2、破れてしまったふわわ


 1月は思いのほか忙しかった。

 先生の都合で休みが多かった授業が、皺寄せで新年明けてからの休みに入れられたりしたのだ。土曜日なのに学校があったりした。

 うんざりしながらも、サボる勇気もないあたしは今日も登校する。

 いつものように坂道を登ってマンモス学校へ。混むのが嫌で、わざわざギリギリに家を出た。

 だけどやっぱり行きたくなくて、急がなければならないのにのたのたと歩く。

 今日も寒くて、ゆっくりしていた体は風に当たって冷え切り、あたしはいつものミトンの上から息を吹きかけていた。

 はあ〜って両手に息をかけるたび、白く光る固まりはほどけながら空の中へ消えていく。それを目で追っていた。

 そしたら、まさかのアクシデントが。

 何と、すっころんだ。

 上がっていく白い息を見ながら歩いていて、足元は注意散漫、しかも、のたのた歩いていて体は冷え切っていたから、柔軟に動かなかったのだ。

 何てことない小さな石に躓いて、あたしは見事に前にダイブする。

「ひゃあ!」

 ズジャっと痛い音を響かせて、冷たくて硬くて砂利のたくさん転がるコンクリートを滑ってしまった。

 ・・・・まーじーで!

「・・・ううっ・・・痛い」

 しかも、恥かしい。

 見回したら殆ど学生の姿はなくて、音で振り返った上級生らしい女生徒が同情したような顔をしたのが見えただけだった。

 良かった、ギリギリに出てて。ちょっとホッとする。

 それにしても・・・ちょっと〜、しっかりしてよ、あたし。

 やっぱり冷えた体はうまく動かず、あたしはそろそろとコンクリートの上を起き上がってそのまま座る。

 ジンジンと痛む足をみると、右の膝小僧に小学生の時みたいな見事な擦り傷があった。

 泥と血が混じって滲んでいる。

 それに顔を顰めてゆっくりと立ち上がった。

 痛い〜・・・ううー!寒くて傷が3倍増しになっているはずだ。寒い日は転んだら痛いというのは良く判ってるのになあ〜!

 5分前のあたしに戻りたい・・・真剣にそう思いながら、痛さと寒さで目を滲ませてとにかくと学校へ向かった。

 そしてそのまま保健室へ向かう。

 校舎に入った時には凹んでいたけど、温かい保健室で優しい保健医の手当てを受けていたら、おお!謀らずも授業をサボる口実になってるわ!と気付いて少しだけテンションが回復した。

「先生、あたしついでに休んで行ってもいいですか?」

 すると優しい女性の保健医、前北先生はにーっこりと大きく笑って、頷いた。

「いいわ。サボりなのは判ってるけど、怪我をした上にちょっと可哀想だから、今日は特別」

「え?」

 あたしは顔を上げる。ちょっと可哀想?何が?と思って。

 前北先生はその白い指であたしのミトンを撫でた。

「こけた時に怪我をしたのはこの子達も一緒ね。手編みなの?折角綺麗なのに汚れちゃったわね」

 ハッとした。

 膝の痛さと転んだ格好悪さに凹んでいて、あたしの両手の平を守ってくれたミトンにまで考えが及ばなかった!

 あたしが机に置いたミトンの汚れと破れに先生は気付いていたらしい。ショックを受けて黙るあたしを見て、先生はまた綺麗な手でそっと手編みの破れた手袋を撫でて、優しく言った。

「休んでいきなさい。今日のついてないことは、きっとこれで全部終わりよ」

 大丈夫よ、と笑った。

 あたしはミトンを見てガッカリしていたけど、先生の優しさにはいと頷く。

 今日のついてないことは、これで終わり。いい言葉だな。

 シュンシュンとお湯が沸く音を聞きながら、ストーブの前に置いてくれた椅子にぼーっと座って、風の強い外を見ていた。


 ・・・あ〜あ。ミトン、破れちゃった・・・。

 泥で汚れてしまった黄色と緑色の毛糸を親指で撫で撫でした。

 仕方ないよね。お陰で両の手のひらは守られたわけで。手の平を擦って傷をつくると日常生活の全てに支障が出るし、本当に痛い。

 ・・・ありがとね、君達。


 自然に笑顔になった。確かに残念で、ガッカリはしていて、ちょっと眉毛は下がっていたかもしれない。

 だけど、だけど。

 もう一回ナデナデしておこう。うーん、よくやったぞ、君達。あたしに素敵な出会いをくれた上に寒さからも怪我からも守ってくれるとは、見上げた奴らだ!

 いい手袋だった。

 ありがとね。

 暖められた保健室で、膝の痛みは酷かったけど、あたしは一人でニコニコしていた。

 この子達が破れたってことは、あれから一度も出会わないあの男子のことも忘れろってことかな、などと思いながら。

 だけど、それも仕方ないかもね、なんて思えたのだった。



 土曜に特別に開かれた授業の1時間目をそうやってサボり、2時間目からは気持ちも新たに出席した。

「大丈夫?」

 大げさになってしまった膝小僧を見て友達も心配してくれる。皆いつもより優しい感じだ。うーん、これが怪我の功名か!?と思った。

 先生の言う通り、確かに今日のついてないことはお終いかもって。

「ミトンが破壊されたわ〜」

 見せると、うわ〜と同情の声まで上がる。よしよし、君達の働きは彼女達にもちゃんと宣伝しておいたからね、とまたナデナデしておいた。

 彼氏が出来てから急激に付き合いの悪くなった美沙緒がしげしげとミトンを眺めながら言う。

「チャコが毎年作ってるやつだよね?今年はこればっかしてたね、そう言えば。お気に入りなの?」

 チャコとはあたしのあだ名だ。比佐という名前を幼少時発音出来なくてチャーと言っていたのから親がチャコと呼び、そのままあだ名になった。

 美沙緒は小学校からの友達なのでそのあだ名で呼ぶ。

 だからあたしが毎年秋にはミトンを編むことを知っていた。そして、いつものあたしなら4種類くらいは作って毎日とっかえひっかえしてくることも。

 それが今年はこれしか見てないよ〜、とは、恐れ入る。さすが、女友達の目は細かい。

 あたしは曖昧に笑った。

「・・・うん。気に入ってたからヘビロテだったねー」

「綺麗な配色だもんね。チャコの浮気癖がなくなったのか!」

「ちょっとやめてよ、誤解を生むような発言は。誰が聞いてるか判らないでしょうが」

 あたしがぶーたれて文句を言うと、美沙緒の隣から由紀が微笑んで口を挟んだ。

「おーや?誤解されたくない男子がいるのお〜?」

 思わず真顔になる。

「・・・いえ、いません」

 途端にドッと3人の女友達があたしの机の周りに殺到した。美沙緒と由紀と佳奈。皆お目目がキラキラだ。

「ちょっとちょっと!?怪しいわ、今の間!!何よ何よ〜!」

「チャコ!もしや思い人が出来たの!?」

「え、え、え!誰誰誰!?」

 ・・・凄い勢いだな、おい。あたしは正直にドン引きする。そしてゆっくりと両手を振って、否定した。

「ざんねーんでした!好きになった人がいるわけじゃないのよ。彼氏が出来たあなた達は羨ましいと思うけど」

 教えない。

 大体顔も覚えてない男子にもう一度会いたいなんて、頭大丈夫?と言われるに違いない。自分でもよく判らない感情なのだ、これは。

 だから、教えない。

 キッパリと否定したあたしに周りの興奮も少しだけ冷めた。

「・・・なーんだ。チャコに好きな人が出来たなら、あたし達いつでも協力するから言ってよ〜」

 美沙緒の言葉に苦笑した。

 多分、言えば探してはくれるんだろう。だけどそこからどうしたいのかが自分でも判らないのに、探してなんて言えないじゃん。

「はいはい、ありがと」

 そう言うに留めて、3時間目の準備をした。そして、あ、と顔を上げる。

「皆今日先に帰っててね、あたし数学準備室行かなきゃだから」

 あたしの言葉に由紀が笑う。

「月曜の準備しろって言われたの?待っとくよ、そんなの」

「いやいや、寒いし、いつ終わるか判らないから」

 昼ごはんまでずれ込んだらどうしようと思ってるのに、待たせるのはあたしが気にする、と言うと、3人は頷いた。

 数学係という名前の使いっ走りであるあたしは、数学教師の田植先生に手伝いを頼まれている。

 月曜日の朝早く来るのと土曜日の放課後残るのとどっちがいい?と聞かれたから、土曜日を選んだあたしだ。

 今から考えたら今日は怪我したから勘弁してくれ、と思ったけど、朝の保健医の先生の言葉が魔法をかけたのか、数学教師の田植先生はあたしの怪我を見て解放してくれたのだ。

 あたしを見るなり一言、うわあ〜、と言って、両腕を組んだ。

 何だ?あたしが見ていると重々しく口を開いてこう言う。

「ちょっと重いもの運んで貰うつもりだったんだけど、先生は鬼じゃないと証明するために言おう。今日はいいから、帰りなさい」

 うっそー!ラッキー!!ありがとうございます!とあたしは勢いよく頭を下げて、数学準備室を後にした。

 廊下もしんしんと冷えていて、何だか心細くなる。

 これなら皆に待ってて貰ったらよかった、と思いつつ一人で靴を履きかえる。

 すると、まだ残っていた他の生徒の歓声に気がついた。

「―――――――あ」

 雪だ。

 厚い雲が一面覆っている空から、白くてヒラヒラしたものがどんどん落ちてきていた。

 そりゃ冷えるはずだよね・・・。

 鞄から出して、破れてしまったミトンを見詰める。

 ・・・全然ないよりは、マシ。よし。

 一人で頷いてミトンをもう一度両手にはめた。破れてない部分だけでも手を温めて貰おうと思ったのだ。

「さっむ・・・」

 痛んで嫌がる足を叱咤激励して歩き出す。ちょっとびっこを引くみたいになっていたから、これでは田植先生も帰宅を促すはずよね、と苦笑した。


 雪の降る中、ゆっくりと歩く。

 朝は強かった風は絶えていて、それが救いだった。

 風がないから雪が真っ直ぐに落ちていた。その白い点々の中をあたしは無言で歩く。

 ポケットに突っ込んでいた右手をだしてみると、破れたミトンの丁度その場所にも雪が落ちてきた。

 直接肌に当たった雪はすぐに解けて水になる。

 あたしはつい立ち止まって、それを見ていた。すると、ミトンの破れた箇所からほつれた毛糸が気になって仕方なくなった。

 ・・・・これ、引っ張りたい。

 引っ張ったら解けることは勿論判っている。

 寒いし、雪。早く帰るべきだ。解きたいなら家でしろ。自分で突っ込みすらした。

 だけど痛む足で雪の降る中立っていて、何故か今それをしなければ、と腹の底から思ってしまった。

 儀式みたいに思ったのだ。

 この子達を、解放しよう、みたいなことをうっすらと考えた。



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