泡沫の夢に溺れて
side.緋色
「……お前はずっと変わらないな」
「え?」
「ずっと自分を責める。誰かを責めるんじゃなくて、自分を悪にする。名前の良い所だけど、俺には欠点に見えるな。お前はもっと自信を持っていい」
そう言った兄さんの口調は怒っているというより、宥めているように聞こえた。兄さんは滅多に怒らない。私が見たのはお母さんの件が最後じゃないかな。それほどに兄さんは私の前で怒ることがなかった。
「というわけでさ、俺が死んだこととかは忘れよう。それに、俺は後悔してないんだ。ま、こんなこと言えるのは結果オーライな部分もあるけどさ」
「……分かった。いつまでも同じ事でめそめそしてたら兄さんが怒りそう」
「俺は名前には怒ったことないだろー? でも、ダメなところはちゃんと言ってきたつもりさ」
「うん。兄さんに言われたことは覚えてるよ。少し前にね、兄さんに言われたことが役に立ったんだ」
前に京介に言ったっけ。人の好意は謝るのではなくお礼をいうのだと。あれは兄さんが言っていた事を真似しただけだ。兄さんに言われたことがなかったらきっと、私はあの場で京介に同じ事を言っていないだろう。
「……そっか。いろんな事を経験してきたんだな」
「楽しい事も、辛いことも、嫌な事もあった。それでもボーダーは楽しいよ」
兄さんがいなくなった直後は辛くて、嫌になりそうだった。だけど、兄さんの存在を知って立ち直る事ができたんだ。その後、いろんな人と出会った。その中で自分を成長させることが沢山あった。長くボーダーにいたからそれなりに実力あると思ってたけど、そんなのボーダーには関係ないのかもしれない。
ボーダーに限らず、努力する事で実力はどこまでもあげられる。限界なんてないんだってね。
「それに、兄さんがさ桐絵や迅さんを可愛がってた理由が何となく分かったんだ」
「へぇ? 例えば?」
「意外だと思うんだけど、私人に教えてるんだ。兄さんに教わった剣術を」
「名前が指南か! 確かに意外だな」
「でしょ? 初めは無理だと思ってたんだけど、ちゃんと師匠できてるんだ。とは言っても、弟子の方が優秀な気がする……」
初めは秀次だった。強くなりたいから見て欲しいと、相手をして欲しいと。とは言っても、人に教えるのは初めてだし、当時使えるトリガーが弧月だけだったから、手探り状態だった。そんな中からどう教えたら良いか分からなかった。しかし、秀次は優秀な人だった。なんと、私の動きを見て弧月の使い方を吸収したのだ。どちらが教える立場なのか分からない状態だったなぁ。
次に私に弧月を教えて欲しいと志願したのは、同級生の子が所属していた部隊の男の子だ。歳は私の1つ下。異性が苦手らしいが、弧月を教わるなら私にしろと隊長に進められたそうだ。何故太刀川さんや迅さんとか、桐絵とじゃなかったのかが気になるけど、その理由はまだ聞いていない。
そんなわけで、来る者拒まずな体勢で受け入れていたお陰で、いろんな人に弧月の使い方を教えることになった。歳上はおらず、同級生と歳下がいる。こういうのをやっていると、人に教えることがこんなにも楽しいんだって思うんだ。後輩だと可愛い気持ちがプラスで着いてくる。
だから、兄さんが自分より歳下の子を可愛がっていた気持ちはこんな感じだったのかな、って疑似体験のような感覚だった。
「はっはっは! 確かに俺、お前に弧月を教えたときひたすら実践だったもんな。そりゃ名前も誰かに教えるってなればその方法になるな」
「だってそう教わったもん、兄さんに」
「そうだな」
私の返答に兄さんはニッと楽しそうに笑った。私の話がつまらないものでなくて良かった。私、人を楽しませるの苦手だから……。
兄さんの笑顔を見ながら私は苦笑いを浮べていたときだった。
「___お前はもう、俺がいなくても大丈夫だな」
「え……?」
兄さんが唐突にそんな事を言ったのは。
「何を言ってるの……?」
兄さんの言ってる事が理解出来ない。だって、理解したら私変な意味で捉えちゃう。___もう自分は必要ないだろって意味に。
「昔は人見知りで、ずっと俺にくっついていたのに。……いつの間にか頼もしくなっちゃってさ。成長したな、名前」
「にい、さん……?」
昔の事を振り返る兄さんが、今にでも消えそうに感じて。兄さんの寂しそうな表情を見ていたら、その不安がどんどん高まっていく。
「こんなに大きくなって……もう大人だもんな」
「そんなわけない、まだまだ子供だもん。……全然大人になれてない」
「いいや、それだけ後輩や同級生、先輩に頼られて認められてるなら十分さ。昔のお前からは考えられないよ」
それは最もだった。昔の私だったら今の私は想像できなかったと思う。誰かに頼られるような存在になるなんて事。ずっと兄さんにくっついていただけだったから尚更。
「……でも、その成長が俺がいなくなった後だと言うのがすごく複雑だ」
兄さんがいなくなったから成長できた。それはある意味そうなのかもしれない。弱い自分でいたくないから、誰かに守って貰うような自分でいたくなかったから。
でも、それが今兄さんが寂しそうな顔をしている理由なら。
「……私、兄さんの事絶対に忘れないよ」
「名前……?」
「だって、ずっと側にいるもん。他の誰かにも渡さない。それが例え、同じボーダーの人でも……昔からの付き合いの人でも」
そう言いながら自分の左耳に触れる。そこはいつもブラックトリガーを身に付けている場所だ。今はそこにブラックトリガーはないけれど、あるものがある。それは……兄さんとお揃いである色違いの白い羽根のイヤリング。
視線を兄さんの左耳へ向ければ、そこには黒い羽根のイヤリングが風に吹かれて揺れていた。
「……抑えようと思ってもダメだな。やっぱり、何度も思いだちゃうし、そう思ってしまう」
「……」
「兄さんがいたらもっと楽しかった。それは間違いない。だけど、その未来を壊したのは私だから」
「……俺は名前を庇って後悔してないよ。これは嘘でも意地でもない。……だけど、」
兄さんの碧い瞳と目が合う。それと同時に少しだけ強い風が吹いた。
「やっぱり、お前と会えないのは”寂しい”」
そう言った兄さんの声は泣いているように聞こえたんだ。
2022/5/5
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