泡沫の夢に溺れて

side.×



「そうですか……! 良かったな、賢!」

「はい!!」


名前が病棟へ移動されて3日目。彼女に割り当てられた病室へ入室してきたのは、嵐山隊だ。彼らは病室にいた忍田から、名前の容態は良い方向へと回復していることを聞き、笑顔を零した。

嵐山隊の中で一番名前を心配していた佐鳥へ嵐山が声を掛けると、嬉しそうな返事が返ってきた。


「後は意識が戻るだけですね」

「ああ。だが、意識が戻ったとしても、この怪我だ。退院には少し時間がかかるかもな」


忍田は少しでも時間が空いたら名前の病室へ足を運んでいた。そのため、医師から名前の状態を聞いたりしており、彼女の退院がいつ頃になりそうなのか大体予想ができていた。

自身の言葉に対する忍田の返答を聞いた時枝は名前が眠るベッドの方へ視線を移す。彼の視界に入ったのは、佐鳥と木虎だ。


「佐鳥先輩、苗字先輩にくっつきすぎです」

「なんで!? 良いじゃんかー!」

「うわぁ……」


佐鳥の様子に引いている木虎だが、内心は一緒だ。名前が無事である事にホッとしているが、それよりも佐鳥の態度に対するものの方が大きかったようだ。
そんな様子を忍田は静かに見つめていた。


「……ありがとう、嵐山隊」


名前と嵐山隊は何かと関わっている部分が多い。

忍田直属の部隊であること。
以前名前が所属していた部隊であること。

名前には現在のボーダーが創設された時点で部隊を組む事が出来ないランク……S級隊員という立場であった。そのため、彼女が部隊を作りたい、どこかの部隊に所属したいと望んでも叶えることができなかった。

以前、特例ではあったが名前は嵐山隊に所属していた。所属当時、彼女の身に起きたとある事件で迷惑を掛けたことに対し、罪悪感を感じた名前はそれの責任を取る形で嵐山隊を脱隊。嵐山隊隊員はそんなこと気にしていなかったが、名前の決意は固く、彼女の意思を尊重した。

入隊していた頃から脱隊した今も、嵐山隊は名前と関わりを保ってくれていた。そのことについて、忍田は密かに自分の事の様に喜んでいた。そして感謝しているのだ。


「それはこちらの言葉です。名前さんには沢山お世話になりましたから」


忍田の言葉に返答したのは綾辻だ。
名前が嵐山隊に貢献したこと。それは、名前が嵐山隊をA級まで上げたという事だ。

名前が所属する前、元々嵐山隊は4人とオペレーター1人の5人部隊だった。しかし、嵐山隊が広報部隊となった際に1人脱隊した。そのため、戦力が1人分減った状態だった。戦力は十分あった。しかし、それだけだった。勝ったり負けたりを繰り返していたため、なかなか順位が上がらなかった。そんな中、入隊したのが名前だった。


名前の加入は嵐山隊を大きく変えた。それは単純な戦力増加に加え、名前の持つ副作用サイドエフェクトによる後方支援が加わった事だ。

名前は嵐山隊の中で誰よりもボーダー歴が長い。それ故、戦闘に関する知識は誰よりもあった。そのため、あらゆる戦況に臨機応変に対応できる力があった。特に近接の戦闘は長い間前線を担当することが多かった名前には得意な場所であった。そして、現ボーダー基地創設後に出会った出水の影響でシューター用トリガーも使用するようになり、中距離にも対応できるようになっていた。

そして名前といえば、強化視力の副作用サイドエフェクトである。これが敵であれば厄介で、味方だと心強い副作用サイドエフェクトだった。彼女はこの副作用サイドエフェクトを活かすため、バッグワームを常時発動していた。レーダーに映らないため、どこから奇襲されるのかという恐怖を与えていた。

名前の入隊は嵐山隊に大きな影響を与えた。それは自分たちの強さや出来る事がどこまでなのかを知ること、名前の存在に感化され更なる高みを望み努力すること……挙げるときりがないらしいが、彼女の存在は嵐山隊全員に影響をもたらしていた。それは脱隊した後もそうで、名前脱隊後に入隊し後に同じくエースのポジションを担うことになる木虎も同じだった。


もし1部隊に5人の隊員が所属できるのなら。名前がまた部隊に所属する事を望むのなら。2つの条件を呑んで貰えるのならまた嵐山隊に入隊して欲しい。それは現嵐山隊全員が望んでいることだった。

それほどに彼女は嵐山隊にとって影響力を与えた存在なのだ。そのことに本人は1ミリも気づいていない。


「さて、そろそろ帰るか。忍田本部長、失礼します」

「ああ」


嵐山が代表して忍田に挨拶し、嵐山隊は病室を後にした。忍田は嵐山隊が病室のドアを閉めて見えなくなるまで見送った後、眠る名前の方を振り返った。


「名前。沢山の人がお前を待っているぞ」


忍田の手が名前の頭に触れる。金色の髪の上を忍田は優しく撫でた。いつも見ていた綺麗で大きな緋色の瞳は閉じられている。その色を見る事なく何日が経過しただろうか。

先程、他人事の様な事を口にしたが、忍田も名前が目を覚ますことを待つ人の1人だ。事前にとある人物から名前は必ず目を覚ます事を伝えられているため、彼女が死なないことは分かっていた。だが、分かっていてもずっと眠っているとなると不安なわけで。


「……今日も名前を頼むぞ、香薫」


忍田はそう言うと、病室を後にした。残念ながら、付きっきりできるほど忍田は暇な立場ではない。そのため、いつかは帰らなければならない。

名残惜しさを残しつつも、忍田は名前の左耳に着いたイヤーカフ……否、ブラックトリガーに彼女を任せ部屋を後にした。

夕陽に照らされたブラックトリガーが反射し、輝きを放つ。その光景がまるで忍田の言葉に対する返答のように見えた。





2022/5/5


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