否した。匂いだけで既にお腹いっぱいだとさ。片手を額にあてたままで言うと、彼は軽やかな口調のままで言う。

「駄目だよ、食べないと」

「ほっといてください」

「ダイエットしてるの?」

 イラついた。彼を睨まないように大きくため息をついて気持ちを落ち着ける。

 ああ・・・どうしてついて来てしまったんだろう。全く、こんなに押し付けがましくてムカつく男だったとは――――――――

 私は不機嫌に首を振る。

「・・・ダイエットはしてません。食事に興味がないんです。すみませんが、私―――――」

 失礼します、と言う前に、彼の言葉が突き刺さってきた。

「ダイエットじゃなきゃ、傷心か。離婚でもしたの?」

 ハッと呼吸が止まった。

 思わず真顔で前の男を見詰める。それを平然と見返して、うちの会社が誇るスーパー営業はまたビールを飲んだ。

 そして私から視線を外さずに、ジョッキを置くと言った。

「判るよ。雰囲気、態度、表情。それに―――――俺も離婚経験者だからね」


 え?


 見詰めていた目を見開く。

 今何て言った、この人?

 私が呆然としている間にも平林さんはピザを食べ、サラダをつつき、ポテトを口に放り込んだ。

 一つのフォークが華麗に舞う。

「ほら、どうぞ」

 小皿にとりわけられたそれを押し付けられて、私は呆然としたままで口に含んだ。確実に無意識だった。サラダに掛かっているシーザードレッシングが舌をピリリと刺激する。

 つい、もう一口チキンサラダを突っ込んだ。

 平林さんはそれを見て頷きながら、そうなんだよ、と小声で言った。

「俺もバツ1なんだよ。知らなかった?」

 思わず首をぶんぶんと振る。

 ・・・知らなかった、平林さんが結婚していたことがあるだなんて。誰ともお昼を食べない私にそんな情報は降りてこない。

 でもそうだったんだ。確かに私と同じ年だし、男性でも結婚の早い人はいる。現在が独身でも過去は違うってこともあるよね・・・。

 ナプキンで口元を拭きながら、平林さんが淡々と話す。

「あれはキツイ経験だよね。覚悟して別れるけど、その後でやっぱり結構な衝撃があったな。尾崎さんを見ていて思ったんだ、もしかしてってね」

 私は言葉を押し出そうとして、口の中のチキンが気になる。邪魔・・・邪魔だよ、鳥!こんなに話したいと思ったことが久しぶりな私は、口の中の物を何とかしようとジョッキを掴んでビールを流し込んだ。

「うっ・・・!」

 炭酸が喉を刺激して思わずむせそうになったけど、何とか堪える。・・・ビールって、こんな味だったっけ?こんなに苦かったっけ?

 思わず混乱した頭で手に握ったジョッキを見たけど、それよりも今は平林さんに聞きたくて一人で大変だった。頭の中が嵐だ。

「ひっ・・平林、さん、も・・・」

「はい?」

 サラダとビールを完全に飲み込んでから、言い直した。

「平林さんも食欲なくなりました?」

 彼は前の席で、うん、と頷いている。

 私は今度はポテトを一つ口に入れた。変な勢いがついていた。塩味が口中に広がる。飲み物が欲しくなり、またビールを飲む。

「何だか生活の全部に疲れてしまって、今から考えたらちょっと鬱だったかも、と思うよ。1年間はやっぱり暗かったよね」

 ああ、判る〜!!と心の中で激しく同意する。絶対これ、鬱だって思ってた、私も!

 力が入った反動でこんどは一気に抜けてしまって、私は後ろの椅子にもたれかかる。

 はあ〜・・・とため息が出た。

 まさか、こんな状況で理解者が現れるとは思わなかった・・・。肩の力が抜けて深呼吸をする。

 つい飲んでしまったビールが胃に入り、アルコールが体を回りだしたのが判った。温かくなってきた指先をこする。

「ごめん、尾崎さん」

 急に前から謝罪の言葉が聞こえて、ハッと顔を上げる。

「え?」

「申し訳ないけど、俺、アポの時間だから行くね。代わりに高田が来るから、ここ」

 私は腰を浮かせた。

「え!?」

 今、サラッと何てった!?

 平林さんはナプキンを置いて立ち上がりながら笑う。

「高田が来ますよ。職域の帰り、飯食いに。折角だから一緒にと思ってさっき誘ったんだ」

 ・・・さっき?―――――――って、来てすぐのあの電話か!?

 ええええー!!やだやだ、私あの人苦手だもん!

 若干半泣きになりかけた私も立ち上がる。必死で言葉を探した。

「いや、あの、私もこれで・・・」

「駄目だよ、尾崎さんまだ全然食べてないでしょう」

 いいです、いいんです!私はもう十分ですー!!ってかあの無口で無愛想な男が来る前に逃げなければ!ミスター愛嬌の平林さんだからついついてきてしまったのだ。まさかまさか高田さんに交代されるとは思わないではないか!

 私が一人でパニくっている間にも、平林さんは鞄を掴んで支度を済ませたようだ。そして入口の方へちらりと目をやると片手を上げる。

 私は固まった。

 ・・・ヤバイ、来た!?私の苦手なあの男が来た?逃げなきゃ・・・無言で高田さんと二人でいるなんてごめんだよー!!

「お疲れ」

 平林さんが砕けた様子でそう言うと、丁度私の右斜め後ろから、ああ、と低い声がした。

 ぎゃあ。

 ・・・既にこんな近くに!?

 その体勢のままで目の玉だけ動かすと、周りに座っている女性客の視線がこのテーブル、詳細に言うと私の後ろに向かっているのが判った。

 何となく、そわそわした雰囲気が広がる。

 そりゃそうだろう。私の後ろには、まず間違いなく無駄にいい男が立っている。

 ・・・ああ・・・。私は唇を噛んだ。

 後ろに立った高田さんは不思議な顔をしたらしい。というのは、平林さんが説明を始めたからだ。

「あ、尾崎さんが一緒なんだ。公園ですげー脱力して座ってたから、かっさらってきたんだよ。お前、この人に飯食わせてくれ。金は後で払うから。頼むな」

 って、いやいや!頼まないでよ、そんなー!!

 私はダラダラと冷や汗をかきながらそろそろと中腰から立ち上がる。ゆっくりと鞄を持った。

「ええと・・・あの・・・私ももう・・・」

 意を決して振り返ると、既に平林さんの姿はなく、それを認識してぶっ倒れるかと思った。

 ひらばやしいいいいいいいい〜!こら、どこ消えた!?

 見回すと嫌でも目に入ってくる澄ました端整な顔。

 ミスター愛嬌といつでも一緒にいるミスターパーフェクト(上司がふざけてそう呼んでいるのを聞いたことがある)が、無表情で私をじっと見ている。

 ・・・・うぎゃあ。

「・・・座って」

「へ!!?」

 静かに言われた言葉に思わず仰け反って反応したら、少し口元を持ち上げた。

 ・・・笑った、らしいな、これ。

 高田さんはさっきまで平林さんが座っていた前の席に座ると、突っ立つ私を見上げてまた言った。

「座ったら。目立ってますよ」

 その一言で、ドン、と一気に腰を下ろした。

 目立つのは嫌いなんです!でもよく考えたらあんたがいるだけで無駄に私まで目立つんですけど!


 ・・・ああ、座るんじゃなくて出て行くべきだった・・・・。





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