番外編 楠本孝明の言い訳

 風が冷たくなってきた晩秋の大会が終わったあと、俺はトマトを連れ出すのに成功した。

 大手の保険会社に営業職で勤める俺は楠本孝明、28歳独身。

 トマトと俺が呼んでいるのはうちの事務所のパート事務員、瀬川千尋23歳独身。

 そのあだ名の由来は赤面症だからで、俺がからかってそう呼ぶたびに、あの子は全身を真っ赤にして怒りに震えている。

 周りは止めるか呆れるかだし、自分でも止めてやれよとたまに思うけど、あの真っ赤な顔で大きな瞳をキラキラさせて敵対心丸出しにする彼女を見るのが好きで、どうにも止められない。

 保険会社には年に数回、大会と呼ばれる行事がある。

 主な内容は成績優秀者の表彰や、支社長の叱咤激励、研修、懇親会とは名ばかりの堅苦しいパーティーだったりする。

 どうやら今回は支社でトップの成績だったのは俺らしく、壇上表彰が決まっていた。それさえなければアポを理由に大会なんて欠席したのにと忌々しく思っていると、トマトが手伝いで借り出されると聞いたから、マトモに出席する気になったのだった。

 仕事は、自分の為にやっている。

 だから表彰なんて必要ないし、ご褒美だって要らない。どうせ褒美を貰ったって、がめつい金融会社はちゃっかりとそれぞれの給料から何割か引き落とすのだ。

 どうせ金払うんだったら自分の好きなものを自分で買う、と是非言いたい。給料明細の7不思議の一つだ。頼んでもないものを会社から押し付けられて、その何割かの金額を給料から取られるってことについて。

 まあいい。

 とにかく、退屈で仕方ない大会に出る気になったのは、トマトが行くと知ったからだ。いかなる言い訳を使っても、彼女を捕まえたい最近の俺だ。

 なぜなら彼女は、ここ何日か、俺を避けている。


 彼女を多少卑怯な手で捕まえて、車に乗せることには成功したけど、機嫌を損ねたらしく、ずっと体を横にむけて窓の外を眺めていた。

「・・・・」

 あーあ、会話になりゃしねーよ・・・。

 うんざりしてハンドルを握る。

 人よりは生まれつき外見の良いらしい俺は、マトモに対応してくれる女性が非常に少ない。

 赤面症でよくどもりはするが、それは俺だけのせいではなく誰にでも、だし、トマトは常識的に、真っ直ぐに俺に接してくれる。それが有難くて、最初は嬉しかったんだった。

 好意を全面的に押し出して、あの手この手で突進してくる女に疲れていた俺にはちょっと新鮮な生き物だった。本当に用事がないと話しかけてこないとか、面倒臭い仕事を頼んだら、面倒臭そうなうんざりした顔を出してしまって、慌てて取り繕う正直さが。

 仕事中とは思えない派手なメイクと色気を出した服装で、向こうから仕事を私に下さいと言ってくる事務員が多かったので、その普通の反応が気持ちよかった。そうだよな、やっぱりその仕事は面倒くさいよな、って。じっと見ていたら、でも仕事だから!と顔に書いて、自分で気合を入れて一生懸命やりだし、俺が見ていることに気付いてまた真っ赤になっていた。

・・・・何だこの子。おもしろい・・・。


 その、実にからかいがいのあるトマトが、ここ最近ハッキリと俺を避けている。何せ保全を主にしている事務員だし、直接話しが出来ないと仕事上も面倒この上ない。

 だけど相手が全力で俺から逃げていることが判っていたから、ずっとイライラしていたのだ。

 ・・・・何だよ、俺そんな酷いこと言ったっけ?

 思いつくことは両手では足りないが、いつもは頑張ってスルーしているトマトが一体何を気にして俺を避けているのかが判らない。

 それで、今日大会を利用して午後は半休を取っていた俺は、彼女を連れ去ることに成功したわけだ。・・・ここまでは、成功。

 あとは、ちゃんと会話になりさえすれば―――――――

「お、あそこにファミレスみたいなの発見。入るぞ」

 車をパスタ屋かなんかの無駄に広い駐車場に入れる。お昼を食べてないって話だったので、食事で懐柔作戦だ。

 おずおずと車から出て相変わらず下を向いていた。店のドアを開けて待っていたら、慌ててやってきた。

 通り過ぎる時、トマトの髪の毛からいい匂いがして一瞬目を瞬いた。

 ・・・何か、優しい香りがした・・・。

 頭を振って、後に続く。店は混んでいたようで、窓際のカウンターで横に並んで座ることになった。

 ちぇっ・・・。これじゃあ真っ赤に染まるトマトを正面から見て遊べない。

 トイレに立ったトマトを待つ間、ぼーっと窓の外を見ていた。店の喧騒が遠のく。

 ・・・・トマトがそばにいると、いつもは前後2週間の間のアポやら保全の手続きやら書類の作成やらで占められている俺の頭は空っぽになるみたいだ。

 ・・・・くつろぐ、と言うのか。

 ここ何年かなかった心のざわめきを感じている。

 こんなこと言ったら、同期で事務長の仲間に笑われるだろう。あの恐ろしい女に。外見は極上の美人なのに、性格が怖い。あいつにバレたら、多分大変なことになる。絶対に秘密にしとかなきゃ―――――・・・

 物思いに沈んでいたら、トマトが帰ってきた。長い髪を後ろでくくってうなじを出している。

 その首筋に視線が吸い寄せられて困った。

「・・・大会、どうだった?」

 居心地悪そうにしている彼女を助けるために取り合えずと質問をとばした。トマトは事務員のパートなので、大会に出ることはない。初めての経験だったはずだ。あの、異様な雰囲気の保険会社の大会。

 トマトは軽く頷いて、喋りだした。

「ずっと受付にいましたので、見れてないんです。あ、でもうちの事務所が呼ばれたのが聞こえた時は、興奮しました」

思わず笑ってしまった。そんな返答は予想してなかった。

「興奮?」

「はい。おおーって思って。覗きにいきたかったです」

 嬉しそうに喋っている。・・・へえ、そんなもんかな。表彰なんて、大したことだと思ったことがなかった。自分の事務所が上位の成績を取っていれば、嬉しいというよりは、これで部長の機嫌がしばらくは良いな、と思うくらいで。

 トマトは他にも感想を述べていたけど、急にハッとしたように隣の俺を見て、大きな瞳を更に大きく見開いて叫んだ。

「あー!そうだ、アンケート」

「ん?」

・・・びっくりした。

「楠本さんにアンケートに答えて頂きたいんです。食べてからでいいので、お願いできますか?」

 トマトが笑顔になってまくしたてた。

 ・・・アンケート?事務員の間でこそこそと回してるアレの事かな?何回か、営業の中で噂になってる謎の紙。ついに俺の番だってわけ?

 何だってよかった。

 久しぶりに見れたトマトの笑顔に気持ちが上がっていた。

 真っ赤になって膨れているのも楽しいけど、やっぱり笑ってるほうがいい。

「・・・おお、いいけど。久しぶりにトマトの笑った顔みたなー」

答えると、トマトは固まって真顔になった。

「いつも下向いてるか怒ってるか真っ赤で逃げるかどれかだよな。最近、事務所でも笑ってるの見たことないし」

 これはチャンスだ。ついでに避けられている理由も聞けるかも。俺は更に続けて言う。

「俺そんな嫌われたかなって思ってた。いつも俺と話す時、不機嫌そうだし。視線も合わせないようにしてただろ」

 トマトの口元が引きつっている。目は泳いで色んなところをみていた。

「え・・・えーっと、そんなつもりでは・・なかったんですが・・・」

 ・・・動揺しすぎだろ。

 俺は面白くなってきて、つい言い募る。

「手が当たっただけでも引かれたし」

トマトは下を向いた。

「仕事頼みにいくと電話か外出かメモ書きかだし」

次は目をぐっと閉じている。

「連れまわしたのは悪かったけど、さっきまでも体ごと他所向いてたし」

漫画だったら、汗をたらたら垂らした絵が描かれるような表情で、しどろもどろに話しだした。

「あの・・・すみません・・えっと・・」

 ダメだ。面白すぎる。

 俺は噴出してしまわないように、両腕をテーブルにおいてその上に顔を埋めた。

「・・・俺、傷ついた」

 トドメの一言。さて、トマトはどう出るかな―――――――

「くっ楠本さん、あの、本当にすみません、でも決して嫌だからとかでは・・・」

きっと真っ赤になっているんだろう。それはそれは真っ赤に。一生懸命弁解し始めた彼女の口調がツボに入ってしまって、俺は辛抱ならず噴出してしまった。

 チラリとトマトを見ると、真っ赤になったまま唖然としている。

 所構わず大爆笑してしまった。こんなに笑ったのは本当久しぶりだ。涙ぐんで笑う俺の隣では、トマトが熟成状態で目には殺意を宿らせて固まっていた。

 我慢なんて出来ない。悪いけど、無理。腹を抱えて笑っていた。

 案外芯の強いトマトは出て行ってしまうかもと思ったけど、その時タイミングよく注文した料理が運ばれてきて何とか帰るのはやめてくれたらしい。

 キッと一度俺を強く睨み、一言も喋らないでガツガツと食べだした。

 いい食いっぷりだった。

 俺の前では鳥みたいにサラダをちょっとつつく、みたいな女が多かったから、正直トマトの食欲には驚いたけど、気持ち良かった。一緒に食事をする相手には、美味しいと言いながらたくさん食べてくれる人のほうがいい。

 女性と一緒に食事して楽しんだのは久しぶりだ。仲間や、大学時代からの女友達で飲兵衛のまるで男みたいなヤツがいるけど、その二人以外でははじめてかも・・・。

 怒ってるままの顔で俺の分まで横取りしたのには笑ってしまった。

 ほんと、楽しい子だ。


 ふう、と一息ついて、やっと機嫌の直った顔で満足そうに水を飲んでいた。

 俺も自分の分を片付けて、トマトをちらりと見る。

 楽しいこの時間を引き延ばすのに丁度いい案件を、さっき彼女から出してくれていた。早速利用しなければ。

「で?何かさっき言ってたな、アンケートって何?」

「あ、それです、それ!」

 ハッとしたように頷いて鞄を漁っている。この後時間があるか、と聞くから、今日はもう休みなんだと答えた。

 受け取った一枚の紙をじっくりと眺める。

1、名前
2、好きな食べ物は?
3、好きな場所は?
4、彼女はいますか?
5、自由時間は・・・・

 何だ、この中学生の卒業アルバムにのせてるみたいなアンケートは??

 俺はちょっと呆れた。噂の謎のアンケートって、これのことか?内容が薄いぞ。これだったら保険会社がお客さんに書いてもらうアンケートと何ら変わりがねえじゃねーかよ。

 ・・・まあ、会社は既婚か未婚か聞くことはあっても、彼女はいますか?とは聞かないか。

「・・・何だか、凄くプライベートなアンケートだな、これ」

俺が言うと、トマトはちょっと困った顔をした。

「・・・答えるの、嫌なところはいいですよ」

「うーん・・・別に嫌ってわけではないけど。大体これ、何のアンケート?」

知ってはいたが、いたずら心にまた火がついてトマトに聞く。

 ますます困った顔をした彼女が可愛かった。

「えーと。深い意味はないと思いますが・・・」

「深い意味がない?意味ないアンケートに個人情報書くのか?」

「・・・いえ、えーと、ですね・・・」

 これ以上突っ込むのはやめとこう。じゃあもういいです、て言われたらこの楽しい時間が終わってしまう。

 俺は肩をすくめて、答えだした。名前、楠本孝明。トマトはまた慌ててペンを取り出し、急いで記入していく。

 彼女の几帳面そうな細い文字がアンケート用紙を埋めていった。

 色々細かく聞き返されたりこちらからも押したり引いたりの言葉遊びをしていて、とても楽しかった。

 トマトはからからと明るく笑っていた。くくっていたのをといた髪が揺れるたびに花のような香りがした。

 関西出身らしいトマトの言葉は柔らかく、それだけで面白かったりする。俺は耳の中で何度もそのイントネーションを転がしていた。

 一度だけ、トマトが緊張して質問した。

「・・・彼女、いますか?」

彼女は下を向いている。俺はぱっぱと答えた。

「ここ長いこと、居ない」

一番最後の彼女なんて思い出したくもない。大変疲れる相手だった。それで、仕事が忙しくなったのもあって、俺は当分彼女は作らないと決めたんだった。

 それももう、3年前の話だ。

 心なしか、トマトがほっとしたように見えた。小さく息を吐く彼女をみていたら、つい言ってしまった。

「好きな子は居る」

トマトの肩が一度びくっと上がった。そして顔を上げて俺をみて、小さく聞いた。

「・・・楠本さん、好きな女の人いるんですか?」

「俺が男を好きになると思ってんの?」

またからかいたくなって、敢えて外した答え方をした。トマトが聞きたいのはこんな返答じゃないんだろう。

 だけど、そう簡単には教えてやらない。

 がっくりと肩を落としてトマトが疲れた表情でテーブルに肘をつく。

「・・・いや、思わないですけどお〜・・・」

「俺に好きな子がいるの、変?」

普通に聞き返すと、彼女はちょっと首をかしげて答えた。

「・・・・変じゃないですけど、ちょっと意外です。楠本さんなら、ぐいぐい押しまくって速攻で彼女にしてしまいそうですけど。片思いとか、物凄く似合わないような・・・」

・・・へえ。そんな風に思ってたのか。

「ふーん。こう見えても俺ってば結構繊細なんだけどもね・・・。ぐいぐいとね。いってもいいならやるんだけどね」

軽くジャブを入れてみた。でも結果は期待できない。なんせ、相手はあのトマトだ。

「へ?」

・・・ほらな。

「いや、こっちの話。はい、次は?」

さらりと手を振ったら微妙な顔をしていたけど、あっさりと次の質問にうつる。・・・そこは、是非突っ込んで欲しいところだったんだけどな。やっぱりこいつは鈍いな。

 苦笑する。

 でももう少し楽しみたい。

 こんな感覚は久しぶりだから、じっくりと行きたかった。

 俺にとっても久しぶりなんだ、よく見極める必要がある。

 夕日が店に差し込む時間までそこにいた。

 抵抗するトマトをねじ伏せて会計を済ませてしまったら、次は楠本さんの分まで食べたのに〜と痛そうな顔をしていた。

 遠慮するトマトを車で連れ去る。家まで送ると言ったら、本気でビックリしていた。他の女なら喜びそうなことを、この子は一々新鮮な反応をして、常識的に断ろうと努力している。

 気になっている子の住所を聞き出すチャンスを俺が逃がすはずがないだろ、心の中で呟く。何だって、利用してやる。

 今はまだ、俺は年上の営業さんて立場だ。

 それをもう少し親密に近づけたい。

 トマトは隣に座って両手をじっとみていた。

 隣が気になって運転するのが困難なんて、滅多にない経験だ。前を見てなきゃいけない立場を利用して、視線は前を見たままでいきなり片手でトマトの手を握った。

「うにゃあ!?」

・・・・何だ、そのぐっとくる反応は。

 口元が緩みそうになるのを押さえて、何でもないことみたいに返すのに苦労した。

「猫か、お前は。冷たい手だなー」

「くっ・・・楠本さん!?あの・・・手が・・」

わたわたする彼女を見てみたい。その誘惑は強くて、思わず隣を見てしまうところだった。

「手が?」

「・・・えーと・・」

笑ってはいけない、笑ってはいけない。頭の中で繰り返す。

 困っている気配を感じる。きっとまた真っ赤になっているんだろう。

「寒いのかなと思って」

 仕方なく、彼女の手を離す。あーあ、もうちょっと握ってたかった・・・。

 ヒーターを上げなくても俺の体の温度は上がってる。だけどそれを知られてはならない。


 今は、まだ。




 番外編終わり。楠本目線での一場面でした。

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