novel | ナノ



「ッは…?」


男の全身から、それが噴水のように噴出している。
夥しい量だ。
額、首、肩、肘、手首、脇、太腿、膝、足首ーー
あらゆる箇所から一斉に噴き出して、リンダの視界は一瞬、一面真っ赤になった。


「ぐあッああああッ゛!」


悲鳴をあげ、障子を突き破って男が庭に転がり落ちると、鮮血が舞って血の跡が出来た。
それを目にし、怒りで支配されていたリンダの頭が、冷静さを取り戻す。


「……、」


真っ黒になったスタンド。
悪意にまみれ、邪悪になったその姿を見て、自分が何をしたのかを理解する――しかし、後悔は無いと唇を噛み締めて、男の後を追った。


「テメッ、の仕業か…!」

「……さ、ぁ、」


地面に夥しい量の血液を流し、ガクガクと震えながらも立ち上がった男が、血反吐を吐きながら恐ろしい形相で此方を睨む。
対するリンダも柱に手を付いて立っているのがやっとで、ひゅうひゅうと乱れる息を整えて、何とか言葉を発する。


「うご、かな…で…」

「クソッ…」

「それ、いじょ、う…」

「オレがこんな小娘にぃいい…!!」


しかし、満身創痍の男は此方の言葉に耳を貸さず、そのまま最期の力を振り絞るような雄叫びを上げた。


「!」


空気が爆発的に集まり、恐ろしい速さで渦を巻いて、竜巻が出現するーー否、ただの竜巻ではない。あの先程皆を切り刻んだ、殺傷力の高い鎌鼬の塊だ。
庭にあった松の木が粉微塵になって、リンダは青褪めた。

巻き上がる池の水、斬り刻まれる鯉。
砂塵と化す、庭に敷き詰められていた砂利。
細切れになる石作りの庭灯ーー

それらは全て、あまりにも一瞬の出来事で、リンダはその場から動けなかった。
否、せめて母達の盾になろうと、動かないことを選んだ。
黒く染まったスタンドを自分の前方に移動させて、あわよくば相打ちを狙って、眼前に迫る風に眼を閉じた。


「(ーーああ…私は…)」


このまま自分は、ホリィを最後まで守り切れるかも分からないままに殺される。
あの二人に大口を叩いたくせに、申し訳が立たたない。
自分が情けなくて仕方がない。謝罪の言葉しか浮かばず、リンダは自嘲した。


「ごめ…なさ、い……」


































「…無理すんじゃねぇぞ リンダ…」


脳裏に、旅立つ前の彼の姿が思い浮かんだ。
成長し、印象は大きく変わったが、昔から変わらない真っ直ぐなエメラルドグリーンの瞳。
渾名ではなく、初めてきちんと呼ばれたファーストネーム。
耳元で囁かれた低い声。
その後一度も振り返らずに行ってしまった大きな背が、目に、頭に焼き付いている。


「あとは頼む…」


すがるような伯父の声。
あの時の彼の身体は微かに震えて、瞳は多くの感情が渦巻き、涙が滲んでいた。
その様子に、何としてもホリィを守りきってみせると、リンダは強く決意を固めたのだ。なのにーー


「(悲しませてしまう)」


優しい彼等を傷付け、更なる重みを背負わせてしまうのか。
娘の、母の命を救うために戦う彼等に、リンダの死というものまで、上乗せさせてしまう、のか。


ーー否


それは避けなければならないと、死を覚悟していたリンダの心に、生への火が灯る。
自分自身がホリィを守ると決めたのだ。そう彼等に誓って、この場に留まったのだから。
自分が請け負った事を、途中で放り出す訳にはいかない。
ホリィ達も、そして、自分自身も――


「(護ってみせる)」


その想いに応えるように黒魚が大きくうねり、目が眩む程に強く白光した。











「これ…は」


眼前には、噴水を使ったショーで見かけるような、水の壁が出現していた。
リンダの周囲をぐるりと球状に覆っている。
中から外は水越しにボンヤリとしか見えない。

なんとも不思議な光景を作り出しているのは、どうやら姿を変えたリンダのスタンドだった。
先程までは錦鯉のような大きさだったそれが、二倍以上大きくなって、真っ黒に染まっていた色が元の乳白色に戻り、透き通っている。

その姿から、何処と無く連想するのは――


「ドル、フィン?」


声に応えるように、クルリとイルカが宙を舞う。
その姿を観察しつつ、周囲の様子が気になって耳を澄ませたが、男の声も風の音も聞こえず、空間の中は静けさに包まれていた。
水の壁は勢い良く流れ落ちる滝のようでもあるのに、湖面に水滴を落としたような音しかしない。

まるで、人気の少ない水族館にいるような、あの独特の雰囲気を、リンダは感じていた。


「……、」


やがて、水の向こう側で男が力尽きて倒れるのを確認出来たのと同時に、スタンドと、その周囲を覆っていた水壁は姿を消した。

ーー辺りは静寂に包まれていた。
男のスタンドも解除されたのか、あの凶悪な風は消え失せ、乱れたリンダの息遣いだけが響く。

足腰に力が入らず、リンダはずるずると、その場に座り込んだ。
初めての命のやりとりから解放され、全身から力が抜けたという事もあったが、何より、酸素が足りない事と、血の流し過ぎとで酷い目眩がしていた。


「う……、あ、…ど、どうなったんだ…」

「いったい…」


護衛の財団員、医師が無事に目を覚ました事を確認し、ほっとしたリンダの意識は徐々に薄れていった。

バタバタと、慌ただしい音が聞こえる。
霞む視界で居間を見渡せば、金色が動いているのが見えた。
ホリィか、母だろうか。
二人の無事を祈り、上半身を支える力も失ったリンダは、床に崩れ落ちた。


「いや…ッ…リンダちゃん…!」

「酷い出血だ…!早く手当てを!」


眠りに誘われながら、自身のスタンドについて考える。

二つの新たな能力。
邪悪に染まった、黒魚。
皆を護った、白イルカ。

目が覚めたら説明しなくてはと思い、駆け寄る足音に眼を閉じて、リンダの意識は闇に沈んだ。









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