B
思わず聞くと、彼は綺麗な顔を機嫌が悪そうに歪めた。
「そうかもな。でもその俺だったら、お前とここにはいねーだろ。その由佳って彼女といちゃついてるはずだ」
ぐさ。
そりゃそうだって、判ってるけど・・・。
彼女である由佳とは、葉月タケルは確かにいちゃいちゃしている。少女コミックなんだから当たり前なんだけど、濡れ場は必ず毎回ある。言い方は悪いがそれが売りの少女コミックって分野なのだ。
あたしはアシスタントとして仕事するにあたって、そこだけが辛いのだ。だって、毎回、毎かーい、好みの男が目の前で(って、違うけど)他の女を抱いてるのだぞ。仕方ないとは言え、ヒロインの由佳とラブラブなタケルに確かにムカつく時だってあるのだった。
何が悲しくて濡れ場で汗をかくタケルの髪に墨を入れなきゃなんねーんだ、とまでは思わないにしても。まあ、仕事だし。大切な仕事だし。
うう〜っと悔しく唸ったあたしの前で箸を休めることなく食べ続けたタケルは、手をまたあわせてご馳走様でした、と言った。
その礼儀正しさはやたらと偉そうな態度とのギャップがあり、私は少し嬉しくなる。
「・・・お粗末さまでした」
小さく答えると、うん、と笑って自分から食器を持って立ち上がった。そして流しにそれを運び、あたしを振り返る。
「・・・お前、食べないの?」
え、と一瞬詰まる。おばあちゃんが居なくなって以来、誰かにこんな声掛けしてもらったのは久しぶりだった。
「あ・・・朝はいつも食べないから・・」
あたしがそう答えると、彼は少し首をかしげつつじっとこちらを見た。
「ご飯は抜くなよ。だから、つくべきところに肉がねーんだよ」
視線が注がれているのがあたしの胸とお尻だと判って、真っ赤になった。
「どうせ痩せっぽちよ!ちっ・・朝食は関係ないわよ!」
何だよこの男〜!!その顔で、あたしのタケル様の顔で、普通の男みたいなこと言うの止めてよおおお〜!!
あああ・・・ショックが大きい。そのキラキラの外見で全然優しくないし、意地悪な微笑みばっかだし、第一この部屋に男がいることが既に異常な状態じゃないの!
怒りとショックで赤くなったり青くなったりしているあたしを見て、彼は楽しそうな表情をする。
「・・・不満そうだな。俺が優しくない、とか思ってるんだろう」
なら、と声を出しながら近づいてきたから、あたしは飛び上がって部屋の隅に逃げた。
だけど彼はぐんぐん近づいてきて、あたしを追い詰める。
「なななっ何よ!」
ビビリまくりながらも声も唇も尖らせて抗議したら、うっすらと微笑んだままの顔を近づけて、タケルは低い声で囁いた。
「――――――コーヒー、飲む?」
「へ??」
こっ・・・コーヒー・・・ですか?コーヒーって、あの、カフェインたっぷりの黒い飲み物の、コーヒーのこと?
壁に張り付いたままのあたしは急な問いかけについていけず、ただ瞬きを繰り返す。
「淹れてやるよ。砂糖とミルクはどれくらい?」
「・・・」
「お前は、返事が一々遅いな」
その呆れたような声に、更にあたしの声が棘棘しくなった。
「あっあっ、あなたは一々近づくの止めてくれる?!もういいから早くどいて〜!」
ふん、と小さく聞こえて、彼がするりと離れた。あたしはようやく呼吸が出来るようになる。
シンクに腰でもたれかかって、タケルがまた聞いた。
「で?コーヒー、飲むの飲まないの」
彼の方をどうにか見ないようにしながら、あたしはそろそろとテーブルに着いた。とにかく、まだ聞きたいこともあるし、落ち着かないと。
「頂きます・・・」
「ん。砂糖とミルク?」
「砂糖は1杯半、ミルクなしで」
つい視線を彼にむけるとタケルはそれはそれは綺麗な笑顔で頷いて、やかんを火に掛けるために向き直った。
その笑顔にやられ、あたしは動けないでいる。
・・・・・・きゃあ〜・・・・めちゃめちゃ綺麗な笑顔・・・。さすが、先生のイラスト出身・・・。
そこでやっと気付いたのは、まだ自分がパジャマだってこと。これでは心理的にすでに負けてる気がする。あたしは立ち上がって着替えに行った。
何を着るかで散々悩んだ末にさっきまでパジャマ姿を見せていたのにバカじゃないの、と自分に突っ込んで、いつも通りの格好に着替えて戻ると、コーヒーのいい匂いで台所の空気が柔らかくなっていた。
春の朝の光りの中でシンクにもたれてコーヒーを飲む男を、つい入口からぼーっと見詰める。
・・・ダメだ。マジで格好いい。鼻血が出るかも。未だに信じられない。今見ている光景の全てが。
「・・・冷めるよ」
声をかけられて、ハッとした。慌てて座り、両手でカップを持つ。
「・・・・あのー・・・質問が、あるんですが」
「うん?」
首を傾げる彼にあまり期待せずに質問を投げかける。答えはないかもしれない。だけど、やっぱり聞いておかなきゃ―――――
「どうやって実体化したの?」
お風呂から上がったら、既にこの人はここにいた。あたしが居なかった間に一体何があったのだろうか。
彼はこちらを見もせずにゆっくりとカップを傾けている。そして長い指を振って、促した。
「とりあえず、俺の自慢のコーヒー飲めよ」
・・・そうですね。小さく呟いて、自慢らしいコーヒーを口に含む。ふんわりと香りが広がって、素敵な苦味で口の中が一杯になる。温度もちょうどいい。あたしはつい、瞬きをした。
「・・・美味しい」
その感想に満足したらしく、彼は一人で頷いた。
そして体をひねって、自分の首筋を長い指でさした。
「俺の首の、これ。お前が書いたんだろ?」
あたしがGペンで書き足した*が、そこにはホクロみたいにあった。
・・・あら。
あたしは驚いてそれを凝視する。
「これが、お前の爪先に弾かれた時に体が引っ張られた。触れた瞬間に自分の世界から離脱したんだ」
あたしは何とか言葉を搾り出した。
「・・・この星型が、原因?」
「アステリスク」
「え?」
「アステリスクって言うんだよ、こんなマークを」
・・・そうなんですね、と呆然と繰り返す。この星型が・・触れて、出てきた?確かにあたしは爪先でイラストを弾いた。それが原因なの?
目の前に立つ美形の男が。憧れて大好きな漫画のキャラクターが、美しい人間になって?
瞼の裏におばあちゃんのキラキラした瞳がうつった。笑い声まで聞こえるようだった。
・・・・・すごい、魔法だ。
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