A

 見上げると、きゅうりがいた。

 きゅうりは喜多川さんに片手を上げると私を引っ張って歩き出す。

「へ?ええ?」

 何が何だ!?私はおたおたと引っ張られながらついていく。ちょっとちょっと〜?

 パニくる私を無視して腕を掴み、きゅうりは人ごみの中をぐいぐい進んでいく。途中で他の事務所の営業達に、挨拶や今日の壇上表彰のお祝いを受けていた。

「楠本さん、お疲れ様です」

「おう、稲葉。お疲れさん」

 人波の中を突き進んでいたきゅうりがいきなり立ち止まって、私は見事にその背中に顔を突っ込んだ。

 ぶっ・・・。痛い〜・・・。空いてる片手で鼻を押さえながら顔を上げて、固まった。

 つい、あ、と小声で零してしまった。・・・・中央の稲葉だ、この人。さっき散々噂を聞いた――――――――

 きゅうりとそう身長も変わらない大きな男性がキラキラとオーラを放ちながら前に立って笑っていた。

 噂の美男子。本物見ちゃった・・・。

 ・・・確か〜に、垂れ目だなあ〜。洋風・・・というか、可愛い顔だ。マジマジと見詰める。

 ふと私に気付いた「中央の稲葉」がにっこりと微笑んだ。

「お疲れ様です」

「あっ・・・お、お疲れ、様で、す・・・」

 いきなりの事に驚いて、噛みまくってしまった。私の腕を掴むきゅうりがそれを見てニヤニヤ笑っていた。

「悪い、稲葉。今急ぐからまたな」

「あ、また連絡します。平林が飲みに行こうって言ってましたよ」

「おう、体あけるから誘ってくれ」

 言いながらまた歩き出すきゅうりに引きずられて私も歩く。振り返って会釈をしたら、中央の稲葉は何やら面白そうな顔をして手を振っていた。

 ・・・な、何だろ・・・あの笑顔。うん?ま、まあ。それよりはちょっと、先にこっち――――――

「いった・・・痛いです、楠本さん!ちょっと、聞いてますか?!」

「悪い、トマト。後で説明する」

「はい?今・・・今お願いします!私もう帰るところですから!」

「あ、いたいた」

 へ??と思って、書き分けていく人ごみの前方に目を凝らすと、二つの人影を発見した。

 何と、いつかの長谷寺様のお嬢さんと、青山さんだった。

「必ず後で説明するから、お前、黙っといて。頼む」

 珍しく真剣な顔できゅうりが呟く。深く考えもせず、つい「はい」と答えてしまった。

「お待たせしました」

「あ、楠本さーん!もう、待ったよ〜本当に・・・」

 パッとこちらを振り向いて笑顔になった彼女は、きゅうりと一緒にくる私の姿をみて目を丸くした。

「あら、この間の事務員さん?」

「あ、はい。こんにちは、長谷寺様」

 どうしてこんなところにこの人がいるのかとか、一体私は何のためにここに連れてこられたのか、とか色んな疑問が頭の中で渦巻いてたけど、とりあえず、挨拶だけは自然に出来た。

「すみません、この瀬川に呼ばれてたんですが、やっぱり会議があるそうなので、私はこのまま会社に戻ります。お話は、担当の青山がきっちり伺いますから」

 きゅうりが真面目な顔で、訳わかんないことをすらすら話している。

 会議?私が何だって?ってか、だから一体なぜこのお嬢さんはここにいるの?

「青山、長谷寺様が保険のご要望があるそうだから、しっかりお相手して差し上げて」

 長谷寺様ときゅうりの顔を交互にみていた青山さんは、一瞬にやりと笑って、大きく頷いた。

「はい、お任せください」

 とたんに膨れ面になったお嬢さんが、きゅうりの背広の端を掴んだ。

「えー!?折角ここまできたのに。それに、私は楠本さんに担当して貰いたいんだってば。新しい保険は楠本さんが担当してくれたらいいと思って・・」

 柔らかく微笑んで、自分の背広から彼女の手を離したきゅうりが言った。

「何度もいいますが、担当は替えられないんです。元々私の担当地区ではありませんし、越権行為は禁止されています。それでは、後のことは青山とお話下さい」

 失礼します、と彼女に頭をさげ、頼んだぞ、と青山さんに声をかけたきゅうりはさっさと身を翻して行ってしまう。

 ・・・・・・・えーっと??

 物事の進行についていけずにそのままきゅうりの背中を目で追っていた私に、かなり距離を進んだきゅうりが振り返って、手でおいでおいでをした。

 いきなり機嫌の悪くなったお嬢さんと、いきいきと嬉しそうな青山さんに別れを告げて、私は仕方なくきゅうりの後を追う。

「えーっと・・・何で、私はきゅうりを追う羽目に・・?」

 ここ最近マトモに喋ってない相手の背中を追うこの不思議は、本人に説明して貰うしかない。

 私に判ったことは、きゅうりが長谷寺様のおじょうさんに冷たかった、ということだけ。

 口調は丁寧、顔には笑みを浮かべていたけど、慇懃無礼というか、とても冷たく高い壁を感じさせる言い方だった。

 あれが・・・拒絶というやつか・・・。

 私は勿論、誰かにあんな風に接せられたことはない。だけどあれが好意をもっている相手からだったら、相当傷つくだろうなあ・・・とぼんやり彼女に同情までしてしまった。

 駐車場まで誘導されて、やっときゅうりに追いついた。

「楠本さん!どこ行くんですか?!」

 まったく、足が長いってのは・・・とやっかみ半分で恨めしげにきゅうりの足を睨む。ちょっとはペース落として歩いてよ・・・追いつくだけで、息が上がるったら!

「お前、ご飯食べた?」

「・・・はい?」

「まだだったら付き合えよ。とりあえず、乗って」

 何というタイプかすらも判らない、車体の低い、やたらとスピードの出そうな車のドアを開けて、きゅうりが言う。

「・・・・いえ、あのですね」

「早く乗れよ。返事はハイ、だろ」

 かっちーん。何なのよ、この俺様。流石に私でもムッとくるがな!

「・・・・・・・・嫌です」

「ん?」

 くるりと振り返ったきゅうりの前で、震えそうになる足で何とかたっていた。

「説明するって言ったじゃないですか。それまで乗りません」

「あー・・・」

 艶のある黒髪をかきあげて、きゅうりは少し眉間にしわを寄せた。

「・・・判った。でも今から帰るやつらで駐車場は混むし、取り敢えず乗ってくれないか?中で話すから」

 確かに、大会が終わってぞろぞろと出てくる営業や役員達で、駐車場は混雑し始めていた。

 私が今突っ立ってる場所では確実に轢かれる、と判ったので、しぶしぶ言うとおりにする。

 内装にベージュと黒を使ったスタイリッシュな車内におずおずと収まった。

 きゅうりが運転席に収まり、深くため息をついた。

「説明して下さい」

 ちらりと横目でこちらをみて、嫌そうな顔で話しだした。

「・・・あの子から逃げてた」

「あの子?――――――長谷寺様ですか?」

「そう。担当者は青山だって言っても、何のかんのと理由をつけては会いにくるんだ。お客様だし、要望があるのに会わないわけにはいかない。クレームになったって面倒臭い。だからしばらくビジネスライクに相手をしてみたんだ。商売以外で興味はない、と色んな手で伝えたはずだった。・・・でも諦めてくれないらしい」

 目を閉じて、椅子に深くもたれ掛ったきゅうりをみつめる。

 ・・・・ビジネスライク・・・・って、さっきみたいなの?あれを何回もされても、やっぱりグングン来るんだ・・。ちょっと、それが出来るのが羨ましいかも・・・。

 それにしても、営業って大変だなあ・・・。うーん、考えさせられる・・・。

 きゅうりの様子に力を借りて、思い切って言葉にしてみた。

「・・・あの、楠本さんは、彼女をどう思ってるんですか?」

 目をあけて、こちらを見た。ちょっと口角が上がって、苦笑の表情になる。

「お客さんだ。それ以上でも、それ以下でもない。それに厳密にいえば、俺の客ではないんだしな」

 そうだよね、厳密に言えば、担当の青山さんのお客さんだもんね。あの2件の契約の成績は、きゅうりと青山さんで折半したわけではない。

 所謂タダ働きで、そのお客さんに気に入られて追っかけまでされてんのか、と思うとやっぱり気の毒だよね・・。

 きゅうりが彼女のことを何とも思ってないと判ると、自分でもヤバイだろ〜と思うくらいにテンションがアップしたのが判った。

 ・・・・ゲンキンな私・・・・。

「あの方、可愛いじゃないですか」

 意地悪心で言ってみる。

「・・・俺の好みじゃねーな」

 ではでは。あなたの好みはどんな人?!・・・とここで聞けるくらいなら、私の人生はもっとうまくいってた筈だよね、と何も突っ込めない自分に凹む。

 ・・・あーあ、私ったら・・・。

 勝手に凹む私には気付かずに、きゅうりは続けて言った。

「・・で、何でか今日ここで大会あることを知って、また保険の話がありますって来てたんだよ。プライベートでは会わないって前に断ったから、仕事に絡めたら断れないと思ったんだろう」

「…はあ、凄いですね」

「うん、流石に驚いた。でも喜多川さんと歩くトマトをみつけた時に、あの子もお前が事務なのは知ってるし、会社で会議かなんかあることにしちまおうって思ったんだ。それで、捕まえにいった」

 ―――――はい、捕まりました。確かに。・・・超強引でしたけど。

 つかまれた腕の感触を思い出して腕をさすりそうになる。寸前で気付いて何とかせずには済んだ。

 身を起こして、自分でくしゃくしゃにした髪を整えながら、きゅうりが笑った。

「無事に逃げられた。ありがとさん」

 とたんに呼吸がしにくくなる。

 ううう・・・・この笑顔をみてちゃいけない。

 早く帰ろう。自分の部屋へ。

 胸が痛くなって、きゅうっとする。涙が浮かびそうになるのを気付かれないように下を向いたけど、声は頑張って明るい声を出した。

「判りました。でももうお役ごめんですね、私、帰り――――――」

 カチっと音がして、ドアがロックされた。思わず横をみると、きゅうりが片手でベルトを締めながらエンジンをかけている。

「だから、ご飯だって。いくぞ」

「へ?」

「ベルトしろよ」

 え?・・・ええ!?

 呆然としている間に、きゅうりはさっさと車を動かしてしまう。慌ててとにかくシートベルトをつけた。

「まままま待って下さい!私帰るんですけど」

「昼、もう済んだのか?」

「・・・まだですが、一人で食べます。楠本さんまだお仕事でしょう?どうぞここでおろして下さい」

「駄目」

 だ、駄目?駄目って何よ、駄目ってーっ!!

 むきーっ!!久々の怒りに目の前がチカチカする。こちらの決意を簡単に揺るがしてしまうんだから!私の意思はどこにいったのよ〜!

 これだからもう!身勝手でワガママなエリートは〜っ!!

「何くいたい?」

「・・・・」

 ああ〜・・・こちらはエネルギーを消耗するばかり。涼しい顔して運転しているきゅうりをみていると、相手にしても無駄だと悟る。

 結局私はこの車から逃げられないし、口でも力でも勝てないんだろう。

 ・・・頭の出来も違うし。うううう・・・。せめてドギマギして赤くならないようにと、反対側を向いて窓の外を注視することにした。



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