novel | ナノ



夜が明けた病院。
規則的な電子音が響くその部屋には、多くの管が繋がれ、薬が投薬され、まるでミイラの如く全身を包帯で覆われている人間がベッドに横たわっていた。


「なぜこんな事に…」


無菌室のガラス越しにその痛ましい姿を見つめ、ジョセフは項垂れた。
昨日まで元気だった姿を思い出すと、嘆きの言葉しか出てこない。


「なんとか一命は取り留める事が出来ましたが、まだ油断ならない状況です…」

「ああ…」

「ですがリーシャさんの方は、順調に回復されています」

「おお…!そうか…ありがとう。
…聞いたか?リンダ…お前のママはもう安心だぞ」


そうリンダに話しかけるジョセフの声は震えていた。
1日の内に二人もの身内が死にかけたのである。
一人は歳の離れた異父妹、もう一人は波紋の弟子でもある姪。
頭の中は、未だ昨日に起こった出来事で混乱していた。


「Mr.ジョースター、こんな時ですが、我々で分かった事を説明させて頂いても宜しいでしょうか?」

「…ああ、頼む」


医師の話は、奇妙なものだった。
まずリーシャについてだが、重体だった筈の身体には傷一つ無くなっていたという。
ただし、血液の量が極端に減ったままだったため、大量の輸血を行う必要があったそうだ。
そして、それよりも異常なのはリンダの身体だった。
医師達によると、母の代わりに事故にあったかのように、下肢、胸部、頭部は損傷を受け、裂傷又は骨折し、内臓は破裂。
数分前までリーシャが負っていた症状そっくりそのままに傷付いていたという。
何故そう思うのかとジョセフが尋ねると、自分達が施した手術痕まで見られたからという答えが帰ってきた。

どういう現象なのかはさっぱり分からないが、本来なら死に到る傷を負っていたリーシャを医師達が手術し、手を尽くしてからリンダに移った(?)という。
リンダが一命を取り留めたのは、そういう事らしい。

何を馬鹿な事を言っているのかと一般の人間は思うだろうが、超常現象を専門にする部署まであるSPW財団はそう考察し、ジョセフもまた受け入れた。
恐らくこの謎の現象はリンダが引き起こした事だ。
直前に起こったあの光を思い出し、ジョセフはそう考える。
しかし、なぜ彼女にこのような力があるのかはさっぱり分からなかった。
己が教わっていた波紋には無い力だった。
師であり母、リンダにとっては祖母であるエリザベスも、傷を移す力について話した事は一度も無い。


「いったい何が起こったんだ…」


ジョセフはその時ふと、昔孫の承太郎がアメリカに遊びに来ていた事を思い出した。


『りんちゃんがなおしてくれたんだ』


「あれも…波紋ではなかったのか…?」


リンダが自分と同じ産まれながらの波紋使いである事を知ったのは、その出来事を承太郎から聞いた少し前の事だ。
お得意のコーラ瓶の蓋を飛ばす様子を見せた時、「わたしもする!」と言って瓶を握りしめる彼女を微笑ましく見守っていると、突如飛んで来た何かが額を直撃した。
驚くジョセフと慌てふためくリンダの前にポトリと落ちたのはまさに、瓶の栓をしていた筈のそれだった。

娘にも、異父妹にも受け継がれなかったその才能
が姪に現れたため、喜びは大きかった。
波紋について語り明かしてから、痛みを和らげる方法、花を咲かせる方法などを教えた。
それは大いにリンダを喜ばせる事に成功し、以後も水面の歩き方や、水分を含む物の固め方など、簡単な波紋のみを指導していた。

そう、ジョセフは数十年前に自身が体験したあの本格的な修行を、彼女に対して行なってはいなかったのである。
リンダがまだ幼い事、柱の男や吸血鬼等と戦う訳でも有るまいし、高度な波紋は必要無いと考えたからだった。
いざという時、身を守るためにと思って、日常で役立つ技術しか、今日に至るまで指導していない。

ーーけれどもリンダは高度なコントロールが必要な治癒波紋を使った。
否、そう思い込んでいたのだ。
波紋だけでない、何かもっと強い力が働いている。
そうでなければ、今回のような未知の出来事は起こらない筈だと、ジョセフは思い至った。

あの時、承太郎を治してくれた礼を言った己に、どこか気まずそうな笑みを浮かべたリンダ。
気が付くべきだった。そして、ただ誉めるのではなく、もっと別の接し方があったのではないかと後悔した。

ーー暫くして、リーシャは意識を取り戻し、自分が事故にあった事、更に娘の様子を聞いた。
実際にその有り様を目にした時の落ち込み様は酷く、出張先から飛んで帰り、事情を聞かされたリンダの父が、それを宥めていた。
しかし、無情にもリンダの目は醒める事無く、それから数ヶ月もの時が経過する事となるーー










時間が経つにつれリンダの身体は回復へと向かっていた。
心配されていた急変もなく、繋がれていたチューブは徐々に減り、痛々しかった外傷は落ち着き始め、包帯は取られていった。
無菌室から一般の個室へと部屋も移され、数日前まで付けられていた人工呼吸器も外されて、きちんと顔が見られるようになったと皆が喜んでいた。
そんなある日、見舞いに訪れていたジョセフは気が付いた。


「これは…」


もしやと思い、彼女の口元へ耳を傾けると、独特の呼吸音が微弱に聞こえた。
意識が無いのにも拘わらず、波紋の呼吸を行っている。
それに気が付いたジョセフは姪の生命力の強さに驚きつつも、回復が近い事を察して頬を緩ませた。
そして何時ものように、回復を促す波紋を不得意ながらもリンダに送りながら、母によく似たブルーの瞳が開くのを待った。
そして、それから数週間後の事だった。


「駄目ですよリンダさん!」

「はなして…っ」


病室から言い争いが聞こえ、慌てて中へと駆け込んだ。
そこで目にした姿に、涙が込み上げる。


「おおリンダ…ッ!リンダ…!」

「おじ、さん…?」


膝をつき、小さな身体を壊れ物を扱うように優しく抱きしめながら、名前を呼ぶ。
咄嗟に突き飛ばしてしまった医師が、床に尻餅をつきながら、その光景を微笑ましく見つめていた。

どうやらリンダは、まず母であるリーシャを探し、ベッドに留めようとする医師を振り切って、病室を飛び出そうとしていたらしい。
それを聞いて、落ち着きを取り戻したジョセフが優しく語りかけた。


「リンダ、お前のママはもうすっかり元気になっとるよ。
だから大丈夫、今はよく休みなさい」

「ほん、と…?」


かくりと力を無くし、崩れ落ちそうになる彼女を抱き上げ、ジョセフはその身体をベッドに戻した。


「お前は本当に優しい子だ。
だがな、本当にママのことを思うなら、今後こんな事はもうやめなさい」

「………わたしが何をしたのか、分かったの?」


恐る恐る見上げてくるリンダに、真剣な眼差しで頷く。
生死の境を彷徨い、今しがた目覚めたばかりの相手に対して言う事では無いかもしれないが、ジョセフは厳しい口調でそう告げた。


「リンダが何故そんな事が出来るのかは分からん。
傷を治すのではなく、自分の身体に移すなんて…しかも、波紋でそれを和らげ、今も痛みを消しているな?
そうじゃなければ、まだそんな身体では動けん筈だ」

「……、」

「…わしはお前に自分を蔑ろにするために、波紋の指導を行ったのではないんだよ」


ジョセフが後悔していたのは、この事だった。
波紋とは、太陽の光と同じエネルギーを持ち、肉体に生命力を与え、達人となれば若さを保つことすら出来てしまう万能の力だ。
その力を持ってすれば、自らの関節を外しても、刺されても殴られても、肉を抉られても、呼吸するのに必要な肺さえあれば、痛み等感じないどころか治せもする。

大切な人のためにその力を使うのは、素晴らしい事だ。
しかし、だからといって、自ら進んで傷付き、その痛みを波紋で消せば大丈夫だという事ではない。
本人はそれで満足かもしれないが、それで助かった者の方は酷く傷付くのだ。
リンダの母がそうであったように。


「…ん、」


罰が悪そうにこくりと頷くリンダの頭を、ジョセフは優しく撫でた。


「リンダ、波紋ではないその力が何か分かるか?」

「ううん…気が付いたら“居た”から」

「“居た”?」


その奇妙な言い回しに、ジョセフは首を捻った。
ぼんやりと空中を見つめるリンダの視線を追っても、何も見えない。


「うむ…だが、自分の身体を痛め付けるような事は、これからはやめるんだよ」

「…でも、」

「同じ事をわしやママがやったらどう思う?
お前が助かった代わりにわしが傷ついたり、死んでしまったらどうする?」

「それは…いや」

「そうだろう?そんな事をされてまで助かりたいと、わしは思わない。
お前のママもきっとそうだ」

「…」

「なあ、約束だ、リンダ。自分を大切にしなさい。
誰かを治す事はあっても、もう傷を自分の身体に移してはいけない、良いね?」

「うん…」


渋々と頷いたリンダを、ジョセフは抱き締める。
すっぽりと腕の中に入る、まだまだ小さな子供。
その内に秘められていた精神の強さ、そして自己犠牲的な考え。
頼られれば、求められれば、その力を大切な者のために何の躊躇いもなく使おうとするのだろう。

それは悪いことではないが、良いことでもない。
優しさが互いを、そして周りを不幸にする。
そうならないためにも、自らを犠牲にするその力を封じるべきだと、ジョセフは強く思った。


これが、来栖リンダ10歳の時の出来事だった。








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