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・・・何とかしてあげたいけど、こればっかりは。

 ノルマは毎日、毎週、毎月のことで、可哀想だからと、例えば私が契約すればいいってものでもない。客になるのではなく、事務として何か出来ることはないだろうか。

 青山さんの今までの契約で思い出せるものを探る。何か・・・ヒントでも・・。

 弁当箱を閉め急に黙ってしまった私に気付いて、きゅうりが覗き込んでくる。

「おい、もう食べないの?・・・って、お前が悩まなくてもいいんだぞ?」

「・・・・」

「・・・おい」

「・・・・」

「・・・おーい、聞いてるか?」

「・・・・」

「トマト?・・・・瀬川千尋」

 前にある鉄の手すりに頭をぶつけそうになった。

「・・・フルネームで呼ぶのやめてください。びっくりしますから」

「いや、反応ないからさ。お弁当、食べろよ、時間なくなるぞ?」

 きゅうりが苦笑して、更に覗き込んでくる。既に背中は壁についているので、もうこれ以上さがれない、と気付いた時に、羞恥心が襲ってきた。

―――と、同時に天啓が降ってきた。

「・・・2年後の長谷寺さん!」

 いきなり叫んだのに驚いて、きゅうりが離れる。

「うわあ!・・・何だ??」

 近づきすぎた羞恥心とアイディアが閃いた興奮で全身を熱くして、きゅうりに向き直る。

「今年の4月か5月、青山さんが貰った契約が、健康診断の結果で2年後になった件があります」

 青山と聞いて、驚いていた表情が一瞬で仕事モードに切り替わった。さすが、やっぱり営業は営業だな、とちらりと考える。

 きゅうりが体ごと私の方を向いて頷いた。

「春先だな。うん、それで?」

「それは他社攻略で、お客様はうちの商品をかなり気に入って下さっていたようで、契約できなかったことを大変残念に思ってらっしゃいました。青山さんが何度も本社に電話したり、どうにか出来ないかと調べたりを手伝ったのでよく覚えています」

 2年後とは。

 生命保険の契約で、2年後判定といえばつまり「今は引き受けできないから、2年後にまたやってみて」という結果で、要するに、引き受け不可ってことだ。

 病気を現在進行形で持っていたり、過去に大きな病気をしていたり、健康診断の結果、これから重大な病気になりそうだと会社が判断した時などに出る、営業にも契約者にも厳しい結果である。

 人間は年をとるから、2年後にはその状態は更に悪くなっているのが普通である。

 それに契約年齢も上がるので、毎月の保険料も大きく変わるため、もし2年経って健康を取り戻せていたとしても、再度契約しよう、とは通常ならない。

 2年後判定が出た、ということは、心砕いて努力して信頼を得、やっと契約まで漕ぎ着けたお客様との決別にも等しいのだ。

 やはりその気になっていた契約者は断られたことに呆然とし、大体は怒る。

 自分の身体では保険に入れないという現実は、なってみれば結構ショックなことなのだ。ところが、そのお客様は色々頑張った青山さんが気に入ったようで、今回は残念だけど、2年後にもう一度試す、と言ってくださったのだとか。

 保険会社の営業にとって、それは奇跡に近い一言だ。

 やるだけのことはやって、お客様からの信頼もいただけたと、契約にはならなかったがあの時の青山さんは喜んでいたものだ。

「確かに持病で死亡保障のつく総合保険には入れませんが、今年の夏に出た中高年をターゲットにした個人年金やガンに特化した医療は入れるんじゃないですか?」

 個人年金でも毎月かけるのはすでに年齢のためにアウトではあろうが、一括払いなら元本が割れずにつくることも可能なはずだ。

 きゅうりは遠くをみつめて考え込んでいる。切れ長の瞳が細められ、いつもより厳しい顔をしていた。

「・・・確かに個人年金なら・・・。だが、青山がそれを見逃してるとは思えない」

「はい、そうですね。だけど、青山さんはそのお客様のことしかターゲットにしてないかもしれません」

 私の言葉に、きゅうりはうん?と言って顔を向ける。瞳が合ってしまって一気に緊張した。

 出来るだけ自然に視線を逸らし、私は続ける。

「私も一度お客様と電話で話しましたが、契約者様には留学中の娘さんがいらっしゃるんです。その子の保険も考えないと、と話されてたのをさっき思いだしたんです」

「娘?」

「はい、夏の大きい締め切りの時には、当たってみたけどまだ留学から帰ってなかったと、青山さんが言ってました」

 思いついた興奮で少しばかり声が裏返る。私はお箸を片手に握り締めたままで話した。

「でも、でも今回は、まだ帰ってないかもと思ってそこは当たってないかもしれません。青山さんから長谷寺さまの名前を聞いてませんし、確かに今日中は難しいでしょうけど、うまくいけば、お父様と娘様と狙えるかもと・・・」

 きゅうりは最後まで聞いてなかった。

 大きな体が目の前をぱっと通り過ぎる。

 屋上入口のドアに向かって走り出しながら、きゅうりが身体を捻って叫んだ。

「ありがとう、トマト!!弁当も、ご馳走さん!!」

 私は座ったままで化石状態になっていた。

 今、きゅうりが見せた。

 その、笑顔に。

 硬直した。

・・・・・・・・・そんな優しげな顔、反則だあああ〜・・・・。



 時計を睨みながら仕事をしていたけど、4時前になっても青山さんもきゅうりも帰社しない。

 ああ〜・・・やっぱりあの提案では無理だったのかなあ〜・・・。

 こっちがそわそわしてしまう。

 締め切り前の事務所は閑散としている。皆ギリギリの5時まではどうにも帰社出来ないのだ。帰ってきてしまうと、まだ時間があるだろう!と怒鳴られるから。

 霧島部長は窓際に立って外を眺めている。時計のほうをちらとも見ないのは、それだけ気にしてるって証拠だ。

「何とかラッシュも終わったわね。お疲れ様」

 仲間さんが大きくのびをして笑顔を向けてくる。

 私はそれに引きつった笑顔しか返せない。

「・・・青山さん、まだ帰ってきませんね」

 つい、手に持ったボールペンをくるくると回す。昔から焦っている時の私の癖だ。

 少し微笑んで、仲間さんが言った。

「気にしてるの?・・こればかりは仕方ないわね。やっぱり、好調なときと不調な時が、営業にはあるから」

「そうですね」

「でもそれを乗り越えて、常に好調状態にするのが、一人前といえるわけだし。今日は後10分でしめだもんね」

「はい」

 ため息が出る。やっぱり2,3時間でどうにかなるわけではないのかなあ・・。

 その点、仲間さんはキッチリと線を引いている。営業への同情は仕事の邪魔になるのよ、と最初の頃に言われている。営業は営業、事務は事務。私達は私達の仕事をちゃんとやることで、営業達の後方支援をするのよ、って。

 だけど今は、私に優しく接してくれているんだな、と判った。

 困った微笑を見せてから引き出しを開けて仲間さんが言った。

「ほら、しけた顔しないの!青山君が怒られるの見るのが嫌ならおつかい行ってきてくれない?メール便、溜まってるから」

 仲間さんの気遣いに、ちょっとほっとして笑顔で返す。

「はい、行ってきます。半年いても、やっぱり人が怒られてるのには慣れませんね」

 これから帰社した営業は、順々に霧島部長の面談が待っている。私はそれを聞きたくないのだ。他人事とは思えなくて。

「慣れるっていうのが、本当は危ないんだろうけどね。じゃあお願いね」

「はい、行ってきます」

 見送られて、荷物を手にエレベーターに乗った。

 ああ・・・悲しいな。力にはなれなかったか。

 降りていくエレベーターの壁に背中を預けてぼーっと思い返していた。仲間さんの美しい微笑みを。

 ・・・うん?

 あの笑顔・・・・何か、含んでた?




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