1、生きた伝説



 結局その後、私が雪まみれで到着すると、その姿だけで既に申し訳なく思ったらしいお客様である堀口さんが、平身低頭だった。

 私への電話をした後、聞き耳を立てていた隣の席の女性社員にこんこんと叱られたらしい。いいぞ、女性社員!そうだそうだ、もっとやってください!私はこっそりと彼女の机の上にノベルティの飴を置いておいた。

 保険会社を代表して、感謝の気持ちだ。

 代わりに叱ってくれてありがとうございます。

 とにかく手続きを終わらせて会社へ戻り、提出書類を事務席に突っ込んでから、フラフラと家に戻った。

 上司にも知らせず、勝手に帰宅したのだ。

 外はまだ雪が降り続いている。雪に慣れていない都会の人々は大変で、どこで何人こけただ交通機関に影響が出ただ、とテレビでもニュースでやっていた。

 暖めた部屋でココアを飲みながら、私はぼーっとしていたのだ。

 混乱した頭を静めようとすればするほど訳が判らなくなってきて、お終いには、あれは寂しい私の心が見せた白昼夢ではないかと思うようになってきた。

 ・・・高田さんに好きだと言われてしまった・・・。

 よく考えなくても誰かからマトモに告白されたのは、人生で初の経験かもしれない。軽いナンパ程度なら受けたことはあるけれども、真剣な交際はいつでも私から惚れて、私からアタックしたのだ。

 元彼2人も、元夫も。

 それがそれが、どういうわけか32歳、多分人生で一番輝いていない今のこの時に。

 どっから見ても美形の、どこに出しても恥かしくない成績を持った営業で、女も男も必ず2度見するような男性が。

 私を・・・好きだって。


 昼間のシーンが何度も蘇っては、恥かしさと居た堪れなさから死ぬかと思った。

『本気ですよ』

 あの綺麗な瞳は私を見ていた。

 笑えなかった、あの一瞬。冗談にしてしまえなかったあの言葉。

 雪で視界が霞むのが勿体なかったあの格好いい男の人の姿。

 ああ、どうしよう。

 そして私はどうしたらいいのだろう。

 彼についてどう思っているのだろう。

 うわあああーん!

「あああ〜無理無理無理〜」

 体が熱くなってくる。何だかよく判らない気持ちが心を満たして、ごろごろと転がった。

 ・・・誰かに好きだと思われる・・・。それそのものがとても久しぶりなんだと判った。夫が離れていき、会社には捨てられた。これ以上拒否されたくなくて人と交わらないようにしてきた。

『尾崎さんが好きですよ』

 高田さんの低い声。頭の中をまわる。転がったままで寝そべって、私は何故か涙を流す。

 嬉しいのかな。嬉しいんだろうな。高田さんだから、というのではなく、誰かの好意、それが、嬉しいんだろうな。

 ああ、どうしよう・・・。

 幸せな気分だったんだと思う。だけれどもまだ混乱した状態の私は、とりあえずそのままで泣いてみた。

 疲れて眠ってしまうまで、床に転がって泣いていた。

 そんな夜を経験した。




 本日は年内最後の支社研修があった。

 というわけで、入社2年目でまだ新人の私は支社で研修を受けてきたところ。

 昨日までの酷い雪はやっと上がり、都会だというのに雪が積もったのだった。ヒールでは寒すぎて、今日はパンツスーツにショートブーツだった。あったかーい。

 どっちかと言うとスカート派の私だけど、パンツスーツはいいかも。冬の間だけでもそうしようかな。

 5日前、高田さんに吹雪の中でいきなりの告白を受けてパニくった私は、家で散々泣いて深夜3時に目覚め、そこから熱々のお風呂につかって、寝なおしたのだ。

 翌日は若干瞼は腫れていたけど、気持ちもすっきりとして元気だった。だけどどうしたらいいか判らなかったのは同じだったので、徹底的に男性営業部である第2営業部を避けた。

 ひたすら外回りに専念し、頭からあの美形を追い出すために仕事モード満載にしていたお陰か苦戦した11月戦とは比べ物にならないラッキーにも恵まれて、既に1月分も契約をいただけたのだ。

 素晴らしい。これで今年の年越しは、仕事に関する苦悩は大いに削減されるだろう。

 親にも元気な顔を見せてやれるはずだって、自分も喜んで過ごした。だから、中々良い5日間だったといえる。

 支部があるところよりも更に都会の支社の窓から、ぼーっと町並みを見下ろす。

 下界はクリスマスイルミネーションで昼間からキラキラと光っていた。

 明日はクリスマスイブで、その後はもう仕事は種蒔きのみにしてゆっくりしようと決めていた。女友達と飲みにいく約束もしている。彼女は同じく独身なので、親友みたいにダンナさんに気遣うこともない。

「はーい、お待たせです!」

 物思いに沈んでいたら、支社の事務員である大嶺さんが元気よく研修室に入ってくる。

「この資料持ち帰って下さいね、本日はお疲れ様でした!」

 研修者が持って帰る資料を用意するのを忘れていたからと、待たされていたのだった。

 皆自分の分を手に取り、ランチに行こうと誘い合って研修室を出て行く。混雑を避けたい私は最後まで机に残り、皆が出て行ってから取りに行った。

「えーっと、尾崎さんですね、お疲れ様でした」

 ニッコリ微笑んだ大嶺さんから資料を受け取る。ここにも可愛い女子が!と言っても多分年は同じくらいだろう。ちらりと見ると、薬指には指輪が嵌めてあった。・・・人妻か。

「ありがとうございます」

 受け取ると、彼女は部屋の電気を消しカーテンを閉めて回る。あ、片付けがあるのか。私は鞄を入口に置いてそれを手伝った。

「うわあ、すみません!ありがとうございます」

 頭を下げる大嶺さんに、いえ、と手を振る。そのまま一緒に研修室を出る形になって、何となく喋りだした。

「2年目なんですね、尾崎さん。落ち着いてらっしゃるから、長いことしてそうですけど〜」

 カラカラと明るく笑う。私もつられて笑顔になった。

「転職組みなんです。前は証券会社の営業でしたから、金融会社の雰囲気はもう身についてしまってますね」

「ああ、成る程!キャリアアップですか?」

 明るく尋ねる彼女に一瞬返事が遅れた。・・・キャリアアップ。そうだったらどんなにいいか。

「いえ、そうではなく・・・ただの、転職です」

 彼女は何かを感じたらしかった。さりげなく話題を変えてくれる。

「尾崎さんはどこの支部ですか?」

「私は第1営業部です」

 大嶺さんがパッと私を見る。・・・うん?何だ、この嬉しそうな顔は?

「第1営業部!ということは、隣は第2営業部ですね!南の高田がいる所ですね〜!」

 いきなりテンションが上がったらしく、更に笑顔を大きくして彼女は言う。・・ああ・・・。私は顔が引きつらないように注意した。折角話題を変えてくれても、高田さんの名前は私には危険ゾーンなんです、大嶺さん。泣きたい。

「・・・はあ、そうですね」

 そう言うに留める。まさか、その「南の高田」に告白されたなんて間違っても言えない。

 今回は私の様子には気付かなかったようで、興奮したままで大嶺さんは話す。

「私新卒でこの会社に入ったんですけど、昔からうちの支社の3大イケメンの追っかけしてたんです〜!アンケート作ったりして、それぞれの支部の子に協力してもらったりして〜。それで高田さんにもアンケートお願いしたんですけど、断られたんですよ、あははは、懐かしい!」

 ・・・おお、それはそれは、大変行動的な方なんですね、と言う感想は胸の中に留めた。

 そして、あら、と思って、私は疑問を口にする。

「新卒からここに?じゃあ途中で結婚されたんですか?」

 人妻でしょ、あなた?と思って。

 彼女はキラキラの笑顔で、はい、と頷いた。

「旧姓は水野と言います!ずっとこの支社で事務してます。2年前に結婚して、大嶺に変わったんです」

「ダンナ様はやっぱりこの会社の人ですか?」

「あ、いえいえ、コンパで知り合った商社マンですよ。うちの支社で是非イケメンエリートを捕まえたかったんですけど、無理でしたね〜はははは」

 あっけらかんと笑う彼女に好感を持つ。ストレートな人だな。これだけ自分の思いを真っ直ぐ言えたらいいだろうなあ〜。

 話が途中だからと廊下でそのまま立ち話をする。

 大嶺さんは誇らしげな顔をしてこう言った。

「あ、でもね、私の事務仲間が、あの北の楠本と結婚したんですよ!凄いと思いません?知ってますよね?北支社の名物イケメン、楠本さん!」

「あ、はい」

 私はつい苦笑する。生きた伝説の楠本FP、まだ実際に話したことはないが、確かにかなりの男前ではある。

 その人を捕まえたのだと友達である彼女が威張るのが面白かった。

「同期の方ですか?」

 大して興味はなかったけど、聞いて欲しそうな顔をしていたので聞くと、いえいえと首を振った。

「最初にアルバイトで入ってきた北事務所の事務なんですけど、かーなり消極的で初心な子だったから、楠本さんと付き合っているって聞いた時にはほんと驚きました!どうやって彼を捕まえたの〜!?って」

 いかに皆が驚いたかを詳細に話す彼女を見ていた。・・・3大イケメンと付き合うと、これだけ噂になるんだ、ということがよく判りました。

 私は話を聞きながら引きつる口元を抑える。

 彼女は興奮して話していたけど、あ、そうだ!といきなり声を上げた。

「今日楠本さんここにいらっしゃるんですよ!会議で支社に来てるって朝から皆で――――――」

「あれ、尾崎さん?」

 その時廊下の端から飛んできた声に、この声は!と私はパッと振り返る。

 あら、と後ろで大嶺さんが呟いた。

「――――――平林、さん。・・・お疲れ様です」

 正直な私は顔が引きつった。

 あーあ、逃げてたのに、こんなところで会っちゃった・・・。

 廊下の向こうから、デカイ男が二人歩いてくる。いつものニコニコ笑顔を浮かべた平林さんと――――――・・・うん?

 私はカラーコンタクトを嵌めてない方の目を瞬く。・・・おやまあ、あれは・・・。

 見覚えのある平林さんにだけ反応していた私は、彼の後ろからくる男性にようやく気がついて、呆気に取られて見詰めた。

 珍しく高田さんと一緒に居ない平林さんと歩いてくる長身の人は。

 後ろから大嶺さんが嬉しそうな声を上げる。

「楠本さーん!お久しぶりです!」

「大嶺さん、こんにちは」

 ハスキーで心地よい声がやたらと美形の男性から出る。彼は大嶺さんの隣にいる私にも笑顔で会釈する。

 ・・・声までいいってワケね。ううむ、これが生きた伝説か・・・。ようやく口を閉じて何とか笑顔らしきものを顔に浮かべ、私は大嶺さんの隣に下がった。

「こんにちは!もう会議終わったんですか?」

 大嶺さんが聞くと、うん、今ね、と楠本FPが答える。広報で見たことあったけど、本物はオーラというか、迫力があって凄いな。何だこの圧倒的存在感。同じ美形でも高田さんが「静」ならこの人は間違いなく「動」だな。

 艶のある黒髪は短くして綺麗に後ろに梳いてある。切れ長の黒い瞳、高い鼻、大きな口。すらりとした体によく似合う濃紺のスーツ、ブルーのネクタイ。全身から光の粒子が溢れ出ているようだった。

 大嶺さんが頬を赤く染めて楠本さんに聞いている。

「千尋ちゃん元気ですか?今度事務で新年会するのって彼女来れますかね〜」

「ああ、楽しみにしてるみたいだったよ。一人でベラベラ喋ってた」

 私は傍観者に徹して稀に見る美形をじっくりと観察した。イケメンには免疫がなかったんだけど、ここ最近は高田さんを回想しすぎて慣れてきたのかもしれないな、と思った。美形も見慣れることは出来るんだなあ〜って。

 それにしても、この人はどこに居ても目立つだろう。・・・この人に愛されるって・・・それだけで、かなり大変そうじゃん・・・。

 会ったこともない彼の妻である‘千尋ちゃん’に勝手に同情して一人で暗い顔をしていたら、ポンと肩を叩かれた。

「疲れてるの、尾崎さん?どうして支社に?」

 平林さんが首を傾げている。・・・あ、この人のこと忘れてた。いつでも堂々としている平林さんがかすむって、結構驚きなんですけど。

 私は資料を持ち上げて見せる。

「研修です。2年目の職員の」

「ああ、そんなのあったんだ。この年末に・・・お疲れ様」

「いえ、疲れるようなことは何も」

 そこで平林さんが振り返って、大嶺さんと奥さんの話をしていた楠本さんに言った。

「楠本さん、この人ですよ、高田のお気に入りって」

 ぶっ!!

 私がふらついて背中を壁につけるのと、大嶺さんが叫ぶのとが同時だった。

「えええー!!!尾崎さん、本当なのっ!?高田さんのお気に入りって何ー!?」

「・・・え・・いや・・・」

 私は片手を額にあてて唸る。いやいや目を開けて見ると、興奮して顔を赤くした大嶺さんと目を見開いて私を凝視する楠本FP。

 ・・・平林、殺してやる。


 和風の美形である楠本さんが、その切れ長の瞳を見開いて口を開いた。

「――――――へえ・・・高田が。それは珍しいな」

 うおー!!生きた伝説、どうかそんな瑣末なことに興味を持たないで下さい〜!

「あいつも人の子だったんですねー。俺、今毎日そのネタでからかってるんですよ」

 ひょうきんな平林さんの笑い声が廊下に木霊する。私は心の中で平林さんをとっ捕まえて、ギンギンに研ぎまくった包丁で滅多刺しにしていた。

 楠本さんが一歩近寄った。

「初めまして、本社でFPをしている楠本です」

 背中がぞくりと反り返るようなハスキーな声、見惚れるような色気たっぷりの笑顔だったけど(多分後ろで大嶺さんは見惚れてたけど)、心の中でウチのスーパー営業を殺戮中の私は笑顔もなく淡々と自己紹介をした。

「・・・こんにちは。第1営業部所属の尾崎です」

 私の無愛想な返答に顔を顰めるどころか、楠本さんは面白そうな顔をして口角を吊り上げた。

 ほお、何だろうこのやんちゃな顔は。・・・うーむ、確かにいい男だ。保険会社にいるのが不思議。俳優とかモデルとか、そんな何かになったらよかったのに。

 平林さんの殺害を忘れて思わず引き込まれてしまった。すぐにハッとして、私は3人に頭を下げる。

 これ以上の見世物はごめんだ。さっさと帰ろうっと。

「私は失礼しますね、お疲れ様でした―――――」

「あ、俺も帰るから、一緒に」

 言ってる途中で平林さんが遮る。私はぐらつく上体を何とか抑えた。・・・いやいやいや・・・このおっさん〜!!

 私は一つ深く息を吸って、低い声で言った。

「・・・平林さん、別々に帰りましょう。私は電車で」

「交通費勿体ないよ。送るからさ」

「いえ、交通費は会社に請求出来ますから」

「どうせ同じビルに戻るんでしょ」

「結構です!電車で帰りたいんです〜!」

「あははは、尾崎さんが怒った〜」

 うがあああ!本当に殺してやるー!殺気だった私が睨みつけるとますますヤツは笑う。

 それを支社の事務員と本社のFPはただ観賞していた。

「送ってもらったら?外寒いですよ、尾崎さん」

 大嶺さんが言うのに、楠本FPも頷いた。

「平林から逃げるのって結構大変だと思いますよ。なんせこいつはしつこいから」

「楠本さん!しつこいって何ですか!情熱的と言って下さい」

「ああ、うん、そうだよな。情熱的な男ですから、こいつは」

 今度は男二人でじゃれている。それを見て大嶺さんが笑う。

 ・・・皆さん楽しそうですね。一人ぐったりとして、私は壁にもたれていた。ああー・・・神様、助けて。

 大嶺さんが近寄ってきて、私の右手をしっかりと握った。そして小声で私に囁く。

「尾崎さん!高田さんを落とした秘訣、今度教えて下さいね!」

 私は小さく抵抗を試みる。

「・・・あの・・・いえ、違うんです、大嶺さん。平林さんの言うことは無視して下さい」

 彼女は瞳をキラキラさせてうふふふ〜と笑った。

「すっごい!あの無口で女子を寄せ付けない南の高田にお気に入りの人が!これはニュースだわあああ〜」

 ・・・あああ〜・・・。ほんとに、勘弁・・・。





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