2、コンビの理由
まあ、当然のように平林さんからは逃げられなかった私は、彼の車に乗って自分の事務所に戻るハメになった。
最後に目が会った時の楠本FPの楽しそうな瞳が忘れられない。やたらとキラキラ光る目で見て、ニッコリと笑った。・・・どういう意味だろ、あれ。
憮然と助手席に座る私に苦笑した平林さんが言う。
「そんなに怒らないで、尾崎さん」
・・・全く愛嬌のある男だぜ。私はため息をついて窓の外を見たままで言った。
「怒り続けられるような、そんな体力ないです」
彼は私を見たらしい。こめかみの辺りに視線を感じて振り返る。
「何ですか?」
「あいつに何言われたんですか?」
不意打ちだ。私はコホンコホンと空咳を繰り返す。・・・あいつって、高田さんのことだよね、そりゃ。
「・・・聞いてないんですか?」
いつでもつるんでる友達でしょ、あんた達。そう思って隣を見ると、平林さんは信号で車を停車させながら言った。
「あいつが無口なの、尾崎さんは知ってるでしょ。俺には話さないよ」
ほお、そうなのか。
「なら私も話しません」
「そういわずに、お願いします」
「嫌です」
うーん、と平林さんは唸る。しばらく黙って運転していたけど、その内、じゃあね、と言い出した。
「俺も尾崎さんから質問受け付けるよ。何でも答える」
「何でも?」
「はい、何でも」
うーん。少しばかり私は考えた。別に聞かなくてもいい。平林さんに特別興味はないし、ただ面倒臭いってのもある。
助手席にだらりと凭れて座り、私は窓の外の冬空を見上げた。
だけど――――――だけど、そう、一つだけ、私は彼に聞きたいことがある。
「・・・じゃあ、いいですか?」
オッケーが出るとは思わなかったらしく、少々驚いた顔をしてから彼は笑顔になった。
「はいはい、何でも」
私は一つ深い呼吸をしてから言った。
「平林さんの離婚の原因は何ですか?」
うっと、隣で彼は詰まった。車が一度左右に揺れて私は悲鳴を出す。
「うわあ、ごめん!すみません、尾崎さん大丈夫!?」
すぐに車は元に戻ったけど、高速道路でそれは止めてよ〜と半泣きしかけた。
「・・・はい、大丈夫です」
いやあ、焦った〜とスピードを落としながら、平林さんは苦笑した。
「ああ、ビックリした。まさかそうくるとは」
「・・・ダメならいいですよ」
「いやいや、何でもいいって言ったの俺ですから」
平林さんはハンドルを両手で握って座りなおした。それからふう、と息をついて、前を見たままで話し出す。
「端的に言えば、すれ違い、かな」
「・・・すれ違い」
「そう。――――――俺はワークホリックでね」
平林さんが話しだすのを私は黙って聞いていた。彼は表情を変えずに淡々と話す。もう何度も話しているかのようだった。
「結婚したのが26歳で、男にしちゃ早かったな。大学の同級生と、付き合ってすぐだった。俺は男性営業を育てる研修室から脱出したところで、丁度仕事が面白くなってきた頃だったんだ」
しかも結婚をした。妻は多少体が弱くて、働いてなかった。だから俺が頑張って、たくさん給料を持って帰るんだって張り切ってもいた。
仕事にのめりこんだ。それがとても楽しかった。自分に酔って、一生懸命働くことだけに価値を見出していた。平日もアポを満タンにいれて、分刻みで動いていた。休日だって勿論出勤して、夜遅くまで接待していたんだ。これは全部、妻の為だと言い聞かせて。
私は助手席から平林さんを振り返る。それは紛れもなくハードワーカーだ。
「・・・それで、奥さんは寂しくなった?」
口を挟んでしまった。彼は前を見たままでうんと頷く。
「新婚なのにいつでも俺はいない。疲れると熱を出すから体を気遣ってそんなに外にも出られない。彼女は寂しかったと思うよ。でも自分の為だと張り切る俺を止められなかった。実際のところ、会話をする暇もなかったんだ。・・・そして彼女は――――――」
出て行った。
ある日、家に戻ると彼女は居なかった。暗い家のテーブルに書き置きだけがあった。
俺はしばらく立ちすくんでいたんだ。何が起こったのかが理解出来なくて。
「・・・長い手紙だったんだよ。ずっと自分が考えていたことを、全部書きたかったみたいだった。溜まっていた不安や寂しさ、怒り、全部を出したかったんだろうなあ」
あなたに私は必要ないわ、て書いてあった。あなたは一人でも大丈夫って。
俺はショックを受けた。
彼女の為だとやってきたことが、全部自分の満足の為だと判ってしまって酷い自己嫌悪に悩まされたんだ。
何やってたんだ、俺は。一体、何やってたんだって。
彼女を幸せにすると誓ったのに、と。
「彼女は実家に帰っていたから迎えに行った。それから半年くらい話合いをして・・・だけど、離婚になっちゃったんだ」
そして俺は、更に働いた。今度の理由は彼女への慰謝料を払うため。俺が傷つけたんだから、せめてお金だけでもしばらくは困らない額を渡したかったんだ。
体の弱い彼女の心まで傷つけてしまったって、自分を責めていた。
「それで」
「・・・それで?」
平林さんがふ、と笑った。その横顔はいつもの愛嬌はかけらもなかった。ただ、疲れて傷付いた、32歳の男の横顔だった。
「それで、倒れた」
「え?」
ちらりと私を見る。
「倒れたんだ、俺。過労で、入院したんです」
・・・わお。私は無意識に拳を握り締める。・・・がむしゃらに崖を目指して突っ走る、その時の平林さんは想像も出来ない。いつでも余裕綽々に笑う彼に、そんな過去が。
「彼女はお金なんて要らないと言った。そんな必要はないって。あなたは必死だっただけだと判ってるからって。だけどとにかくあるだけは渡して、一緒に居れなかったこと、寂しくさせたことを謝った」
「・・・復縁は無理だったんですか?」
そう聞くと、彼はうんと呟いた。
「別に嫌いになったわけじゃなかったのに?」
「・・・二人とも、また同じことを繰り返すんだろうってのが判ってたから。俺は、本当にこの仕事が好きなんだ。彼女のことは大切にしたかったんだよ。だけど、それと仕事に対する憧れや情熱はまた違う」
今の仕事は天職だと思ってる。また同じように仕事が原因で誰かを不幸にしてしまうなら、俺は一人でいいって、そう思う。
そういう平林さんの横顔を見ていた。・・・この人は、バランスを失ったんだな、そう思った。
高速を降りて下道に入っていく。カーブをゆっくり曲がりながら、彼は続けた。
呟くように、低い声で。
「だから、あいつがいつも一緒に居るんだ」
「はい?」
いきなり何だ?私は瞬きをする。・・・あいつって高田さん?
「結婚してたときから、あいつは俺の仕事のペースに対してブレーキの役割をしてくれていた。飛ばし過ぎだって。もう休んで家に帰って奥さんのそばにいろと。だけど楽しかった俺は、大丈夫だと言っていつも忠告を無視していた」
彼は口元を歪めていびつな笑顔を浮かべる。
「そしたら結果は家庭崩壊だ。・・・・あいつの言う通りにしていれば、離婚はなかったかもしれないと、今でも思う。離婚後またがむしゃらに働いて倒れた俺を、あいつは今度こそ監視することにしたらしい」
――――――監視。目を見開いた私を見て、平林さんはまた苦笑する。
「・・・そう、監視。自分の仕事が終わったら俺に連絡をとって一緒に行動する。一緒にいるからアポを詰め込もうと客に電話をかける暇さえない。俺の仕事を監視していて、今日はもうやめとけとか、休日のアポはキャンセルさせたりするんだ」
「・・・はあ」
「それで、俺が働きすぎないようにしてくれている。お陰で体も戻ったし、ちゃんと休めてる・・・感謝してるんだ、実のところ」
思わず凝視してしまっていた。
・・・驚いた。いつでもつるんでる、この人達は何だ?と多少気持ち悪く思ってた。もしかしてゲイ?とか。だけどその裏には、そんな事情があったなんて。・・・無口な高田さん。彼は彼の方法で、友達を守ろうとしているんだな。
ハードワーカーの平林さん。すれ違いで、妻は消えた・・・。
「さて、着いた」
その声に顔を上げると、いつの間にやら見慣れたビル街。会社の地下の駐車場へ入って行きながら、平林さんが言った。
「さーあ、俺は話したぞ。次は尾崎さんの番だ。あいつ、何て言ったの?」
彼が借りているらしいスペースに一発で駐車して、平林さんは運転席で伸びをしながら言った。
平林さんの話に衝撃を受けて色々想像してしまってた私は、抵抗する気力もなくあったことを話した。
改めて告白されて、本気だと言われたこと。
「―――――――本気です?あいつが、そう言ったの?」
平林さんは両目を煌かせて上半身を起こす。
私は頷いた。嘘はついてないですよ・・・本気かどうかは知りませんが。
「へえええ〜・・・これは、いよいよマジな話なんだな」
ニタ〜っと不気味に笑って平林さんは両手を擦り合わせる。おいおい、嬉しそうだな、兄ちゃんよ。さっきとは打って変わってえらく明るくひょうきんになった平林さんを、私は呆れて見ていた。
「・・・知りませんよ、本気かどうかは」
私が呟くと、平林さんが振り返った。
「あいつ、何でも出来るんです」
「はい?」
急に、何だ?私は顔を上げて、生き生きと話し出した平林さんを見上げた。
「実家が近くて幼少時からお互いを知っている。小さい頃からあいつは何でも出来たんです。そんなに乗り気じゃなくても平均より上手くこなす。真剣になる必要なんてなく、さらっと何でも出来る子供だった」
・・・嫌な子だな。私はそう思った。完璧な外見に、器用な手先と賢い頭。・・・くそ、嫌なやつだ。
劣等感の固まりである私がそうやって心の中で高田さんをこき下ろしているのに気付かず、平林さんは話す。
「それが、本気ですってか・・・。うわ〜、面白い!やっとだよ、うーん、感激だ」
そんなことを言って一人で盛り上がっている。
幼馴染にはわかる何かがあるんだろうけど・・・。今の君は一人で笑うただの気持ち悪い男だよ。呆れた顔でそれを見ている私を見返して、平林さんはにやりと笑った。
「篤志が本気になることは滅多にない、と言っておきますよ、尾崎さん。もう逃げられませんよ」
おお、今度は脅された。だけど私はそれをスルーして質問する。
「あつしって誰ですか?」
平林さんは一瞬真顔になった。
「――――――――高田です。高田篤志、あいつの名前です」
「へえ」
「・・・・」
「何ですか?」
「・・・尾崎さんくらいだと思いますよ、あいつの名前知らないのって」
あっちも私に呆れているらしい。私は簡単に肩をすくめた。
「まあ、無駄に目立ちますからね、あなた達。すみません、興味がないもので」
「・・・無駄って・・・」
今度はドン引きしたらしい。大げさに仰け反っている。
とにかく、送ってくれてありがとうございました、と礼を言って私は車のドアを開ける。
平林さんも車から出ながら、あいつはね、とまた口を開いた。
「自分の欲求に忠実なんです。そういう意味では我慢なんてしない男なんですよ」
うん?何だそれは?
私は瞬きをして平林さんを見る。
「・・・どういう事ですか?」
車から鞄とコートを引きずり出しながら、平林さんはうーん、と少し首を傾げる。しばらく例を考えてから口を開いた。
「例えば・・・一緒に飯食うでしょ」
「はい」
「肉料理に味が足りないと思ったら、スパイスを注文したりするんです。嫌いなものは特になくて何でも食べるけど、妥協はしない。自分が欲しいと思ったら、持ってこさせる。前はちょっと足りなかったみたいで、黒胡椒持って来させてました。俺はそこまでしませんけどね」
だって、別に不味いほどじゃあなかったし、と彼は続ける。
「勿論別に構わないんですが、あくまでも自分の好み、希望は叶える男だなといつも思うんですよね、俺」
あたしはそういえばとカフェでの事を思い出した。
「高田さんて、コーヒーにも砂糖もミルクも入れてました。営業では珍しい人だな、と思ったんです。まあ同僚と居るんだから自分好みにしても問題はないんですけどね」
平林さんはあはははと声を出して笑う。
「そうそう、でもあいつは多分お客さんの家であっても砂糖もミルクも要求しますよ、自分が飲みたいと思ったら」
・・・自分に正直なのは悪いことじゃないけど・・・面倒な営業だな。我儘だ。まあ、あの美形に頼まれたら女性はすっ飛んで、しかも喜んで用意してくれそうだけど。
カフェの店員の甘えたような高い声を思い出した。
「だからね」
平林さんの弾んだ声が地下の駐車場に響いた。車をロックして、平林さんはこちらに歩いてくる。私はコートと鞄を持ってそれを見ていた。
「あいつが尾崎さんを欲しいと思ったなら、簡単には諦めないってことですよ」
・・・何てこったい。
私は思わず呟く。
「・・・黒胡椒もお砂糖も」
「そう、そして」
平林さんはにっこりと笑った。それはいつも彼が壇上で見せる、堂々とした笑顔だった。自分に自信がある人だけが出来る、確信した笑顔。
「好きな女も」
つまり、私も。
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