泡沫の夢に溺れて
side.緋色
「しっかし、呼ばれた時は驚きを通り越して肝が冷えたぜ……あ、意味は一緒か」
泣き出した私を兄さんが落ち着かせること数分。ようやく落ち着きを取り戻したことで、兄さんが口を開いた。
「分かってたの……?」
「トリガーの基本、忘れたのか?」
「……えっと、なんだっけ」
「トリガーを起動したら戦闘体……トリオン体に換装するのは分かってるよな」
「うん」
「トリオン体の時、生身はどこにあるか考えた事あるか?」
「え? トリガーホルダーの中にあるんじゃないの?」
「そうだよ。元々トリオン体が入っていた場所に生身が入れ替わりに格納される。それはブラックトリガーも同じ」
だから分かったんだよ、お前が怪我してるのを
そう言いながら兄さんは、私の身体に触れた。その触れた箇所は、近界の攻撃に寄り負傷した所だった。何故かは分からないけど、今はその怪我がない。この不思議な空間にいるからなのかな。
改めてこの空間を見渡す。
空は綺麗な青空で、所々雲が浮いている。私と兄さんが座っている場所は巨大な木の陰で、どうやらここは丘の上らしい。下にはピンク色の花や少し小さな木が所々にあり、人の手によって植えられたのではなく、自然に根付いたんだろうと予想できる。
遠くには崖のようで違う、変わった地形が見える。急な角度に見えるから、登るのは勿論、立つのも危ないかもしれない。そして、その変わった地形の奥には人工的に作られたように見える円の形状を象った何かが浮遊している。そして、その円は一定のタイミングで動いている。なんて言い表したら良いかな……歯車みたいな感じ。
いろいろ言ってみたけど、私がいいたいのはこの空間がとても現実だとは思えないこと。幻想的って表現したらいいのかな。それが今、私と兄さんがいる空間だった。
ここは私の意識の深い場所なのかな。それが正しいのなら、どうして私の意識の中に兄さんがいるんだろう?
……今はそんなのどうでもいいや。兄さんがいる、それでいいじゃない。
「兄さん……侵攻はどうなったの? 私と交代した後の事知ってるんでしょ?」
私は途中、近界の攻撃を受けて……『死にたくない』っていう自己中心的な気持ちでブラックトリガー……兄さんに助けを求めた。
私が知っているのは、ブラックトリガーへ換装する前までに起こっていた事だ。新種のトリオン兵が現れ、そのトリオン兵によって隊員に被害が及んでいること。あと確か、避難が上手くいってないとも聞いたような……。
とにかく、私が知りたいのはその後の事だ。
「知ってるって言い切りたいところだけど、流石に全部は分からねぇ。それに、俺が倒されたらお前が危険だったからな。俺、珍しく大人しかったんだぜ?」
「そ、そっか。ごめんなさい」
「いいんだよ。……と言うわけで俺はどんな結果だったのかは知らねぇ。だから、お前の目で確かめて、どんな結末を辿ったのか知るんだ」
そんなことより、ちょっとそこら辺歩かないか?
私へそう声を掛けると、兄さんは私の手をとった。強すぎず弱すぎない力で腕を引っ張られ、自然と身体が起き上がり兄さんにぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
「今の態とだって言ったら怒る?」
「……ううん、怒らない」
その言葉に首を横へ振ると、兄さんは嬉しそうに笑った。
そうだ。この無邪気な笑顔が大好きなんだ。久しぶりに見たその笑顔にまた涙が出そうになる。
「泣き虫だなぁ、お前は」
「違うもん……」
「はいはい、そういうことにしてやるよ」
握られた手に力が入る。この感覚が、温もりが嘘ではないか、幻ではないかと、どうしても疑ってしまう。でもちゃんと感じるわけで。
私が握る力を少しだけ強くすると、兄さんも握り返してきた。
「名前はさ、自分がこんな目に遭ったのは必然だと思った?」
「え?」
「確実に辿る運命だったと思う?」
丘を降りて、無造作に咲いている花や生えている木を眺めていたときだ。兄さんがそんな質問を投げてきたのは。
「私がこんな目に遭うことが当然だったのか……か。どうなんだろう、分からない」
「……分からない、ね」
「うん。だって、どうなるかなんて結局最後まで分からないじゃん」
「そうだな」
「だから、もしそれが偶然でも決定されたことでも私は分からないって言うと思う」
私の回答は兄さんにとって正解だっただろうか。そう思いながら兄さんを見上げた。
「……兄さん?」
私の視界に入った兄さんの表情は、どこか辛そうに見えた。遠くを見つめるその横顔は、寂しさを表している気がしたんだ。
「……でも、俺とお前が知る人に、その過程が決定されたものだったのか、偶然だったのか分かる奴がいるだろ」
「!」
兄さんのいう『奴』が誰なのかすぐに分かった。私の頭の中に浮かんだその人……いつも私に絡んで来る人。何を考えているのか分からないし、変態だし……なのに、ちゃんとかっこいいところがある人。
「……迅さん?」
「そう。悠一なら名前がこうなることが視えていたはずだよな」
「視えていたと思うよ。私、忠告してもらったもの」
視えていたと思う。そうでなきゃ、あの人から大規模侵攻の時に気を付けるべき事を言われなかったはず。
「なんて言ってたか覚えてるか?」
「えっと、『危険だと思ったらすぐに知らせること』って言われました」
「………やっぱりか」
「え?」
兄さんの反応が思っていたものじゃなかったから驚いてしまった。だって、迅さんがなんて言ったのか当てたのだから。兄さん、予知の近界なんて持ってなかったよね?
「あのな、よく聞いて欲しい」
「うん……?」
繋いでいた手が離れる。感じていた温もりが消える。そして、その温もりは私の肩に触れた。
「___悠一には視えてなかったんだ。お前がこうなる事が」
目の前にある兄さんの表情は真剣そのものだった。だけど、その声は辛く苦しそうに聞こえたんだ。
2022/5/4
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