泡沫の夢に溺れて

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「……名前さん」


名前が病棟へ移動されて4日目。彼女に割り当てられた病室へ入室してきたのは、三輪だ。実は集中治療室にいたときも見舞いへ来たのだが、その時既に何人か名前の眠る病室にいたため、彼女の顔を見ることができなかったのだ。その後は彼自身が少し忙しくなったため、今日漸く時間ができて訪れることができたのだ。

現在病室には三輪とベッドに眠る名前だけが存在していた。どうやら忍田はいないらしい。三輪は名前の近くに置いてあった丸椅子に腰掛け、眠る少女の顔を見つめた。

名前の容態については自分が率いる部隊の隊員である米屋から聞いていた。名前の容態は回復に向かっており、あとは意識が戻るのみである事。目が覚めたとしてもしばらくは入院するだろうと言う事。


「……名前さん」


もう一度名前の名を呼ぶ。しかし、返答はない。


『どうしたの? 秀次』


いつもならすぐに返ってくる彼女の返答が、今はない。優しい表情で自分を見つめ、心地の良い声で自分の名前を呼ぶ名前はずっと目を閉じて眠っている。


「……っ」


大丈夫である事は分かっていても三輪は不安だった。もし自分の姉のように帰らぬ人になってしまったら?
名前が近界民ネイバーの攻撃によって怪我を負い、意識がないことを聞いた三輪にはとある光景が浮かんでいた。それは現ボーダーが創設される前……第一次近界民の事だ。

彼はその時に実の姉を亡くしている。三輪はその時の光景に近い感情を今持っていた。名前が負傷した現場にいたわけではない。でも、今は敵に牙を向ける力がある。名前がこのような目に遭うことを知っていればすぐにでも駆けつけた。しかし、そうなることを誰も知らなかったのだ……迅でさえも。


「名前さん……っ」


三輪は眠る名前の片手を握る。その手にはちゃんと温もりがあり、名前が生きているという証拠でもあった。それでも三輪の不安はとれない。

いつこの手が冷たくなったら?

三輪は自分の姉の身体が冷たくなった時の感覚を忘れることはないだろう。その感覚が名前の身体に触れたときに感じたら?
彼は不安で不安でたまらないのだ。


「……あの人には視えてなかったのか?」


三輪の言うあの人というのは迅の事だ。名前と三輪が知り合った当時、お互い迅に対して苦手意識を持っていたことから意気投合して同じ時間を過ごす機会が増えた。因みに迅の悪口を言い合っていた事は一度もない。あくまで似た者同士だっただけである。

しかし、名前も三輪も迅に対する印象が当時から変わってしまった。名前は自分のピンチの時に助けて貰ったことで、三輪は嵐山から告げられた迅の過去を聞いたことで、だ。

いつもだったら迅に対し憎悪に近い感情を顕わにする三輪だが、今日は違った。それは名前が絡んでいるからなのか、迅に対する印象に変化があったからなのか、理由は定かではない。

だが、迅に対し浮かんだ疑問だけははっきりとしていた。迅には名前がこうなる事の未来が視えていたはずだと。なのに何故、名前は怪我をしてしまった?
答えは簡単、視えなかったからである。だが、こうもピンポイントで視えなかったということがあるのだろうか、と。


「……何にせよ、俺にできることをやるだけだ」


次に名前が同じような目に遭わないとは言い切れない。そして、今回のように迅が読み間違えることもあるだろう。
今回三輪は名前が発見された場所から遠い場所にいた。そのため、三輪に名前の捜索を任されていたとしても探し出すのに時間がかかり、結果間に合わなかったという結末だったかもしれない。

そうなるなら初めから共に行動すれば良い。基本、ノーマルトリガーを使うことは知っているが、もしブラックトリガーを使う事になる場合……今回のような事態がまた起きたら。そうならないように誰かを配置すべきだと三輪は考えていた。あわよくば、その人間が自分だったら良いと思っていた。

三輪は単騎で競り合う程の実力を持っていた。現に今回の侵攻では奇しくも名前ともう1人……名前がブラックトリガーを起動した後の正体である香薫が接触した近界民ネイバーと交戦し、撤退に追い込んでいる。


もし三輪が考えている事が採用されたとして、提案主である彼が選ばれるのは低い。何故なら三輪は名前のブラックトリガーの秘密を知らないからだ。彼もまた、名前のブラックトリガーに対し疑問を抱いている者の1人であった。


「……?」


静かな病室に電子音が響く。それは三輪の携帯によるものだった。三輪は通知を確認する。どうやらボーダーからの呼び出しのようだ。


「すみません、名前さん。用事が入ってしまいました」


三輪は丸椅子から立つ。そして眠る名前を見た。……いくら眺めていようと名前の目は開かない。閉じたままだ。

早く目を覚まして欲しい。そして、その声で自分の名前を呼んで欲しい。

三輪の不安を拭うことが出来るのはその2つだった。


「また来ます。必ず」


三輪は名前に少し頭を下げた後、名残惜しそうに病室を後にした。
___その時、三輪が握っていた手が少しだけ動いた。





2022/5/5


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