1、途中停止はしない@
「・・・はい?」
私はつい瞬きをする。一瞬で耳の中で響いていた鼓動もすっ飛んだ。
高田さんは私の手を引いて自分の隣の席に座らせると、微笑したままで言った。
「知ってましたよ、尾崎さんが俺を好きなこと」
ぶっ・・・。ごほごほと私は咳払いをする。いやいやいやいやいや!どういうことよ、それ!?
ちょっと、緊張してたのもどっかに飛んでいっちゃったじゃないのよ〜。何よこの冷静な上から目線。ムカつく、かなりムカつく〜!
コホン、ともう一度咳をして眉間に皺を寄せた私に高田さんは静かに言う。
「えらくお洒落してますね」
「ええ、まあ・・・」
まだ拗ねた気分でクラッチバックを机に置こうとして、ハッと気がついた。
「・・・あ、ストール忘れてきた」
「どこに?」
高田さんが聞くのに、ガッカリして私は答える。
「〇〇ホテルです・・・。今日はあそこのバーで女友達と飲んでまして」
もう〜・・・急いでここにくることばっかり考えて、ストールを忘れてきた・・・。詰めが甘いわ、私。しかも何か必死な感じをみせてしまったのが嫌だし・・・。
汗までかいちゃったぜ。
ウダウダ考えていたら、高田さんの声が聞こえて顔を上げた。
「そこへ、平林が行ったんですか?」
―――――――うん?
「・・・どうして知って――――――――」
その時目の前で、うちの会社を代表するイケメン営業である高田さんが、ハッキリと笑った。
瞳がキラリと光る。
―――――――まさか。
「もしかして、私を罠にかけたんですか?」
二人で?
目を細めて睨む私に、まだ綺麗に笑ったままで高田さんは両手を軽くあげる。
「・・・まあ、そうとも言えますけれど。実は、賭けてたんです」
「は?」
「あなたがこれで来なかったら、諦めようと」
「――――――――」
「あんまりにひたすら尾崎さんが逃げるから、もう無理かなと思い始めていて。・・・だけど今晩うちの営業が皆出払うことが偶然に判ったので、ちょっと利用させてもらったんです」
え、と思って改めて周りを見回した。
今晩、皆居ないって判ってたんだ―――――――
するりと手を伸ばしてもう一度私の右手を掴み、彼が言う。
「・・・でも、尾崎さんは俺に会いに来た。それだけでなく・・・」
私から、告白まで。・・・・ああああ〜・・・・。くらりと来たけど手が掴まれてるから身を引くことも出来ない。
罠にかかった私とそれを喜ぶ高田さん。
平林さんにメルアドを聞き出させて、タイミングを伺っていた。そしてチャンスだと思って彼を遣わせて・・・・見事、今は二人っきりで事務所の中。
いつも通り静かな声で、でも満足気な響きを重ねて、高田さんが言った。
「舞台設定も、営業の大事な仕事ですよ」
もう、ぐうの音も出ない私だった。
ただ悔しくて膨れる。こんなに彼の思い通りなんてムカつく。機嫌を損ねた私を、長い足を使ってキャスター付き椅子ごと引き寄せた高田さんは苦笑した。
至近距離で向かい合わせになると彼が少し屈んで目線を合わせる。
「・・・せっかくとても綺麗なのに、怒らないで下さい」
「うるさい」
私は混乱の極みにいたのに、バカ男。
「謝ったら許してくれますか?」
「うるさい」
ヒールでここまで走ってきたのに、バカ男。
「・・・尾崎さん」
「うるさい」
もう、私ったらバカみたい――――――――
彼の手に力がこもる。不機嫌にそっぽを向く私に、ヒョイと顔を近づけた。
―――――――え、ちょっと待っ・・・・
「では」
すごく近くで高田さんの静かな声がした。
「・・・話すのはもう止めましょう」
そして頬に手をあてて、彼は私に口付けをした。
きゃあ。
心の中でそう呟いた。
だけど椅子に座った状態で、その椅子ごと引き寄せられていて、彼の両手は私をガッシリと掴んでいる。片手は腕を、片手は頬を。
だから逃げられなかった私は、久しぶりの感触を唇に感じる。温かくて柔らかいそれを何度か押し付けて、至近距離で彼は私を見る。
流石にじっと目をあわせることなんて出来ずに、私は瞼を閉じて段々深くなるキスを受け入れた。
「――――――キール」
「・・・へ?」
少しだけ顔を離して彼は笑う。
「尾崎さんは、キールの味がする」
・・・そりゃあさっきまで飲んでましたから。呟きは声にならなかった。そのまま舌まで入ってきて、眩暈が私を襲う。
息が、出来ない。
貪るというほどではない、落ち着いていて丁寧で、だけど熱い熱いキスに、私は理性が遠のくのを感じて急いでその端っこを捕まえた。
「・・・たっ・・・高田、さん!」
「はい?」
「・・・す」
「・・・うん?」
キスを止めてくれないから途切れる言葉を必死で出す。ちょっと待って〜、理性が崩壊する〜!
一息吸うと同時に言った。
「ストールを取りに行かなきゃ!」
暫くの間をあけて、彼がくくくと笑った。
そして私を捕まえていた両手を離す。
「判りました」
ふう〜・・・あっついあっつい!わああ〜私ったら何てことしてしまったのよ〜。ここ事務所じゃないのー!
私は両手で真っ赤になった顔に風を送って、立ち上がった。
「あ、どうぞ高田さんは残業を続けて下さいね。私取りに行ってきますから」
むしろ私を一人にしてくれ。今はすぐにでも冷たい風にあたる必要があるのだ。そしてこの沸騰中の脳みそを冷やさなきゃ――――――――
だけど既にパソコンの電源を落としながら、高田さんはアッサリと首を振る。
「残業の必要なんてないんです。3月分終わってますから」
正直な私の顔は引きつった。・・・ムカつく。ああそうかよ、もう終わってるのかよ!って叫びたかったけど、ぐっと唇を噛んで我慢した。
私は腰に両手をあてて、着々と帰り支度を続ける彼を睨んで見下ろす。
「・・・残業が嘘だったってことは、もしかして営業辞めるのも嘘ですか?」
彼はちらりと私を見る。
「いえ、それは本当です。だから、もう俺の営業の仕事は本当に全部終わりました。あとは保全が少々あるくらいで」
くっそう。憮然とする私の前で実にスマートにコートを着て、高田さんは振り返った。
「行きましょうか。まだ平林もお友達もいるかもしれませんよ」
・・・あ!陶子のこと忘れてた。
都合よくエレベーターホールでは自社の人間に出会わなかったので、二人で立っていても平常心でいられた。
・・・いや、とても平常心とは言えないか。私の頭は大量のアルコールとお洒落マジックと、いきなり突入した恋愛モードと罠にかけられた怒り、隣に立つ男性の存在で完全にラリっていた。
ええと・・・どうしてこうなったんだっけ?
ってーか、もしかしてさっき、私ったらこの人とキスとかしちゃったんだった?それともあれは積もり積もった欲求不満が見せたヤバイ幻?
だけど確実に舌が覚えている感触で、それを認識して更に頭が火を噴いた。
ああ〜・・・ダメだ、くらくらくら〜・・・。
さっきは走り抜けてきたホテルに向かって今度は二人でゆっくり歩く。
高田さんは鞄を持ってなくて、実に当たり前のように私の手を取って繋いだから驚いた。
・・・あの、お手手、繋ぐんですか?ここで?まだ会社の近くなんですが?だけどそれを言葉にする勇気はなかった。
せめて動揺を悟られないようにと私は下を向いて歩く。脳内年令は小学生まで退化してしまった感じだ。
まだ風は冷たい春の夜、私は一人でぽっかぽか。ストール、もうホテルにあげちゃおうかな。別に寒くないよ私。
行きは走っても走っても全然進まなかったように感じたのに、帰りはあっさりと、実に簡単にホテルへ到着する。
すれ違ったカップルが高田さんを目で追って振り返ったのに気付いた。
カフェから出てきた女性も、ベルボーイも。
・・・やっぱり、目立つぜこの男。その男に手を引かれる私も、ついでに目立つ。うう・・・。
エレベーターを降りてバーへと入る。
店内を見回しても既に平林さんと陶子の姿はなかった。
「・・・あ、帰っちゃったんだ・・・」
私が呟くと、高田さんは黙って案内の人のところへ向かう。そして何やら話しをしていると思っていたら、私のストールが出てきた。
「ありましたよ」
「あ、本当だ。ありがとうございます!」
係りの男性は恭しく微笑んで、お連れ様からこちらも預かっております、と封筒を渡してくれる。
「え?」
陶子かな?
ちょっと驚いてつい封筒を見詰めてぼーっとしていたら、高田さんがストールと封筒を受け取った。
「尾崎さん」
「・・・え?はい?」
ハッとして見上げると、彼はさっきまで私たちが飲んでいたソファーを指差す。
「折角だから、少し飲みませんか。体も冷えてるし」
「あ、そうですね。はいはい」
では、と案内されて、また同じ席に座った。
そうだよね、私はしこたま飲んでるけど、彼はまだご飯も食べてないんじゃないかな・・・そこまで考えて、彼のスーツを引っ張る。
「あの・・・ご飯食べました?先に食べますか?」
少しだけ振り返って高田さんは首を振った。
「大丈夫ですよ。空腹ではありませんから」
あ、そうですか。私は肩をすくめて後ろをついて歩く。
ソファーに座って注文したところで、高田さんが封筒を渡してくれた。私はそれを開けて、このホテルのマークが入った上質なメッセージカードを開ける。
そこには陶子の細くて流れるような文字があった。
『おめでとう、美香。幸せ掴んだわね。これはプレゼントよ!ストールを取りにくるだろうと思ったから用意したの。代金は気にしないでね、お宅のスーパー営業さんもちだから!』
――――――――は?
何だそれ、プレゼント?と思って封筒を見ると、中にはまだ何か入っていた。逆さにすると落ちたのは一枚のカード。
「・・・何これ」
私が呟くと、膝の上に落ちたそれを高田さんが拾い上げて言った。
「・・・ここのホテルのカードキーですね」
「えっ!?」
プレゼントって・・・プレゼントって、陶子おおおおおお〜!!!
しかも、代金は平林さんもちって何よ!
私は血液が逆流したのを感じた。ごほっ・・・い、息が出来ない息が!!
こんなこと考えるのは絶対陶子に違いない!平林さんに嬉しそうに企みを話したんだろう。・・・・うーん、いや、もしかしたら平林さんの案ってことも有り得る・・・あの二人は、雰囲気が似ている。どちらもこんなことを考えそうなタイプだ!
一人でゴホゴホとむせていたら、背中をトントンと軽く叩かれた。
高田さんが面白そうな顔をしている。
「顕著な反応ですね」
「ほっ・・・放っといてください!」
うるさいよもう!
一人で精神的にバタバタと暴れていたら、飲み物が運ばれてきた。
高田さんが注文したのはグリューワインというものだった。初めて見るホットカクテルに私は首を傾げる。だけどとにかく何でもいいから話題を変えたいと、目の前のそれに飛びつくことにした。
「それって温かいワインなんですか?」
彼はゆっくりと一口含んでから、静かに言った。
「・・・そうです。ワインに香辛料を入れて温めたものですね。指先を温めたかったので」
「え、高田さん寒いんですか?」
冷えてるならストール使いますか?と続けて言おうとして、高田さんの返事に固まった。
「いえ、冷たい指先のままであなたを抱けないでしょう」
「―――――」
尾崎美香、化石化モード入りました。
・・・ちょっと〜・・・もう、止めてよ〜!
私は今度は噴出さなかったけど、情けない顔になって(多分)言う。
「・・・えーっと・・・あの、これ、使うつもりなんですか?」
これ、と言いながら彼が持つカードキーを指差した。
ゆるく顎を下げて頷いてみせて、高田さんはまたグリューワインを飲む。グラスを下げた口元には笑みが浮かんでいた。
「嫌だったら止めときますが」
「うっ・・・い、嫌って・・・こと、で・・・は・・・」
何を言わせるんだこんなところで!ってか私大丈夫!?本当にラリってんじゃないのー!?
「嫌ですか?」
静かな口調でそれでもまだ彼は聞く。
どんどん追い詰められるのを感じ取って私は無意識にソファーの上で後ずさりをする。
「いっ・・・いっ・・・嫌、では・・・」
かと言って、うんとも言えない。
頭に血が上って舌がうまく回らない。パニくった私は口の中を噛んでしまった。
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