DQ6 | ナノ
 27-3

『どうしたのお兄ちゃん』
 かの現実で心を失ったレックは、ぼうっと遠くの空を眺めていた。
 この世界は痛みも苦しみも辛さもない。
 あるのは自分が望む理想郷だけ。夢であったころの幸せだった己を呼び覚ましてくれる幸福な場所である。
 けれど、何かが引っかかっている気がする…。
 自分の居場所は本当にここなのだろうか…と。
 自分が望む居場所はこんな都合がよくていいのだろうか…と。
 それに――……
『…誰かが…呼んでいるような気がして…』
『呼んでる?ふふふ…そんなの空耳だよ。今からお兄ちゃんは精霊の冠を買いに行くんでしょう?他の事に夢中になっちゃダメだよ』
『でも…知っているような声だった…よくわからないけど』
『よくわからないなら…放っておけばいいじゃない。お兄ちゃんはこの村で生まれ育った私の兄。一度も外になんて出たことがないでしょう?』
『そうなんだけど、どうしてか胸騒ぎがする…。ほら、聞こえる。誰かが…助けを呼んでるって…俺の名を呼んでるんだ』
 レックにだけしか聞こえない声が響いていた。
 うっすら記憶が頭をよぎった気がする。
 喉元にそれがつっかえたように、一度に全ては思い出せない。
 知らない人の顔が思い浮かんできては、嬉しい、楽しい、悲しい、切ない、苦しい、断片的な感情に胸が張り裂けそうになる。
 どうしてこんな気持ちになるのだろう。
 自分はこの村で生まれた人間で…それで……アレ…
『何を…言ってるの…お兄ちゃん。あなたはここの村の人しか知らないはずでしょう?』
『でも…っ!い、いやいるよ』と、すぐに断定的に返した。
『名前はわからないけれど…あった事がある。綺麗で…可愛くて…聡明で…保護者みたいに気取ってて、時々泣いたりもして…守ってあげたくなるような人がいる。その人の事を考えると…ドキドキしてさ……』
 徐々に、レックの表情がより穏やかで感情豊かになっていく。
 空白が埋められて塞がっていくように、記憶と心がよみがえってくる。忘れていたものが溢れてきては止まらない。
 俺は…俺は――……!
『そんなの違う!思い過ごしだよ!お兄ちゃんには私だけが必要なの!私だけしか見てほしくないのよ!愛してるのっ』
 ターニアが逃がさないとばかりにレックに抱きつく。レックはかぶりをふる。
『俺が唯一恋い焦がれ、愛しているのはミレーユだけだから』
 彼女を自分から放しながら別の女性の愛を呟いた。ターニアは絶句する。
『ライフコッドもターニアも好きだけれど、それは親愛の意味として。それに俺の居場所はここじゃあない。俺の本当の居場所は…“現実”にあるから』
 うつろだったレックの瞳についに希望に満ちた光が戻る。
『俺…行かなければならない。ここは俺が作った空想世界。俺の心が弱かったから…こんな世界が作られてしまったんだ。オレ自身が不甲斐ないばっかりに…』
 勇者とか王族だとかより、みんなが傷ついていく方がもっともっと嫌だから。
 みんなが笑って暮らせるような世界を望みたいから。
 戦うことは確かに嫌だけれど、己の信念を曲げたり、仲間を捨ててまでそこから逃げるのは卑怯だ。ううん、今まで築き上げてきたもの全てを放り投げて無駄にするわけにはいかない。
 だから…救いたい!
 夢と現実にいる人々や信頼できる仲間達を。
 レイドックにいる家族、ライフコッドのみんな…そして、愛する人を――…。
 みんなが守ろうとしたこの世界を…やっぱり俺が全身全霊で守りたいんだ。
『お、お兄ちゃん…い、いかないで…いかないでえ…!私は…私は…あなたと幸せに…』
 ターニアがレックの肩におずおず触れる。
『もうここには用はない。お前はターニアなんかじゃない。俺の心に巣食う魔物だよ。さあ、…消えるんだ!』
 片手の掌を彼女の顔に突きだした。
 戦慄した顔のまま、凍てつくような波動が迸る。
 ターニアだったまやかしは野太い声をあげて消滅し、視界が漂白剤の様に真っ白に変わる。すべての幻覚は消え去ったのだった。
 戻らなければ――…みんなの所へ…!



「ここまで…なの…。もう…どうにもならないの…?」
 猛毒がジワジワ体にまわりつつある。
 全身にそれがまわった時、それは死を意味する。
 そんな全員はもはや青い顔をして荒い呼吸を繰り返し、一寸たりとも動けない状態だった。
――全滅…そんな言葉が一同によぎった。
「悔しそうな顔をしおって…毒で死ぬのはさぞや無念のようだな。ならば、トドメとして、わしの地獄の業火であの世へおくってくれよう」
 左の珠がグルグルとムーアの周りを動物の様に旋回し、地獄の業火に姿を変えて飛んでいく。
「さあ、死ね。虫けらどもめ」
 炎が自分たちを包む。
「もうだめだ…」と、誰もが死を覚悟した。



 しかし、いくら待っても熱さは感じられなかった。
 恐る恐る一同が瞼を開けると、まっ白い柔らかな光を浴びていた。
 その光のおかげで、受けたダメージも体中を覆っていた毒も消えていくではないか。
 もしかしてもう死んでしまったのかと一瞬疑ったが、これは凄まじい回復のエネルギーだった。いや、回復と言うより…体が浄化されているのに近い。
(まさか…)
 見渡すと、頼もしい背中が見えた。
 全員が目を疑う。
 彼が…待ち望んだ希望が戻ってきたのだと――…。
「ごめん、みんな…遅くなった。よく耐えてくれた」
 振り向く若者は神々しく微笑む。
 まるですべての悟りきった神のように。
「お、お前が…助けてくれたんだな。もう、大丈夫なのか?」
 若者が頷くと、ハッサンが感動して涙ぐんだ。
 ミレーユやバーバラも同じで泣きそうな顔になった。
 この土壇場で助けてくれるなんて、やはり彼は自分達にはなくてはならない存在だと改めて知る。なんて素晴らしい奴なんだろうって。
 あの一瞬で檻から抜け出し、地獄の炎をやり過ごし、全員を完全回復させてしまうなんて、本当に神がかりとしか言えない。
「すごーい!動ける…動けるよ!あんなひどい猛毒だったのに…ピンピンしてる」
「それに…すごい回復のパワー…」
「全員にベホマズンをかけたんだ。毒も浄化させた」
「い、いつの間にそんなの覚えたのさ!」
「さあ、わからない。でも…無我夢中だったから。どうやったかわかんないから、これっきりしか使えないけど…」
 へへっと無邪気に笑顔を見せるレック。
 以前の彼とはどこか違う。
 なんだか一回り大きくなったような、未知の力を感じた。
「あ、ミレーユ」
 レックが彼女に近づく。
「…キミが俺を心の中で呼んでくれたおかげだ。それに応えることができたんだよ。ありがとう」
 愛する人がこれほどまでに自分を信頼してくれている事がたまらなく嬉しかった。そして、それに応えてくれた事で彼女もまた嬉しくなる。
「私は…いつだって…いつだって心のどこかであなたを信じてたんだから…当然じゃないの」
「ミレーユ…本当にありがとな…信じてくれて」
 レックがそっとミレーユの涙を拭ってあげる。
 彼女の涙を拭うのは自分の役目だ。今も…そしてこれからも。
 ラーの鏡がなくったって、もうまやかしになんて引っかからない。
 いつだって、みんなを思えば自然と自分達は引き合うのだから――…


「ぐぬぬ…まさか…あの世界から自力で脱出し、一瞬で仲間を守るとは……ありえぬ…!」
 ムーアが悔しさと驚きに震えている。
 それと同時に、欲望と野望がさらに募る。貪欲なまでに。
「まあいい。ますます欲しくなったわ!勇者が…あの神のような力が…」
「デスタムーア」
 レックが仲間達より一番前に出る。
「たとえ全てがお前の仕組んだ事だったとしても、ここにいるのがお前の筋書き通りでも、お前の思い通りにはいかない事だってある」
 彼の瞳が美しい蒼に変わる。
 綺麗な世界しか映した事がないような澄んだセレストブルーに。
 体中に浄化の光を帯びて、聖剣ラミアスをしっかり握る。
「それは…貴様を倒す事!ここで貴様を浄化すれば、野望も陰謀も全部水の泡となる。オレやみんながここに来たのが、お前の私利私欲のためなんかじゃないって証明される」
「だから、わしに立てつくと?愚かな…」
「ただ立てつくんじゃない。立てついて完全に撃ち滅ぼすんだ!人々の未来を守るために…今までしてきたことが無駄にならないように…そして、すべての因果を終わらせるために…!」
「生意気な事を…!そんな未来…ありえぬ!お前はわしの肥やしとなるために生まれてきたのだぁ!!」
 轟音と共に、再び金の珠が炎に変わる。
「その技はもう効かない」
 レックは冷静に業火をラミアスの剣で受け止め、それを纏ったまま走った。
 ムーアは途方もないレックの力に狼狽えて焦る。
 以前の彼ではない…!と。
「はぁあああ!」
 高らかに飛びあがり、渾身の力と気合を込めてムーアの胸板を火炎で斬りつけた。
 そして、続けざまに地面を蹴り、黄金の必殺剣ギガスラッシュを横殴りに放つ。
「ぐぎゃあああ!」
 途端、まばゆい光が迸った。浄化の光である。
 斬り口から光と共に全身に亀裂が走り、ムーアの屍が四つに切断される。
 そのまま四つの肉塊は力を失ったように複数にバラバラに砕けちった。
「や、やった…」
「た、倒したのか…」
「いや…」と、険しい顔のままのレック。
「まだ邪気を感じる。それどころか…さっきよりもっと強くなってる」
 その言葉通り、金色の珠二つだけが不気味にユラユラ動いている。
 当然、奴の気配は消えていない。
 そんなムーアの声が、どこからともなくが聞こえてくる。
 恐ろしく地を這うようなおぞましい声で。
『ジジイの姿では失礼だったようだな。だが…これならいかに勇者といえど倒せまい』
 バラバラになった肉塊が不気味に動き出す。
 一体何が始まるのだと目を離せず見ていると、バラバラになった全ての肉塊を取り込みつつ、二つの珠さえもそこに取り入れて徐々に大きさを変えていくではないか。
 それも、四メートル級の大きさにまで膨らみ、その勢いは止まらない。
 特定の大きさにまで達すると、大きくなった物体は粘膜がこすれ合うような音をたてて混ざり合う。
 やがて、その中から角だらけのいでたちに、耳や恐ろしい顔を見せ、腕や足が飛び出す。緑色の蝙蝠のような羽に、長い尻尾が生え、そいつは緋色の瞳をギラギラ光らせた。
「…竜の悪魔…」
 全員が茫然としている。
 これがデスタムーアの真の姿だというのか。
 なんて醜く、途方もない恐竜であろうか。
 こうして対峙しているだけで、奴の恐ろしさがひしひし伝わるようだ。
「ふふふ…この姿になるのは数千年ぶりの事よ。久しぶりすぎてやりすぎてしまうかもしれぬ…うっかり殺してしまっても文句は言うなよ?勇者以外の人間を根絶やしにしてくれる」
 ムーアは棘の肩をいからせ、怒涛の勢いでこちらに突進してきた。
 全員は呆気にとられたまま動けない。
「しねええええ!」
 大きいくせにあまりにも早いので、全員は避けることもできずに吹っ飛ばされる。
「うあああ!」
「きゃああ!」
「ぐあああ!」
 それぞれが床に叩きつけられ、激しくもんどりうつ。
 限界までスクルトをかけていたとしてもその衝撃力は凄まじく、一発で手足等の骨が折れた。
「うう…なんて速さだ」
「く、くそ…」
 傷つきながらヨロヨロと立ち上がる。
 以前より強くなったレックでさえ奴の突進に抵抗できず、一番傷が浅いといえど傷ついていた。
「み、んな…大丈夫ですか…べ…ベホマラーッ!」
 チャモロがすかさず回復をかけるも、たいした回復は見込めない。
「ばかめ!回復なんざ無意味なんだよッ!」
 今度は軽々と全員をおもちゃの様に蹴り飛ばしては、踏みつけ、また蹴り飛ばす。
 全員が無造作に吹っ飛び、ゴロゴロと周囲でもんどりうった。
「人間とは弱いものだ。あんなに簡単に吹き飛んで…まるでボールと一緒ではないか」
 再び全員にベホマラーをかけるも、砕かれた骨は戻らずにあまり意味がない。
「く、くそ…」
 一番傷が浅いレックがヨロヨロと血を吐きながら立ち上がる。
 アモスやチャモロは肋骨などを砕かれてうまく動けず、ミレーユやバーバラも頭や手足から血を流して呻いている。
 ハッサンやテリーはとくにひどく攻撃を受け、全身の骨が折れていた。
 彼らのひどい有様を見れば、このまま放っておいても本当に全滅してしまいかねない。
 せっかくレックが戻ってきたのに、なにもできないまま終わってしまう。
 みんなで未来を見れずに終わってしまう。
 そんなの嫌だ…と、誰もが心苦しく思った。
「ねえ…あ…あたし…」
 ズタボロのバーバラが怯えるように話しかけた。
「なん…だよ…」
 朦朧とした意識のテリーがバーバラを見る。
「あたし…マダンテを放つわ」
 震えながらつぶやいた一言に、全員が驚く。
「お前…あ、あれほど…使いたくないって言ってたじゃないか…」
「それに…それを使えば…あなたは…魔法力を永久に失うのですよ?」と、チャモロ。
「たしかに…そうだよ…!でも…このままみんながやられちゃうなら…全滅しちゃうなら…魔法力より命だよ!」
「バーバラ…!」
 辛そうな表情で見つめるレック。
「ごめん…レック。あたし…あんたが使わせないって…言ってくれたのに…こんな状況じゃ…そうも言ってられないよ。だって…恐怖より…みんなが傷ついていく方が…いやだもん。魔法力を失うより、みんながいなくなる方がいやなんだもの!」
 仲間達がなんとも言えない複雑な表情になる。
「本当は…怖くて逃げたいけど…できるかわからないけど…あたしが…あたしがちゃんと放てるよう…見てて?…がんばる…から…」
 今にも泣きだしそうな顔で話すバーバラに、レックや全員が静かに力強く頷いた。
 彼女の哀願に応えないはずがない。
 ここから命がけで彼女の詠唱を妨げないように護らなければ。
「ひひひひ…小声で貴様らなんの相談かな?死ぬ準備はできたのか?」
 ドスドスと重みのある足取りでゆっくりに近づくムーア。
 次はどんな攻撃をしてやろうかと歪みきった思考にわくわくしている。
「デスタムーア!」
 そんなバーバラは力いっぱい立ち上がる。
「あたし…お前に今こそ大魔女バーバレラが編み出した究極呪文を放つ!覚悟しな!」  凛々しく構えをとった。
「何を言う…それを唱えてしまえば…オマエの魔法力は二度と復元されぬのだぞ?そうなれば大魔女という肩書きは消え失せ、ただのごみ同然となるだけだ。撃てるはずがないだろう。ひひひ…ハッタリもいい加減にするのだな!」
「ふんだっ…ハッタリかどうか…試してみる?」
 不敵に笑うバーバラ。
「何?」と、眉根を寄せる。
「たしかに恐怖はあるけど、でもこれを唱えなきゃあんたを倒せないのなら…みんなを救えないのなら、魔法力なんていらない!全部くれてやるわ!」
 流れるように両手を動かして、左右の掌を突きだした。




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