novel3 | ナノ



19

 


「ディオが…父さんに…毒…?」


ジョナサンからその言葉を聞いてから、リリアンの頭は真っ白になっていた。
険しい顔で外に飛び出していった弟に詳しい事が聞けず、リリアンは足元の感覚が覚束ないまま、父の居る部屋に戻った。

父は、今は元気だ。咳は続いていて、指も腫れているが、落ち着いている。
なのに、何故?ジョナサンは急にあんな事を言って、医者を増やしたのだろう。
ディオと二人きりにならず、父さんと一緒に居ろ、だなんて注意を。
毒?ディオが、毒を?
でも父は死んでいない。まさかここ数年の父の体調不良は、その毒?のせい?
ディオが毒を盛っていた?
そんな、そんな事、考えた事もなかった。

リリアンは父の体調が悪くなり出した頃を思い出そうとした。
執務室に行き、メイドから貰った紅茶を飲み、なんとか落ち着こうとしたが、ぐらぐらと目眩がした。
考えても考えても分からなかった。
リリアンは何度も父を自分の伝手を使って名医に見せていた。そんな彼等ですら原因が不明だと首を傾げていたのだ。
病状に対する対処療法しか出来ず、けれども出された薬を飲んでいれば父の症状は治っていた。
それが、あの医者にも原因不明な症状が毒?それも、ディオに、よって?


「う…っ」


目眩が酷くなり、吐き気がした。
リリアンは口元を押さえて、目を閉じた。ぐるぐる回る視界を閉じて少しでも落ち着かなければ、倒れてしまうと思った。
それくらい、ジョナサンの言った事が受け入れ難かった。

もし、仮にもし、ジョナサンの言う通り、ディオが父に毒を盛り、あの原因不明の体調不良を引き起こしていたと言うのなら、今までの、ディオの言動は──


「嘘……」


父の不調に焦り、慄き、弱るリリアンを慰めて、その陰で、ほくそ笑んで、いたのだろうか。
分からない。何も分からなくて、突然足元が崩れ落ちるような感覚がした。
ディオに抱き始めていた感情に、ぴしりとヒビが入った。

──玄関先の、2階の手すりが、壊れていた。
召使い立ち達がそれを直している。昨日の夜にジョナサンから直すようにと言われたらしい。
そういえば、今朝からずっとディオを見ていない。
昼食の時もいなかった。もしかして、二人はまた昔のように玄関で殴り合いでもしていたのだろうか。
結局その日一日ディオと出会う事は無く、まだ考えの纏まらない、というより、現実を受け止めきれないリリアンから探しに行く事が出来なかった。
ジョナサンが家を出て行ってから二日目、父が新たに来てくれた医師から様々な検査を受ける所を、リリアンも見学したり、手伝ったりしていた。
その合間に執務室の方で日課の仕事をしていると、その間にディオが見舞いに来たと父が言ったので、リリアンはディオを探した。
けれど、ディオは自室にも居ないようだった。どこにいるのか…と思っていると、無人の筈のジョナサンの部屋が、内側からガチャリと開いた。


「!」


リリアンは咄嗟に壁の隙間に隠れた。
中からは、ディオが現れた。彼はずっと、ジョナサンの部屋に居たのだ。
けれど、何故?鍵のかかっていた筈のジョナサンの部屋で、一体何をしていたと言うのだろう。
リリアンはディオに聞きたい事がたくさんあった。けれど、踏み出す勇気が無くて、脚が動かなかった。
立ち去っていくディオとの距離が、恐ろしい程遠く感じた。


「………」


リリアンは、その背中を見て、ふと、自分がディオに依存し始めていたことに、ようやく気がついた。
そして、彼に裏切られたかもしれないこの今、リリアンは弱っていた自分の心もちゃんと自覚した。
目が、醒めた。自分は、こんな所に立ち尽くす人間では無かった筈だ。
これまでだって、数多くの困難に立ち向かってきた筈だと。
ぎゅっと拳を握り、リリアンは決意をした。
ディオと、決別する決意を、した。











その日の夜、ジョナサンと共に出て行った筈の御者が帰ってきて、ディオと話しているのを見かけたリリアンは、彼に声をかけた。


「…ジョナサンは?」

「ああ…リリアンか…あいつは…一人でロンドンに残ったらしいぜ…」

「…そう…」

「なあ…リリアン…」

「ディオ、少し、話をしましょうか」

「ああ…」


リリアンは、ディオの顔を見上げてそう言った。
ディオは、リリアンを見ていなかった。床にある埃が気になるような素ぶりをして、こちらと目線を合わせなかった。

そのまま、リリアンはトレーニングルームの方へ向かった。テーブルも椅子も無い、開けた部屋。
そこで、立ったまま、話し合いをする事にした。


「…リリアン…こんな所で話し合いなんて、珍しいな」

「…ディオ、単刀直入に聞きますが、ジョナサンから貴方が父に毒を盛っていると聞きました。それは本当ですか?」

「ッ…、お前は、ジョジョの言う事を信じるのか?やっぱり弟の方が大事なんだな。あいつの言う事を間に受けて、義兄であり婚約者の俺にそんな疑惑をぶつけるなんて…俺はそんな事はしていない」

「…だったら…何故私の目を見ないのですか」


ディオは、明らかに焦った顔をしていた。いつもこちらを射抜くように見つめてきていた彼が、先程から全くリリアンと目線を合わせようとしない。
昔と逆になってしまったな、とリリアンは悲しい気持ちになった。


「ディオ…ジョナサンの言葉は私も疑っています。けれど、あの子がそんな事を口にして家を飛び出したと言う事は、何か証拠を掴んでいるという事。
次にジョナサンが家に帰ってくる時は、貴方の詭弁は続けられない筈です」

「帰ってくる…ねぇ…」

「…?」

「アイツはもう、帰って来ないかもしれないぜ」

「っな、どういう…?」


ディオは、少し余裕を取り戻したのか、歪んだ笑みを浮かべていた。


「アイツは一人でオウガーストリートへ入って行った。お前だって、名前は知っているだろう?」

「!」


食屍鬼街。勿論知っていた。知っている。かつて誘拐されて連れ去られた貧民街とも近い、別のスラム。
貧民街から抜け出そうとして間違えてそちらの方へと行きかけて止められた記憶もある。
そして、慈善事業の活動の中でも関わりきれない程に治安が悪く、貴族など入っただけで殺されてしまいそうな程に退廃的で排他的なその場所。


「なんで…そんな所に…!」

「さあな。だが、あそこに詳しく無いジョジョみたいなお坊ちゃまが入れば、たちまち身包みを剥がされるだろうぜ。
アイツがいくらタフガイであろうと、殺人も平気で行われる場所では生き残れまい」

「な…い、今すぐ救出に」

「おっと、行かせるかよ」

「っ、触らないで!」
 

ディオと呑気に話し合いなどしてる場合ではなかった。ジョナサンがそんな危険な場所に行ってる事など予想外だった。
けれど、父に知らせに行こうとしたリリアンの腕を、ディオに掴まれる。咄嗟に振り払おうと身を捩ると、案外簡単にその手が外されたので、リリアンは驚いた。
ディオは、傷付いた顔をしていた。


「…リリアン…信じてくれ。俺はお父さんを殺そうだなんて思っちゃあいない」

「……」

「お父さんを殺したって、俺に何のメリットも無い。お前だってそれが分かっているから、ジョジョの言葉を疑っているんだろう?」

「…だったら、何故急にジョナサンは貴方が父さんに毒を盛っていると言い出したの」

「だから、ジョジョの言っていたことの方が嘘さ。誤解なんだ」

「それは嘘…だよね…」

「……」

「黙っているということは本当なの…?
なぜ、分からない、父さんを毒で殺そうとしたって、本当に、貴方に得なんてないのに…!」

「…そう、その通りだ。むしろ損しか無い。お前とももうすぐ結婚出来るし、貿易事業を引き継げる俺には爵位も必要ない」

「…そう…だよね…?じゃあ…どうして」


ディオは父に毒を盛っていた。これは真実。
ディオは父を殺すつもりではない。これも真実。
ならば何の為に毒を盛っていたのか。


「毒を盛っていたけど、父さんを殺すつもりではなかった…?そういうこと…?
なんで…なんで…!本当に意味が分からな…!」

「…分からないのか?分からないなら、毒を盛っていたとうジョナサンの言葉を信じるな。
俺はお父さんに毒なんか盛っていないし、殺そうとも思っていない。俺の方を信じてくれ」

「し…信じられないっ!貴方の言う言葉がもう全部…!」


リリアンは泣きそうになっていた。ディオの言葉の、どこからが嘘でどこからが本当なのか。
分からないのでは無く、分かって、しまったからだった。
毒は、父の定期的な体調不良を引き起こさせる為に使われていた。それは、つまり、そうする事によってディオに利益があるという事。
それは、つまり、つまり──


「…お前だって、もう分かっているんだろう?」

「…っ!」

「泣くなよ…」

「いやっ!近付かないで!」


リリアンは、壁にかけてあったレイピアを掴み、ディオに向けた。
許せなかった。理由が分かっても、許せなかった。
父の体調不良にリリアンが思い悩んでいたのを、知っていたくせに。そこに付け込むような事をしたのだ、この男は。
リリアンを縛り付ける為だけに、この男は──!


「愛しているんだ…リリアンだけを愛している…」

「ディ…オ…」


リリアンは涙が止まらなかった。細剣を持つ腕が震えた。


「愛じゃない…」

「…ッ」

「そんなの、愛なんかじゃない!」

「リリアンッ!」

「出て行って!早くこの家から!ジョナサンが…あの子が帰ってくるまでに…っ!」

「リリアン…」


ディオは酷く傷付いた顔をして、何かを言いかけた。けれどグッと言葉を飲み込んで、部屋から出て行った。
少し間を置いてから、リリアンはその場に崩れ落ちた。ガシャンと音を立てて、レイピアが床に転がった。
手脚の震えが止まらなかった。


「ジョジョ…!父さん…っ」


ジョナサンが心配だった。今すぐに帰ってきて欲しかった。
けれど、証拠なんて見つからなければ良いのにとも思っていた。
ディオの悪事の手がかりなんて見つからずに、ジョナサンが帰ってきてくれれば、その間にディオが国外にでも逃げてくれれば…
リリアンのそんな願いは、叶わなかった。







[ 19/52 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]






×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -