B



「昨日のこと。――――お前、風邪引いたって聞いたけど、大丈夫か?」

「・・・はい。1日寝て、熱も下がりましたので」

「ん、良かった」

 間が空いた。部屋の真ん中で止まって座り、こちらを見詰めるきゅうりを感じて、胸もとで握りしめている毛布に意識を集中する。

 ・・・―――仲間さんたら仲間さんたら仲間さんたらーっ!!昼間は怒ってるみたいだったのに、何でこんな事に――――――――

「あ」

「え?」

 思わず顔を上げてきゅうりと視線があい、また慌てて下を向いた。

「・・・仲間さんに、何か言われました?」

 するときゅうりはうんざりしたように天井を見上げ、首の後ろをさすった。

「・・・殴られた」

「・・・はい!?」

 何だと!?私はつい驚いてきゅうりを真っ直ぐに見詰める。殴られた!?怒られた、ではなくて!?

「いきなり給湯室まで来てってすごい剣幕でやってきて、ついていくと、ビンタされた」

「―――――――――――」

 ひょえー!!!

 まだ何の事情もわからない内に、何という行動力だろう。色んな意味で、怖い女性だ!

 仲間さんが知っていたのは、私の風邪と元気のなさの原因がきゅうりかもってことだけ。

 それでいきなり殴るって、凄い・・・。

 私が口をあけっぱなしでバカみたいにきゅうりを見ていると、彼は続けて話す。

「こっちが呆然としてたら、瀬川さんに何したの、って詰め寄られて―――」

「・・・話したんですか、あの、昨日の事!?」

「そう」

 ひょええええええー!!何てことだ!・・・ああ、駄目、もう恥ずかしくて仲間さんとは顔を合わせられない・・・(彼女は喜びそうだけど)。

 私が心の中で絶叫して一人で動揺している間もきゅうりは淡々と話す。

「お前を連れてって、お客さんに彼女だって紹介したって言ったら般若みたいになって罵られたけど、その・・・その後の事になったら今度は褒められた」

「・・・はい?」

 流石に照れくさそうな顔して、きゅうりがそっぽ向く。

 その後のこと。・・・それは、まさか。

「・・・で、仲間が嬉しそうな顔になって、何て面倒臭い人たちなのって、言って――――ここに居るんだ」

 ・・・いやいやいや、省きすぎでしょ。

「・・・あのー。ちっとも判りません」

「とにかく、ちゃんと話をしなさいって連れてこられたんだ。・・・まあ、一人でも来ようと思ってたからいいんだけどな」

 最後のセリフを聞いて恐れおののいた。

 もし、そうなっていたら・・・私、きゅうりを拒否出来ただろうか・・・。

 ま、今すでに部屋の中にいるんだから、考えても仕方ないよね。

 きゅうりの視線を感じる。

 私の避難所の中まで・・・。どうしよう、これ以上逃げ場がない・・・。私は毛布に包まれて、膝に顔を埋める格好で、座り込んでいた。


「昨日」

 息を吸い込む音がして、きゅうりが静かに話しだした。思わず体を縮める。

「・・・俺は、説明もせずに連れて行って、振り回した。混乱させて悪かったと思ってる」

「・・・それは・・もういいです・・」

 何とか搾り出した私の言葉は無視して、きゅうりは続ける。

「言葉が足りてなかったんだ。俺は判ってるつもりでいたから、ちゃんと言葉にしなかった」

 ・・・何を判ってるつもりだったんだろう。顔を上げれなくて、きゅうりの言葉を拾おうと耳に意識が集中する。

「・・・・長谷寺さんから逃げる為の口実だったんじゃない。瀬川と、付き合いたいと思っていた」

 思わず、顔を上げた。


 真面目な顔したきゅうりが、そこに居た。


 からかってる感じではなかった。真剣な黒目が、真っ直ぐ私をみていた。

「・・・長谷寺さんと、青山に宣言をして、それからちゃんと言うつもりだったんだ」

 きゅうりの口元が少し微笑んだ。

「お前が好きだと」

 カーンと、言葉が頭に突き刺さる。私はちょっとばかりパニックをおこしてしまって、そしてつい、言葉をこぼす。

「・・・でも?」

 きゅうりがため息をついた。

「青山がお前を抱きしめて、キスをしたって聞いて、カッときた。・・・お前から告白が嬉しかったと聞いて、嫉妬した。俺は・・・遅かったのかと」

「――――――――――」

「それで、車に戻った時、凍えて顔色もなくした瀬川をみて――――――我慢できなかったんだ。すぐにでも、温めないとと思って」

 意識の全てが、きゅうりに集中する。この世の中に、ふたりしか居ないような感覚だった。

 さっきの言葉はちゃんと聞こえていた。

 だけど、まだ実感がなく私は目を見開いているだけだった。

 だってだって、まさか、そんな。


 きゅうりが・・・・・私を―――――――――――――



「俺は、お前が欲しい」

「・・・・は・・」

「お前が俺を好きなのは判ってる」

「へ?」

 うん?何だって?!と思って変な声を出したら、きゅうりが口の端を持ち上げて、にやりと笑った。

 いつもの、私をおちょくって遊んでいる時の顔だった。

「バレてないとでも思ったのか、トマト?」


 ・・・・な。なななななな・・・

 ―――――――何だってんだああああああ〜!!!?

 何なのよこの俺様男は!?上から目線だっつーの!

 全身の血が顔に向かって猛然とダッシュしたのを感じた。私は真っ赤になって、つい身を乗り出す。

「わっ・・・わわわわ私は!!別に・・・」

 毛布を握り締めて必死で言葉を繋ごうとする私を見て、きゅうりはくくくく・・と笑った。

 目を細めて、口元を緩ませて。

「色々可愛いかったけどなー」

「かっ・・・?!」

 可愛いという言葉が耳に引っ掛かって、また赤くなる。

 あぁ・・・駄目。完全にキャパオーバーだわ・・・。

 きゅうりが指をネクタイに引っ掛けて音を立てて緩めた。そのシュルって音に、私の心は震える。

「・・・俺にしとけよ、千尋」

 あたしの足元に両手を置いて、近づいてくる。

 名前を呼ばれたことに驚く余裕もなかった。

「ちょっ・・・く、楠本さん、あの―――――――近いです!!」

 背中は既に壁についているから、もうこれ以上下がれない。

 きゅうりは綺麗な顔を更に近づけて、低い声で言った。

「・・・俺は暇じゃねーんだ。契約だって一発で貰う。返事は今すぐにしろよ、はい、か、いいえ、かどっちかだ。――――――俺のものになれ」

 ものって・・・ええっと・・・それは・・・。

 切れ長の黒い瞳が私を真っ直ぐに見ている。 

 嬉しいとか恥ずかしいとか他にも色んな感情が混じって、もう何が何だか判らない。体中を赤くして、あたしは固まっていた。

 だって、目の前にはあの綺麗な顔が。

 どんどん近づいてくるきゅうりの瞳を見ることが出来なくて、ついに瞼を閉じた。

 きゅうりの唇が重なる瞬間―――――――――――

「・・・・・はい・・」

 と小さく呟いた。



 包まっていた毛布はいつの間にかどこかへ行ってしまっていて、私はきゅうりの腕の中。

 キスを何回もして、きゅうりは笑う。

 唇に、頬に、瞼に耳に、彼は柔らかい唇を這わせてはハスキーな声を私に優しく浴びせる。

 私の小さな部屋の中、今夜は聖なるクリスマスナイト。

 ああ、神様。

 私は、今、こんな大変なことになってます。

 何が何だか判らないけど、どうしても視界がユラユラと揺れるんです。

 ちゃんと見たいのに、きゅうりの顔を。

 私を見る、あの人の笑顔を――――――――――


 これからの予感に震えて、私はただ赤く染まる。

 絡め取られた指や手のひらに感じる温度、それは何て素敵な温かさだろうか。

 私は今、恋の海に飛び込んで・・・・。





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