1、「非常にお似合いです」@


 私はきゅうりを好きになってしまった。

 とても混乱したし、色々時間はかかったけど、今ではよく判った。

 こんな苦しいの、恋以外では有り得ない。

 これから、どうしたらいいんだろう。

 きゅうりは、もてる。はっきり言ってもてる。

 身長も高いし、仕事は出来る。しかも、顔も頭も憎たらしいほどに上質ときている。

 私より美人で私より可愛くて私より優しいたくさんの女性が(しかも、彼女たちは正社員だ!就活に失敗しなかったってだけでも既に負けてる)、きゅうりを気に入っていて、アプローチをかけている。

 ・・・考えなくても明らかじゃん。

 がっくりと肩を落とした。

 指舐められたとか・・・確かに、私が勝手にみた夢ほどには嫌われてないにしても。

 ・・・・・あああああ〜・・・23歳、バイトの私。容姿、普通(悪くはないと思いたい)、頭、普通(せめてバカではいたくない)、職業、アルバイト(・・・・ああああ〜!!)、そして、赤面症(・・・醜い)。

 駄目だ、何か、好きになった時点で負けてる気がする・・・・。全てのものに。うー。

 そうなることが判っていたからあんな男性だけは好きにならないでおこうと決めたんだった、そういえば。

 だけどあの吸引力。ブラックホール並みの吸引力・・・。動物の雌である限り、やはり優秀な雄にひかれるのは遺伝子レベルで仕方がないことなのよ、と自分を慰める。

 だけど、彼にとって私はただのワン・オブ・ゼム。それは嫌っちゅーほど判ってます〜!!


 こんな風にうだうだ考えていてマトモでなかった私は、それから1週間、きゅうりを避けまくった。

 まるで、会わなければ彼を忘れられるかのように。

 少なくとも彼と面と向かって話しをしなければ、醜く赤面することはないわけだし。

 彼が新契約を入れたり手続きの為に事務のカウンターに立ち寄る時は、トイレだったり無理やり勝ち取ったおつかいだったり電話中にしたりで、話さないようにした。

 結構露骨なのは判っていたけど、何が何でもの精神で避けまくった。

 あのハスキーな声が、こっちに向かってると思うだけで顔が赤くなる。仲間さんがいぶかしく思うくらいには都合よく、きゅうりを避けた。

 そんなことをしまくっていて、ある日、ついに仲間さんに突っ込まれた。

「ねえ、瀬川さん、楠本君と何かあったの?」

 仲間さんの問いかけに、飲みかけていたお茶をつまらせて咳き込む。

「っ・・・ごほっ・・・」

「あら、ごめんなさい、まさか図星だとは」

 ニコニコ笑って背中をさすってくれる仲間さんの前で、肩を落とす。

「・・・そんなんじゃないです・・・」

 仲間さんは眉をあげた。

「ん?だって、瀬川さん最近楠本君避けてない?あれは私の思い過ごしじゃないとおもうけど。楠本君も、それでか居心地悪そうにしてるし・・」

「・・・からかわれるのが嫌なんです」

 ぼそりと呟く。それは、嘘ではない。

 からかいでなく、私をちゃんと見て欲しかった。いたずらする前のやんちゃな目でなく、優しい目で見て欲しかった。そして何より、自分の気持ちに気付いてから、恥ずかしくて見れないのだ、きゅうりのことが。

「うーん。あれは愛情表現なんだと思うけど・・・。瀬川さんは、楠本君が好きなんだと思ってたわ」

「なっ・・・仲間っさん・・・」

「あら、ごめんさないね、また図星だったのね」

「いやっ・・・ちがっ・・・」

 バタバタと両手を振り回す。

「あらあら、真っ赤ね。まあ、楽しい。あなたで遊びたくなる楠本君の気持ちが判るわあ〜」

「・・・!!」

 顔を両手で覆った。ああ〜!穴があったら入りたい〜!!一人で悶える怪しい私の隣で、仲間さんはいつものたらんとした素敵な声で呟いた。

「でも楠本君も可哀想に。知らぬは本人ばかりって感じね」

「・・・・は?」

「ほら、小学生だと思えばいいのよ、楠本君のことは」

「・・・へ?あのー・・・ちっとも判りません」

 仲間さんは色っぽく微笑んで、それ以上は何も言ってくれなかった。

 何なんでしょうか〜?どないやねん、と思わず方言で心の中で突っ込む。

 小学生の男の子?精神年齢が?・・・いや、でも、きゅうりは私よりは遥かに大人だと思うけど・・・。彼が小学生なら私は幼稚園児・・・。凹むわ。

 胸にくすぶりを抱いたまま食堂を出て事務所に戻る。

 今日はやらなければならないことが溜まっている。5時上がりまでにやってしまうためには、昼ごはんの短縮の必要があった。

 席に戻るのと、来客のブザーが鳴るのとが同時だった。

 また引き返して来客スペースに行く。

 ここで、直接来店されたお客様の接客をしたり、営業とのつなぎをしたりするのも事務の仕事だ。

「お待たせしました」

 出て行くと、綺麗な女の人が立っていた。

 思わず見惚れてしまった。

 人形かと思った。大きな瞳、栗色のボブカット、白い肌とピンク色の唇。
20代くらいだろうか、あまり若いお客様の来店がないので、少し華やかな気分になって微笑みかける。

「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか」

 彼女はにっこり笑って言った。

「営業の楠本さん、いらっしゃいますか?」

 一瞬心臓がドキンとしたけれど、平静を装う。

「楠本ですね、確かめて参ります。失礼ですが、お名前をどうぞ」

「長谷寺といいます」

 あ、と思った。

 青山さんの、お客様の、あの長谷寺様の・・・そうか、お嬢さんだ。
帰国されたばかりの。

「少々お待ち下さい」

 来客ブースを出て、事務所を覗く。

 きゅうりは・・・いない。姿は見えない。

 基本的に営業が事務所に居るのは契約を取りに行く前か、午前中、もしくは契約が取れて入力する時だけだ。

 だから事務席には各営業のケータイ番号の一覧の紙が置いてある。

 ため息をついて、それを手に取った。こればかりは、他の人にふるわけにもいかないしね・・・。楠本さんと話したくないんで電話お願いします、何て言った日には首だわ、首。

 一つ深呼吸して、きゅうりの携帯番号を押す。

 呼び出し音6回目できゅうりが出た。

『はい、楠本です』

 声が、耳の中に注ぎ込まれて震えた。

 背中がぞくりとして反り返る。

 ああ・・・この声が、聞きたかったんだな、私。

 思わず閉じてしまった両目を開けて、こっそりと深呼吸した。

「・・・お疲れ様です。瀬川です」

 一瞬、間があいた。

『・・・』

「あの、楠本さん?」

『・・・ああ、ごめん。どうした?』

 来客ブースの人影を確認しながら用件を告げる。

「お客様がいらしてます。今どちらですか?」

『客?』

「はい、長谷寺様とおっしゃる女性の方です」

 また、間があいた。

『・・・・ああ、判った。もうすぐ帰社できるから、悪いけど、待っていただいて』

「はい。何か用意しとく書類などありますか?」

『いや、特にはない』

「はい、ではお茶をお出ししておきますね」

『うん宜しく』

 ホッとして電話を切る。何も不自然なことはなかったはずよね。ビジネスライクに淡々と話せてたわよね。よしよし、顔も赤くなってない。

 無事に電話をきれたことに気を良くして、来客ブースに戻り、「楠本は外出中ですが、すぐ戻るとのことです」と告げる。

 人形みたいな彼女はにっこり笑った。

「ありがとう」

「お茶お持ちしますので、どうぞかけてお待ち下さい」

 給湯室で準備を始める。

それにしても・・・・ああ・・・いい声だった。

 避けまくってたせいで、ここ何日かマトモにきゅうりの声を聞いてなかった。恋心に気付いたからかな?あんなに前からゾクっとしたっけ?

 お茶を出しに行くと、彼女は椅子に座ってきょろきょろしていた。

「何かご入用ですか?」

 ハッとして、くるりと振り向いた。「あ、ごめんなさい、きょろきょろして」

 笑った顔が、また可愛い。うーん、本当お人形さんみたい。

 そこで、ふと思い当たった。

「長谷寺様、もしかすると、担当は青山ですか?」

 一瞬きょとんとした顔をして、それから小さく頷いた。

「あ、そっか。あの営業さんはそんな名前だっけ。もう楠本さんばっかに注目しちゃってたから」

 ・・・ん?

「ここで働いてるんだーっと思ったら興味が湧いちゃって。楠本さんのお顔見にきちゃったんです」

 てへへと笑う。

 何とか給仕をして、微笑みを浮かべたまま、私は頭を整理した。

 ・・・ああ、そうか。

 この人、青山さんと一緒に契約に行ったきゅうりが気にいっちゃったんだ。

 私は見たことないけど、仕事中の営業マンの集中力は凄いのだろう。表情も柔らかいんだろう。そっかあ・・・そりゃ格好良かっただろうしね・・・。

 でも、会社まで来るんだ、とその行動力に感心すらした。

 私はそんなこと、逆立ちしたって出来ないに違いない。

「あの、青山は呼ばなくて大丈夫でしょうか?」

 一応(って言ったら可哀想だけど)、彼がこのお嬢さんの担当なはず。

 そしたら手を大きく横にふって笑った。

「いいです、あの人には用がないんでー」

 ・・・・そうですか。

 もう一度お辞儀をして自席に戻ろうとした時、ドアがあいて、きゅうりが飛び込んできた。

「あ、楠本さん。お疲れ様で――――」

「あ〜!楠本さーん!来ちゃったー!」

 私の声は、1オクターブは上がった彼女の声で遮られた。

 驚いてそのまま口を噤む。・・・わお、びっくりした。

「お待たせしました、長谷寺さん」

 きゅうりが笑顔で近づいてくる。

 ・・・・これが、噂の営業スマイルか、と思った。明るく、誠実そう、と形容されるような。目元が凄く優しくなってる。

 そういえば、ランチに行った時の青山さんは、いかに営業中のきゅうりが凄かったかばかり話してたな。

「本当に凄いよ、押し付けがましくないのに、こちらの主張はちゃんとしてるんだ。それに、一品の営業スマイル。あの笑顔だったら女性客は幼稚園児からおばあちゃんまでイチコロじゃないかなー」って。

 コロっといっちゃったわけなのね、このお嬢様は。

 自分のことは棚にあげて、意地悪く心の中で呟く。

 胸の奥にざわつくものを感じながら、来客ブースのドアをそっと閉めた。

 きゅうりも戻ったばかりで喉が渇いているだろうから、お茶を用意しようと思ったのだ。

 給湯室の窓から見える公園に視線を走らせる。

 ここから、あの公園・・・見えるんだ。

 きゅうりとアイス、アイスで指、私の指、そしてそれは・・・。

 蒸気が噴出して、やかんがカタカタ鳴った。ハッとして、火を止める。

「・・・もう、考えないって、決めたんじゃなかったっけ」

 自分に呟く。

 ダメダメ、はい、深呼吸〜。

 今は恋愛ところじゃないでしょう、私!!それよりも生活を安定させるのが先だっつーの。事務の仕事だって、アルバイトといえどなおざりには出来ない。非常にやりがいもあるし、責任感もある仕事なのだ。

 頭をふって煩悩を追い出す。

 身の丈の幸せを知ること、は我が家の家訓。

 届かない花に手を伸ばして崖から落ちてどうする。今のアルバイト先まで失ったら、それこそマジで、実家帰り決定だ。

 それだけは回避したい。自分が情けなくて一生立ち直れなさそうだから。

「さ、お茶お茶」

 号令をかけて、お盆を手に来客ブースへ向かう。

 コンコンとノックする。

「失礼します」

 きゅうりと彼女が机越しに向かい合って座っていた。ちらりと視線を私にむけて、きゅうりがお礼を言う。

「ありがとう、喉が渇いてたんだ」

「・・・いえ」

 あれ、何だか彼女膨れてない?

 ちょっと頬を膨らまして、きゅうりをじっとみつめている。それはそれで可愛いなあ〜と思ったけど。

 気になったが、それ以上ここにいる理由もないので、頭を下げて退室した。

 ドアを閉める前に、少し、声が漏れ聞こえた。

「いいでしょう?行こうよ、楠本さん」

 ・・・パタン。

 ドアがしまって、もう聞こえない。

 ・・・・どこに行こうって誘ってんだろう。やっぱりあの子、保険とは関係なく来たんだな。自分でもいってたけど、きゅうりに会うために。

 うー・・・・駄目駄目、気にしないこと!

 気合を入れなおしても、その後の仕事の効率はぐんと落ち、終わりが見えそうになかった。

 少しして長谷寺様のお嬢さんも帰っていったけど、その後きゅうりも出て行ったし、心のもやもやは消えないまま。



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