4、誤解と混乱。@
「瀬川さーん、はい、お土産」
青山さんがカウンターにもたれてニコニコ笑いながら立っていた。
「おお!!これは、うわさの『天使のロールケーキ』では!?」
興奮して声が上がる。
最近とても有名になって手に入れるのに2時間は待つというロールケーキを、青山さんが営業のお土産に買ってきてくれたとこ。
「わあ、凄いわね、並んだの?」
仲間さんや、他の事務メンバーもやってくる。
青山さんはみんなの反応をみて申し訳なさそうに笑った。
「実を言うと、これはお客さんに貰ったんです。ひとつどうぞって。今日のお客さんは販売の方で、これは昨日の破棄ものなんですけど・・・」
「破棄っていってもまだ賞味期限もあるし、やったじゃなーい!・・・あ、でもこれは瀬川さんにお土産?」
仲間さんがニヤニヤしながら上目遣いで青山さんを見る。
「いえいえ、会社にです!皆さんで食べて下さい!」
青山さんは急いで訂正して、これ以上はごめんとばかりに自席に戻っていった。
「うふふ〜♪ごめんね、瀬川さん、からかっちゃって」
ほかの事務員さんもくすくす笑ってる。
とたんに居心地が悪くなって、私は小さくため息をついた。
「・・・・・仲間さん・・・。何回も言いますが、そんなんじゃありません・・・」
先週の締め切りの一件で、私と青山さんは仲良くなった。
あの締め切りの日、きゅうりと公園から戻ると青山さんが待っていて、長谷寺さんを思い出してくれたのは瀬川さんだと聞いたと御礼を言ってきたのだ。
半年前の俺の言葉なんてよく覚えてたねー、と感心されて、その当時の話で盛り上がったりしていた。
気がついたらきゅうりは消えていて、青山さんも残りの仕事を片付けると戻っていったので、私は退社したのだけど・・・。
部長には正直に瀬川さんにアイデアを貰ったと言ったけど、他の営業にはうるさいから黙っている、成果発表の時に瀬川さんの名前を出せないからって、翌日青山さんがランチへ誘ってくれたのだ。
営業部で一番年の近い人でもあったので、青山さんとは一番よくしゃべっていたし、気軽に受けて、ランチを食べに行った。
と言ってもこじゃれたカフェなんかではなくて、豪快に焼肉ランチにいったのだけれど。
そこを、他の事務員組に見られていたのだ。
「本当にビックリしたけど、まあ、瀬川さんと年齢も近いしね、青山君は」
楽しそうに話す事務仲間の大井さんの口にストップはかけられず・・・。
なぜか、付き合ってるまではいかないまでも、仲良しだと認定されてしまったのだ。
つまり、付き合うのは秒読みだわね、程度の。
そんなわけで、青山さんが何かするたびに、私もコミコミでからかわれるハメになっている。
「・・・・いや、青山さんにも迷惑ですし・・・ってか、ほんとそんなんでは・・・」
色々言ってみるけど誰にも聞いてもらえず。
その内面倒臭くなって、放っておくことにした。人の噂も75日、まあその内消えるだろう、と思っていたのだ。
「ケーキ、みなさん食べましょう、切ってきますから」
丁度3時も近いしと、席を立って給湯室に行く。
わーい、嬉しいな、このロールケーキ食べたかったんだよね〜。るんるんで給湯室を開けると、目の前に大きな背中があってビックリした。
「ひゃあ!」
「・・・瀬川」
ハスキーな声が耳を掠める。
ハッと顔を上げるときゅうりがいた。
今週は研修やら大会やらでほとんどきゅうりに会うことはなかった。今朝も朝礼に出てなかったし、まさか給湯室で会うとは。
・・・ってか、何でこの人ここでコーヒー飲んでるの。自席に行きなさいよ、自席に。心の中で突っ込みながら、ケーキを捧げ持って部屋に入る。
「楠本さん、お疲れ様です」
私が入れるように身体をよけて、きゅうりは少し笑った。
「おう、久しぶり」
ロールケーキをシンクに置いて、やかんに水を入れる。
「本当に久しぶりですね、大会と研修お疲れ様でした」
狭いので、すみませんと声をかけてやかんをコンロにかける。身を引いてからきゅうりを見上げたら、コーヒーカップを持ったまま複雑な表情でこちらを見ていた。
「・・・どうしました?体調悪いんですか?」
「・・・いや。なんでもない。どうしたんだ、そのケーキ?」
マグカップを人数分用意する。ジムのメンバー5人と・・・部長と・・。
「青山さんが下さったんです。お土産ですって」
「ふーん・・」
ちらりときゅうりを見たけど、頭を天井のほうへむけて目を閉じていた。
「知ってます?有名なんですよ、天使のロールケーキって言って・・・」
「知らね」
言葉途中で遮られてムッとしたけど、機嫌がよくなさそうなので文句は喉の奥で引っ込めた。
疲れてんのかな・・・遮るくらいなら最初から質問なんてしないでよ、もう・・・。
こんな狭い部屋で近くにいると威圧感を覚える。何か、視線も。怖くて目が上げられない。
気付かないふりで黙々とお茶の準備をしていたら、唐突に声が降ってきた。
「・・・お前、青山が好きなのか?」
がちゃん、と音を立ててカップがシンクにぶつかった。
「きゃあ!」
「おい!大丈夫か?」
びびび・・・・ビックリしたああああああ〜!!!
あまりに唐突すぎて、脳みそが反応しなかった!
手から滑り落ちたカップは幸いなことに割れてはおらず、素晴らしい反射神経でカップを抑えたきゅうりを睨みつける。
「もう、楠本さんまで!」
「え?」
落ちたカップを元に戻し、自分のカップをシンクに置いたきゅうりが間抜けな声を出す。
「やめてくださいよ〜・・・最近みんなそんなこと言ってからかうんですから・・・。もう、本当にうんざりしちゃう」
また顔が赤くなってしまうではないの!あーあ、カップ割れなくて良かった。またこれをネタにされるところだった。
お茶の準備をやり直す。
ここ最近事務所に居なかったきゅうりまでもがそんなことを。言いふらしてるの誰よ〜!!
私の剣幕に少しばかり身を引いて、きゅうりがぽつんと呟く。
「・・・・・違うのか?」
「やめてくださいってば!大体青山さんにも迷惑ですよ。あの、長谷寺様の契約のお礼にって、一度ランチをご馳走して下さったんです。それを大井さんにみられて・・・」
ぐちぐち言っていると、大きな手が伸びてきて、頭をぽんぽんと叩かれた。
「・・なーんだ。トマトにも春が来たかって思ったのにな」
きゅうりがにやにや笑っている。
もう、バカにして〜!!
私はキッと長身の男を見上げて睨む。
「うう〜!私に失礼ですよ、楠本さん!」
「ははは、すまん」
爽やかに笑うこの男、本当に腹が立つったら!
「もう、コーヒー飲んだのなら自席に戻ったらいかがですか!」
ぷりぷりする私の横に手を伸ばして、きゅうりがドアを閉めた。バタンと音がして、私は紅茶の缶を手に振り返る。
「え・・・?」
目の前にはきゅうりの胸元。彼がその大きな手を伸ばした。
トン、と音を立てて、私の背をドアにつける。
両手をドアにあてて、私を挟み込む格好になった。
ただ目を見開いて、きゅうりを見る。
ええーっと・・?・・・・これは・・・何がどうなって・・・。
「・・・・俺と付き合えよ」
はい?
今、何か聞こえた??
黒くて切れ長の瞳に私がうつっている。
よく考えたら凄く至近距離なんだ。頭の隅でそんなことを思った。
っていうか、ちょっと待って。あれ?
この・・・
今の・・・・
この状況は・・・。
「・・・なあ、俺と付き合えよ」
きゅうりのハスキーな声が聞こえる。私はそれをただ聞いていた。
まさか。
・・・そんな。
「・・・・・本気で言ってます?」
暴走する鼓動とは逆に、頭はすごく澄み渡ってる。口から出たのは、はいやいいえではなく、質問だった。
見詰め合ったまま――――――――――――――
顔が
どんどん近づいて・・・・彼の綺麗な唇が―――――――
「・・・なーんてな」
私を閉じ込めていた両手がするっと退けられた。
「冗談。言ってみただけ」
すっと後ろに下がって、きゅうりは笑った。
笑ったのだ。
そして、呆然とする私を手でどけて、ドアを開け、行ってしまった。
あとには、沸騰して音を立てるやかんと、水蒸気でいっぱいになった狭い部屋に、私が一人―――――――――――――。
日曜日だった。
寝付けないまま朝を迎えて、9時半までは布団でうだうだしていたけど、仕方ないなと観念した起きた。
「・・・すっごいいい天気なんですけど・・・」
カーテン越しに差し込む光はまだ夏の名残がある。きらきらと揺れて、私の小さな部屋にも光を撒き散らす。もう11月に入るっていうのに、今年は気温も高かった。
「・・・うー・・・」
金曜日の給湯室。
目の前のきゅうりの顔。
男の人に迫られるって、あんな感じなんだ・・・。
結局はいつものように私をからかっただけで出て行ったあの男。
冗談って笑って。
私は何とか正気に戻って、やかんの火を止めたんだった。
お茶をしててもぼーっとしていた。他の人の話し声が全然耳に入ってこなかった。
そしてあれからきゅうりには会えず、そのまま週末に入った。
アポがある営業は出勤してる人もいるだろうが、事務の、しかもアルバイトの私は土日祝日がお休み。
9時から5時まで勤務で土日祝日休みの待遇を利用して、生活費を少しでも増やすべく、たまに町でのビラ配りのバイトをいれていたけど、今日はそれもナシ。
ああー・・・いい天気だなあ・・・。
もう、あのヤローのせいで、私の休日も台無しだよ・・・。
何度も頭の中でリフレインされるあの場面。
もしあそこで「はい」と返事をしていたなら、どうなっていたんだろう。
きゅうりはそのまま付き合うってことにしたのかな。それともはいって言った後でも「冗談」って言ったんだろうか。
あのまま顔が近づいてきたら、キスも・・・しちゃったのかな。
冗談だって笑ったけど、あれは本当に冗談だったのかな・・・。
何度も何度も繰り返す質問。
何度も何度も繰り返す「起きなかった」未来。
出会わなかった唇は、それでも私の唇に感触を残したかのように赤味をつける。
ちっとも眠れなかったので、鏡の中の私はほんと酷い顔だった。
・・・・ううう・・・花の乙女であるはずの23歳が・・・。こんな状態の肌と顔色。酷過ぎるでしょ、さすがにこれは。
「しゃーなあーい・・・洗濯物でも・・・しよ」
顔を洗って、長い髪を頭の上でひとつにまとめる。
家事をするときにはこのおだんごヘアーに限る。
経済的事情で自炊はマメにしている。朝ごはんもちゃちゃっと作って、テレビも見ずにぱくついた。
[ 6/30 ]
←|→
[目次へ]
[しおりを挟む]