一:夏椿
「彼女は名前さん。普段はお兄様の元で仕事をしているのですが、この事態の解決のため今はこちらの手伝いをして頂いています」
「よろしくお願いします、蛍さん、パイモンさん。私の事は気軽に名前とお呼び下さい」
青紫の髪を低い位置でお団子に結び、紅葉の葉と紫色の花で飾られた簪を付けた女性……名前との出会いは、綾華からの紹介だった。
「この度は稲妻の問題に協力頂き感謝します。全力でお手伝いさせていただきます」
見た目だけだったら私や綾華と年齢が近そうに感じるが、しっかりしているし、仕事が早く……完璧な人というのが第一印象だった。宵宮と出会うまでは。
「名前に言われてきた? おぉ、あんたが名前の言っとった旅人やな!」
「名前を知ってるのか?」
「うちらは親友なんや! かった〜い友情で結ばれとんねん」
あの真面目そうな名前と明るさに振り切った宵宮に面識どころか親友だとは想像付かなかった。だが、ある日を境に第一印象が変わる。
「名前さんって子供好きなんだね」
子供達と遊ぶ彼女は宵宮のようにお姉さんのような雰囲気と同時に、年相応な笑顔を見せてくれたのだ。
「……ハッ! つい緩んでしまいました……」
「いいって! むしろ、自然体でいてほしいぞ!」
「ですが、貴女方は綾華様のご友人……無礼に値します」
「そんなの気にしないって! むしろ、今の方が気を遣うぞ!!」
「……分かった。これでいいかな」
「おう!」
敬語が抜けた名前さん……いや、名前の表情は、以前の引き締まっていた雰囲気が緩み、接しやすくなった。
「改めてよろしくね、名前」
「うん、蛍、パイモン」
この日を境に名前について色々知ることができた。その一つなのだが、大人な雰囲気だが、実は楽しい事が大好き。恐らくこれは宵宮が関係しているのだろう。子供好きもそこから来ているのかな……そう思っていた。
「名前、どうしたの?」
ある日、名前が子供を見て悲しそうな顔をしていた。先程までは楽しそうにしていたのに、別れた後、一瞬だったが寂しそうにしていたのだ。
「ううん、何でもないよ。ただ少しだけ懐かしいと思っただけ」
そう言った名前のカチューシャに付けられた水元素の神の目が、太陽の光に反射して輝いた。
彼女は子供達を見て何を思ったのだろか。その話を私に打ち明けないと言う事は、彼女にとって私はまだ信用できる存在ではないのかな、とそう思った。
「彼女はお兄様が連れてきたのです。事情がかなり複雑で、普段は表には出られないのです。蛍さんは終末番をご存知ですよね?」
「うん。名前と何か関係があるの?」
「あると言えばあるのですが、直接的なものではなくて、終末番とは別の役割を持つ人なんです」
綾華によると、名前は終末番と同じく裏で動く人なのだという。それも、終末番とは別の仕事をしている……一体彼女は何をしているんだろうか。
「彼女に名を名乗ることを許可されているというのは、信頼の証です。今、彼女の名を知る者がこの稲妻に何人いるのでしょう……」
悲しそうな顔でそう呟いた綾華。本心で名前を心配しているのだろう。その表情を見ていると、名前が見えない場所で何を行っているのか察しが付いた。
終末番と同じく裏で働く人達なのは間違いない。以前、終末番の仕事を手伝ったことがあるため分かっているつもりだ。
同じ役割であるなら名前も終末番の一員だと言えば良い。むしろ、綾華ならそう説明するはず。……それをしなかったということは、終末番でも解決できない仕事を請け負う人ということ。遠回しに言ったが、はっきりといってしまえば汚れ仕事だと思う。
だから、彼女を知る人が少ないと綾華が言ったのだろう。
「名前かい? そうだなぁ、若とお嬢に仕える者同士でいえば、俺達は裏表な存在だね」
「裏表? どういう意味だ?」
「俺はいろんな場所に出て仕事をする立場、名前は誰にも知られない位置で仕事をするって所かな」
次に名前について尋ねた相手はトーマだ。トーマにとって名前は表裏の存在だという。
「実は社奉行で名前について知ってる人は、ごく僅かなんだ。それほど彼女の存在は小さい。……そして、彼女の功績によって守られた人は、名前の事を知らないまま生きていくんだ」
「そんな、見返りがないなんて辛すぎるぞ……!」
「でも、それが本人の意思なんだ。『私は二度と日の出る場所で自由に呼吸できない』……そう言ってたよ」
独特な言い回しだけど、理解はできた。……汚れ仕事をしているのは間違いがないのかもしれない。
彼女の存在が、今日も璃月を守っているだろう存在と重なった。誰にも知られないまま、危険に身を投じ、平和をもたらす……。彼女はどうして、そんなことをしているのだろうか。
「名前は初めから、それを良しと思って引き受けたのかな」
「どうだろう……こればかりは若だけが知っているんじゃないかな。もしかしたら少しだけお嬢が知ってる可能性もあるけど……」
「……あ! 宵宮は知ってるんじゃないか? 彼奴、名前のことを親友って言ってたし!」
「そうだね。宵宮は知ってそうだ。聞いた話だと、社奉行に来る前からの仲みたいだよ」
というわけで、トーマの証言を元に宵宮に会いに来た。どうやら今日は家にいたようだ。
「名前? 名前がどうかしたんか?」
「名前について知りたくて」
「トーマに聞いたんだけど、宵宮とは仕事関係とかないから気を許してるって聞いたぞ!」
「当たり前や! うちらは仕事で繋がっとるわけやない、友情で繋がっとるんやからな!」
……でも、これ以上自分を危険に晒してほしくない
いつも元気な宵宮が、突然小さく言葉を零した。その言葉は名前の身を案じたものだった。
「宵宮は名前が普段何をしてるのか知ってるんだな」
「おん。……本当なら、すぐにでも止めさせたい。けど、一度手を出してしまったら戻る事ができないことを名前はやってしまった。だから、あの子が生きて行くにはその道しかないんや」
まだ見ぬ綾華の兄に言われたからその役割に徹したのではない。……初めからその選択肢しかなかったのか。
「今も目狩り令の為に、見えんとこで動いとるんちゃうかな。名前の奴、やけに目狩り令に対して思うところがあるみたいでな。今回の話に積極的なんよ」
「宵宮は何か知ってるのか?」
「……まー、知らんいうと嘘になるな。けど、詳しくは知らん。これはうちからより、名前から聞き」
名前にとって知られたくないことを守る。信頼しているからこそ、宵宮に話したんだろうな。
……だったら、彼女が話してくれる時を待とう。そう思い、私達は名前について探るのを止めた。
「名前はもっと自分を大切にせなあかんのに、それを自覚しとらん。……あの子のこと心配してる存在はいるのにな」
「綾華とトーマのことか?」
「……まー、そうやな。あ、うちも入るからな!?」
なんか含みがあるように感じたのは……多分気のせいだろう。名前さんを大切に想っている人が存在しているのは間違いのないことだから。
得られた情報から名前に対する印象が変わった。真面目で完璧そうな姿から、何か背負っている悲しく、儚い存在だということ。
宵宮や綾華、トーマなど、彼女を知る存在がいないとすぐにでも消えてしまう……それが名前に対する印象になった。
***
トーマの神の目が奪われそうになった事を切っ掛けに、稲妻城を離れる事になった。その際、手助けをしてくれたのは名前だった。
「トーマさんを助けてくれてありがとう。しばらくは抵抗軍の元に滞在することになるけど、もしこっちに戻ってきた時は、あの小屋を使って良いよ。せーふはうすって言うらしいよ」
「なんかかっこいいな!」
「じゃあ普段はそこにいるの?」
「仕事中はね。でも、いない事の方が多いかな」
名前は話を続けた。トーマが外に出られない今、自分が彼の仕事を少し担う必要があるらしく、忙しくなるそうだ。それと同時に、何か用事があれば名前を通して大丈夫だとも言われた。
「……それじゃあ、ご武運を。蛍、パイモン」
「ありがとう、名前。貴女もね」
「またな、名前!」
こうして私とパイモンは少しの間、稲妻城を離れる事になった。豆粒ほどにしか見えなくなってしまっても、彼女はずっと私達を見送ってくれていた。
……小さくなってしまったから、表情もその雰囲気も分からないはずなのに、どこか寂しげに見えたのは気のせいだったかな。
そのあと、私達は無事抵抗軍と合流し、そして死兆星号と再会した。そこでは稲妻に入国する際お世話になった北斗と、その時に出会った万葉もいた。
「おや、それは……」
「これか? 稲妻で知り合った友達からもらったんだ! しおりって言うらしいぞ!」
これは前に八重堂で購入した本を見ていたとき、偶然その場に居合わせた名前が作ってくれたものだ。どうやら名前の得意分野らしい。
ただのしおりではなく、押し花というもので作られているという。モンドで収穫した風車アスターで作って貰ったのだ。
「……名前?」
それを見た万葉が名前の名前を呟いた。それは近距離にいたから聞き取れた程の小さな声だった。
「名前を知ってるの?」
「……ああ」
名前の存在を知る者は少ないと綾華とトーマが言っていた。だから、何故万葉が彼女を知っているのかが気になってしまった。……けど、絞り出すように私の問いかけに答えた万葉の表情が悲しそうで、辛そうで。
「……生きて、いるのだな」
「そりゃあ生きてるだろ……」
「パイモン、空気を読んで。……名前と何かあったの?」
「いつかお主に話そう。今は稲妻の問題を解決するのが優先故」
この時は万葉から名前について聞く事はできなかった。けど、彼の表情から察する事はできた。二人は元々交流があったけど、何かしらあって会えなくなった……。大雑把だけど、今分かるのはこれくらいだ。
「うぅ〜っ、気になるぞ」
「万葉も事情があるんだし、話してくれると気を待とう?」
「おう……」
それから様々な事があった。散兵に会って、神子に助けられ……淑女と戦って。そして、稲妻の神と戦い勝利した。
その勝利を共に稲妻は目狩り令から解放された。まだ、鎖国という問題が残っていたけれど、神の目を奪われることはもうないだろう。
「宴会?」
「はい。今回稲妻を救ってくれた貴女達に是非参加して欲しいと綾華様が」
久しぶりにその姿を見た名前から、宴会のお誘いを受けた。開催場所は現在離島に停泊中の死兆星号だそうだ。
功績者を呼ばずしては宴会の意味がないため、ほぼ強制参加のようだ。
「美味しい料理たくさんあるか!?」
「ええ、約束しましょう」
「やったぁ!」
「分かった、参加するよ。……あと、敬語に戻ってるよ」
「あ、ごめんなさい。綾華様からの話を伝えなきゃって気持ちで敬語になってたみたい」
恐らく仕事モードというやつだったのだろう。すぐに敬語を外してくれた。
「勿論名前も行くだろ?」
パイモンの問いかけは私も尋ねようと思っていたことだ。パイモンの言葉に名前は少しだけ目を丸くすると「うん。ちょっと遅れるかもしれないけど」と答えた。
「さ、着いたよ。それじゃあ、私はあとから合流するよ」
「おう! 早く来いよなー」
「パイモンが全部食べちゃうからね」
「ふふっ。……うん、楽しんでね」
名前は私達を離島に案内した後、元来た道を戻っていった。まだ時刻は夕方で、日が沈みかけている所だった。
何か仕事が残っているのかな?
……初めはそう思っていた。
「いや、名前は来ぃひんよ」
「え」
先に会場に着いていた宵宮が、名前が来ないと断言した。どうしてそう思うのだろうか。
「お前は名前に会いたくないのか!?」
「会いたいに決まっとるやろ!」
「ならなんで来ないって言えるんだよ! もしかして、来ないって聞いたのか? あいつはオイラ達に嘘付いたのか?」
「ま、ある意味嘘を付いたのかもな」
そう言って宵宮は話し始めた。名前が来ない理由は、この船にいる人が原因だと。
「遅くなりました」
「やぁみんな」
「綾華! トーマ!」
少し経って社奉行の二人がやってきた。……そこには宵宮の言う通り、名前の姿はなかった。
「二人とも、名前を見なかった?」
「俺は見てないな……」
「名前は来ないのか?」
「……恐らく来ないでしょう。お二人を案内した後、お兄様の元へ戻られたと思います」
「なんでだ?」
「初めに言いましたが、名前さんはお兄様の仕事を手伝っているのです。本来は私の側にはいません。ですから、仕事に向かわれたのではないでしょうか?」
「折角の宴なのに……」
「それに、この船にはあの方がいらっしゃるのでしょう?」
「あの方?」
綾華はコクりと頷くと、辺りを見回し始めた。誰かを探しているのだろうか……そう想っていると、綾華は動きを止めた。彼女の視線の先にいたのは……
「もしかして、万葉のこと?」
「はい」
紅色のワンポイントカラーが印象的な髪を持つ人物、万葉だった。彼を見ていると、万葉がこちらを振り返った。確か彼は耳が良かったはず、気配と言うより声で反応したのだろう。
万葉は近くにいた船員と少し話すと、こちらへ駆け寄ってきた。
「何か用でござるか?」
「いえ、特に用は……」
「名前が来ない理由を話してたんだ」
あぁ、パイモン……空気を読んでってば……。パイモンの発言に頭を抱える。
「……もしや、名前がここに来る予定だったのでござるか?」
「万葉がいるから来ないって綾華と宵宮が……」
「それは誠か」
一度言ってしまった発言は撤回できない。私は綾華と宵宮を見た。
「……本当は本人に言わせなあかんけど、このもどかしさをずーっと抱えとるうちの身になってもらいたいし……ええわ。話したる」
「きっとこの場では宵宮さんが名前さんについて詳しいと思います。是非お話を聞かせて下さい」
「宵宮殿。名前について教えてくれぬか」
「……分かった。そこに座りぃ。長い話になるからな。あと、食の場を濁す事になる。それでもええか?」
宵宮の問いかけに対し、私とパイモンは頷いた。その後、万葉達の方へと首を動かした。綾華もトーマも……そして万葉も、覚悟はできているようだ。
私含め、その場にいた者達は宵宮の前に座った。いつもならニコニコとしている彼女だが、今は真剣そうな表情だ。
「……まずは、名前と出会った時の事を話そうか。その方が今の名前について話が繋がるからな」
夏椿(ナツツバキ)...儚い美しさ
私は彼女を見てこう思った……いつか消えてしまいそうな儚い人だと
哀愁漂うその人の微笑みは美しく、そして寂しそうだった
───蛍
2023年02月07日
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