2、罪な笑顔。@

「根性みせろよ!!!」

 バシンっと強烈な音を立てて、霧島部長が机を叩いた。

 事務所内の空気が一瞬にして冷える。

 私は自席で思わず首をすくめる。止まってしまったキーボードの上の手を慌てて動かした。

 朝礼での部長の叱責や激励は毎日のことにしても、未だに慣れない私は、怒鳴り声が聞こえる度にビクビクしている。

 うちの事務所は基本的に男性ばかりの為か、部長や支部長の叱責も厳しい。もろ「体育会系のノリ」でしごかれるわけ。

 そこがエリートの集団で、営業の男性諸君は眉一つ動かさず、きびきびと返答をして、頭を下げていくんだけど、事務席に居る私は他人が怒られているのにも泣きそうになる始末。

 普段温厚なキャラの霧島部長、やっぱりここぞって時にはマジ鬼になるんだもんな〜・・・。

 今週の大きな締め切りにむけて、うちの事務所の成績がイマイチ振るわないのがその原因。

 とはいっても、まだまだ新人の私にしてみたら、そんな、4千万や5千万の保険が、そんな簡単に契約貰ってこれるのかしら、な状態なんだけど・・・。高い買い物よ、やっぱり。

 入社2年目の、事務所では若手の青山さんが現在まだ未実働。つまり、1件の契約ももらえてないってこと。月も半分過ぎた今でこれでは確かに今月は苦しい。

 部長の顔をしっかりと見つめて、言葉を返す青山さんの横にはきゅうりが立っている。

 きゅうりは青山さんの指導担当だったっけ。それで、今一緒に叱責されてるわけなのね・・・。

「やりますばかりで結果がついてこなきゃ意味がないだろうが!いつ1件目持って帰ってくるんだって聞いてるんだよ!」

 霧島部長の声が飛ぶ。

 ぎゃあ。私はまた首をすくめた。これが自分への叱責なら、私の精神はとっくに崩壊しているに違いない。

 だけれども、まだしっかりして聞こえる青山さんの声が言った。

「・・・・今日中には・・・」

「今日か!?言ったな!?絶対持って帰ってこいよ!手ぶらだったら帰社するな!」

 ここで霧島部長、じろりときゅうりの顔を睨んだ。

「お前もなにしてんだよ!ちゃんとサポートしてやれよ!今日青山がとってこれなかったらお前の責任でもあるんだぞ!」

 ハラハラしてお腹痛くなってきた・・・と思っていると、落ち着いたきゅうりの声が飛び込んできた。

「大丈夫です。今日アポがとれているところで、必ず」

 ・・・・必ずだって。

 本当に大丈夫かな・・・。

 凛と立って発言するその格好良さに惚れ惚れするよりも、駄目だった時のことを考えて暗くなる事務員の私。

 朝礼が終わるときゅうりは青山さんの席の横について打ち合わせをしていた。今日はずっと一緒につくと決めたのだろう。

 きゅうりの仕事は、なんと終わっている。今月のノルマは今月入ってすぐに達成した上に、おまけに3件入れていた。

 手続きしたの私だから、びっくりして覚えてる。

 何でもない顔で手渡されたからつい驚いて「凄いですね」と言うと、端整な口元をにやりとゆがめてこうのたもうた。

「ご褒美に何くれる?トマトちゃん丸ごと、貰えるのかな?」

 また瞬殺だった。彼は私を真っ赤にさせ、散々遊んで行ったのだ。

 うーーーー、思い出したらムカついてきた・・・。

 郵便局までおつかいに行って帰社したらお昼休憩の時間だったので、お弁当を持ってそのまま屋上に行った。

 一人で食べる気楽さと、単に経済的な問題から弁当持参組の私は、天気のいい日は屋上でランチと決めている。

 多忙で派手で付き合いの多い保険会社の人間が滅多にこない、私だけの空中庭園なのだ。

 鼻歌まじりに屋上のドアを開け、貯水塔の裏に回る。

 明るい太陽の光と気持ちのよい風に、つい空を見上げてにこにこと微笑む。

 この大きな貯水塔、ここが日陰になっていて、ちょうど腰かける段差まであるのだ。

 回りこもうとして、ハッと足を止める。


 ・・・先客だ・・・珍しい――・・・

 いつもの私の指定席に、男が座っていた。

 町並みを見つめていたようなのに、私の足音を聞いて振り向いた。

 切れ長の瞳が私を捉える。

 げっ。

 きゅうり!!


「あれ、トマト?どうしたんだ?」

  驚いた顔で立ち上がる。さっきまで見下ろしていたのに、もういつものように見下ろされる。風に黒髪が乱されてそれが目にかかるのを手で払った。

 すぐに私の手元に気付き、きゅうりは少し笑った。

「弁当か。俺を呼びに来たんじゃないんだな」

「・・・・きゅ・・でなくて、楠本さん。お疲れ様です。すみません、お邪魔しました」

 即、撤退すべし。私の脳がそう足に告げていた。

 だけど引き返そうとするより早く、腕を捕まれた。

「何で行こうとすんだよ。ここで弁当食うんだろ、食べていけよ」

 ぎょぎょっ!一瞬でその光景を想像した。いやいやいやいやいやいや・・・。

「・・・いいです、食堂で食べますから」

「遠慮すんなって。今食堂一番こんでるぞ」

 ・・・それもそうだが、きゅうりの前でお弁当なんて食べれっこない。人前で食べること自体結構恥ずかしいのに、なぜきゅうりの前でなんか!!

 呆然とドアを見つめる。

 ああ・・・遠くなってしまった私の楽園。よりによって危険人物と出くわすとは。

 捕まれた腕を恨めしく眺める。

 でもこのままだと、きっと、絶対、確実に、また赤くなってきてしまうんだろう・・・とにかく早く、この腕を解いて貰わねば!!

「判りました、ここで食べますから離してください」

 ため息をついて向き直ると、きゅうりはにっこりと笑った。

 ・・・ああ、この笑顔がムカつく・・・。

 仕方なくいつもの場所に(きゅうりの隣だとは敢えて認識拒否する)座り、弁当の蓋をのろのろと開ける。

「おお〜、美味そう!なあ、これ、一つ貰っていい?」

 答えもまたず、私の可愛いあすぱらベーコン巻きは奪取されてしまった。

「あー!!・・・アスパラ・・・」

 がっかりすると、きゅうりは実に満足そうに笑っている。

 うう・・・気持ちの問題で食べれないのではなく、物理的にお弁当は自分で食べられなさそう・・・全部取られてなくなるのが予想出来る。

 穏やかな昼食は諦めて、ひっかかっていた言葉を確認する。

「あの・・・さっき、俺を呼びに来たって言ってませんでした?電話の予定とか会議とかあるんですか?」

 指先についた油をぺろりと舐めて、きゅうりは苦笑する。

「ああ、違うんだ」

 話を聞こうときゅうりの方を向いたのがいけなかった。

 指先を舐めている口元につい視線が吸い寄せられる。

・・・・すっごい綺麗な口元・・・・歯並びも、形のいい唇も、ついでに長い指も全部。神様が力をいれて作りましたって感じだ。男のくせに・・・。私が同じことしたって、こんな色気は出ないよね・・・。

 つい、自分を卑下する思考に入りかけて頭を振る。

 いかんいかん、自分に自信を持てなくても、せめて自己評価を低くするのは止めようと、就活の間に決めたんだった。

「・・・おーい、トマト」

 呼びかけられてハッとする。

「は、はい?」

「ぼーっとしてんな。聞いてたか?・・・・そんなに見とれるほどだった、俺が指舐めるの?」

 きゅうりがにやりと笑う。

 ボッと音がして、文字通り「顔から火が出た」のが自分でも判った。

「・・・いえいえいえ!見とれてたわけではっ!!お腹が空きすぎて脳が酸欠に!」

  手をぶんぶん振って、イケナイ妄想を打ち砕く。

  きゅうりはニヤニヤ笑って私の慌てぶりを見ていた。

「俺の指、味見する?」

「しません〜っ!!って、何言わせるんですか〜っ!」

 もう、信じられない!からかうにもほどがあるでしょ!

 私は真っ赤になった顔に両手で風を送りながら深呼吸をする。ああああ〜・・・恥かしい。クールな顔してやり返してみたいものだわ、ほんと。どうせ出来ないけどさ。

 くくくく・・・ときゅうりは笑う。

 私は何とか卵焼きを口にいれ、それを噛むことに集中する努力をした。

 暫く無視していたら、だからな、ときゅうりの声が聞こえた。

「今日は青山につきっきりだろ?青山に何かアイデアでも湧いて、俺を探してんのかと思ったんだよ」

 きゅうりは私から視線を外し、壁に背中を預けてため息をついた。

 口をもぐもぐさせながらちらりときゅうりを盗み見る。

 ああそうか。今日中に契約貰ってくるって部長に言ってしまったけど、やっぱり手ごたえがある件があるわけではないんだ・・・。

 口元を結んで眉間にしわをよせ、パソコンと睨めっこしていた青山さんを思い出した。完全に追い詰められてるよなあ・・・。

 食欲がなくなって弁当箱の蓋を閉める。



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