九:桔梗



『殺すのならどうぞ』


神里屋敷地下にある牢獄。そこには一人の少女が壁に手を拘束された状態で囚われていた。その人物は私が牢の中へ入ると、下がっていた顔を上げ蒼色の瞳を向けた。


『何故殺す必要があるのです?』

『私は貴方を殺そうとした。であれば、貴方が私を殺しても可笑しい話ではない』


無表情のまま淡々と告げられたのは、自分を殺せという発言。……確かに彼女は私に刀を向けた。だが、私はそれを理由に彼女を殺す気はなかった。むしろ、彼女の正体を知って、殺すのでは無く、守らなければならないと思った。


『私は貴女を殺しませんよ……桔梗院名前さん』

『! どうして、私の名前を……』


蒼色の瞳に青紫色の髪。これは桔梗院家の血を持つ者の特徴だ。そして、彼女がその純粋な血を持つ最後の人だ。


『貴女は私達神里家が守らなければならなかった存在です。……遅くなってしまいましたね』

『守る、って……』

『知らない訳がないでしょう? 元々桔梗院家は社奉行の配下にあった家系です。いくら天領奉行へ奪われたとしても、私は貴女を守る責任があります』

『でも、私は貴方を殺そうとした……なのに、どうして』


抑揚の無かった声に感情が見え始めた。きっと本当の彼女は冷たい人ではない……初対面なのに、何故そう感じたのか。それは僅かではあったが彼女について聞いていたからだ。


桔梗院名前
女性として生を受けたが、時期当主として日々鍛錬に励んでいるという内容だ。桔梗院家はその武芸の多彩さ故に体力と精度を求められることから、当主は男性という決まりがあった。

……つまり、代々継がれてきた武芸を会得することは、桔梗院家では当主となることを指す。
前当主であった彼女の父の伴侶……妻である女性は、身体が弱かった。それ故、男児を産む力が残っていなかった。それも彼女が当主となるはずだった理由の1つかも知れない。

彼女は10歳という幼い年齢で、桔梗院家が継いだ武芸を全て会得したという。それは間違いなく彼女自身の努力の賜物だ。普段はお淑やかな雰囲気のある少女だと聞いていたが……私の目の前にいたのは、聞いていた気品はどこにも無く、土埃と返り血で汚れてしまったその人だった。


『当時、貴女たち桔梗院家を守れなかった身として……貴女だけでも救いたいのです』


そんな彼女が刀を血で汚すことが考えられなかった。間違いなく何か裏があるはずだと思っていたのですが……。


『私に刀を向けたことはお気になさらず。……どうか私に、償いの機会を与えてくれませんか?』

『……っ、では。では、私の目的に助力して頂けませんか』

『勿論。貴女の望みであるなら』

『……私は、今の桔梗院家を終わらせたい。母様の願いを叶えたいのです』


強い意志を感じるその瞳には、復讐と似た何かを感じた。……それが、初めて対面し会話した名前の印象でした。



『名前さん!!』



彼女が社奉行で暮らす事になり、私の部下となって暫く経った頃。妹の綾華が悲鳴混じりな声で彼女の名を呼んだ。慌ててその場へ駆け込むと、そこには口元を抑えながら蹲る名前と、その背中をさする綾華がそこにいた。


『どうしたんだい?』

『急に気分が悪くなったみたいで……名前さん、大丈夫ですか?』

『申し訳ございません……、突然気分が悪く……っ』

『ひとまず部屋で休みましょう。綾華、お願いしてもいいかい?』

『はい、お兄様!』


具合の悪い様子の彼女を部屋に運び、横に寝かせましたが一向に良くなる傾向が見えない。医学に精通した者を呼び、彼女の容態を見て貰うことにしました。


『……なるほど』


呼んだ医師は女性の方でした。その人は名前にいくつか質問をしました。ここ最近食べたものや普段何をしているのか、ストレスに感じたこと等々……。その質問は段々と日常的なものからある可能性・・・・・を彷彿させるものへと変わっていきました。

名前さんは医師の問いに答えていきました。その回答を聞き、医師は名前さんに診断の結果を伝えました。


『名前さん。貴女はご懐妊していると思われます』

『かい、にん……? ま、まさか……そんなことって』


医師の言葉に名前は目を見開き、ゆっくりと自身の腹へと手を当てた。まさか彼女がその身に小さな命を宿しながらあんな事をしていたと思うと、よく耐えられたものだ。

しかし、問題はその相手だ。だが、彼女の様子から相手には心当たりがある様子。


『その様子だと、相手に心当たりがあるようですね』

『…………はい』


医師の言葉に返答した彼女の声音は、どこか悲しそうなものでした。もしや、望まぬものだったのだろうか。


『その行為が貴女の意思でなかったのなら、中絶という選択もあります』

『中絶……それって、この子を殺すということですよね』


それならば、私はこの子を殺す事なんてできません
そう言い悲しそうに顔を歪める名前。……その言葉に込められていた意図がなんだったのか、当時の私には分かりませんでした。


『私は……許されるのなら、この子を産みたいです』


そう言って私を見上げた名前。これまで彼女は私の言うこと全てに対し、従順に従ってきた。自分は道具のように使われることが当然であると思い込んでいた彼女から、漸く”選びたい”という意思が見えた。それが私にとっては純粋に嬉しかったのです。


『断る理由などありません。……言ったでしょう? 貴女を救いたかったと』

『!』

『私に出来る事であれば支えましょう。ですから、望んだことをあきらめないでください』

『っ、ありがとう……ございます……っ』


両手で顔を隠しながら泣き出した名前。……その様子を見ていたとき、顔を下げた彼女の頭へと無意識に伸びた手。自分の行動に驚いたことを覚えています。

それから彼女には仕事を休ませました。まぁ、当然のことですが。彼女の世話は綾華が買って出てくれたため任せました。名前は僅か数日で仕事を覚えてしまったため、抜けた穴を自分や他に分散させなければならず、とても大変でした。

そんな日。彼女の容態を見に部屋を訪れた時でした。


『おや、それは……』

『起きた時に私の枕元にあったのです。……綾人様の持つ神の目と同じです』


名前の掌にあったのは、私と同じ水元素の神の目。彼女は神の目を持たない状態で、自身より体格の大きい流浪を何人も切り伏せた。それを聞いた当時は驚きましたが……その実力が更に強化されるとなると、こちら側に迎えられたのは幸いだったかもしれませんね。まぁ、今は彼女を脅威として見ているわけではありませんが。


『私、この子の父親が誰なのか分かっています。……営みの知識については、将来婚姻することを言われたときに学んでいましたから』

『では、その相手というは1人しかいませんね』


実の所、彼女の妊娠が発覚した際に父親についてある程度予想が付いていた。あの日医師に中絶の件を問われた際、彼女は迷って、そして小さな命を殺す事を拒んだ。その様子を見てとある人物が浮かんだのです。

過去に桔梗院家はとある家と婚姻を約束していた。その家というのは、過去に社奉行配下だった家系、楓原家だ。その楓原家の嫡男だった人物……


『楓原万葉。彼ではありませんか?』


楓原万葉。楓原家最後の末裔であり、当主。彼が当主に着いた後、楓原家は廃れました。彼もまた、私が守らなければならなかった人物です。その行方は未だに判明していません。


『……気づいていたんですね』

『可能性が高いと思っただけですよ。貴女ほどの実力があれば、凌辱など考えられませんでしたから』

『……楓原家が落ちたという知らせが飛んでくる前日。私は彼と会っていました。まさかあの日が別れを意味していたなど、あの日の私には思いもしませんでした』


当時の口ぶりだと、彼女もまた彼の行方が分からない様子。……だからこそ、その悲しそうな顔は彼を心配していると同時に、彼女は彼に対し政略結婚のための関係だったとは思えない気持ちを感じ取った。

つまるところ……名前は楓原万葉を愛している。離ればなれになってしまっても尚、一方的に孕まされたとしても。


『女性にとって妊娠とは人生の分岐点とも言います。何故貴女は、それを受け入れたのですか?』

『あの人は被害者です。むしろ、彼の家が危機に陥っていたのに、私は助けられなかった……。そのための婚約であったのに、私は何もできなかったのです』


だから、この子はその償いに近いのかも知れません
そう言って膨らみが分かるようになったお腹をそっと優しく撫でる名前。綾華とそう年齢が変わらないというのに、その表情は幼いながらも母親の顔だった。


『私のわがままなのに、産むことを許可してくださりありがとうございます』

『生まれてくる命に罪はありませんから。……一緒に頑張りましょうね』


数ヶ月後。彼女は元気な男児を出産した。妊娠が発覚するまで彼女はストレスと同時に激しい運動をしていたため、本来なら何かしら異常な箇所があっても可笑しくなかった。そんな中、彼女の腕の中で眠る男児は健康な状態でこの世に生まれ落ちた。

そして、名前にも特に問題無い事を確認できた。子も母親も無事である事に安心だ。


『……あの人によく似てる』


男児はまだ目を開けられる状態ではなかったが、その髪色はどうやら父に似ているらしい。だが、一房だけ彼女の髪色と同じであった。間違いなく楓原万葉と彼女の血を持つ男児だ。


『名前はどうするのですか?』

『実は前から決めていました』


綾華の問いに名前は少しだけ笑みをみせた。その笑みは初めて見た喜びが混じった笑みでした。しかし、その中には哀愁が混ざっており、純粋な喜びを感じませんでした。


『男の子であれば楓真、女の子であれば梗花(きょうか)と決めていたのです』

『では、この子の名前は楓真くんで決まりですね』


名前はいつも寂しそうです。恐らくそれは、家族を失った悲しみと、愛した人と離ればなれになってしまったこと……それらが関係しているでしょう。

私達も彼を、楓原万葉を探しています。だから、見つけられたら再会させてあげたいと思っていました。……ですが、彼女はそれを拒みました。


『私は穢れてしまいました。あの人は優しい方ですから、もしかしたら気になさらないかもしれません。……それでも、私の心がそれを許せないのです。人を斬った私が優しいあの人の隣に立つことは、もうできません』


綾華と遊ぶ楓真を、名前と共に縁側から眺めていた時、問うた質問に対し彼女が答えたものです。私は楓原万葉という名前しか知らず、人柄を知らなかったため、彼女に対する回答はできませんでした。


ですが、別視点から疑問に思うことはありました。……会うことが出来ないと言うことは、楓原万葉との縁を切りたいと言っていることと同じ。であれば、何故貴女は楓真を産むことを決めたのですか?

……楓真を産むと決めた事。彼の存在が、貴女自身の発言に対する否定であることに本人は気づいているのでしょうか。



「ただ今戻りました、綾人様」

「……無事でなりよりです、名前」


彼女専用の通路に繋がっている襖が開く。そちらへ首を動かすと、名前がそこにいた。思っていたより早い帰還でしたね。



「調査の結果を報告してもよろしいでしょうか」

「はい、お願いします」


調査結果を淡々と告げる名前を見つめ、内容を頭に入れながら昨日に計画した内容を思い返す。……彼女がどんな反応をするのか楽しみですね。


「報告は以上となります」

「ありがとうございます。なるほど、あの男は明日の夜、屋敷に戻ってくると……」

「はい。夜であれば私の能力が発揮でき、穏便に進められます。……そして、目的であった桔梗院家を潰すことができます」


……本来なら家を壊したくないだろうに。母の願いだから、これ以上桔梗院家を穢されたくないから。そのために彼女は自分の家を潰すことを決めた。

彼女の覚悟に答えるためにも、最後まで油断出来ませんね。相手は彼女が潜入して得なければ見つける事ができなかったほど、隠蔽に秀でている。慎重な行動と選択をしなければ。


「経路は既に確認済みです。配置された警備から考え、最もあの男に接近できる場所です」

「分かりました。では私はそのように事を進めましょう」

「はい、お願いします」


では、失礼します
そう言って部屋を出ようとする名前を私は呼び止めた。


「? いかがされましたか?」

「決行日は明日の夜。まだ今日が始まったばかりなのですから、楓真に会いに行ってはどうです?」

「…………そうですね。最悪、最後になる可能性もありますから」


ボソッと小さく零れた言葉。恐らく向こうは聞こえていないと思っているでしょうが、きちんと聞こえていますよ。


私は知っている。何故楓真に自身を姉と呼ばせているのか、宵宮さんに預けているのか。
……それは名前が、いつ命を落とすか分からない死の綱渡りを歩き続けているからです。

もし自分が死んだ後の事を考え、母親という概念を忘れさせようとした。寂しくないようにと、戦いなど知らない平和な場所を生きている信頼する人物へと預けた。


でもね、名前。
貴女の行動通りに事は進んでいないのですよ。何があっても楓真は貴女を姉として見ない……だって、楓真にとって貴女という存在は何にも変えられないのですから。


「……では、明日までの時間を頂戴いたします」

「はい、ごゆっくりどうぞ」


失礼します
私にお辞儀をし、今度こそ名前は部屋を後にした。



「………さて、あと何時間後にここへ戻ってくるのでしょうね」



自然と零れる笑みに対し口元を抑えながら、自分が企てた計画を思い浮かべた。かくれんぼはそろそろ終わりとしましょうか、名前。







桔梗...変わらぬ愛
罪を犯したからと、その気持ちを抑え込む必要などありません
貴女の罪は本来であれば貴女が背負う必要がなかったものなのですから

……さて、恐らく貴女の想い人に関する問題は解決するでしょうから、残るは目的であった”あの男”に関する問題だけです
本来ならこちらで処理する必要があるのに、貴女は自分で終わらせたいと望んでいる……その目的を果たすことが、亡き母との約束ですからね


それを終えた時、貴女はやっと自由になる


───神里綾人


2023年03月12日


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