A
・・・うん、どれだけ悩んでても、からかわれて笑われたことに傷ついてても、ご飯は食べれるんだな、私。
「これが若さってもんか・・・」
一人暮らしで増えた独り言をいいながら、部屋を片付け、片っ端から掃除機をかけていく。
洗濯物をピンクのランドリーバスケットに放り込んでいく。ごみはごみ袋にまとめて明日出すっと。
シンクを重曹で磨く。力をいれてごしごしと擦る。
きゅうりのことを頭から追い出そうとして、いつもより集中して掃除した。
まだ認めたくない。
私、もしかして気にしてるだなんて。
あの男のことを。
いや、そんな。
私が面白くて、反応をみたくてからかってるだけだ。
好きになんか、絶対なっちゃいけない相手。
文字通り、住む世界が違うし、だいたいあの男に彼女がいないはずがない。
彼女の話なんて聞いたことないぞ、という別のつぶやきは無視することにして。
からかわれただけよ、からかわれただけ・・。
気がつくと、年末の大掃除後なみに部屋が綺麗になっていた。
「あらまあ・・・」
ため息をつく。私ったら、こんなに、気にしてんだな・・・。
Tシャツにパーカーをはおり、ちょっと眉毛を書き足しただけでランドリーバスケットを持って部屋を出る。
外はいい風も吹いて、すれ違う人もみんな何だか楽しそうな顔をしている。
すこし、気分もよくなってきた。
「・・・もう、いいや。考えるのホント、終わり!」
宣言して顔を上げる。
今は男のことを考えてる暇はないのだ。
そうよ、私には、そんな暇はない。
まず、正社員になって生活を安定させること―――――――――――――――
ごとん、ごとん、ごとん。
洗濯機が回る。
うららかな日差しが差し込む行き着けのコインランドリーで、椅子に座ってぼーっとしていると眠くなってくる・・・。
あー・・・何か、平和・・・。
就活で疲れきった時も、そういえばここで洗濯してる間はいつでもほんわかリラックス出来たっけ。
ほとんど他の洗濯客と会うこともないし、古びたソファーにだらんと座って紅茶を飲んだり雑誌をみたりするのは、確かにいい気分転換になってんだろう。
・・・・お日様、あったかあい・・・。
ごとん、ごとん、ごとん。
誰かさんのせいで、昨日の土曜日は一日考え込んで使い物にならなかった私。そして夜は夜で眠れないときてる。
この空間の、なんと優しいことか・・・。
・・・・・眠い。
ソファーの上にまるまる。
瞳を閉じて、その上に雑誌を乗せる。
いいやあ・・・寝ちゃおう。ここで。あと20分もすれば洗濯も終わってタイマーが鳴るし。今は何も考えずに。
足りてない睡眠を補充して、それから夕方は元気にいつもの休日を過ごそうって思った。
ごとん、ごとん、ごとん・・・
そして、本当に寝てしまった。
夢を 見た
私は一人、空の中にいた。
青い空。端から端までそのどこまでも広がっていく世界を見回す。
眼下に広がる白い雲海。私はふんわり浮かんでそれを見下ろしている。
そして次の瞬間、いきなり世界が夕焼けに支配された。
眩しい光が真っ直ぐに目を指してくる。
下を見下ろせば、ピンク、オレンジから赤、そして紫へと雲が染められていく。
何て美しいグラデーションだろう・・・。七色に光り輝く世界の真ん中で、私は微笑んでいた。
風が吹いて髪を揺らす。
ああ・・素敵だ。
ここは希望に満ちた世界。私は空を飛んで、全ての変化を見守ってればいいんだ。
遠くでキラリと光るものが見えた。
暮れていく世界では色が溢れているのに、あの光だけは飲み込まれずにハッキリ判る。
行かなくちゃ。声に出さずに呟く。
行かなくちゃ、私。頭の中で私の声が響く。あそこへ、行かなくちゃいけない気がする。
でも。
この素晴らしい世界で、もう少し浮かんでいたくはない?
端のほうはすでに青色が生まれつつある。ピンクから紫へと見る見るかわって、群青の雲もやってきた。
なんて素敵な。
・・・だけど・・。
光を確認する。
やっぱり。
私は
あそこに行きたい。
あそこに何があるのか、見たいもの。
行こう、あの光のところへ。
飛び始める。飛び方は知っていた。ぐんぐん勢いを増して、光だけを一心にみつめて飛ぶ。
風が髪を撒き散らして耳元で鳴る。
ああ、もう少し・・・あとちょっとで・・・。
光が大きくなって近づき、その中へ飛び込んだ。
と、場面が変わった。
・・・・ここは。
雲や風、色とりどりの全てのものが消えて、真っ白な世界にいた。
上も下も判らない。
私はただ、立っていた。もう浮いてはいなかった。裸足の足を見下ろす。
・・・どこだろう。私はここで、何を―――――――――
ぼんやりと周囲を見渡すと、少し離れた場所に男性が立っているのに気がついた。
短い黒髪。濃紺のスーツ。長い足と大きな手。向こうを向いて真っ直ぐに立っている。
きゅうりだ。
この背中を、私は知っている。
ふ、と彼が振り向いた。
そして切れ長の瞳が私を捉えた。
じっと見ている。無表情で。
何だろう。
何を考えているんだろう。
どうしていつもみたいな、やんちゃな瞳じゃないんだろう。
あの、あけっぴろげな笑顔はどこに消えたんだろう。
いつも上がっている魅力的な口元も、厳しく下げたままで。
楠本さん、と問いかけようとしたけど、声が出なかった。
こんな無表情なきゅうりは嫌だ。
怖い。
どうしたの。
何でなの。
何で黙って私を見てるの。
いつもみたいに、からかっ―――――――――――――――――
「・・・俺は」
突っ立ってる私を見ていた。
何も読み取れない瞳のままで、きゅうりは言った。
「お前のことなんて、なんとも思ってない」
息が、止まったかと思った。
洗濯終了のアラーム音が鳴っている。
私はゆっくり目を開けた。手で顔の上に乗せた雑誌を取る。
静かなコインランドリー。
ガラス戸越しに入ってくる光に埃がキラキラ光りながら舞っている。
目を開けると同時に、涙がこぼれた。
視界が曇り、周りの世界はただ、ぼんやりと明るいだけの一場面になる。
じっとりと汗ばんだまま、体を起こせずにそのままじっとしていた。
「・・・・・痛い・・・・」
心が。
チクチクと痛んで、悲鳴をあげていた。
夢の中のことで。
夢の中のことなのに。
私は傷ついて、泣いている。
「・・・・あーあ」
掠れた声が出た。
あの人を 好きになってしまった。
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