A
きゅうりは体を起こして布団の上に座り、肩にシャツを掛けただけの格好でこちらを見ていた。
・・・気になる。
寝乱れた髪も、あの瞳も、大きな手も、開いたシャツの前から見える素肌も、全部が、こっちにおいで、って言ってるように聞こえる・・・。
もう、超気になる〜・・・。
うわああ〜・・・ヤバイ。私も、エロエロだ。
鉄の意思で後方で壁にもたれて座るきゅうりを見ないようにしていたら、ボソッと呟く声が聞こえた。
「―――――――――・・・俺は男だ」
あん?
「・・・・そうですね。今更なんですか?」
訳わかんない呟きに、フライパンを置いて思わず振り返る。
きゅうりは姿勢を変えずに、そのまま私をじっと見つめた。
「・・・お前、本当に男がわかってねーなあ」
ムカついた。
「すみませんね!どうせ、私は恋愛偏差値がゼロに近いですよ――――――・・」
視界の端でふっと何かが動いたと思ったら、凄い力でひっぱられて、布団に押し倒された。
「にゃあ!?」
私の両手はきゅうりのそれに捕まって、シーツに絡め押し付けられる。体重をかけて乗られ、身動きが取れない。
接触ぎりぎりまでの近さで、きゅうりの顔が真上にあった。その瞳は何かを企んで、きらりと光を放っている。
かなり嬉しそうな表情のまま、目を細めてきゅうりが言った。
「―――――――――男が」
「・・・へ・・?」
体勢と状況を把握して、私の心臓が早鳴りを始めた。きゅうりの両目は輝いて、獲物を狙う猛禽類みたいだった。
これは――――――――・・・もしかして、私ったらヤバイ?
「・・・好きな女を抱くことばっか考えて、何が悪い」
またまた私は全身で熟れ熟れトマトとなり、それをみてきゅうりは大爆笑をした。
「全くお前は面白いなあ!」
「たっ・・・たたたた性質が悪いです!悪すぎます〜!もう早く早く退いて下さい!」
目の前でニヤニヤと笑うきゅうりを見れなくて、私は目をぎゅう〜っと閉じて叫ぶ。神様〜!!たすけて〜!
「離してやるから、言え」
「は、はいっ!?」
なななななな何をでしょうか!きゅうりの唇が頬に降りる。私は既に脳内死亡状態で瞼の裏は一面のピンクの花畑だった。
ちゅっちゅ、と音を立てながら、きゅうりが口付けてくる。
「俺聞いてないんだよな、まだ」
「え」
「好きだって、お前の口から聞いてないんだよな」
ひょえええええええええーっ!!!
嘘嘘嘘っ!そんな、そんな細かい・・・。非常事態に涙まで浮かぶ。これ以上真っ赤になれないのに更にそんなこっ恥かしいことを私が言えるわけないじゃん!
アホかーっ!!
「えええええーと・・・・いえいえ、わ、判ったでしょ?判りますよね、だってだって・・・」
だからこそ、私はあなたに抱かれたわけで。
今こんな体勢になってるわけで。
私の色んなところにキスをするきゅうりの唇を避けようと懸命の努力をしながら私は叫ぶ。
その賢い頭があれば、そんなこと判るでしょおおおお!
「判らない」
「は!?」
「言って」
うわーん!宅配便でも電話でも地震・・・は嫌だけど、とにかく何でもいいから誰か助けて〜!
耳に舌を差し込んで、ついでのようにきゅうりが言葉で何度も責める。
私はしばらくその拷問に耐えた後、目をぎゅう〜っと強く瞑ったままで叫ぶハメになった。
「すすすす、好きやって言ってるやんかーっ!!」
・・・・もういっそ、殺して。
しばらくまた豪快に大爆笑した後で、きゅうりは色っぽく微笑んで私を見下ろした。
「・・・じゃあ、ご褒美、だな」
私は正直に青ざめた・・・・ハズ。だって一気に手が冷たくなったもの。
だけどそれはすぐにきゅうりの手で温められる。
「・・・・あのー、朝ご飯は・・・?」
「俺をくっとけ」
結局朝ご飯は食べさせて貰えずに、彼は時間をかけて丁寧に、私を収穫した。
折角作った朝ごはんはそのままフライパンで冷めていき、あとで、苦笑と共にゴミ箱に片付けられた。
何度も抱かれ、私は体が壊れるのではないかと思った。
昼過ぎの光溢れる部屋の中、きゅうりは見たこともない極上の笑顔で、ああ、美味かった、と笑った。
きゅうりは、私の宝物になった―――――――――――――――――――
*****************
ここからは、後日談だ。
新しい年がきて、最初の出勤日、事務所に入ったら、殆ど全員が私たちが付き合っていることを知っていた。
男性営業のエリート集団が、何と口笛を吹いて拍手ではやし立てたのだ。
勿論私は新年早々全身で茹蛸状態となった。
きゅうりはただ苦笑しただけだった。だけど会社内の至る所で色んな人がおめでとー!と声を掛けるのに、「これで、公認だな。遠慮せずにイチャイチャ出来る」とニヤリと笑い、私を戦々恐々とさせた。
・・・やりそうで、真面目に怖い。
仲間さんが「こういうのは、言いふらしたほうがうまく行くのよ」とピースサインしていたから、犯人が誰だかは、一目瞭然・・・。
保険会社は社員同士の恋愛が多いらしく、公認になったほうが何かと便利らしい。なんせ営業という職業は、ほぼ個人での作業になり、あまり社内恋愛が影響しない孤独な仕事だからであるとか。
支社の水野さんからは早速電話がきて、全てが素晴らしすぎて誰も手を出せなかった北事務所の王子様を、一体どうやって射止めたのかと詳細を求められて困った。
是非、飲み会をしよう!と。
肴になるのはごめんですと正直に返したら、電話の向こうで爆笑された。
・・・・だって、私、マジで何もしてない。ただ、進んでいく恋心に気がつかなくて、追いかけて支配したい男の性を刺激していたらしい、という事しか。どんだけ鈍いんだよ、お前!ってきゅうりにも散々突っ込まれたくらいだ(関西人でないのに生意気な!)
年が明けて松の内が過ぎても、長谷寺様からの解約の申し出はなく、青山さんときゅうりが年始の挨拶に訪れた際、長谷寺様は「娘と保険は関係ない。きっと娘が君らを困らせたのだろう」と笑って一連の事を一蹴して下さったらしい。
青山さんが胸を撫で下ろして喜んでいて、事務としてもほっとした。
そして、もうひとつ。
最後の雪が降った、2月の終わり。
霧島部長から人事の担当者の来所を告げられて行ってみると、何と正社員として契約を更新してくれると言われた。
あなたの評価はかなり高いし、アルバイトにしておくには勿体無いと上司の推薦もあったので、と。
しばらく理解できなくて、あんなに望んだ正社員になれるんだってことに、上手に反応できなかった。
仲間さんたちが盛大にお祝いしてくれて、やっと実感できたくらい。霧島部長にお礼を述べて深深と頭を下げ、振り返るとそれを見ていたらしいきゅうりの優しい瞳に会った。
その祝福と判る笑顔に、心までほっこりしたのだ。泣けるほど嬉しかった。
大学の友達と飲み会をした時にも報告出来て、今度は咲子が私に抱きついて喜んでくれた。
私は自分が誇らしくて飛び跳ねる。いつも唇をかみ締めていた自分の部屋の、小さなテーブルに花を飾って、一人でもお祝いをした。
良かったね、私。
よく頑張ったね、って。
――――――――――春が来た。
日がのびて、まだ明るい夕暮れの街を歩いていた。
隣にはきゅうりが居て、相変わらず格好よく、意地悪されたりからかわれたりは変わらないけど、前よりも頻繁に、あのとろける様な優しい笑顔で見つめてくれる。
私も変わらずおっちょこちょいで、小さなことにもきゃあきゃあ騒いで喜んだり凹んだりするけど、一年前とは確実に笑顔の頻度が違っていた。
季節が一回りして、何と色んなことが変わったのだろう。
優しい風が吹いて、髪を揺らす。
目を細めて桜の花びらが舞うのをみていた。
「ほら、トマト。―――――――おいで」
私を呼ぶ、背の高い男の人を振り返る。
にっこり笑って、きゅうりの手を取った。
トマトときゅうり。終わり。
[ 29/30 ]
←|→
[目次へ]
[しおりを挟む]