1、飛んでいったふわわ
出会いは、これだった。
季節は冬で、あたしは通学路を凍えながら学校へ向かっていた。
クラブ活動もしてなかったあたしに朝錬なんて行事もなく、始業までに校門の中に滑り込めばいいという気楽な身分だったけど、とにかくその朝は寒くて、体を温めるために小走りだった。
手にはお手製のミトン。
自分の好きな緑色に黄色でグラデーションをつけた力作だった。
そのミトンの上からも息を吐きかけて、手を温める。
そうしながらたったかと走っていたのだ。
すると、大雑把に閉めかけていた鞄から、乱暴に突っ込んでいた筆箱が転がり落ちた。
トン、と音がしたそれに気付いて、あたしは自分に「もう!」と言いながら少しだけ道を戻る。そして筆箱に手を伸ばした拍子に、今度は右手に嵌めたミトンがするりと抜けてしまった。
そして曲線を描いて更に向こうへ飛んで落ちる。
・・・寒いって言ってんのに!!
ううー!と唸り声まで上げてとりあえず筆箱を拾い、それからミトンを拾うべく足を進めながら顔を上げた。
するとそのあたしの顔の前に、飛んでったはずのミトンがあった。
「え?」
顔を上げると、そこにはあたしを見下ろす男子生徒の顔。こっちにミトンを差し出しながら、無表情であたしを見下ろしていた。
結構な間が空いたのは、無表情で見詰められたことに固まってしまったからだった。
だけど何とかあたしは瞬きをして、現状把握に努めた。
・・・拾ってくれた、んだよね。
「―――――あ・・・ありが、と・・・」
何とか声を出して手で掴もうとミトンに触れると、彼はあたしの手の平にミトンをふんわりと乗せて、こう言った。
「ほら、ふわわ」
「へ?」
反射的に聞き返したあたしに向かって、彼は少しだけ、口の端を持ち上げて笑顔のようなものを作る。
そしてまた言った。
「ふわわ。綺麗な色だけど、毛糸って、案外風通すよな」
そしてあたしの手の平にのせたミトンをポンポンと軽く叩くと、そのままするりと横を通り抜けて行った。
あたしはつい振り返る。
・・・ふ、わ、わ・・・?
手のひらのミトンを見た。・・・これ、普通は、もこもことかさあ・・・もしくはふわふわとか・・・じゃない?ふわわって・・・。
自分で作ったお気に入りのミトンは、緑に黄色のグラデーションで確かに綺麗な色だ。自信がある。そして、毛糸で編んだから、確かに風を通す。そりゃあ革製品には敵わない。
だから、これのこと、だよね。
ふわわ。
頭の中でその単語が回る。
あたしはしばらく寒さも忘れてその場に突っ立っていた。学校は目の前で、件の彼の後姿はとっくに門の中に消えていて、ちょっと変な学生になってしまっていた。
チャイムの鳴る音で現実があたしに戻り、ダッシュで校門に飛び込んだんだった。
寒さで顔は赤くなっていたし、走ったから鼓動もドクドクとうるさかった。
だけど気付いていた。
この赤いのは・・・そしてこのドキドキは!!
・・・ふわわの、男子のせいだって。
言葉の響にとても惹かれた。
とろんとして柔らかいその響に。
この凍てつく寒い朝に、ほわほわと温かいものがじんわりとひたひたと心に沁み込んで来たのだ。
あたしは両手で熱くなった頬を包む。
・・・おお〜!
そう思った。
おおお〜!!って。
自分がまるで可愛い女の子になったようで居心地が悪くてトイレの個室でジタバタと暴れる。
待って待って、ちょっと落ち着いて深呼吸だ。
昼休みは寒くて寒くて寒い屋上へ行こう。
一人でそう決心する。
そして温まった体と心を落ち着ける必要があるよね。ちょっと今のあたし、おかしい。
・・・いや、でも廊下でいいか、十分冷えてる。屋上まで行ったら風邪ひくかもしれない。
制御出来ない淡い気持ちに挙動不審のままでどうにか午前中を過ごした。
移動教室があるたびに、あの男子生徒を目で探す。
だけどマジマジと見詰めたはずの彼の顔は、既に記憶の中でぼやけつつあった。
一度も見たことない男子で、このマンモス高校は1学年が9クラスもあるのだ。それが3学年分。そして約半分は男。
一日にすれ違うだけでも大量の学生だ。それを一々目で確認していたら眩暈に襲われた。
・・・ああ〜・・・駄目だ。もう判らなくなってきた。
昼休みになる頃には、たまたま出会った男子生徒にもう一度会いたいと思うのはこの学校では現実的ではない、と諦めていた。
明日の朝、もう一度今日と同じ時間に校門前をうろついてみて・・・それで会えたら・・・靴箱まであとをつけて・・・それで学年と名前が判れば・・・。
口元に片手を押し当てて一人で唸る。
・・・あたし、彼が判るかな。
もーの凄い、基本的な問題だ。
もう既に顔はぼやけてしまっていた。うーん、もうちょっとよく見ておけば良かったあ〜・・・。いやでもまさか気になるなんてその時には判らないしな。
とにかく、ちょっと茶髪だった。地毛かな、あれくらいだと。夏に焼けちゃった、程度の茶色だったもん、多分。それにつんと尖った鼻をしていたような・・・気がする。
上から降って来た柔らかい単語の響だけをいやにハッキリ覚えていて、それを発した本人の記憶が曖昧で凹んだ。
ああ・・・これだから今までの恋愛も上手くいかなかったんだな、あたし。
詰めが甘いのか!
そんなわけで、せっかく心と体を温めてくれたその出会いを思い出すだけで、あたしの毎日はするすると過ぎて行った。
しばらくは同じ時間帯に登校するようにしてみたけど、彼だ!と思う男子生徒には会えなかった。
・・・か、会っていても判らなかっただけなのか。それもあるかもしれない。特に一目を引く外見とか、頭が一個分出てる長身だとか、奇抜な格好をしていたわけではないのだもの。
普通の、登校中の、男子生徒だった。制服に学校指定のコートに、黒いマフラー。確か柔らかい茶髪、そして鼻が高め・・・そんな程度だ。
そんなこと言ったらあたしだって同じだ。
肩までのセミロング、極端に高くも低くもない身長、制服に学校指定のコート。特別綺麗とか可愛い顔をしているわけではないから、相手からしてみても他の女子生徒と違うのは拾ってくれたミトンの存在だけだろう。
唯一の繋がりのような気がして、あたしはそれからずっと同じミトンで過ごした。
日を過ごすごとにそれは少しずつ汚れていく。
更に寒くなって、全国のスキー場がオープンし、期末テストも終わって、テスト休みに突入した。
後は終業式で、その後は冬休み。
結局例の男子生徒が誰か、学年すらも判らず仕舞いで、あたしは拗ねたような状態で休みに突入する。
去年は一緒に冬休みを遊んで過ごした友達は二人とも高校に入ってから彼氏を作っており、ごめーん、と軽やかに両手を合わせてデートに出かけていったから、あたしは結構暇だった。
女友達なんて、薄情なものだ。暇なあたしはそう呟いて、家でミトンを丁寧に手洗いする。
来年には会えるかな。これに気付いて声をかけてくれないかな。・・・それか、もうミトンを目蔵滅法あちこちに飛ばしまくってみる?そしたらまた拾ってくれるかな?
「いやいや、落ち着けって、あたし」
ミトンを干しながら一人で突っ込んでいたら、通りすがりの弟に変な顔をされた。
「・・・何よ」
「いや、姉ちゃんて変だと思ってたけど、やっぱり変人だな。一人でブツブツと。怖いし、気持ち悪い」
このクソガキ。気持ち悪いだとう!?あたしはひょろっこい弟を睨みつけながら言った。
「・・・あんたとあたしは血が繋がってるのよ」
「僕の中でそれが一番信じられない事実なんだ」
ムカつく。大体弟なんて生意気ってだけの存在なのだ。くそう。あたしはおやつのポテトチップスを一人で食べることで、生意気な弟への復讐を果たす。
そんな、実にどうでもいい冬休みだった。
新しい年が来て、あたしは神社にも行かずにコタツでテレビを見る。外は寒いのだ。あのミトンでは隙間風が手を刺しまくって辛いに違いない。
「ひ〜さ〜!邪魔なのよ〜!どいてどいて!」
正月から怪獣ママゴンは掃除機を振りかざしてあたしを襲う。・・・休みでしょ、ママも休んだらどうなのよ・・・と心の中で言った。現実に言えば勿論ガンガンに絞められる。
「もう、あんたどうして家でごろごろしてるのよ!?彼氏くらいいないの!?」
・・・おお、それを言っちゃうのね、ママったら。
あたしはコタツのテーブルに片頬をつけたままで母親を見上げてだら〜っと言った。
「そんな上等なもの、いるわけないじゃん。あたしはママの娘だよ」
「ママの娘ならいるはずよ。ママが16歳の時は彼氏いたもの!」
ぐさ。
掃除機を持って威嚇する怪獣ママゴンは、コタツで休む比佐ヌスに精神攻撃をかました!比佐ヌスはHPが50下がった!
頭の中で実況中継が勝手に流れる。あたしがうんざりしながら撃沈していると、ママゴンはまた攻撃する。
「彼氏でなくてもいいのよ!せめて友達と遊んで来なさいよ!邪魔なのよ!」
ぐさぐさ。
「・・・友達は彼氏と初詣・・・」
母親は一瞬黙ったあと、盛大にため息をついた。
「――――――とにかく、邪魔よ!どいてどいて!」
比佐ヌスは居間から追い出された。スルーとため息と居た堪れないその空気とで、HPとMPがそれぞれ30下がった!
また頭の中を勝手に流れる実況中継を手を振って自分で消し、あたしは自分の部屋へ退散した。
ゲームのしすぎだ、あたしのバカ。
そんな感じで毎日うとうとしながら親に怒られながら弟と下らない喧嘩をしながら、グダグダ〜っと休みを過ごした。
唯一ハッキリとあたしの心を占領していた例の男子生徒は、顔もおぼろげ、全く情報なし。でも、まだあの響だけは覚えていた。
眠りながら繰り返す。頭の中で甘く金色の蜜を作り出して、現実をとかしてくれるようだった。
ほら、ふわわ。
ふわわ。
すると自然と笑顔になる。あたしはくふふと笑う。作り直すことも考えたけど、結局そのまま洗濯だけをしたミトンを胸に抱いて夢の中に浸っていた。
彼の言葉が蘇る。
『毛糸は温かいけど、案外風通すよな』
『うん、そうだね。風通すよね。でも気に入ってるんだ、この配色が』
実際にはあの時呆然としていたけど、夢の中のあたしは過去の彼と会話する。
『自分で作ったんだよ。だから、気に入ってるの。寒くても、これでいいの』
顔も思い出せない彼はにっこりと笑う。あたしもミトンを手にのせて、ふふふと笑うのだ。
それを想像して、柔らかい時間の中に一人でまったりと浸っていた。
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