1、危険な同居人@

 そんなわけで、あたしの日常はかなり強引に変えられた。

 アルバイトや買い物には勿論出るけれど、あとは家にいて、突然現れた美形と過ごす。

 葉月タケル、漫画の設定では29歳。貿易会社に勤めるエリートで、そこの秘書室勤務の各務由佳(26歳)と甘甘な職場恋愛中。すらりとした体型に、茶色の瞳と長めの黒髪、性格は温厚かつ優しい。

 葉月タケル、多分漫画と同じ29歳。おばあちゃんの魔法にかかって突然イラストから引っ張り出され、美しい人間の男性となってあたしの家にいついた。外見は韓国の男性アイドル並に美しいが、性格は俺様で、意地悪。アメとムチを使いこなしてあたしを振り回している。

 その、現実世界であたしを振り回しているタケル(悔しいから、この男に様なんてつけてやらない)は、初日にあたしと台所でコーヒーを飲んだあと、じっくりとあたしを観察して、こうのたもうた。

「・・・お前は女だよな」

ゴン、と音を立ててカップをテーブルに打ちつけ、あたしは彼を睨みつけた。

「見えませんか、それはすみませんね!」

 タケルはけらけらと軽やかに笑って、そう怒るなよ、と嬉しそうに言う。

 何だ、この人。いくらあたしがおおらかな性格でも許せることと許せないことがあるでしょうが!いきなり失礼じゃない?じいっくりと見て言うセリフがそれだとは!!

 不機嫌に睨みつけるあたしに、彼は淡々と言葉をつなぐ。

「だって、妙齢の女性にしては、華がない」

ぐさ。

「色気もない」

ぐさぐさ。

「完全に干上がってる」

ぐさぐさぐさ〜・・・・。

 あたしはテーブルに突っ伏す。あうううう・・・キツイ・・・。タケル様と同じ顔で、その綺麗な顔で本気のキツイ言葉を放つとは。・・・心臓に直接きたぜ・・・。

 あたしはテーブルに突っ伏したままで、ぐぐっと拳を握り締める。

 おばあちゃんの体調を心配するあまり、なんて言い訳は出来ないくらいには長い間、自分の手入れは怠っている。

 だってそもそも良く見せたい相手がいないんだもん。そして現実の男に興味も関心もなかったし。

 伸ばしっぱなしのぼさぼさの黒髪。視力だけはいいから眼鏡もコンタクトもしていないが、眉毛だって特別手をいれてない素の形、酷く荒れているわけではないけど美肌とも言えない肌。ついでに今は顎のところに吹き出物が3つほどあったはず。

 そしてここ3年ほど男性と付き合ったこともないから、体の無駄毛だって全部そのまんま。

 威張っちゃうほどには手入れのされてない女だって自覚はあるにはあったのだ。でも、それで生活に困るわけじゃなし。

 しかし。しかし、である。

 目の前にいい男がいて、その男はあたしが好きな男性と寸分違わず同じ外見をしていて、その人に言われると強烈なショックがあった。

 あううう〜・・・全身に矢が突き刺さっているようだわ・・・。

「・・・・大丈夫か?」

 無言でテーブルに伏せているあたしを見て、ヤツが言う。ムカついたあたしはガバッと体を起こして噛み付いた。

「自分で傷つけといて言うこと!?」

 するとタケル片手をひらひらと振る。

「いや、女として大丈夫かって聞いてるんだ」

「―――――」


 ・・・・・ぐぬるうおおおお〜っ!!むーかーつーくうううううううー!!!


 きいいい!!やだやだ、この男、やだあああ〜!!出来ればイラストに戻してやりたい。そしたらタケル様になって、あのとろける笑顔であたしを見詰めているだけだ。

 あたしから殺気を感じたらしいが、全く気にしてない様子でタケルがにこりと微笑んだ。

「彼氏もいなさそうだなー、その様子じゃ。ま、大丈夫だ」

「何がっ!?」

「俺が変えてやる」

は!?と叫んであたしは目を点にする。一瞬理解が出来なくて、口もぽかんとあけっぱなしだった。

 カタン、とコップをシンクにおいて、彼はゆっくりと言った。

「俺がお前を、いい女に変えてやる」

唖然、呆然。あたしはまだバカみたいに口を開けっ放しで彼を見ていた。

「・・・は?」

「長い間一人でいたのか?お前はちっとも潤ってない。女は水なんだぜ」

・・・・女は、水。いきなり何なのこの人、と思ったけど、あたしは驚きのあまり呆然としたままでタケルが話すのを聞いていた。

「存在は何よりも大きい、そして時々気まぐれに動くし、形も変える。いつの間にかどこにでも侵入する。滑らかで、するするで、動きがつかめなくて、優しく包み込む。それが女だ。せっかく女に生まれたんだろうが、潤ってなきゃ」

 鮮明なイメージが頭の中に浮かんだ。透明で、滑らかで、ひんやりとした感触の水の流れが。

 彼は微笑して、頷いた。

「水もしたたるいい女に、俺が変えてやる」

 頷くことも断ることも出来ずに、あたしはただ黙って聞いていたんだった。

 あたし・・・どうなるんだろう、これから先・・・。あまり頭はよくない自覚があるが、どうやら大変な嵐が自分に起こりそうだということだけは、ハッキリと判った。

「あ、そうだ」

 ふと思いついたようにいきなり立ち上がり、タケルが手の平をあたしに差し出した。

「え、何?」

「包帯だして」

「包帯?」

怪我でもしたか?訳が判らないまま、見えない力に動かされるようにあたしは引き出しにしまってある救急箱を取り出す。

 そして包帯を一巻き、彼に手渡した。

 するといきなりあたしの手を掴み、何が何だかわからずに呆気に取られるあたしの左手人差し指を包帯でぐるぐる巻きにした。

 ちぎって端を結び、完了するまでがとても早かった。神業をみたような気分で、白い包帯に包まれてしまった自分の指先とタケルを交互に見る。

「・・・えーっと・・・何事?」

タケルは余った包帯を巻きなおしながら言う。

「そのマークで俺に触ると、また消える」

「え!?そうなの?」

びっくりした。何だと!?消去法もちゃんとあるのか!?と思って。

「・・・だと思う。俺は実験台になるつもりはないから、検証はしない。一度消えたら今度また実像化するかどうか判らない」

 あたしは口に拳を引っ付けて、ついじっくり考えた。

 ・・・・イラストに戻るかもしれない。だけど、次は人間にならないかもしれない。試してみたいけど、でももしも戻らなければ―――――

 考え込むあたしをタケルは綺麗な瞳でじっと見詰め、柔らかくて低い声で小さく呟いた。

「・・・・俺、消えた方がいいか?」

 あたしはぐっと詰まる。

・・・・3分前は、確かに消えてくれと願った。強烈にイラストに戻れ!と念じていた。

 だけど。

 だけど。

 目の前に立つ男性に目を向けた。

 おばあちゃんが居なくなって寂しいこの家で、あたしが久しぶりに感情丸出しで怒ったり笑ったりドキドキしたり焦ったり出来るのは、この不思議な存在があるからだ。


 おばあちゃんが、最後の力を使って大好きな彼を人間にしてくれた。


 あたし好みの、いい男―――――――


 吸い寄せられるような茶色の瞳にあたしがうつっている。

 多少、横暴でも。

 しかも性格も悪そうだけど。

 これは間違った選択かもしれなくても。

 今は、一人で居たくない。

 あたしは顔を上げた。

「いいの、この指先は封印する」

 ゆっくり、ゆっくりと彼が笑った。瞳が細められて柔らかくなる。

 春の光り差し込む台所で、あたしは大きな決断をしたわけだ。

 今日から、この人と、ここに住む―――――――――



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