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 高田さんは微笑を口元に浮かべたまま、いつものようにじいっと私を見ている。

 ぎゃあああああ〜・・・

「――――――待てますよ」

「はいっ!?」

 待てるだ!?何、何のこと!?私は顔をほてらせたままで彼を凝視する。もう目が離せなかったのだ。魔法みたいに、私の視線は彼に吸い寄せられてしまっていた。

「部屋でテレビ観賞でもいいんですよ。俺は待てますから」

 いくらでも、あなたの準備が出来るまで。彼はそんなことは言っていないのにそう聞こえた。

 私は無理やり視線を外す。体中がマグマの固まりみたいになっていた。ホットワインなんて飲まなくてもこんなに熱いよ〜!神様〜って、そんな心境だった。

 待てますよって・・・そんな。くっそう、本当に待ちそうだよね。涼しい顔して、ベッドに腰掛けて、のんびりテレビ見てそうだよね、この人!!

 私は震える呼吸を落ち着けるべく努力をする。

 はい、深呼吸〜。吸って・・・吐いて・・・。

 そして勇気を振り絞って彼に向き直る。

「・・・明日、金曜日ですけど」

 平日でしょ?仕事なんだよ?といさめたつもりだった。私たち、立派な社会人でしょって。

 彼は少し考える顔をして、やっぱり静かに言う。

「俺はもう終わってるから休めますけれど。・・・尾崎さん、最初のアポ何時ですか?」

 うわああああああ〜ん!私は泣きそうになった。

 あ、あ、アポなんて入ってないもーん!!今日は思いっきり楽しんで、明日になったら仕方ないからまた営業頑張ろうって思ってたんだもん!そんな毎日毎日、それも複数のアポが入ってるような優秀な営業じゃないんだよ、私はー!!

 だけどそれは心の中の叫びだし、やはり一応プライドはあるから彼には言いたくない。だってまだ3月分終わってないのだ。アポ0ですっていうのは悔しい。

 そんなわけで真っ赤な顔のままで黙り込んだ。

 暫くしてから高田さんはグラスを置いて、音も立てずに席を立つ。

 私はそれを見送らないで必死で考えた。

 ちょっと私、どうするのよ!?どうしたらいいの?もう、こういう時はお喋りの人の方が間がもっていいよなー!困った困った困った・・・・

 ぐるぐると「困った」の文字が頭を回る。

 すると戻ってきた高田さんが、尾崎さん、と後ろから言った。

「―――――え、は、はいっ!?」

 体を捻って振り返ると、コートを片手に持って立つ、格好いい男の人。

 またじいっと私を見ていて、それ故に金縛りにあう。

 ・・・・うわあ〜・・・・無理無理無理。嘘でしょ、この人が私といるなんて!

 彼は手を差し出した。

 私は呆然としたまま、それでもその手を取ってしまう。

 やっぱりあるんだ・・・絶対に、彼のこの瞳には魔力が宿っているに違いない――――・・・

 手を取って立ち上がると、そのまま流れるようにエスコートされてバーをでる。

 支払いが済んでいることにも気付かなかった。

 それだけ頭が停止していた。

 エレベーターの中で近づく彼の唇から吐息が零れる。それは柔らかくてスパイシーな香りがした。

 ・・・そうか、ワインと香辛料を混ぜた飲み物だって言ってたっけ―――――

 ここは、カメラはあるけど会社じゃないから。

 そう言って、ぼーっとしたままの私を抱きしめる。

 高田さんの髪からは外の冷たい空気の香りがした。

 うーん・・・温かい。誰かに抱きしめられるなんて久しぶり〜・・・。

 また飲みまくったアルコールで若干夢心地?それともこれは夢?温かい指先と、吐息と、唇と・・・

 ああ、夢だとしたら・・・夢であるなら、覚めませんように。


 私もうちょっとここに―――――――



 夢みたいだ、と思ったままで、フラフラと私は彼に引っ張られる。

 陶子が用意してくれていた部屋の鍵はそのまま高田さんが持っていたようだった。鍵が開けられ、部屋の中へと導かれる。

 ・・・あれ〜・・・?ぼんやりしたままでここでも素敵な夜景が広がる大きな窓が見えて、私はそのまま窓辺に近づいた。

 さっきよりも・・・風景が、やたらと近づいたような・・・。

 彼はコートとジャケットを椅子の背にかけて、ベッドサイドの明りだけをつけ、大きなベッドに座っていた。

 私は相変わらずぼんやりと夜景を眺める。

 うーん・・・と。そうか、もう取られていた部屋に入ってしまったんだな。おっどろき〜、私が、誠二以外の人とホテルの部屋にいるなんて・・・。

 どうしたらいいのかが実はまだよく判ってなかった。

 緊張はしていなかったけど、ぼんやりしていた。

 ゆっくりと振り返る。

「どうして・・・」

 私の呟きに高田さんが顔を上げて私を見た。

「・・・どこが、気に入ったんですか、私のこと」

 多弁ではない彼に、敢えて聞く。それから気がついた。そうか、私はここが知りたかったんだって。

 色んなものに拒絶されすぎてそれに怯え小さくうずくまる私の、一体どこが気に入ったのかを聞きたい。

 知りたいのだ。

 そうしなければ、本当の自信は戻ってこないような気がした。

 この人に愛されるわけにはいかないような気がしていた。

 ベッドに腰掛けたままで高田さんは少し首を傾げる。

 まだ黙ったままで、部屋の中は空調の音だけが微かに響いていた。

 ぽつりと言葉が聞こえた。

「・・・理由がいりますか?」

「え?」

 高田さんは私を見ている。ベッドサイドの明りは彼の顔に陰影をつくり、彼の静かな表情が強調されていた。

「好きになることに理由がいりますか?」

「・・・」

 だって。

 私はコートの裾を握る。だって、それを聞かなくては。私にはそれが大切なこと。それが・・・

「・・・だって、必要なんです、私には」

 小さな声だった。高田さんに聞こえたかどうか自信がなかった。ますます強くコートの裾を握った。

 ふう、と息を吐く音がして、高田さんはベッドの上で背中を壁につけて天井を見上げる。

 困らせたのかな・・・やっぱり、聞かなきゃよかったのかな。

 突っ立ったままで私は途方に暮れる。

 じんわりと涙が浮かびだした。・・・ああ、私ってバカ。ここまでやってくれたのに、そんな些細なことを欲しがる。だけどだけど―――――――

 心の中の暴風雨に負けそうになった時、高田さんがゆっくりと話しだした。

「・・・尾崎さんは、稲葉を知ってますか?」

「はい?」

 浮かんだ涙が止まった。・・・え?いきなり何?何だって?今何て言った?

「え・・・すみません、もう一度」

「稲葉を知ってますか?去年まで中央支部にいた営業で、俺の一つ上なんですが」

 私は今度こそ首を傾げる。

 うん?稲葉って・・・あの、3大イケメンの、昇進して地方で支部長になった人のこと?何よいきなり。

 かなり混乱はしたけど、お陰で涙は止まった。私は怪訝な顔で言う。

「・・・ええと・・・はい、知ってます。あのー・・・中央の稲葉って言われてた人ですよね。壇上表彰の常連の」

 甘え顔の美形で有名な。と心の中で付け足した。

 高田さんはベッドに座って体を壁に預けながら、優しい顔で頷いた。

「そいつです。稲葉があっちへ赴任する前に、男ばかりで送別会をしたんです、この近くで」

 ―――――――はあ、そうですか。私は頷く。話がどこへ向かっているのかが判らずに、まだ変な顔をしていた。

 高田さんはゆっくりと話す。

「あいつの赴任先に、稲葉が新人の研修教官をしていた時の教え子がいるって判ったんですが、周りから見ればどうやら稲葉はその子が好きらしいのに、本人はまるで自覚がないんです」

 ―――――――ほお。中央の稲葉に思い人が!それはそれでかなりのニュースだよね・・・多分、弓座さんや支社の大嶺さんに言えば手を叩いて喜ぶはず。

 私はまた黙って頷く。

 彼は手で額をこすりながら言った。

「・・・皆で、お前はその子が好きなんだなって言ってる間も、稲葉はキョトンとしていた。何で自分では気付かないんだって。それで散々笑ったんですが、その時に気がついたんです」

 手で隠れてない片目で私を見た。とても柔らかい視線だった。

「・・・ああ、そうか、俺も尾崎さんが好きなんだって」

 ―――――――――・・・・ええっ!?

 私は更に首を捻る。

 目の前で超色っぽく微笑む高田さんの肩を掴んでガクガク揺さぶりたかった。

 結局判らないんですけど、それでは!

 顔に出ていたらしい。あはははと珍しく声を出して笑い、高田さんは説明を始めた。

「一昨年の春、合同朝礼で初めて見た時、やたら雰囲気の厳しい人だな、と思った。その触らないでって感じが、離婚して荒れて一番酷かった時の平林に似ていた。だから、気になったんです」

 私は目を見開いた。

 確かに無愛想な挨拶をしたはずだ。新人ばかり並べられて、朝礼台の前での挨拶では。でもそんな風に思ってた人がいたとは知らなかった・・・。

「危なげな感じ。今にも壊れそうな―――――・・・。極度に緊張して自分を保っているような。以前の平林と同じだと思った。笑わないんだろうか。この人が笑ったらどんな顔をするんだろうか。真正面から見てみたい、そう思ってました」

 そのまま優しい瞳で私を見ている。彼の静かな声は私の耳から心まで、ゆっくりと、でもしっかりと浸透する。

「だけど、稲葉のお陰で気付けた。俺は彼女が好きなんだと。興味があるってレベルじゃないんだって。それからは、必死でしたよ、尾崎さんと接点が何もなかったから」

 ・・・必死でしたよ。言葉が頭を回る。

 彼が私を見る目の中にある優しさに気付かないフリをずっとしていた。

 目立ちたくないからと遮断して。その光を見てしまったら、壊れてしまう、今はぎりぎりだから好意を受け取ったりなんて出来ない、無理だって。


 でも多分、知っていたんだ。私も。


 静かな人だ。そして情熱的な人。この人は、こんなにも誠二とは違う。


 彼は少し考えるような遠くを見る目で言った。

「あなたが何かに傷付いているのは判ってた。だから強くはいけなかったんです。だけど・・・」

 ベッドがきしむ。彼は立ち上がる。そして2歩で私に近づく。手を伸ばして、私の後ろのカーテンを引っ張って閉める。

 そして片手で私の腰を引き寄せた。

「・・・もう、俺のものですね。今、これからは」


 私は彼を見上げる。また涙が戻ってきてしまっていた。このままだとアイメイクが崩れて台無しじゃない、もう本当、格好つかないんだから、私ってば。

 小声で聞く。

「・・・・・嫌だと言ったら止めてくれる?」

 彼は笑った。スタンドランプの明りでさらにハッキリと整った線を際立たせて、美しい笑顔で私を見下ろした。

「何言ってるんですか止めませんよ」

「え」

 唇をギリギリまで近づけて、吐息で誘う。そのままで低く呟いた。

「・・・・俺は待つだけ。途中停止はしたことがないんだ」

 言ったでしょ、本気だって。

 そう聞こえた。だけどすぐに嵐の中に消えて行った。

 唇に、首筋に、熱い熱い口付けを受ける。

 2年目の離婚記念日を祝うために用意した高いドレスもストッキングもアクセサリーも下着も、何が何だか判らないうちにどこかへ行っちゃって、もう私は夢の中。

 グリューワインで温められただけじゃない熱を持って、高田さんの指が私の肌の上を滑る。

 そのあとを薄い唇が追いかける。

 ピリピリと科学反応を起こして私の体は反り返る。

 私を抱いてる時も、やはり無口な人だった。だけど声を我慢して耐える私には容赦なく、わざわざ声が漏れるように煽ってはそれを楽しんでいるようだった。

 アイメイクはとっくに崩れていたはずだ。私は彼の腕の中で翻弄されて泣く。

 だって、温かくて、触れるところから溶けていくようだったのだ。

 自分がまっさらになったようだった。

 頭の中はキラキラと光る花火と高田さんの瞳の幻。目を閉じているのに彼の微笑がはっきりと見える。


 ああ、綺麗だな・・・・


 こんなにも熱くって、なんて世界は柔らかいんだろう―――――――――








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