3、あたしと彼とふわわ@
そんなわけで、あたしは校門を出た並木道を少し進んだところで止まって、そのまま下校する生徒の邪魔にならないように木へ歩み寄って行った。
両手のミトンを外す。
ボロボロだったとは言えやはり防寒効果はちょっとはあったようで、外すとすぐに手の甲が冷えで痛くなる。
「うわっ・・・やっぱ、寒い・・・」
あたしは一度身震いをして、それから気を取り直して綻びを指で摘んだ。
少し力を入れただけで、それはするすると解け出した。
あ。とけていく・・・。
雪で音が消されて周囲が静かだった。そのお陰もあって、あたしは手元の行為に夢中になる。
ゆっくりと一定の速度で紐を引き、秋の最初の頃編んだ今年一つ目のミトンは手の平で解けていく。
緑から黄色のグラデーションをつけたあたりになり、黄色の毛糸も出てきて、ハラリと降る雪の中で、やたらと綺麗に発色していた。
緑、それから、黄色の毛糸。
解けて一本の糸になり、足元に溜まっていく。
・・・ありがとね。また心の中で呟いた。
あたしは敬虔な気持ちになっていた。
雪の中、静かに、一人でミトンを解いていた。
あまりにも集中していて、足音にも気付かなかった。
「・・・手袋の人」
遮断していた周りの空気を突っ切って、あたしより低い声が耳の中に入ってきてビクリと全身が震える。
――――――――へ?
パッと振り返った。
すると思ったより至近距離に、いつかの男子生徒が立っていた。
・・・あれ?この人・・・・あの時の男の子だ・・・。
ずっと会いたいと思って探していたけど会えなかった相手が、いきなり自分の真横に立っていた。
あたしは驚きすぎて咄嗟に声が出ない。
何て言った、この人?・・・・手袋の人??
少し上の場所にある顔をじっと見る。
・・・そうだ、やっぱりこの人だ。確かに、こんな顔をしていた。あの時も、ミトンを拾ってくれた人もこんな無表情であたしを見ていた。
無言で立って、あたしと解きかけのミトンを見ている。
「・・・えーっと・・・」
何て言えばいいかが判らなくてあたしはとりあえず無難な呟きをしてみた。
解いていたミトンはあたしの手の平で止まったままになっている。
すると彼が白い息を吐きながら言った。
「こんな寒いのに立ち止まって何かしてる人がいると思って・・・そしたら、これみたことあるから」
これ、と言いながらあたしの手の上のミトンを指差す。
「――――――あ、はい。ええと・・・12月に・・・拾ってくれました、よね」
あたしは全部の動作を止めたままでゴニョゴニョと言った。
彼は白い息を吐きながら頷いた。
雪降りしきる中、立ち止まって脇で何かしている女がいるぞ、何してんだ?と覗き込んだら見たことがあるミトンだった、ってことらしい、とあたしはぼんやりした頭でも一応理解した。
丁度睫毛に触れたらしい雪のカケラを指で払って、それで、と彼は言った。
「・・・解いちゃうの、それ?」
あたしは手の平を見る。そして頷くだけにして、またするすると解き出した。
頭の中は若干パニックだった。
探していた人が見付かったけど、何の力が働いたかその人と今は二人でいて、あたしがすることを彼は静かに見ている。
雪が降って、静かな昼下がりだった。
・・・・何だろう・・・どうしたらいいんだろう・・・。
言葉も見付からず、あたしはそのまま作業を続けた。冷えた手がかじかんで細かく震える。寒さで真っ赤になっていた。
一つのミトンを解き終わって、あたしは手の平を下へ向けた。
最後の黄色の毛糸がはらりと落ちる。
同じようにそれを見ながら、隣で彼が言った。
「・・・これからどうするの、あんた」
「え、何?」
あたしは振り返らずに聞く。目はただじっと解いて地面に落ちた毛糸の固まりを見ていた。
隣の彼は、それにしても寒い、と呟くと、しゃがんであたしの足元の毛糸の固まりを両手ですくう。手袋をしておらず、素手だった。赤くなった指先で、毛糸に降りかかっていた雪を払っている。
「―――――――ふわわの人」
「は?」
耳に飛び込んできた言葉に、今度は顔を上げて彼を見た。
彼は寒さで鼻と頬も赤くして、片手で拾い上げた毛糸のそれを持ち、もう片手であたしを指差していた。
「あんた、ふわわを持ってた人。寒いから、取り合えず行こうぜ」
そう言うと歩き出す。
彼の靴が冷えた土を踏んでざくざくと音を立てた。
あたしは目を丸くして彼の背中を見詰める。
ふわわの人?・・・って、あたしのことですか?行くってどこへ?あなたと一緒に?
ごちゃごちゃと頭の中で疑問符が踊る。
冷えた体はそうすぐには言う事を聞かない。
でも少し先に進んで振り返った彼が、こっちをじっと見ているから、仕方なく懸命に足を動かしてみた。
ゆっくりと、進む。
「・・・あんた、怪我してるの」
「今朝転んだんです」
ふーん、と言いながら大げさに保護されたあたしの右ひざを見ていたけど、びっこを引くあたしのペースに合わせて歩き出した。
・・・どこに行くんですか。
心の中でそう思ったけど、口に出しては聞けなかった。
突然想い人が出てきてくれて呆然としていたわけではない。
ただ体が冷え切っていて、現実をよく判ってなかったのだ。正直に言うと感覚が麻痺していて、どうでも良かった。
そのままゆっくりとあたしに合わせて歩き、彼があそこと言ってドアを開けたのは高校から一番近いファミリーレストランだった。
「二人」
係りのお姉さんにピースをしてみせ、案内される。
温かい店内に入った途端、自分がどれだけ冷えていたかが判って驚いた。凍えて固まっていた体の隅々が呼吸をし始めたみたいだった。
4人掛けのテーブルに二人で座り、彼は無言のまま鞄から出したタオルで濡れた頭やコートの肩を拭く。
雪が解けてびしょ濡れなんだ、とあたしも気付き、彼にならってタオルを出して拭き出した。
暖房が緩やかに店内を回る。その温かさに、あたしはほ〜っと息を吐き出した。
・・・ああ、温かい・・・。
「何する?」
顔を上げるとメニューを指差して彼がこちらを見ている。・・・そうか、注文しなきゃだよね・・・。
あたしはまだかじかんでいる指でメニューをめくる。お腹、空いた。壁の時計はもう午後の1時を指している。
そっか、だからそんなに混んでないんだな・・・少し周りを見渡してそう考えた。
ようやく、周囲や自分の置かれた状況を見る余裕が出てきたところだった。
何故か、あたしはよく知らない男子生徒とファミレスに来ている・・・。でもお腹空いてるし、とにかく冷えてるし、何か温かいものを食べよう。
そう思って、メニューを彼に返した。
「・・・ラーメン」
彼は少しだけ笑ったようだった。その笑顔の意味が判らないまま見ているとボタンを押して店の人を呼び、ラーメン二つと言ったから、あ、一緒だったんだ、と判った。
お待ち下さいと言われて二人にされると、どうしていいか判らなくて困った。
今のあたしはいつもの元気も勇気もない。
冷えていて、呆然とし、弱気で、大体びしょ濡れだった。だから自分から明るくハキハキと会話を進める余裕はなかった。
彼も黙っていた。
元々静かな人なのか、あたしと同じように事の成り行きに呆然としているのかもしれない。一緒に来ちゃったけど、これからどうしよう、なんて思ってるかも。
テーブルを挟んで前の椅子に座り、鼻をすすって、急に温められた指を両手で擦っている。
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