novel3 | ナノ



12

 
ジョナサンはディオと真正面からぶつかった。
エリナの名誉を取り戻すために彼と戦わなくてはならなかった。
結果として、ジョナサンはディオに立ち向かう勇気を得た。彼に怯えてこそこそする必要は無くなったのだ。

──けれど、ジョナサンは多くのものを失った。
友達を失い、心を温かくしてくれたエリナを失い、いつも一緒に遊んでいたダニーを喪った。
まるで、胸にぽっかりと穴が空いたような虚しさが募る。

依然として、ディオが来てからの父は厳しいままだ。
それに父は、ジョナサンを加護し導いてくれる人ではあるけれど、同じ目線で隣に居てくれる人では無い。
だからもう、ジョナサンにはリリアンしかいなかった。
昔からずっと傍に居て、まるで母のように自分を見守ってくれる愛しい存在。変わらないで居てくれる双子の姉だけが、ジョナサンの心の拠り所だった。

日々を忙しく過ごしている彼女に甘えるのは紳士として恥ずべき事だが、ジョナサンはなるべくリリアンの顔を見て安心したかった。
もしも今、彼女がまた居なくなってしまったら──考えるだけでも恐ろしい。
世界が色を無くし、時を止めたあの日々の事は今でもはっきり覚えている。
誘拐されたリリアンが死んでしまったと思った時の事は、ジョナサンの心をどうしようもなく凍えさせた。

あのような事が起きれば、今度こそジョナサンは立ち直れない。
リリアンと日々を過ごす中で、何度ふとした拍子に泣きそうになった事だろう。
ジョナサンはますます姉に依存する自分に気が付きながらも、現状ではどうする事も出来なかった。


「…お願いだ…リリアンは居なくならないでね…」

「居なくならないよ…でも、寮生活になったら暫く会えないね」

「ああ…そうだった…。憂鬱だ…」


ベッドの上で本を読むリリアンを背後から抱きしめながら、ジョナサンはため息を吐いた。
9月からは私立の全寮制の学校に通う事になっている。それも、ディオと一緒の所にだ。
あれから学校でもディオとは話していない。露骨な陰口を叩かれる事は無くなったが、それでもジョナサンは孤独のままだった。
その原因を作ったディオと、今度は何年も共に寮生活をする事になる。また要らぬ噂や悪評を立てられれば、ジョナサンの居場所は無くなるのだろう。
もうディオに怯える気は無いジョナサンだったが、それでも、嫌な想像をしてしまい鬱々としていた。

けれどある日の放課後、ジョナサンはディオに面と向かって謝罪された。


「──今まですまなかった。」

「えっ」

「君の事を、僕は初めから嫌なやつだと決めつけていた。
僕が貧しい街からやってきた事を下に見て、その事を皆に言いふらすんじゃないかと疑心を持っていたんだ」

「なっ僕はそんなこと!」

「ああジョジョ、本当にすまない!誤解していたんだ。どうか許しておくれ」


謝罪の言葉を口にするディオに戸惑いながらも、ジョナサンは彼を許した。
涙を滲ませる彼が、本当の事を言っているのだと信じた。
皆の視線が集まる中、ジョナサンはディオの謝罪を受け入れる言葉を返した。

その後、プレップスクールを卒業するまでも、してからも、ディオの態度は友好的だった。
ジョナサンを貶めなくなった彼は、今までの事が嘘のように気さくに話しかけてきてくれた。
きっと、本当に誤解が解けたのだ。そう、信じたかった。
リリアンと石仮面を触って熱を出した時も、ディオは心配そうに見舞いに来てくれていた。

ディオが正式な養子になり、家から離れたパブリックスクールでの寮生活が始まっても、それは変わらなかった。
ディオは、明るく溌剌とした好青年として振る舞った。彼の成績は常にトップで、身体能力も抜群で、コミュニケーション能力が高く、ジョークも上手く、目上の者にも下の者にも礼儀正しい。
ディオはあっという間に皆の人気者となった。そして物静かなジョナサンを気にかけ、皆の輪に入れてくれたのもディオだった。

ジョナサンは、彼の事を良いヤツだと思い始めていた。むしろ、ディオの事を本当は悪いヤツなのになんて思う自分を恥さえした。
スクールでの生活は楽しかった。新しい友達もたくさん出来た。寮内での居心地もとても良く、ルームメイト達とも上手く馴染めた。
何不自由の無い、充実した日々。ジョナサンの生活は平穏そのものだった。まるでディオが来る前の日常に戻ったように。
けれど、心の中にはずっとしこりがあった。そんなもやもやとした思いを内に秘めたまま、寮生活は過ぎていった。

長期休暇で実家に帰るたび、父やリリアンから学校生活について尋ねられたが、ジョナサンは毎日楽しく過ごしている事を伝えていた。
リリアンは特に心配そうにしていたが、本当に何のトラブルも無かった。
気が付けば、姉への依存度合いは低くなっていった。それはディオのおかげだったと言えるのかもしれない。









月日は流れた。
長いと思っていた寮生活はあっという間に過ぎ去って、ジョナサン達は18歳になり、7月にはパブリックスクールを無事に卒業した。

そしてそれは、大学に入学する前に実家に帰省中の時のこと。
久々にリリアンと共に過ごせて喜んでいたジョナサンに、ディオは言った。


「──知っていたかい?ジョジョ。
リリアンは君と会う為の時間を、昔からずっと、とても頑張って作っていたんだ。僕とは気が向いた時だけ、って感じさ。
それに君とは毎日だってほっぺにキスして挨拶するのに、僕には未だにハグだけだ。君はずっと彼女に特別扱いされているんだぜ」

「えっ…そうなのかい。気が付かなかったよ…」

「正式な家族、正式な兄妹になって何年も経ったのに、僕はずっと冷遇されている気分だよ」

「…そんな事はないよ。リリアンは…淑女として、君を男性として扱っているんだろうね。
君もかなり身体が大きくなったし、顔を合わせていない期間が長いから、少し怖がられているんじゃあ無いのかな」

「やっぱり君もそう思うかい?
…じゃあ、ジョジョ、君からリリアンに言ってくれないか、君に回している分の時間を僕にも分けて欲しいって。
僕とも話が出来る時間を増やしてくれって。頼むよ」

「あ、ああ。良いよ」


ジョナサンは驚いて、咄嗟にそう答えてしまった。
困ったように笑っている筈のディオから圧を感じたような気がしたから、という理由もあったし、彼にしては珍しい感情の吐露だなと思ったからだった。
自分に懇願するという事は何か、よっぽど急ぎでリリアンと話したい事でもあるのだろう。
そう思って、それをその日部屋にやってきたリリアンに伝えると彼女は一瞬眼を伏せて、けれどにこりと笑った。


「…、そう、伝えてくれてありがとう、ジョナサン」

「…こうして僕に構ってくれるのは嬉しいけど、ディオのところにも会いにいってあげて欲しいな…僕の事は気にしなくて良いから…
あ、でも今は本格的に始めた仕事が忙しい時期なんだよね?早く眠って休んだ方が良いんじゃないかな」

「大丈夫。ジョナサンとこうして話すのは、私にとって睡眠よりも大事なことだから。
気持ちのリフレッシュにもなるしね」

「そ、そうなの?そう言って貰えるのは嬉しいな。
実は僕もさ。リリアンとこうしていると落ち着くし、夜更かししても翌朝はすっきり目が醒める」

「ふふ、私もだよジョジョ」


嬉しそうにハグをしてくる姉を抱きしめ返すと、ジョナサンはその線の細さに驚いた。
筋肉のついた自分とはまるで違う。首周りなど、力を込めれば折れてしまいそうだ。
女性特有の柔らかさはあってほっとしたが、それにしても、肩幅や手足が小さく感じる。いや、いつの間にか自分がそれ程大きくなった、成長したのだとジョナサンは実感した。
いつも追いかけて、頼りにしていた姉の背を、自分はいつの間にか追い越していたのだ。
しかしそんな彼女を腕の中に閉じ込めている事が、なんだか急に悪い事のように思えて、ジョナサンはリリアンに気付かれないように唾をこくりと飲み込んだ。


「…リリアンが小さくなったみたいだ」

「貴方が大きくなり過ぎているんだよ」


子猫のようにジョナサンの手に甘えてくるリリアン。その顔がすっぽりと掌に収まって、やっぱり小さくなったのではとジョナサンは思った。
リリアンはジョナサンの手に頭を擦り付けながら、最近ますます父さんに似てきたねと笑った。

その翌日の夜、リリアンはジョナサンの部屋に来なかった。日中はずっと忙しそうにそうで、殆ど執務室から出てこなかった。
昨日ディオの事を伝えたから、今日は彼の元へと行ったのだろうか。そう考えて、なんだか胸騒ぎがしたジョナサンは、部屋を出てディオの寝室の方へと向かった。


「──」

「私を───、──…」

「なッ───、───じゃあない!それに、───するんだ?!」

「───…」


ディオの部屋の前に差し掛かると、話し声が聞こえた。やはり、リリアンが部屋に訪れている。
聞き耳を立てるのは紳士らしくないと思ったが、ジョナサンは少し、扉に耳を寄せた。


「おれは──、──」

「──、──、───失礼します」

「待ってくれ、待てって!」

「「あっ」」


話し声が近くなり、まずいと思った時には遅く、ガチャリと扉が中から開けられた。
中から出てきたリリアンと対面してしまい、その後ろから手を伸ばしているディオとも目があった。


「ご、ごめんよ、少し口論が聞こえた気がして、何かあったんじゃあないかと思って」

「…何でもないよジョナサン。じゃあね、ディオ、失礼します」

「ああ…おやすみリリアン、ジョジョも」

「あ、ああ、おやすみ」


ガチャンと扉が閉まる。ジョナサンは気不味くなって無言のままだったが、ディオの部屋から少し離れてからリリアンが口を開いた。


「ごめんなさいジョナサン、もしかして眠っているところを起こしてしまった?」

「ううん、まだ眠ってなかったから…」

「そう、良かった。それじゃあ、おやすみ」


おやすみのキスをして、何事も無かったかのように階段を降りていくリリアンを、ジョナサンはそのまま見送った。
中でディオと何を話していたのか、何と無く聞けなかった。

その翌日、翌々日と、それからリリアンとゆっくり話せる時間はあまりなかった。
父の事業の一つが繁忙期を迎えていたせいでもある。この頃になると、ジョナサンとディオもそれを手伝うようになっていた。
リリアンはリリアンで父とは別の新しい事業の立ち上げ等で忙しいらしく、日中駆け回っている彼女とは挨拶するのがやっとだった。
専属の執事達と共にずっと忙しそうにしている。
食事の時間を削ってまで事業に取り組む姿は立派ではあったけれど、いつ休んでいるのだろうと心配になった。

そしてそんな彼女を目で追っているのはジョナサンだけでは無く、ディオもだった。痺れを切らしたのか、ディオは彼女の仕事の方も手伝うようになった。
ジョナサンは父からの課題だけで手が回らなくなったので、それらを素早く終わらせるディオとの差にちょっぴり落ち込んだ。
リリアンと同じく要領の良いディオは、短い期間でもすぐに仕事のこつを掴んだらしい。

そして再びリリアンと二人で喋る時間が取れた時、彼女の目の下には少しクマが出来ていた。
ジョナサンはリリアンが無理をしている事が心配だった。自分の為に睡眠時間を削らないで欲しかった。
だから、本当は部屋に訪れてきてくれた彼女に対して早く寝て!と言って追い返すつもりだった。
けれど扉を開けた瞬間にリリアンがハグを所望してきたものだから、強引に扉の外へ放り出す訳にもいかなかった。


「ジョナサン…身体あったかいね…おちつく…」

「本当に疲れているね…」

「ううん、皆手伝ってくれているし…こんなのぜんぜん問題ないよ…」

「嘘はいけないよ。こんなに疲れているじゃあないか。ディオが手伝いに入ってるみたいだけど、あまり負担は変わらないのかい?」

「ディオが居ると気が…、…ああ、ううん、そうじゃなくて、仕事に集中でき…る、うん、できてる、できる…できるよ…」

「ちょっと本当にダメそうだね…」

「ジョジョ…、」

「ああっリリアンっ?」


すうっと腕の中で眠りについてしまったリリアンに、ジョナサンは慌てた。
いつも眠気があってもしゃんとしていたリリアンが寝てしまうなんて、よっぽど疲れていたんだなと思った。
紳士淑女的には、姉弟間であっても異性の部屋で眠るのはマナー違反とされている。
だからこれまでもメイド達の目を盗んで(多分気づかれてはいるが)こっそりと会いに行ったり来たりを幼少期から続けていたのだが、リリアンが完全にジョナサンの部屋で寝入ってしまうなんて事は初めてだった。
リリアンを抱き抱えると、ジョナサンはその軽さに驚いた。ゆっくりと、下の階にあるリリアンの部屋へと彼女を運ぶ。
ジョナサンとリリアンだけで無く、屋敷に住み込みで働くメイドや執事達の部屋は女性と男性とで階が分けられている。
しかし、ジョナサンがこっそり女子寮である階に行こうとしたところ、更に下の階から上がってきたディオと遭遇してしまった。


「ジョジョ…?」

「!ディオ」

「その腕に抱いているのは…リリアンじゃあないか。どうしたんだい?」

「…珍しく、話している途中で寝てしまったんだ。相当疲れていたんだろうね。今から部屋まで運んでくるよ」

「…ああ、君がここまでリリアンを運んできたなら、この先は変わろう。僕が運んでくるよ」

「…いや、ダメだよ。その衝撃で起こしてしまうかもしれない。僕がそのまま送り届けてくるよ。じゃあ、おやすみディオ」

「ああ…おやすみ」


ジョナサンは、咄嗟に姉をディオに預けてはいけないと思った。
何故だろう。普段仲良くしていると思っていた二人に、やはり少し溝があると再認識出来たからだろうか。
暗闇の中でも鋭いディオの眼光を見たせいだろうか。
何と無く、だめだと思ったのだ。

リリアンとディオは昔から仲良くやっているように見える。
ディオも、父の前で振る舞うのと同じようにリリアンに紳士的に接していたように思える。
けれどいつも、その瞳の中に、表情に、声に、態度に、ほんの少しの違和感を感じていた。


「(もしかして…ディオは…)」


リリアンの事が好き、なのだろうか?
ジョナサンはそう思ったが、けれど何か違うような気もした。言葉では言い表せない何かをディオから感じ取っていた。
考え過ぎなのだろうか。彼のリリアンに向ける感情は、もっと大きく、底が知れないものに感じていた。

家業を手伝う関係で、大学の入学は元々予定していた9月からではなく1月からとなった。
けれど元々入学資格を得ていれば問題は無く、大学側にもさまざまなカリキュラムがある為特に困る事は無かった。
父とリリアンは申し訳無さそうにしていたが、とんでもないと思った。
リリアンは大学には進学せず、ジョースターの家業を支えつつ独自の事業を展開している。
女子が大学に行き学位を獲得出来るようになったのはつい数年前の事だ。制度が整ってきたとはいえ、まだ女子専門の大学の数も少ない。
リリアンは不安定な学位を取るより仕事を選んだのだ。

そんな彼女を見ていると、ジョナサンは自分が大学に行けるだけでもありがたい事だと感じたし、今回仕事を手伝えた事でより大学生活を真面目に送ろうと思った。
考古学を学ぶ事は家業には役に立たないかもしれないが、知識は多いに越した事は無い。考古学以外にも知識を得て将来はジョースター家に役に立てるようになろうと決意を新たにした。


──ジョナサンとディオはヒューハドソン大学の大学生になった。
ジョナサンの身長はまたぐんと伸び、以前まではディオと同じかそれより低かったが、ついに彼を追い越した。
筋力も付き、もう取っ組み合いなどでは絶対にディオに負けないような身体となっていた。
君はいったいどこまで大きくなるつもりだい、なんて、こちらを見上げて笑いながら、背をバシッと叩いてくるディオ。
同じ大学の同じラグビー部に入り、日々を切磋琢磨する彼との関係は、悪くはないものだった。
青春のほぼ全てがディオと一緒だった。

──けれどジョナサンはやはり、彼に友情を感じる事が出来ないままでいた。
かつて舐めさせられた辛酸の味を、ジョナサンはずっと覚えている。

そして、ディオのリリアンに対する態度も、リリアンのディオに対する態度も、彼を心からは信頼できない理由だった。

そして、大学最後の三年生で、ジョナサンは数奇な出来事を経験する事となる。

 

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