大規模侵攻・中編
『……無理をするな、香薫』
「え……?」
黙って聞いてくれたまさっちが返した言葉は、俺にとっては予想外だった。
だって、俺に心配の言葉をかけてくるとは思わなかったから。
『私もお前の気持ちを考えていなかった。お前の存在は奇跡的で、普通ではあり得ないことだ。だから慎重に扱うべきだと思っていた。……結果、お前を苦しめていた』
「違う! まさっちは間違ってない! 俺のわがままなんだよ……まさっちは悪くない」
『香薫』
まさっちが俺の名前を呼んだ。
その声音は俺の頭を冷静にさせるには十分だった。
『お前は自分をトリガーだと思い込んで、自分を押さえ込もうとしている。……そんなことはしなくていい』
「でも、俺はトリガーだ。もう人間じゃ……」
『それは分かってる。だけど、トリガーであろうともお前は香薫なんだ。意思があって、感情があって……こうして今、会話する事ができる。そんなの人間と変わりないんだ』
「……じゃあ、俺はどうしたらいいんだよ」
必死にトリガーらしくあろうと決めたのに、それを否定されたら……俺はどうしたらいいんだ。
『今まで通り、お前でいろ』
「俺、らしく……?」
『何事にも真面目に取り組み、正義感が強くて、戦闘を何よりも楽しんで……そして、妹思いの兄であってくれ。それがいつものお前だ、香薫』
「……っ」
『誰もお前にトリガーらしくいろなんて言わない。今まで通りの香薫でいてくれ』
まさっちの言葉に何も返せなかった。
その場に座り込んで、膝に顔を埋めて情けない表情を浮べているだろう顔を隠した。
「……!」
その時、膝に濡れる感覚がした。
驚いて見てみれば、湿り気を感じた場所が黒くなっていた。
そして、自分の頬に何かが伝う感覚がして手を当てた。
「……これって」
手に感じた水気。目尻に何かが溜まっているような感覚。
……それが何なのか考えるまでもなかった。
「……俺、まだ人間だって思っていいのかな」
『誰がトリガーになれって言った?』
「……だれも、いってない……!」
ボロボロと流れ出すそれは……涙だった。
人間ではなくなったからもう出る事はないと思っていた……なのに、歪む視界に頬を流れる涙がまだ俺が人間であると言われているような気がしたんだ。
『今後のお前の扱いについて改める。だから、自分を押さえ込まないでくれ』
「うん……っ、うん……!」
こんなに泣いたのいつぶりだろう。
名前の前ではかっこいい兄ちゃんでいたくてずっと強がってきた。けど、本当はこんなにも脆かったんだな、俺。
『……落ち着いたか』
しばらくして、まさっちが声を掛けてきた。
……そうだった。今は泣いてる場合じゃないんだ。
「ご、ごめん。今戦争真っ只中なのに、俺……」
『構わないさ。……大丈夫か?』
「ああ。……なんかスッキリした。いつでもいける」
『そうか。その言葉を信じて今からお前に向かって欲しい場所がある』
「任せてくれ、まさっち! どこへ行けば良い?」
『ここからは私が指示を出します』
「分かった。頼む、沢村さん」
沢村さんから飛ばされる指示に従い移動を始める。
途中、まさっちが全隊員に何か指示を飛ばしていたから、それ関連で沢村さんが指示してくれているのかな。
ちなみに俺……じゃなくて、名前はS級隊員という括りになっているらしい。
隊員のランクは訓練生のC級、正隊員のB級、正隊員の中でも精鋭であるA級があるそうだ。S級隊員はブラックトリガー使いの事を言うようで、名前含め現在は2名だという。ま、ブラックトリガーは貴重だからなぁ。
もう1人って悠一のことかなぁ。いや、違うな。前にブラックトリガー……最上さんを本部に返したって言ってたな。
じゃあ他にもう1人ブラックトリガー使いがいるのか。誰なんだろうなぁ、そいつ。
それにしても響きがいいな、S級って。なんか強そうじゃん、名前が。
あ、ついでに沢村さんに聞いたんだけど、蒼也はA級隊員らしい。彼奴結構やるじゃん。いつか手合わせできねーかなぁ。
『香薫には市街地に向かっているトリオン兵の討伐を頼みたい』
「分かった」
『多少の損害は許す。何としてでも市街地へトリオン兵を出すな!』
「任せろ!」
先程のまさっちが出した指示の影響なのか、他の隊員と全く遭遇しない。まあそもそも遭遇したのは蒼也達だけだけど。
それに、壊してもいいって言質もらったし?
「さあ……俺と遊んでくれよ、近界民!」
俺の時間が許す限りこの力を振るおう。
死んだ人間の存在を認めてくれた友に投げた言葉もあるし、俺を人間とみてくれる相棒だった存在の為に。
***
「……む」
トリオン兵を倒した瞬間、感じた違和感。
俺自身の身体にダメージがあってトリオンが漏れていたわけじゃない。だけど、ブラックトリガーにしろ、ノーマルトリガーにしろ、扱うにはトリオンが必須だ。そのトリオンは無限ではない。
「沢村さん、近くにトリオン兵は」
『香薫君の近くにはいないわ』
「そっか。それは良かった…それなら今が丁度良いタイミングかな」
『タイミング?』
沢村さんに確認して貰ったところ、俺の周りにトリオン兵はいないそうだ。
……今が変わり時だ。
「そろそろトリオンが切れる。戦闘中に切れるより、切りの良いタイミングで変わるのがベストだろ?」
これでも結構持った方じゃねーか?
……測ったことがないから何ともいえねーけど。
「周りにトリオン兵がいない今が交代の時だ」
『……そうか。副作用、結構使ったのか?』
「ったりめーだろ。市街地にいる民間人から俺にターゲットを向けさせるためだ。結構使った」
『副作用を使わなかったらもっとやれたか?』
「多分な。でも、いつかは限界が来る。副作用を使っても使わなくてもその結果が速いか遅いだけだ」
まさっちと会話しながら俺は左耳に付いている自分に触れる。
……俺の仕事はここまでだ。
『……分かった。ご苦労だった、香薫』
「ああ。戦場の中交代するのは気が引けるけどな」
少しでも相手に見つからないような場所に移動して、その場に座り込んだ。交代するとき、すぐに名前の意識が戻るわけじゃない。
地面に倒れて可愛い妹の身体に傷を付けたくないし。
「……交代だ、名前」
流石の俺も今回は満足だ。
しばらく休暇をいただこうかね……。
そう思いながら俺はトリガーオフの意思表示をした。
2022/4/16
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