14.5

パッショーネに迎えられたブチャラティが初めに与えられた仕事は、ナマエの監視というものだった。ナマエ、ナマエ・ミョウジという存在は今のパッショーネにとって重要な暗殺者であり、いつ爆発するかわからない危険因子であるらしい。「元はカファロの持っていた暗殺集団の1人であり、その中で誰よりもカファロに心酔し従順な犬として有名だったナマエが、カファロの死後ポルポの下につき今度はポルポの犬をしているだなんて、おかしな話だ」という先輩の話には、確かにブチャラティも同意をしていた。いつか寝首を掻こうとしていると言われるのは当たり前の立場と行動だ。しかし、ブチャラティは初めてナマエに会ったとき体に雷鳴が走った。驚いたのだ、単純に、ナマエの姿に。子供なんて聞かされていなかった、しかも女だ。小さな女の子がギャングの部屋に堂々といる光景がミスマッチで、しかしその浮いた空間でナマエは話とは違いとても弱々しく見えた。

文字が読めないとわかったとき、その印象はますます増加した。書類を見ても文字が読めないからわからない、だからブチャラティに読めと言葉無く伝える姿に、ブチャラティは今までどんな生活をしてきたのかと絶句した。カファロはナマエを大層可愛がっていたという。しかし、カファロはナマエに文字を教えなかった。ポルポがナマエに寄越した書類にはターゲットの来る場所と時間しか書かれていなかった。残りは周辺に待機するギャングたちや、その自治区のボスなどとナマエの仕事内容とは関係のない書類とは言えないようなもので、ポルポがナマエに不容易に情報を与えないようにしているということがよくわかった。そしてナマエはそれを受け入れ、素直に動いている。いや、動かざるをえないのだ。文字が読めないならば書類の意味は無い、ナマエにとって与えられるものも与えられないものも、全てわからないままだ。ブチャラティはナマエに同情した。そして、ナマエがターゲットを時間きっかりに一瞬で葬った瞬間を見届けたとき、ポルポのもつナマエへの警戒と恐怖を理解した。

ナマエはあまり話さなかった。あまりどころか、1日に5つも言葉を発せば驚きなほどに。一度ナマエがスタンドに対して話す姿を見たが、そのとき彼女はイタリア語ではないどこかの言語を操っていた。カファロの部下は皆情報管理を徹底しており、解読できないように様々な暗号を使ったという、その名残だろうか。とすれば、ナマエの中でカファロはまだ存命だ。スタンドはどこかへ姿を消し、その行方はわからなかったが、おそらく彼女が属するチームの元へ行ったのかもしれない。もしくは、彼女の”他”の仲間の元へかもしれないが、そもそもナマエの様子を見るに、もしナマエが謀反者だとしてもナマエは利用されているだけなのだろう。哀れな子供に同情する権利は自分には無く、また哀れな子供と同情されるほど彼女は弱くはない。しかし、ブチャラティはナマエがこの先排除対象になることがひどく悲しく思えた。
ナマエの下につく日々は短絡的だった。ナマエは仕事がなければ一日中公園や広場で時間が過ぎるのを待ち続けるような、まるで時間の楽しみ方を知らないようだった。いや、事実ナマエは時間の潰し方を知らないのだろう。ただ空虚に時間までを過ごし、時間きっかりに仕事を終え帰宅していく。技術を盗もうにも、ナマエには隙がなくまたナマエのスタンドは優秀だった。ブチャラティはたった数日でも、ナマエがどう育ってきたのか、そしてこの先飼い殺しにされる未来が容易に予想つき、パッショーネという闇に生唾を呑んだ。


「お待たせしました、………ナマエ?」

血と吐瀉物の後が残る裏路地で、ターゲットが来るまでの時間を過ごしている間ブチャラティは昼食を買いナマエのもとに戻った、はずだった。ナマエのいた場所には誰もおらず、肥えた溝鼠の通り道で、通りを間違えたかと2、3本先を見ても人1人通らない。つまり、ナマエは消えたのだ。
ブチャラティは顔を青くした。監視がナマエに見抜かれたのか、それともナマエは単にどこかへ、いいや仕事に忠実な彼女が途中で放り出すはずはない。しかし、いないのだ、痕跡は何も無い。何かあったのならば、ナマエのことだ、ブチャラティに何か合図を残していくはずだ。そしておそらく、ナマエは助けを必要ともしない。それ以前に、助けというものがわからない可能性だってあるのだ。 ならば、ナマエは己から消えたということになる。
ブチャラティは本部に連絡しようか迷った。だが彼女に下手に疑いがかかることを想像し躊躇した。ポルポはナマエを可愛がっているようで、ナマエを恐れている。カファロとポルポは、派閥の敵対関係にあったという。ナマエが反旗を翻すようなことがあれば、ほんの少しの要素でもポルポはナマエを殺すだろう。あるいは、ギャングらしく薬漬けにするかもしれない、幼いナマエを商品として扱うのかもしれない。腐ってもギャング、いいや、腐っているギャングは平気で人の感情を捨てる。
少し辺りを探して、それでもいなければポルポの元に行こう。そう温情をかけるほどには、たった数日の間でもブチャラティはナマエに良心の痛みとも言えぬ感情を抱いていた。

道行くバンビーナに「そこのは美味しいわよ!」と強く勧められたカルツォーネはもう冷めてしまった。ブチャラティは隅々まで仕事の範囲になる場所を探したが、どうにも見つからず元の場所に戻った。そして、同時に違和感にも気が付いた。誰も、会わないのだ。昼間とはいえ街は街、ドラッグが闊歩しているような通りでさえ誰もいない。まるでぽっかりと異空間だ。ざわりとブチャラティの背が粟立つ。カンカンと警告が鳴った。スティッキィ・フィンガーズはまだ上手く使えるとは言い難いが、そう心の中で言い訳しながらもブチャラティはファスナーを開けた、そのときだった。

パァン!

銃声が、脳髄まで響く。ぐらぐらと足元が揺れ、目の前が歪んでいく。耐えきれず地面に膝をついた。
ザリ、と汚れた石畳をわざと鳴らし、小さな靴が視界に入る。

「……コメ、バ?」

ハッと顔を上げる。脳内を直接掻き乱すような強い揺れを感じながら、ずっと探していたナマエを見ると、彼女の手には小さな銃が握られていた。小さな彼女が持っているとモデルガンのように見えるが、それは紛れもなく本物の弾の入ったもので。

「だいじょうぶ、です。……なにが?」

全く状況が飲み込めない。問えば、ナマエが足先でちらりと狭い道の端を指す。
そこには、1匹の溝鼠が血を流し横たわっていた。

「あれは……」
「スタンド」

簡潔に言われた答えにブチャラティは愕然とした。動物がスタンドを持っているなんて、そしてブチャラティはその溝鼠に襲われたのだ。
ナマエは、膝をついたまま動かないブチャラティと向かい合うようにしゃがみこみ、ブチャラティが開いたファスナーをジジジと閉めていく。

「スタンド、見せる、ダメ」

ブチャラティがナマエと過ごした時間の中で、おそらく一番の長文を聞いた。ナマエはイタリア語も拙いようで、たどたどしく単語を紡いだ。スタンドをむやみやたらと使うなと、ブチャラティを叱った。ナマエのタスクには、いつまでもポルポからの教育係という仕事があるのだろう。
少しでもナマエを疑った自分が、とても恥ずかしかった。

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