4、エネルギーの生まれ方



 私はついじっとりと入口の方を見詰める。その間にも、高田さんは店の人に注文をしていた。

 店の女の子の高い声が耳に入る。その声に少しばかりの媚を感じ取って、私は少しだけ混乱が冷めた。

 置いていかれたものは仕方ない。大人でしょう、私、現実に対処しましょう。

 気を取り直して目を上げると前に座るのは支社内ナンバーワンと謳われる美男子。・・・おかしいな、なぜこんなことに?やっぱり無理か、平常心は難しい。

「食べて下さい」

 また静かな低い声が聞こえた。

「え?」

 私が顔を上げると、高田さんは私の前に置かれたままの料理を長い指で指す。アーモンド形の綺麗な黒い目にじっと見られて、言い返すことも出来ずに私はピザを口に運ぶ。

 いやあだって、整った顔って迫力あるんだもん。

 カリっと生地が音を立てる。薄く焼かれた生地にはたっぷりのチーズ。もう既に冷めかけているのに、それはとても美味しかった。

 ・・・美味しい。・・・え、美味しい?

 もぐもぐと咀嚼しながらぼうっとピザを見る。美味しいなんて、久しぶりに思ったな・・・。これはビールのせいなのかな。それとも久しぶりに人と食事をしたからかな。ほんのりと甘いピザの生地がまた味わいたくて、手を伸ばす。

 相手も無言だったけど気詰まりな雰囲気ではなかった。超絶美形な上に細身とは言え大きな男性であるのに、高田さんからは私が勝手に恐れていたような、想像したほどの存在感を感じなかった。彼は、ただ静かにそこに居た。

 だから私は全然ドギマギすることなく、気がついたらバクバクと料理を食べていた。

 あら・・・このレタス、とってもシャキシャキ。それに冷たいし、丁度いい大きさ。簡単な料理だけどちゃんと手が入ってるんだな。うーん、よく味わってみれば、このドレッシングは店で調合してるのかな、このチキンも一度炙ってある?皮がぱりぱりで・・・それで、それで・・・。

 ビールを飲み干すと、何と私の前にはお代わりが置いてあった。

「・・・私のですか?」

 新しく用意されていたジョッキを指で示すと、高田さんはいつの間にかきていた自分のランチを食べながら頷いた。何と高田さんもビールを飲んでいる。平林さんが言う「普通だよ」は本当だったのかも。

 お代わり、頼んでくれたの知らなかった・・・。

 ちょっと間悩んだけれど、結局黙ってそれも飲む。

 さっきは驚いたビールの苦味が、今では甘みを含んでするすると喉を流れ落ちる。

 美味しい・・・。

 細胞が急に踊りだしたみたいだった。美味しい。これ、とっても美味しい!

 お互いに黙ったままでガツガツと食べる。ひと様に大いに自慢できるほどの美形の男とテーブルを挟んでいたのに、私は完全にそれを忘れていた。それほど久しぶりに食事に没頭していた。

 周りのテーブルが空きだして、ざわめきが落ち着いてきたことに気付いて顔を上げる。

 あらら・・・いつの間にか、ほとんど人がいないじゃない。

 えーっと・・・。行儀悪くジョッキを傾けながらぐるりと顔をめぐらせて、高田さんと目が合った。

「!!」

 飲みかけていたビールを噴出すかと思った。私は慌てて片手で口元を押さえる。

 うひゃあビックリした!そうだ、この人いたんだった!!ちょっと待って、どこに行ってたの私!?

 一人でパニくって苦しんでいたら、高田さんの低くて静かな声がした。

「・・・よく食べましたね」

「ええと・・・はい。こんなにちゃんと食べるの久しぶりで。ずっと無言ですみません・・・」

 あなたのこと、完全に無視しちゃってたわ、と思って謝ったのだが、本人は気にしてないようだった。

 表情も変えずに店の人を呼び、コーヒーを注文する。

「尾崎さんは?」

「あ、頂きます」

 お昼から生中を2杯も飲んでしまった。さすがにコーヒーなしでは恐ろしくて帰社出来ない。

 食べたものを見回した。空になった、チキンサラダのボウルとピザのお皿、あとちょっとだけ残っているポテト。トーストも食べたし。あ、でも魚は高田さんが自分の分を食べた後片付けていたんだっけ・・・。それにしても、よく食べたな。

 ここ最近の、丸一日分ほどを昼食だけで食べてしまった。美味しかったけど、驚き・・・。

「驚いてるんですか?」

 高田さんが話していると気付くのに時間が掛かった。

「へ?」

 ついマヌケな声を出したら苦笑された。ハッキリと、苦笑だった。この人の表情が動くのを見たのは初めてかもしれない。

 とても美形だが、いつでも無表情なのだ。無愛想だし。苦笑ではあっても、一応笑ったってことで――――――――

 へえ、珍しい・・・。よく考えたら話すのも初めてだよな。挨拶、それか「はい」くらいしか聞いたことがない、かも。いつも隣にいるミスター愛嬌が話してるから、この人と話す必要がなくて。

 私が今度は呆然と彼を見ていると、視線を持て余したように目をそらして高田さんが言う。

「ご飯、そんなに珍しかったんですか?」

 あ、質問されてるのか。そう気付いた私は、いえいえ、と急いで手を振る。

「えーっと・・・諸事情ありまして、結構長い間食事に興味が持てなくて、ですね・・・。それが、さっきは久しぶりに美味しく感じて・・・バクバクと」

「食べてましたね」

「はい、食べれました」

 何となく、そのまま黙る。よく考えてもまだ判らないけど、どうして私はここで高田さんと二人でテーブルを囲んでいるのだろうか。

 あ、そうだ、平林さんのせいだった。あんにゃろう。

 一瞬ムカついたけど、お腹が満たされていた上にビールまで飲んでいる私はそれ以上機嫌を悪化させることが出来なかった。空腹が満たされると人間は不機嫌になれないらしい。

 コーヒーが運ばれてきて、ちょっとホッとする。機嫌が悪くない私は、もうどうでもいいやと口を開いた。

「あのー、高田さんは・・・」

 何か?という表情で彼は顔を上げた。言葉が続かないで思わずマジマジと見てしまった。

 うーん・・・格好いいなあ。マトモに真正面から見たの初めてだけど、綺麗な顔〜。

 1年半ぶりに満足いくまで食べた私は多少鈍く、大胆になっていたのだろう。もしかしたら酔っ払いだったのかも。でなければ男を、正面から穴があくほど見詰めるなんて出来ないはずだ。

「・・・何ですか」

 高田さんの怪訝な声にハッとする。急いで視線をずらした。

「あ、失礼しました。えーっと、いえいえ・・・あら、何聞こうと思ったんだっけ?・・・えーっと・・・」

 思考が飛んでワタワタと慌てる。彼はそれを興味なさそうにちらりと見ると、コーヒーに角砂糖を2つ落とした。

 私は落ち着くためにブラックで飲みながら、それをへえ、と眺める。

 ・・・コーヒーに砂糖入れた。珍しい営業だな。この顔で甘党とか?・・・顔は関係ないか。

 営業職は基本的にはブラックでコーヒーを飲む。色んなところで飲み物を出される際、好みがあると相手に面倒をかけるからだ。

 一々砂糖やらミルクやら入れるのが面倒臭くなるのはこちらとて同じこと。

 胃は荒れるが、それもいずれ慣れる。そして朝から晩までブラックでコーヒーを飲むことになるのだ。

 この人、砂糖入れたけど。

 ふーん。

 あ、思い出した。

「思い出しました、聞きたかったこと!えーっと、高田さんて、平林さんとペアで回ってるんですか?」

 いきなり話し出した私をちょっと驚いたように見る。でも少し間を空けたあと、ゆっくりと首を振った。

 はあ、違うのね。

「いつも一緒にいらっしゃるから。第2営業部は基本ペアなのかなと思って」

 私のような一般女性営業もいる第1営業部と違って、南支社の第2営業部は男性のみで構成されている。

 基本的には同じ仕事だが、平林さんと高田さんの所属する第2営業部は所謂エリート集団で、特別の教育を受けて育った営業集団なのだ。

 だから成績がいいのは当たり前と言えば当たり前なのだけれど、やることは一緒なのだから、彼等はそれだけ努力をしているに違いない。ノルマも上司の叱責も、私がいる営業部とはそれなりの差があるはずだ。

 部屋も違うし、上司も違う。第1と第2が一緒に何かやることはないのだが、同じフロアにいるので営業同士の交流はあった。打ち上げや会議などは一緒にやることもある。

 なので、第1営業部にいる女性社員や事務員さんが、彼等にメロメロなわけだ。

 第1営業部には勿論20代の若い女性社員もいるし、事務員さんは派遣社員も正社員もパートさんもいるわけで。

 私が知らないだけで実はファンクラブなんかもあったりして・・・とそこまで考えて、いや、どうでもいいな、と打ち消した。

 とにかく、第2営業部のことは私には判らないけど、普通は単体で動くはずの営業である彼等はいつでも一緒にいた。だから営業活動をペアでしているのかと聞いてみたのだけれど・・・違うらしい。

 黙った私に高田さんが静かな声で言う。

「・・・平林とは幼馴染なんです」

 ・・・わお。私は驚いたのがバレないように咄嗟に下をむいて両手を見つめた。幼馴染?それってレアな情報なのでは。

「大学で再会して、それ以来一緒にいるんです。・・・腐れ縁で」

 はあ、腐れ縁。それはそれは。

「・・・あ、なら、高田さんも32歳ですか?私平林さんと同じ年らしいんです」

「いや、俺は一つ下です」

 うほ。あらら〜・・・やっちまったな、私。ちょっと凹む。自分から年齢をバラしてしまった上に、ヤツは年下だと知ってしまった。

 って、別にいいのよ。

 彼が年下だったら何だっつーの。

 心の中で自分に突っ込んで、これ以上失態をさらして勝手に挙動不審になるまえに撤退することに決めた。

 伝票を見ようと手を出すと、するりとそれはとられてしまう。

「あの・・・」

「ここはいいです」

 瞬きをしながら高田さんを見た。彼はいつもの無表情で、鞄を持って立ち上がっている。

「いえ、あの、自分の食べた分は払いますよ」

 私も言いながら立ち上がると、それはアッサリと聞き流して高田さんはレジへと進む。

 慌ててその背の高い後ろ姿を追いかけた。

 え、ヤダヤダ。付き合ってるとか上司とかなら相手の立場もあるからともかく、同僚で、しかも年下だと知ってしまった後で気軽に奢られるわけには行かないじゃないの!

 いくら稼いでる金額が天と地ほどの差があったって、自分の昼食代くらいは払いたい。こんなことで借りを作りたくなんてないのよ〜。

「高田さん!」

 レジ前で騒ぐのは嫌だったけど、ここは譲れないと小声で名前を呼んで彼のスーツを引っ張る。しかしそれも無視して淡々と会計を済ませると、無愛想男は店のドアを開ける。

「ちょっ・・・!」

「どうぞ」

 まさかこのタイミングでエスコートされるとは思わず、私は怒鳴りつけようとしていた声をぐっと飲み込んで、仕方なく外へ出る。

「・・・ありがとうございます」

 そう呟くと、また頷いた。

「あの、高田さん!」

 スタスタと歩き出した彼を追いかけて背中に叫ぶと、高田さんがいきなり止まったから背中に突っ込んでしまった。

「ぶっ・・・」

 よろめいた私は彼の背中で打った鼻を押さえる。痛い〜・・・もう、壁みたいな体して急に止まらないでよ〜!

 何なのだ、この男は!

「代金は」

 上から静かな声が降ってきた。

 私が涙目で見上げると、相変わらずの無表情で、南支社代表の美男子が言った。

「全額平林に払わせますから、気にしないで下さい」

「へ?」

 全額?3人分?

「ああ、それと・・・」

 一度は前を向いた体をまた私に向けて、高田さんは微笑した。

 私は思わず微妙な体勢のままで固まる。

 ・・・無愛想が、笑った。

 固まる私の上にまた彼の低い声が降って来る。

「尾崎さんはもっと食べた方がいいですよ。今のままだと、抱き心地が悪そうだ」

 そう言って、恐ろしく綺麗で柔らかい笑顔を見せたあと、呆然とする私の全身を見回し、高田さんは行ってしまった。

 私は道に突っ立ったまま、しばらくそのままで動けなかった。

 言葉が頭の中を回る。

 見てしまった強烈に格好良い笑顔も頭の中を回る。

 煌いた瞳、きゅっと上がった口の端、高い鼻梁。髪が首筋で揺れていた。最高にセクシーな顎のライン・・・いやいや、それよりも、それよりも、そんなことよりも。

 ・・・何て、言った・・・?あの人、今。

 えーっと・・・・。


 だ。

 だ、だ、だ・・・


 抱き心地が悪そうだとおおおおー!!??


「・・・はあーっ!?」

 あのセクハラ野郎ー!!頭に血が上ってムカついた私はコンクリートの塊をヒールで蹴っ飛ばす。勿論それには敵わなくて、足が痛んだだけだった。

 ・・・学習した、地球に喧嘩を売っても負ける。

 だけど久しぶりにマトモに活動した胃袋はエネルギーを生み出し、私はその日の午後、ミスター無愛想の高田に与えられた怒りも手伝って、えらく精力的に営業活動が出来たのだ。

 新規のアンケートが4枚も取れた上に、通っている会社の廊下で今まで無視されていた女性と話をすることが出来た。

 しかも、気を紛らわすために飛び込んだ会社で出入りの許可まで貰えた。

 だけど素直には喜べなかった。どうであれ、これは平林さんと高田さんのお陰だと思うのが悔しかったのだ。

 その夜、私は近所のスーパーへ足を運び、一人暮らしを始めてから初めての大量の食品の買い物をした。鍋もフライパンも追加で買った。ビールも買った。重くて、帰りは大変だった。

 結婚していた時みたいにエプロンをつけて勢い良く晩ご飯を作り、一人でガツガツと食べた。

 お腹が一杯になってカーペットに寝転ぶ。そして光の足りない薄暗い天井を見上げてぼーっとしていた。

 怒るにも、エネルギーがいるんだったな、そう言えば。


 そんなことを考えていた。







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