十:麝香豌豆



「宵宮、いる……?」


長野原家裏
私は賑やかな町中を人気を感じない場所を通って宵宮の家へ訪れた。予定では夜だったのだけど、早めに戻る事ができ、そして綾人様の厚意で決行日まで休みを頂けた。

なので、この時間を楓真と過ごそうと思ったんだけど……。


「もしかしたら仕事に出ているかも……」


宵宮は花火職人で長野原花火屋の店主である。当然仕事をしているはずだ。
突然の訪問だったし、仕方ないか。

それに、彼女から普段楓真が何をして過ごしているか話を聞いている。こちらも家にいない可能性がある。
どうしよう、このまま帰ってすれ違ってもアレだし、表に出ないとだけど龍之介さんに聞いてみようかな……そう思った時、聞き覚えのある鈴の音が聞こえた。


「名前〜〜っ、帰ってきたんか!!」

「宵宮!」


裏へ駆け込んできたのは私が呼んだ人物、宵宮だった。どうやら家にいたらしい。……けど、何か泣きそうな顔をしている。


「そんなに慌ててどうしたの?」

「ふ、楓真が……楓真が……!」

「楓真がどうしたの?」


ぐずぐずと泣きながら楓真の名を口にする宵宮に嫌な予感がする。宵宮を落ち着かせながら話の続きを催促した。



「楓真が___流浪に攫われてしもうたんや……!!」



宵宮の言葉に頭が真っ白になる。


「……楓真が、攫われた……?」


少しして漸く脳が状況を理解した。
楓真が流浪に攫われた……まさか、私の所為?


「名前!」


力が抜け、膝を着いてしまう。倒れそうになった私を宵宮が支えてくれたお陰で、地面に倒れる事はなかった。

分かってた、いつかこんな事になる可能性があることは。だから安全な場所に預けたというのに、私に対する恨みは想像以上に強く、広かった。


「私の、私のせいで……っ」


意識が遠のいていく感覚がする。上手く呼吸ができない……視界が、ぼやけて……。


「落ち着きぃ、ほな深呼吸!」

「…………ありがとう、宵宮」


過呼吸になりかけていた私は、宵宮の声に何とか落ち着きを取り戻す。……そういえば初めて会った時も、彼女のしっかりした部分に救われたっけ。


「大丈夫や。社奉行んとこにも話とる。それに、蛍たちも一緒に探してくれとる」

「蛍も……」


きっと私が社奉行を出た後にその知らせが入ったのだろう。なんて運の悪い……。
けど、蛍も一緒なら早く見つかるかもしれない!


「その流浪達は鎮守の森に逃げ込んだらしい。楓真と遊んどった子がそう言うとった!」

「なら、そこへ急ごう」


私は宵宮と共に鎮守の森へと走る。

……楓真。私のたった一つの宝物。
絶対に死なせないから。私が、私が絶対に助けるから……!


「ちょっ、名前速いわぁ……っ」

「ご、ごめん……」

「構わへんよ。当然や……んで、目的地やな」


私の目の前には鎮守の森入り口付近が広がっている。……ここは静かな場所だ。騒ぎ声が聞こえたら、そこに楓真がいる。

神経を尖らせなさい、名前。貴女の失態でこんなことが起きてしまったのだから。
……命に代えても、楓真を助け出すんだ。



「!」



足音が聞こえる。……こっちに来る!
先に向こうが私達の姿を捉えたか……焦りが出てしまったか。仕方ない、迎え撃つ!

刀を抜き、足音が聞こえる方へ構えた。


「あっ、名前!」

「え、パイモン? それに、蛍に綾華様まで」

「合流できて良かったです」


なんと足音の正体は知人のものだった。……気配だけで人を特定できないのは私の欠点だ。私に向かってくる足音・殺気はすべて敵と捉えてしまう癖を直さないと。


「宵宮から聞きました。楓真は、楓真は……!」

「落ち着いて名前。楓真は今神里家にいるよ」


私の問いかけに蛍が優しく答えてくれた。その返答は私を落ち着かせるには十分だった。


「本当……?」

「はい、客室に通しています。何とか落ち着きを取り戻していますが、きっと恐怖は抜けきっていないはずです」

「そうですか……。申し訳ございません、楓真が攫われたのは私の失態です」

「気にするなよ! 今は楓真が無事なのを喜ぼうぜ!」

「……そうだね」


反省は後だ。今は楓真の元へ行って、その存在を確かめたい。


「では、早速参りましょう」

「はい!」


***



「おや、戻ってきましたね」

「綾人様っ」

「そう慌てないでください。楓真の事でしょう? トーマ、楓真の元に彼女を案内してあげて」


神里家
立派な門を潜った先で私を迎えたのは、綾人様とトーマさんだった。綾人様はトーマさんに私の案内を指示した後、執務室のある方へと歩いて行った。


「まさか君に子供がいたなんて……それも弟と紹介されてた楓真くんだったとは。知らなかったよ」

「話してなかったので当然です。すみません、隠していて」

「気にしてないよ。話しにくかったんだろう?」


実は私とトーマさんが神里家で働き始めた時期は若干ずれがある。
ほぼ誤差ではあるが、私が先に神里家で働き始めて暫く、楓真を身ごもっていることが判明して休んでいる間にトーマさんが神里家へやってきた……という流れだ。


「若たちから色々聞いたよ、楓真くんの父親について。……よく似ているよ」

「万葉を知っているんですね」

「彼と共通の友人がいたんだ。……流浪だったんだけど、御前試合で敗れてね」


その話に覚えがある。……彼が指名手配となるきっかけになった出来事であるから。
あの時の万葉の顔をよく覚えている。横顔だけだったけど、とても苦しそうだった。偶然その場にいあわせていたのだが、その当時私は彼を助ける事ができなかった。

……その出来事からそう時間が経たないうちに、万葉は指名手配となった。その経緯は当時の出来事を見ていたこともあって分かっていた。
その知らせを聞いた時、私は彼を守らなければならないと思った。けど、社奉行で彼を匿うのは難しい話だった。社奉行は将軍様に最も近い組織である為、感づかれやすい。

……そう考えた私は、綾人様にこのような提案をしたのだ。



『楓原万葉を国外へ逃がしたい、ですか?』

『無茶でわがままな願いなのは理解しています。これが私情であることも……それでも、私は彼を助けたい。桔梗院家が守れなかった彼を、今度は守りたいのです』


ずっと抱えていた。彼の家を救う為の婚姻だったのに救えなかった事。……せめて、その命を守りたかった。大きな脅威から彼を遠ざけたかった。


『前に仰っていましたよね、楓原家は守る存在だったと』

『ええ』

『社奉行が将軍様に最も近い組織であることは重々承知しています。……全ての責任を私に押しつけても構いません。どうか、私に彼を救う機会を……!』


必死に頭を下げた。私がどうなってもいい、だから……彼を、万葉を救いたい。それだけだった。


『……顔を上げなさい、名前』

『綾人様……?』

『貴女は本当に彼を愛しているのですね。ふふっ、分かりました。元より彼の件については密かに手を動かしていたのです』


綾人様の言葉に下げていた頭を上げる。……あぁ、私は正しき考えを持つ方を選べていたようだ。


『では、貴女にも手伝って頂きましょうか。……彼を、楓原万葉を国外へ逃がす手段を』

『……っ、勿論です、綾人様……!』


この日から私は彼を稲妻から逃がすための手段を探す為、暗躍を始めた。綾人様に拾われる前に身についた気配を消す力……神の目を授かったことで更に磨きがかかったこの力を惜しみなく使い続けた。

そして私は、とある人物を見つけた。……彼を稲妻から逃がしてくれるかもしれない人物を。


『なるほど、彼女ですか。確かに彼女は鎖国中の稲妻に訪れる船の一隻です。疑われること無く彼を国外へ逃がしてくれるでしょう。しかし、少々彼女が名が通っているのが気になりますが……』

『それを理解した上での提案です。名が通っているということは、逆に言えばそれだけ実力があり、また信頼を得ているとも言えます。……はっきり申し上げますと、賭けに近いです』

『ですが、何も知らぬ存在に彼を任せるのは逆に不安です。……そうですね、では提案した者である貴女から彼女へ伝えてくれますか?』

『! 勿論です、お任せください』

『ありがとう、名前。無茶を言いますが、なるべく早くお願いしますね』

『無茶などではありません。こうして計画を練っている間にも彼は天領奉行から逃げ続けている……早く彼を安全な場所で腰を落ち着かせてあげたいのです』

『貴女の気持ち、しかと受け止めました。……さぁ、行きなさい』

『はい、失礼します』


綾人様の命令の下、私は協力者になってくれるかもしれない人物……北斗さんの元へ向かった。
彼女の船は偶然にも稲妻に停泊していたため、失礼を承知して足を踏み入れた。


『! 何者だ!!』

『突然の訪問、失礼します。この船の主、北斗様にお会いしたいのですが、いらっしゃいますか?』

『船長に用? 益々怪しいな……』


それはそうか。向こうからすれば私は怪しい人物。更には彼らの長に用があると言っているのだから。警戒されて当然だ。


『なんだ? 騒がしいな』


そう思っていると、力強い女性の声が聞こえた。声の元へ振り返ると、そこには稲妻では見かけない格好の女性がいた。


『北斗姉さん! この女が北斗姉さんに用があるって言ってるんだ』

『へぇ、アタシに……。何者だ?』


彼女が北斗……!
女性の正体を知った私は彼女の方へ身体ごと振り返った。


『お初にお目にかかります。私は社奉行より使わされた者です』

『社奉行? 三奉行の1つじゃないか。そんなお偉いさんの使いがアタシに用か?』

『はい。社奉行当主である神里綾人様から貴女に言伝を預かっています』


私は万葉の件について協力してくれないか……という内容を北斗さんへ説明した。疑われるのは当然のことだったので、綾人様からの申し出である証拠も一緒に手渡した。


『……なるほど、分かった。その話呑もうじゃないか』

『船長!』

『よろしいのですか。この話を受けると言うことは、危険を背負うと同義です』

『なあに! アタシらは常に過酷と一緒なんだ。危険なんて日常茶飯事さ』

『それはあまり起きて欲しくないですがね……』

『でも北斗姉さんが決めたんなら、文句はないっすよ!』


……彼女は船員にとても信頼されているようだ。彼女選んで正解だった。ここなら万葉を任せられる。


『……これをもって承諾したとみなします。よろしいですね?』

『璃月でいう契約って奴だな! おう、勿論だ!』

『ありがとうございます、北斗様。この話は当主へ必ずお伝え致します』

『おう。あと、様付けは止めてくれ。アタシはそんな大層な人間じゃ無いよ』

『何を仰いますか。貴女は我々の協力者……敬称を付けて当然です』

『うーん……でも様は止めてくれないか』

『……では、北斗さん』

『それならよし!』


彼女の笑顔はどこか安心する。だからこそ、この船の人達は楽しそうで明るい人が多いのだろう。……傷付いた彼の心を癒やしてくれるはずだ。


『この話を持ち帰った後、我々は楓原万葉を貴女の船の元へ向かうよう伝えます。彼と合流した後のことは貴女にお任せます』

『了解』

『……では、話は以上になります。この度は協力ありがとうございました。どうか、ご無事で』

『あんたもな。……そういや、あんたの名前聞いてなかったな』


顔が隠れるほどの大きな頭巾を被り、更には口元を隠している私の名を聞こうとするなんて。……人がいい方だ。


『私はただの社奉行からの使いです。名を覚えていただける存在ではありません』

『……そうか。まぁ、あんまりしつこいと失礼だし……分かった。名前が聞けなかったのは残念だが、アンタのその容姿と綺麗な声を覚えとくぜ』

『……ありがとうございます、北斗さん。では私はこれで失礼します』


私は結果を綾人様に伝えた。綾人様はまるで結果は分かっていたと言うような反応をされていた。……この人は先を見通す力があるのだろうか。

そうして終末番の方達によって万葉の居場所を特定、そして北斗さんの元へ向かうようお伝えできたようだ。


『もう少しで彼は稲妻を去ってしまいます。……お別れを言わなくてよいのですか?』

『お別れは伝えません。……ですが、彼を天領奉行の追手から逃れる時間稼ぎには行こうと思います』

『そうですか。……貴女が後悔しないのならそれで』


数日後。
私は北斗さんの船が停泊している場所付近で万葉の姿を探していた。……彼が追手に見つからず船の元へ迎えていると思わないからだ。

それは彼の実力を考えてという意味ではない。むしろ、見つかっていないのなら嬉しい事だ。……だが、指名手配犯を天領奉行が、稲妻がそう簡単に逃がすと思わない。


だから私は天領奉行に、国に立ちはだかる。
……将軍様に勝てる自信はないけれど、ただの見回り隊に負けることはない。



『!』



騒がしい声が聞こえた。それはこちらへと近付いてくる。目を凝らして見れば……そこには今思い浮かべていた人物が走ってきていた。私が予想していた状況を引き連れて。



『……彼の邪魔はさせない』


彼が通過した瞬間を狙って木の上から飛び降りた。


『貴様、何者……ぐあぁッ!?』

『我らは将軍様の名により指名手配犯を……っ!?』


彼らの言葉を無視しながら刀を振るう。……とは言っても峰打ちだけど。


『うぐっ、』

『……これで最後かな』


万葉を追っていた天領奉行の人間が全員気絶したことを確認した後、彼が走って行った先を振り返った。どうやら彼は逃げることに必死でこちらの状況にまだ気づいてなかったみたい。……そろそろ違和感に気づくだろう。そう思った私は、木陰に隠れながら彼の様子を窺った。



『…………行った、かな』



一瞬だけ立ち止まりこちらを振り返った万葉は、私に気づかなかったようだ。けど、倒れた天領奉行の人間を見て彼はとある言葉をこちらへ掛けた。



『”かたじけない、見知らぬ者よ”……か』



再び前を向き走り出した万葉を見送りながら、私は口元を覆う布を外す。それと同時に風が私の頭巾を外した。


『……どうか、幸せに。自由になって___私が愛した、最初で最後の人』



……それが、目狩り令が廃止される前に見た、彼の最後の姿だった。目狩り令・鎖国が廃止されてから、万葉は度々稲妻へ帰って来る事があった。その度に彼の元気な姿が見れて安心していた……。



「名前?」

「え?」

「何か考え事かい? ボーッとしていたみたいだけど……」


どうやら何度も私に声を掛けていたらしい。……自分でも思った以上に昔話に浸ってしまったようだ。



「ごめんなさい、ちょっと考え込みすぎたみたいです。気になさらないでください」

「そっか。でも何かあるなら言ってくれよ?」

「ふふっ、はい。ありがとうございます」


ほら着いたよ。
私が考え込んでしまっている間に風魔がいる部屋へ着いたようだ。


「楓真、いる?」


恐る恐る声を掛ける。……すると、襖の奥から軽い足音が聞こえた。


「っ、母上!!」


勢いよく襖が開いたと思った瞬間、私に飛びついてきた何か。それは楓真だった。


「楓真! 良かった……怪我はない? 怖くなかった?」

「拙者は無事だ。それに、怖くなかったでござる」


きっと無理して強がってると思うけれど、刺激して恐怖を思い出させてしまいたくない。私は「そっか」とだけ答え、宝物を抱きしめた。


「こうして見ると、改めて本当に親子なんだなって思うよ」

「そういえば誰が楓真を助けてくれたのか知っていますか?」

「それは本人に聞いたら?」


それじゃあね
そう言ってトーマさんは廊下を歩いて行った。

……確かに楓真に聞けばいいことではあるけれども。まあいいか。


「それで、楓真を助けてくれたのは誰なの?」


楓真へそう声を掛けると、腕の中にいる小さな存在は上目遣いで私を見上げた。


「気になるか?」

「勿論。だって私の大切な貴方を助けてくれた方だもの。お礼を言わないと」

「分かった。では連れてくるでござる」


そう言うと楓真は私を部屋に入れ座らせた。……何故か襖から背を向けるように。疑問に思いつつも楓真が楽しそうなので良しとする。

楓真は一息着くと「しばし待たれよ!」と言って、部屋を出ていった。
口頭で教えてくれても良かったのに、どうやら楓真は私と直接対面させたいらしい。


「あれ? 連れてくるってことは、神里屋敷ここにいるってこと?」


警戒した方がいいのでは、と思ったが神里屋敷にいるということは、家主が許可している人物であるという意味になる。なら、多少は緩めても問題なさそう。


「……来たかな?」


軽めの足音。これは楓真だね。それともう一つ足音がある。この人物が楓真を助けた人かな?
とは言っても知人である可能性が高い。となれば、蛍かな……?

けど、それならそうとあの場で言ってくれたら良いのに……まぁ、蛍と決まったわけではないんだけど。


「母上、連れてきたでござるよ!」


楓真の声だ。なら、振り返ってもいいかな?
そう思い後ろを振り返ろうとした。


「!」


身体を包み込まれる感覚。これは楓真じゃない……誰!?
身動きを取ろうとした瞬間、真上から声が降ってきた。



「___ようやく捕まえた」



聞こえた声は、今まで遠くから何度も聞いていた声。……ずっと忘れられない人の声だった。
その声に私はすぐに反応できなかった。……どうして、どうして万葉がここにいるの……?







麝香豌豆...さようなら
あの日、私は彼の未来を願って見送った
……だというのに、どうして彼の声がこんな近くで聞こえたの?

どうして貴方が……ここにいるの?


───桔梗院名前


2023年03月26日


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