novel | ナノ



「空条の家に行くのも久し振りね」

「3…4年振りかな?」


その日、リンダとその母は日本にある空条邸へ訪問しようとしていた。
日本人であるリンダの父の実家に遊びに来ていたついでに、ホリィを驚かせようと母であるリーシャが言ったためである。
戸籍上では、空条ホリィは母の歳上の姪にあたり、リンダの従姉にあたる人物だ。
お互いに結婚しても時折国境を越えて会いに行く程その仲は良く、母はホリィを姉のように慕い、リンダも同じように懐いていた。
勿論その息子である承太郎とも幼い頃から交流があったが、ここ4年程出会っていない。
リンダは長期休暇に波紋の修行を行う事が多く、日本へ行く都合があまり付かなかった。
そして承太郎も、明確な理由は分からないが、ホリィがアメリカへ里帰りする際に着いて来る事がなくなってしまった。
この間の夏期休暇の時も、ニューヨークのジョセフの家に訪れたのはホリィだけだったため、彼は「もう10年も会えず仕舞いじゃ!」と嘆いていた。
多忙なジョセフはリンダより間が悪く、ホリィ達がアメリカに訪れている際に急な仕事が入って、彼女達と会えない事が多々あった。


「あら…何かしら、この騒ぎ」

「ホリィちゃんの家の方だね」

「ええ…」


今回、SPW財団で働いている父、その系列会社で働いている母が有給を取り、久々に家族三人で旅行していた。
しかし、ニューヨーク支部でアクシデントが起こったと連絡が入り、昨日父は泣く泣く一人で帰国してしまった。
リンダと母はまだ十分に観光出来ていなかったので、当初の予定通りに日本にそのまま滞在し、一日遅れで帰る予定だった。
この時まで、彼女達は実にのんびりとしていたのである。


「財団の車…?
パパは先に帰ったはずだし、違うよね?」

「ええ…日本の支部の人達じゃないかしら」


ーーしかし、今や、空条邸に集う財団員の物々しい雰囲気に気圧されていた。
何かあったのだろうか、そう不安がよぎる。


「Excuse…あー、あのう…」

「はい?」


玄関に立っていた二人の男達に、母がおずおずと話しかけた。









「ホリィちゃん…」


苦し気な呼吸、背中からちらりと覗く植物のような何か。事情を聞いた母が、ホリィの手を握って項垂れている。
リンダは事態の深刻さに、どうして良いのか分からず、呆然とするしかなかった。
皆沈黙し、スピードワゴン財団の医師達が機材を整える音のみが響く。居心地の悪さに、リンダはちらりとジョセフを見上げた。

アメリカにいると思っていたジョセフ。
先程門の前にいた見知らぬ二人の人物。
面影を残しつつも、驚く程成長していた承太郎。
そして、高熱を出し、今さっき余命が50日だと宣告されたというホリィ。


「ごめんなさい伯父さん…私達何も知らなくて、こんな大変な時に来てしまって…」

「いや、むしろこのタイミングでよく来てくれた。
ホリィが目を覚ましたら…励ましてくれると助かる」

「ええ……、そうね兄さん…」


その場がまた静寂に包まれたが、リンダは恐る恐るジョセフに話し掛けた。


「あの、伯父さん…ちょっと良い?」


話しがあると目で訴えると、彼もまたちらりと承太郎と、その場にいた人物にアイコンタクトを送る。


「…ああ。すまん、リンダとわしらは少し席を外すから、ホリィの傍に居てやってくれるか」

「ええ…」


そう言って、一旦その場を離れる一同。
ショックを受けている母と、意識の無いホリィを置いて、リンダはその後を続いた。


「どうしたんじゃ?リンダ」

「えっと、その…」


ジョセフと承太郎の他に、この場へと付いてきた2人がいる事に気まずさから視線を彷徨わせると、彼はぽんと手を叩いた。


「おお、そうじゃった。リンダにも紹介しよう」


見知らぬ人物――それぞれ名を、花京院典明、モハメド・アヴドゥルというらしい。
彼等を紹介され、リンダもまた軽く自己紹介をした。


「承…太郎くんは、久しぶりだね」

「……」

「ほれっ承太郎、お前も返事くらいせんか」


帽子の鍔を掴んでこくりと頷いただけの承太郎を、ジョセフが小突く。それに対しチッと舌打ちする様を見て、リンダは顔には出さなかったが驚いた。
昔に比べて見た目も中身も結構変わったなぁと、一抹の寂しさを感じながらも、苦笑する。


「いいよ伯父さん。それよりも、話があるんだけど…」

「おお、そうじゃ、わしもお前に話さねばならんと、ここ数年ずっと悩んでおった事があった…」

「えっと、それはもしかして、さっき話してた“スタンド”っていうものについて?」

「ああ…」


ホリィが苦しんでいる原因だ。
それはジョセフ達の祖先、ジョナサン・ジョースターの体を通して現れているという。
リンダの祖母エリザベスの命の恩人であるエリナ・ジョースターの夫である彼の名は、何度も聞いた事がある。


「3年前、アヴドゥルと知り合った時に話すべきだったが、波紋の修行に専念していたお前に横入れをするような真似はできんかった…
それに、ジョースター家の問題に巻き込む訳にもいかないという思いもあったんじゃ」


思い詰めたような表情でそう言うジョセフに、リンダはそんなふうに気にかけてくれていたのかと驚いた。


「そしてなんと1年前、実際にわしにもスタンドが現れた。
アヴドゥルのマジシャンズ・レッドを、また、わし自身のスタンドをこの目で見れるようになっていた。
それでもお前に伝えなかった事は、本当にすまないと思っている」

「おい、ちょっと待てジジイ。
その話だと何だ、こいつもスタンド使いだったって事か」


そこで、承太郎が初めて口を開いた。
昔、リンダと共にジョセフから波紋についある程度教わっていた承太郎は、彼女が波紋使いである事は知っている。
しかし、スタンド使いだったとは初耳だった。


「ああ、まだ確認はしていなかったのだが、おそらくそうじゃ」

「どうなのかな…、じゃあ、一度出してみるから、もし見えたら教えてね」


リンダは、未だ誰にも目視、理解してもらえた事のない、自身の半身とも呼べるその存在をドキドキしながら出現させた。


「!」

「これは…」

「魚…?」


目の眩むような白い光を発し、星のように煌めいているソレは、魚のような形をしている。
そして、ふよふよと宙を漂い、やがてジョセフの肩の上に止まった。


「美しい…こんな姿をしていたんじゃな」

「見えるんだ…」


それを目で追う一同に、リンダは少し嬉しくなって、ほうと息を溢した。


「ジョースターさんのも変わったビジョンだが…初めて見るタイプのスタンドだ」

「皆さんのは違うんですか?」


そう尋ねると、次々とスタンドが現れて目が丸くなった。
初めて見る自分以外のそれらに、リンダは思わず興奮して、感嘆の声を出した。


「あ、ごめんなさい。こんな状況なのに、話も反れてしまって」

「いや…」


じぃっと承太郎と、そのスタンドに自分のそれを無言で穴が空くほど見詰められ、リンダは我に返る。
それに対して、花京院が「分かります」と言って微笑んだ。


「今までずっと、自分にしか見えなかった存在が認識されたんだ、喜んでしまうのも仕方ない事です」

「そうじゃな、無理もない…すまなかったなリンダ、今まで理解してやれず…」


そう言って優しく頭を撫でるジョセフに、リンダは本当に気にしなくて良いのにと、苦笑した。


「このスタンドに名前はあるのかい?
ちなみにわしのは“ハーミット・パープル(隠者の紫)”という」

「名前?えーと、特に…、あ、“魚”かな?」


特に考えていなかったそれを突然問われて、リンダが咄嗟にそう答えると、その場の何人かが吹き出した。


「リンダお前…それはちょっと単純過ぎじゃあないか?あと、今適当に考えたじゃろ」

「だって、他に思い付かなくて…」

「そうですね…折角ですから、私が名付けてもよろしいかな?」


占い師であるアヴドゥルにそう言われたが、リンダはぶんぶんと首を降った。
この緊急事態に、これ以上自分の事で時間をかけるのはホリィに対して申し訳なく思ったからだ。


「そ、それよりも、ホリィちゃ…ホリィさんについて、お話があるんです」


その言葉にはっとしたジョセフ達が、先程までの和やかな雰囲気を消した。
真剣な眼差しでリンダを見詰めてくる。


「可能性は低いかもしれないけど、私に治療させて欲しいの」

「うむ、波紋でか」

「うん、いきなり皆さんの前で始めたらびっくりするだろうと思って、相談したかったんだけど…」

「そうじゃな、わしもリンダに頼もうと思っておったんだ。
実はわしも試しに流してみたんだが、全くと言って良い程効果が無くてな…だがリンダの波紋ならば効くかもしれん」

「ジョースターさん、ハモンとは?」

「ああ…」


花京院にそう尋ねられて、ジョセフが波紋について軽く説明している間に、リンダはある考えを固めていた。
波紋が効かない、となればーー


「リンダお前…」


何かに気が付いたジョセフがハッとして目線を鋭くして、言葉を発しようとする。
その前に、リンダはくるりと背を向けた。


「ちょっと待ち、」

「あの、少しいいかしら」


そこに、リンダの母が控え目に入ってきて、ジョセフは言葉を飲み込んだ。


「お話し中ごめんなさい。承太郎くん、ここの電話をお借りしても良いかしら?」

「ああ…」

「なんじゃ、誰かに連絡するのか?…出来れば、ホリィの事はあまり外には…」

「ええ、分かってるわ。でも先にニューヨークに帰っちゃった旦那に少し事情を話しておきたくて…」

「おお、なら電話はキッチンの方にあるから、使いなさい」


ぱたぱたと駆けていく母を見送って、リンダは改めてホリィの元へ足を進めた。
その後をジョセフが慌てて追い掛ける。


「待てリンダ!分かっていると思うが、ホリィを蝕むスタンドはまだ謎の多い未知の物…慎重に、無理をせず波紋を使うんじゃ…
…あと、スタンドは決して使うんじゃあないぞッ」


スタンドを使うなとはどういう意味なのか。
血相を変えてそう声を荒げるジョセフを不思議に思いながら、一同もその後に続いていく。
けれどもリンダはジョセフの言葉に返事をせずにホリィの元へと足を運び、その枕元に膝をついた。
そして、魘されるホリィの手を取り、その異常な程に高い体温に瞠目した。


「ホリィちゃん…」


この手に何度抱き上げられ、手を繋ぎ、頭を撫でて貰っただろう。
まるでもう一人の母のように接してくれていたホリィの事が、リンダは大好きだった。


「――」


リンダは波紋の呼吸を静かに行い始めた。
独特の音と、電流のような光が散り、腕を伝って、ホリィの身体を包み込む。
どこか神秘的な光景を、皆が固唾を飲んで見守った。
リンダはその治癒波紋で風邪や病気であれば、身体の中のウイルスを殺し、異常のある血液を正常に戻して循環させる等して、治す事が出来るのである。


「おお…」

「ホリィ…」


すると次第に、苦しげに寄せられていたホリィの眉が解れ、荒く息を繰り返し、大きく上下していた胸が落ち着きを取り戻していった。


「これで、熱から来てる苦痛は緩和出来たと思う…」


その言葉通り、ホリィの顔色はまだ悪かったが、表情はとても穏やかなものになっていた。
いつもの寝顔に承太郎は内心安堵し、ジョセフも喜びの声を上げ、リンダに礼を言った。


「でも、熱が殆ど下がらないの…原因がスタンドだからウイルスと違って無くす事が出来てない…」


握りしめるホリィの手はまだまだ熱く、リンダは悔しげに唇を噛んだ。
このまま体温が下がらなければ、例え痛みを感じ無くとも、身体に異常が出てくる。
確かに50日という期間、否、もしかしたらその時を待たずに身体は限界を迎えるだろう。
そのためリンダは、ある覚悟を心に決めた。


「うむ…波紋ではここまでが限界か…」

「うん…だからーーごめん、伯父さん」


ふわり。
白色の魚が、再び宙を舞った。
その光景に目を見開いたジョセフが、慌ててリンダへと手を伸ばし、その動きを制した。


「なッ!やめろリンダ!まさかスタンドを使うつもりじゃあないだろうな!?
お前のスタンドは…ッあの力は…例えホリィのためとはいえ、使う事は許さん!」

「…確かにこのまま波紋で症状を楽にし続ける事は出来る…でも、出来るだけの事をしたいの」


狼狽えるジョセフに対し、彼女の眼には確固とした意思が存在し、揺らがなかった。
ジョセフはぐっとそれに圧倒されたが、しかし、伯父として許す訳にはいかず、強い口調で反対する。


「お前にもしもの事があれば、悲しむ人間が増えるだけじゃ!」

「それは分かってる。でも、ホリィちゃんをこのままにはしておけない」

「リンダ…ッ」


懇願するようにリンダを見つめ、ジョセフは押し黙った。
娘であるホリィの命は何よりも大切だ。もし原因であるDIOを倒さなくても助ける方法があるのなら、解決して貰うにこした事はないだろう。
しかし、ジョセフには同じくらいに目の前の姪も大切なのだ。二つの命を天秤にかけるなどとんでもない。
とてもではないが、どちらかを選べと言われても、ジョセフには選べなかった。
ならば、と、乱れた心を落ち着けて、既に覚悟を決めた目をしている彼女を見つめ返した。


「ならん、その必要はない…わしらが原因であるDIOを倒せば済む。
そうすればホリィはスタンドの呪縛から解き放つ事が出来る…」

「それは、何日かかるの?その間、容態が急変する可能性は?」


渋るジョセフに、迫るリンダ。
すると、その様子に焦れた承太郎が口を開く。


「お前のスタンドは、使う事で何かリスクがあるのか?」


偽りは許さないとばかりに鋭い眼光がリンダを貫く。
それを見て、彼女は首を縦に振った。


「うん…でもそれをカバーするために、私は治療系の波紋を使えるから…きっと、何とか出来る。
どこまで出来るか分からないけど、やってみるべきだと思う」


決意を固めるリンダを、ジョセフはそれでも物言いたげに見詰めた。
過去にあった出来事から、ジョセフは彼女の言葉を完全に信じる事が出来ない。しかし、苦しむホリィの姿を想い浮かべると、言葉を飲み込むしかなかった。
そんな祖父の様子を観察し、承太郎は眉を寄せていた。


「――“アライブ”」


そうリンダが呟くと、魚は眠るホリィの額にキスをした。





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