3、つい、のせられて@
社会生活に復帰した私は、周囲に違和感を感じていた。
自分の世界はあれだけ見事に崩壊したのに、現実世界は絶え間なく動き続けている、そんな当たり前のことが受け入れられなかった。
だから、壁を作ったのだ。
透明だけれど、強力で分厚い壁を。
気安い仲間、同僚や友達。それすらもひたすらに面倒臭くて。別になくても困らない。今までの私を説明するのも面倒臭い。一々傷口を開けるようなその行為は、そもそもしたいはずがない。だから、話せる人などなくてもいいと。
今はまだ周囲に溶け込むなんて出来ない。まだ、私の心臓の傷は完治などしない。
当分一人でいい。
そう決めて、新しい会社では壁を作り、周りを拒絶してきた。だけど――――――
「・・・どうしてこうなっちゃったんだろうか・・・」
私は頭を頬杖をついた格好で、11月の陽光差し込むお洒落なカフェで、座っていた。
私をここに連れてきたのは例の同僚、平林さん。愛嬌爆発の、我が社が誇るエリート営業の彼だ。
彼は今電話に立っていて、私は首を傾げながら座り、彼が戻るのを待っているのだ。
えーっと・・・だから、そうよね。
暇なのもあって今朝の事を思い出す。
今朝。
終わりを迎えた保険会社の記念月、11月戦の結果検証があったのだ。
そして、うちの南支社、第一営業部に所属する54人の営業職員の中で、未実働(つまり、貰えた契約が1件もないか、0.5件もしくは0.2件ってこと)者、そして実働(1件か、1.5件)者が並べられてコンコンと詰められた。
その中には私も入っていた。
あの奇跡の1件の後、文字通り休日返上で頑張ったけれど、その後手に入ったのは主力商品以外の小さな契約ばかり。終わってみると、私の成績は1.5件だったのだ。
ガッカリしたのは私だが、それは勿論会社と上司も同じだ。
というわけで、自分の給料にはならない上に会社のお荷物になること決定の私達10名を朝礼台の前に並べて、営業部長が朝から直々に乗り込んできて、散々叱られたのだ。
それはそれは恐ろしい経験だった。
転職してから、前職の絡みで何人かの顧客を確保していた私は今までは叱られない程度には成績を収めており、今回が初めての「詰められ」行事だったんだけど・・・。あれは、怖かった。
普段は演説をしているところしか見たことのない営業部長が恐ろしいとしか形容出来ない形相でぎろりと睨みつける。
角が生えてないかと思わず頭の上を見てしまったほどだった。
悪魔、降臨。
「一体何しに会社に来てるんだ!!」
凄い大声で怒鳴りつけられて、膝が震える。下を向いて潤んだ瞳を見せないことに精一杯だった。延々と浴びせられる罵声に、耳の奥ではキーンという音が鳴っている。
社会人だ、まさか、泣けない。頑張りました、では意味がないのだ。頑張ってるのは皆一緒。結果を出さなきゃやらなかったも同義だ。
他の9人がそうやっているのを見て私も真似をした。ただそうやって頭を垂れ、嵐が過ぎるのを待っていた。
終わったときには疲労の蓄積で呼吸困難になるかと思ったほどだった。
今年一杯のアポノルマを加算されて解放された私は、昼の職域訪問をサボって大きな公園のベンチでぼんやりしていたのだ。
もう、今日は無理・・・。仕事、ちょっと休憩です、と自分に呟いて。
平常心に戻すことすら、難しい。そのくらいのショックを全身で受けていたのだった。
11月に入ったばかりで風もそんなに冷たくなくて、いい天気だった。
耳の中でさっきまで喚いていた部長の声がまだ木霊していたけど、それは極力無視して風に揺れる緑を見詰めていた。
はあ〜・・・と息を漏らす。
それもサラサラと通り過ぎる風が運んでいく。マイナスイオン、出てるわ〜。都会でも、やはり公園の緑は結構な力を持っているんだなあ〜・・・。
いいなぁ、公園の近くに引っ越しでもしようかな。
親を喜ばせる為だけに始めた一人暮らしで、深く考えずに決めた1DKのアパートはゴミゴミした駅前にあった。狭い上に薄暗く、光も風も入らない。
・・・そうか、環境も悪いんだな、今の私は。通り抜けていく風に髪を揺られながら思った。
次第に呼吸も落ち着いてきて、私は漸く凝り固まった体を伸ばす。ベンチの上でううーんと伸びをして、目を閉じ、人間に戻った〜などと言っていた。
すると声が飛んできて、その伸びをした格好のままで固まってしまったのだ。
「解放されてるねー、尾崎さん」
一瞬止まってしまったけど、その声の主を認識すると同時にパッと体を起こした。
「―――――平林さん?」
勢い余って眩暈がする。
ぐるりと周囲を見回すと、キラキラと眩しい太陽の光に目を細めた、ミスター愛嬌がこちらに歩いてきつつあった。
嘘でしょ、まさかの同僚と遭遇・・・。職域訪問サボりがバレた・・・。ガックリと私は肩を落とした。
彼はそれに気付かない様子でスタスタと真っ直ぐ近づいてきて、いつもの笑顔で私に話しかける。
「広瀬部長が来てたらしいねー。うちまで怒鳴り声聞こえて来てたよ。すっげー迫力。聞いてるだけでびびった〜」
軽やかにあはははと笑っている。
・・・いや、笑えないほど怖かったんですけど・・・。
会社内でなく他に誰もいないからか、彼はいつもの敬語を消して話していた。よく考えたらこの人、同じ年だったっけ、とぼんやり思う。
私はひきつりを隠して下を向く。そして十分に表情がマシになったと思えてから、顔を上げた。
「・・・平林さん、職域訪問は?」
もう面倒臭くて私も敬語は止めた。大体、この人に壁を作っても無駄なのだ。いつでもアッサリとそれは壊されるのだから。
彼は少し驚いた表情をしたけど、やがてニッコリと笑う。
「サボり。この後アポが微妙な時間に入ってるし、もう今日はいいかと思って」
そう言って、当然のように誘ったのだ。非常にさらりと流れのままに。
「尾崎さんも職域サボりだったらお昼行かない?アポ前にちょっと腹にもの入れておきたいんだけど」
―――――――何故私があなたと一緒に。
そう思ったけど、思った時には既に頷いていた。自分でビックリした。
え!?いやいや違うでしょ、私、行かないでしょ!?って。
だけどじゃあ行くよ〜と平林さんは背中を向けて歩き出してしまってたし、グダグダ考えてみても後の祭りだった。
そこから大声で断りを入れるなんて芸当、私に出来るとは思えない。
再びがっくりと肩を落としてオアシスだった公園を出る。
・・・私のバカ。ここでカ〇リーメイトでも食べようと思ってたのに・・・。そして十分マイナスイオンを吸収したあと、おもむろに午後の営業を頑張るつもりだったのに・・・。
何の魔法を使ったんだ、あの男。あれが愛嬌のよさってやつなんだな。一瞬にして、こちらの防御を緩ませる。営業職は天職だな、彼の。
口の中でブチブチ言いながら彼についていくと、この素敵なカフェに入っていったんだった。
私の回想はそこで解ける。魔法使いが戻ってきたからだった。
「ごめんね、お待たせ」
ヤツはニコニコ笑いながら、携帯をテーブルに置いて言った。
「料理注文しといたから。頑張って食べて」
「え?」
あたしは呆気に取られる。・・・注文しといたって、そんな。どうして勝手にそんなことするのよ〜!
流石に憮然とした表情が出たらしい。それを見て、平林さんはまた笑った。
「前から思ってたんだよね。尾崎さん、ちゃんと食べてないでしょう」
直球だな、おい。私はムスッとしたままで椅子に寄りかかる。平林、実は俺様キャラか?
不機嫌に黙ったままの私の前で、相変わらずニコニコしたままで彼は言った。
「一度聞いてみたかったんだよね。どうしてそんなに壁を作ってるの?」
「・・・作ってないです」
「残念なことに、俺は鈍くないんだ」
無愛想な返事にさらりとそう返して、平林さんは飲み物を持ってきた店の人に微笑みを送る。私は彼の厚かましい返事よりも、その飲み物に仰天した。
「―――――平林さん?まさか、飲むんですか?」
目の前においてあるのは生のジョッキだ。多少こじゃれてはいるけど見まごうことなきこれはビール。しかも、二つ。つまり私の分もあるのだろう。
だって、まだ昼だよ?それにこれからアポって言ってなかったっけ?
驚く私の反応を面白そうに見て、ヒョイをジョッキを持ち上げた彼は乾杯と言った。
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