大規模侵攻・中編

side.風間蒼也



今から4年半前。
それは突然の別れだった。


「苗字君が亡くなりました」


第一次近界民侵攻と呼ばれた出来事で亡くなったクラスメイトの一人として、俺が友と見ていた人物の名前が挙った。

苗字香薫
それが俺が友と認めていた人物の名前だ。

突如現れた近界民ネイバーという謎の存在。そいつに香薫は殺された……兄も近界民ネイバー関連でこの世からいなくなってしまった。

兄は生前、ボーダーという組織に所属していた。その組織が第一次近界民侵攻後、基地を創設し隊員を募集していると聞いて俺はボーダーへ入隊することを決めた。


「……あれは」


そこで見かけた一人の少女。
香薫の面影がちらついたのは気のせいだろうか。そう思った直後、その少女の名前を知ることになる。


「あ!!こら名前!!堂々とサボるなんて良い度胸ね!!」

「サボってないよ。休憩だよ」


名前。
生前香薫から聞いていた妹の名前と同じだ。
なら、あの子は香薫の妹で間違いない。まさかボーダーにいるとは思わなかった。


「名前ちゃん? あぁ、勿論知ってるよ。昔からボーダーにいるからね」


生前兄がお世話になっていた林藤さん……現在は林藤支部長と呼ぶ存在であるこの人に、香薫の妹について尋ねた。
……そこで俺は驚きの事実を知る事になる。


「香薫はボーダーに所属していて……それで、この前の侵攻で妹を庇って……」


前にクラスメイトの女子が確証もない噂で騒いでいたことを思い出す。
その噂とは『香薫は妹を庇って死んだ』というものだった。当時聞いた時は、誰が証言したのか分からない事を事実に立てている事に呆れると同時に、顔の知らない妹を不憫に思っていた。


「一番辛いのは名前ちゃんだ。なんせ、目の前で香薫が死んだところを見ちまってんだから」


大切な存在を目の前で失った。
俺は兄の死を見る事はなかったが、妹はどうだ。どちらが辛いのかは分からないが、俺の感覚で言えばやはり目の前でいなくなるのが一番辛いと思う。

でも、香薫視点で見ると、もしかしたら彼奴は大切な存在を守れて嬉しかったんじゃないかって思った。
彼奴は重度の妹好き、所謂シスコンってやつだった。普通の兄妹がどんなものなのかは分からないが、香薫の家庭はかなり複雑だったと聞いている。だからクラスメイトの女子とは必要最低限しか関わらなかったのをよく覚えている。


少し前まではバイトでやっているというモデルの仕事であまり学校に来ず、来たら来たで痩せこけて痛々しい姿だったのを覚えている。

進学校に入学したのも、成績次第で免除になる制度を狙ってだと聞いた。実際彼奴は勉強も運動もできるハイスペックなやつだった。女嫌いなのに女子に好かれる要素しかない彼奴によく苦笑いを浮べたものだ。


「彼奴は……香薫は、どう思ったんでしょうか。妹を守れて良かったと思っていたんでしょうか」

「香薫ならそう思ってるかもなァ。なんたって、名前ちゃんが大好きで大好きでたまらないヤツだったからな」

「……そうですね」


香薫から沢山の愛情を受けてきた妹が、兄の死に対し何も思っていないわけがない。
そう思ったら妹……名前に会って話したいと思った。


「私は苗字名前。知っての通り、香薫は私の兄です」


だが中々機会に恵まれず、彼女と話すことができたのは俺がボーダーに入隊して2年経った頃だった。

一方的に見る事はあったが、どれも忙しそうだったため声を掛けることができなかった。こうして対面することができたのは、A級とS級が模擬戦しているという噂を偶然聞いたからだ。
迅と太刀川だったらすぐにその名前が出るが、その当時迅は本部にあまり顔を出していなかったから、消去法で彼女だけだった。
なんせボーダー創設時点で彼女はS級隊員という位置づけになっていたからだ。


「やはりか。俺は風間蒼也だ。よろしくな」


俺が名乗ると、目の前の少女は香薫とは似ていない緋色の瞳を丸くした。どうやら俺の名前は知っているらしかった。
だからなのか、彼女は俺を見て申し訳なさそうに困った顔を浮べていた。その瞳には涙が溜まっていた。


「……何とも思わないんですか。私は兄さんが助けてくれたから、こうしてのうのうと生きているんですよ?ふざけるなって、思わないんですか」


震えた声でそう告げた彼女の姿と言えば、それはもう痛々しかった。
きっと俺の知らない所で香薫に対する言葉をぶつけられたんだろう。だから俺を見て悲しそうな表情を浮べた。


「!!」


うつむくその様子を見て、気づけば俺は手を伸ばしていた。


「落ち着け。誰がそんなことを言ったんだ」

「で、でも!あの人達が言っていたことは間違ってない。事実だ……っ!」


先程の模擬戦では生き生きとした様子だったが、やはり心に負った傷は癒えていなかったようで、彼女にぶつけられた言葉は確実にこの子を傷つけていた。


「そんな奴らの事は気にせず、好き勝手に言わせておけ。香薫はお前に生きて欲しかったから助けた。だからお前を庇ったんだろう?」

「! ……うっ、うぅ……っ」


溜めていた涙がポロポロと零れていく。
……俺に妹はいないが、香薫の気持ちが少しだけ分かる気がした。


「俺の所にも似た様な話は回ってきた。……だが、俺がその話を聞いた時は香薫らしいと思ったがな」

「にいさん、らしい……?」

「知ってるか?彼奴、口を開けばお前の事ばかり話してたんだ。重度のシスコンなんて周りが言っても気にせず、むしろ嬉しそうにしてたよ」


普段の香薫は知らないが、学校にいる時の香薫は彼女より知っているつもりだ。少しだけ話してやると彼女は興味津々といった様子で話に食いついた。

香薫から聞いていた話では、人見知りと聞いていたが……兄妹は似るというか、そもそも兄があんなヤツだったからなのか、目の前の少女はキラキラとした瞳で俺を見つめていた。兄が妹好きならば、妹も兄好きだってことなのか。

一通り香薫について話した後、彼女が口を開いた。


「風間さん。……兄さんに、会いたくありませんか」


彼女の言葉に俺は首を傾げた。
会うって、彼奴が眠ってる場所でも案内してくれるってことか?
そう思っていると、目の前の少女は左耳に手を伸ばして何かを俺に見せた。


「実は兄さんは……ここにいるんです」


彼女の掌に乗っていたのは、先程からずっと左耳に付いていた黒いイヤーカフだった。
だが、俺にはただのアクセサリーに見えなかった。何故か……一年ほど前に見たとある代物に雰囲気が似ていたからだ。


「これは……」

「兄さんが変わり果てた姿。……私がS級隊員と認められている証拠である、ブラックトリガーです」


彼女がS級隊員であることは分かっていた。しかし、どんなブラックトリガーなのかは知らなかった。
これが彼女がS級隊員である証であり、このブラックトリガーが目の前の少女を選んだという証明でもあった。

だが、今彼女は「香薫に会いたくないか」と言った。
その言葉が正しいのなら、このブラックトリガーは……。


「これが香薫、なのか……」


香薫が変わり果てた姿という事になる。
俺が見たブラックトリガーは武器という形だったが、香薫の形は武器というよりアクセサリーと言うのがしっくりきた。


「何だか……香薫らしい形だな。彼奴、自分をよく魅せるのは得意だったから」

「はい。お洒落だった兄さんらしいです」


彼女は香薫がお洒落であると受け取ったのだろう。だが、俺はもう一つ意味を含んだつもりだ。
相手に似合う服も見繕える目があった香薫だから、妹に似合う形になったとも思えるんだ。


「……やっと笑ったな」


香薫の話をしている彼女の表情は良い意味でも悪い意味でも豊かだった。先程までは悪い意味で豊かだったが、今は良い意味で豊かになった。
前に香薫が言っていたっけな、妹の笑った顔が一番可愛いと。

確かに彼女は笑っている姿が似合う。
こうして話すのはこれが初めてであるというのに、そう思わせられるほどに彼女には笑顔が似合っていた。

俺に指摘されたことに首を傾げた彼女に、俺はずっと暗い顔をしていたからと告げると申し訳なさそうに謝った。
もしかしたら香薫の友人だからと遠慮されているのかもしれない。そう思った根拠は、俺と会ったときからずっと困った顔をしていたからだ。


「俺も太刀川達のように気軽に話して貰って構わない。……それに、お前とは一度こうやって会って話して見たかったんだ」

「そ、そうなんですか?」

「本部に住んでる事は太刀川から聞いてたんだが……中々会う機会に恵まれず、2年も経ってしまったがな」


俺は割と最初から彼女の存在を知っていたが、どうやら向こうは俺がボーダーにいることを今日知ったようだ。
それまでの彼女の噂では、初期からボーダーにいるにも関わらずボーダー関連の話について知らない所謂箱入り娘だなんて言われていたっけな。そのことを指摘すると何も言い返せないのか、黙り込んでしまった。


「しかし、流石実力はS級と呼ばれるだけある。出水との模擬戦、見ていたぞ」

「あはは……お恥ずかしい」

「S級でなければうちの隊にスカウトしていたんだが」

「私も隊に入ってみたいんですけど、忍田さんから許可貰えなくて」

「まあS級だからな。仕方ない」


弱々しいと言っては失礼だが、華奢な少女が戦闘になるとあんなにも変わるとは。あの機動力なら俺の隊で育てれば良い戦力になると思ったのだが、残念ながら彼女は隊を作る事も入る事もできない。

一体彼女を形成したのは誰なのか。そして、香薫は生きていた頃どんな戦い方をしていたのだろうか。
そんな事を思いつつも、俺も香薫の妹と一度戦ってみたいと思った。


「今度、俺とも模擬戦をしてくれ___名前」


聞いたときからいつか呼んでみたかった彼女の名前を呼べば、目の前の少女は否定することなく俺に笑みを向けた。
その表情は香薫にとても似ていた。



***



「風間さん、いいんですか? さっきの事本部に連絡しなくて」



『そう、や?』


妹の声で呼ばれた俺の名前。
なのに、俺には香薫に呼ばれたようにしか聞こえなかった。


『俺は苗字香薫。そこの二人が言う苗字名前は俺の妹だ』

『……なら、お前は名前がブラックトリガーを使ったところを見た事あるか?』


彼奴の問いは、俺が今まで感じていた疑問を晴らすには十分だった。
何故名前がブラックトリガーに換装した姿について、誰も知らないのか。それは、あの時問われた言葉に正解があった。

にわかには信じがたいが、ブラックトリガーに換装すると香薫になる。
それが正しいのなら、あの時の名前に説明が付かなかった。


「……彼奴が勝手に起動したとは考えにくい。恐らく忍田本部長の指示の元、換装したはずだ」

「でも、さっきの話は本当なのでしょうか……苗字先輩の兄だと名乗っていましたが」

「俺は信じるよ。……香薫の事はよく分かっているつもりなんだ」


きっとあの時、名前が香薫の存在を教えてくれなかったらあの状況を信じることはなかっただろう。
何故ならあの時、名前はこう言ったのだ。『香薫はここにいる』と。

普通なら香薫はブラックトリガーになったと言えば良いのに、彼奴はここにいると言った。まあ彼女なりのブラックトリガーと化したという事実を伝えたと言うのなら話は別だが、俺にはその言い方が後で思い返した時に少し疑問だったのだ。

だが、香薫の存在を知り、全てが腑に落ちた。
名前がブラックトリガーに換装した姿を誰も知らないことについてだ。


「彼奴が他のトリオン兵を倒してくれる。俺達は他の隊員を襲っている新型を倒しに行くんだ」

「「了解」」

「三上、近くにいる新型を教えてくれ」

『了解です』


彼奴の強さはどんなものなのか。
前に名前と手合わせをしたときに教えて貰ったのだが、どうやら彼女の師匠は香薫だったそうだ。

生前の彼奴の強さは、当時……ボーダーの存在が世間に知られる前だった頃、香薫は最強と言われていたらしい。現ボーダーでノーマルトリガー使い最強と言われている忍田本部長を差し置いてだ。忍田本部長は勿論、誰もが香薫の強さを認めていたようだ。


それは先程新型を一人で討伐した光景を見て、納得がいった。
A級でも手こずる……実際俺達も連携を取ることで討伐したが、香薫は一人で新型を倒した。

ブラックトリガーだからと言ってしまえばそこまでだが、あの時香薫は弧月に似たブレードで新型を倒した。
香薫の性能がどんなものなのかは知らないが、あのブレードがブラックトリガーとしての彼奴の能力と言い切るには物足りなさがある。

であれば、あれは彼奴の性能の一部で香薫の実力は別ではないか。そう考えた方がスッと頭に入った。


「……香薫」


短時間であったが、香薫の実力は妹の証言もあって大体把握できた。だから簡単にやられるとは思っていない。
だが何があるか分からないのが現実だ。現に最強と言われていた香薫はブラックトリガーとなってしまい、この世から去っている存在であるのだから。


『目標まで残り100m!』

「さっさと片付けるぞ」

「はい!」


……もし、あの時の言葉が本当だと言うのなら。


『次会えたら。空白の時間を埋めよう』


またお前に会っても良いのか……?



大規模侵攻・中編 END





2022/4/17


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