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「おーい、おめえでーじょぶかあ?今助けるからよ」
声をかけられて目を覚ましたその場所は、枯渇した井戸の底だった。
レックは茫然としたまま井戸を助け出された。
「おめえ、いくら魔王ムドーのせいで世の中に希望が持てなくなったからっちゅーて、井戸へ飛び込み自殺はよくねーだよ。生きてさえいれば必ずいい事はあんべ。それにまだわしよりわけぇんだ、ここで終わらすなんて勿体ねえーべ。いいか?人生というものは山あり谷ありで…」
通りすがりの農夫が井戸で眠っているレックを発見してからというものの、こうして自殺はいけないだとか、人生においての教訓だとかを諄い程聞かせられていた。
どうやらここは先ほどの別世界ではないらしい。
「あのですねー何度も言ってますけど、別に自殺しようとしてたわけじゃなくて、あの井戸にいたのは話すと長くなりますけど、まずは大穴があって…」
「まあまあ。話せる元気があるならそれでよかったべよ。ここをまっすぐ歩いていくと橋が見えっから、その先にマルシェっつー町があっからよ。自殺は考えなおして…」
その言葉に、レックは飛びつかんばかりに農夫の両肩をつかんだ。
「マルシェ!?マルシェってあのマルシェですか?あのバザーが行われているっていうマルシェですか!?」
レックの凄まじい形相に圧倒される農夫。
「あ?あ…ああ。マルシェはここから近い町だけんど…いきなりどうしたんだべか?やっぱ頭強く打っちまっておめえ記憶飛んじまっだとか。いっぺん医者にでも看てもらった方が…」
「あーいやいや大丈夫ですよ。いたってぼくァ正常です。このとーりピンピンしてますから!いや〜もとに戻ってこれたんだ。よかったよかったァ!あっはっは!」
レックは無事戻って来れたことに感動を通り越して大きく笑っている。
「……ほんとにだいじょぶけコイツ」
それほど時間は経っていないのに、随分と久しぶりマルシェに戻ってきたような気がしたレックは、どっと疲れがたまっていた。
何度も自分の姿があるのを窓ガラスなどで確認してしまうほどで。それが当たり前の事なのに、先ほどの世界はその常識が覆されていたのである。
とてつもない大穴におちて死を覚悟したけれど実は死んでいなくて、そこはなんと地図にも載っていない別世界。おまけにトルッカという謎の町で集団シカトされたかと思えば、自分の姿が誰にも見えていないというある意味罰ゲームでもありえない状態で。鏡やガラスにも映っていないのだ。あの場所で、姿も見えないまま過ごすことになるのかと不安になっていると、案外元の世界に戻ることはたやすくて、井戸に飛び込んではやっとの事で戻ってこれた。
こんな夢のような漠然とした体験をしたんだと思うと、実は世界というのは単純な作りではないのかもしれない。山の精霊様が作ったと言われるこの世界は。
一体なんだったんだろう…あの体験は――…。
「あ、精霊の冠買わなきゃ」
大穴に落ちてから戻ってくるまでの間は、それほど時間が経っていないようでほっとした。丁度今夜がライフコッドの村祭りと迫っていて、今から買いに行っても十分間に合うようだ。
「お父様、ライフコッドからの使いの方がいらしてますけど」
「なんじゃい。今忙しいんじゃ。追い返してくれ」
冠職人のビルデは、先ほどから自室のアトリエに籠っては念入りに一つの冠作りに没頭していた。
あの名もなき若者を見殺しにしてしまった事が相当ショックなのか、他の注文に全く手がついていない。
「まあまあ。せっかく来てくださっているんですから」
「そうは言ってもだな…わしのせいで命を落としたかもしれんという若者を思うと悲しくて…」
「ビルデさんこんにちは」
レックが笑顔で現れると、ビルデは目を疑ったように工具を手から落として驚いた。
「お、おぬしは…い、生きて…」
何度も目をこすっては確かめている。
「生きておったのか!」
「当たり前じゃないですか。じゃなきゃ、ここにいるのは誰だって話ですよ。ちょっと戻ってくるまでに手こずりましたけど」
汚れきった自分の身だしなみを見て苦笑いを浮かべている。
「そうか……っ…うんうん、よかったよかった。無事で何より。こんなじじいより若いあんたが死んではな。よう生きとってくれたよ…本当に」
ビルデは感動したようにレックの背中をポンポン叩く。
「それであのー…精霊の冠を」
「ああ、みなまで言うな。お前さんが求めておる冠は丁度でき上がったばかりじゃ。しかも今までで一番いい出来なのをな」
ビルデは精霊の冠をレックに手渡した。
美しい木の葉と枝を丹念に編みこまれたそれは芸術作品であった。
「去年のより細部にこだわってますね。綺麗です」
「じゃろう?助けてくれたお主のために丹精込めて編みこんで作ったんじゃ」
「そう言われると照れますよ。で、いくらですか?」
財布を取り出そうとすると、ビルデは掌を向けて顔を横に振る。
「いいんじゃよ、金なんて。命の恩人のお前さんから金をとろうなんて気はおきんさ。わしを助けてくれたお礼という形でぜひ受け取っておくれ。ほら、今夜がその村祭りじゃ。はやく皆を帰って安心させておやり」
「ありがとうございます」
外へ出て、レックがキメラの翼で一気にライフコッドへ飛び立つ。
丁度辺りは夕暮れの茜空が広がっていた。村の門をくぐると、村人がせっせとテーブルや食器を外へ運んだり、飾り付けをしたり、いつもより豪勢な料理の準備に忙しく動き回っている。村長が準備の指示を出しながら、落ち着かない様子で行ったり来たりしていた。
「村長さん、ただいま帰りました」
「おお、おかえり!なんとか無事に帰ってきたようじゃな。心配したぞ」
さっそく、レックは村長に冠を手渡した。
「ほほう、今年のものは例年よりよくできているなあ。これほど立派なものはなかなかみれんぞい」
村長がじっくり冠を眺めている。
「ええ、ビルデさんがいつも以上に丹精込めて作ったと言ってたんで」
「そうか。とにかくごくろうじゃった。お前の帰りがあまりにも遅いから心配していたんじゃが、道中なにかあったのか?」
それはもう一言では語りつくせないほどの体験を話してしまいたいが、祭りの準備で忙しい村長の手を止まらせるわけにはいかない。
「ま、まあ…そのことは追々話しますよ」
「そうだな。今は祭りの準備が先じゃし…。あとでゆっくり聞かせておくれ」
レックは一刻も早く話したい欲求を抑え、今晩の村祭りに意識を傾けようと決めた。
そして、茜空から満月の夜へとふけた――。
祭りの本番はまだ始まっていないというのに、早くから酒を飲んで祝っている者もいたり、料理に手をつけている者もいたりと、もうすぐ始まる余興に落ち着かない様子だった。
神の使い役であるターニアは、早くから村長の家へ準備に出かけ、家に帰った時にはもういなかった。化粧に衣装合わせといろいろ時間がかかるんだろう。そんな村祭り開始まで間もなく。
村人は神の使い役を出迎えるために、こうして外で始まるのを今か今かと待ちわびていた。
「ターニアの神の使い役たのしみだぜ」
ランドは先ほどから自分以上にそわそわしている。
「ふーんだ。本当はあたしが神の使い役をするはずだったんだから」
「まあ、来年があるじゃん」
「じゃあ、来年もレックが冠取りに行ってよね!あたし、やっぱり神の使い役をするんなら、特別な人に冠を取ってきてもらいたいもの」
ぽっとジュデイの頬が桃色に染まる。
「特別な人?ああ、俺達付き合い長い幼馴染だからな。そりゃあ特別だよ」
「な、特別ってそういう意味じゃ…もーレックの鈍感!ばかっ!」
ジュディが突然怒りだし、レックの頭をポカポカと叩き始めた。
「いてててて。俺なんか悪い事言った?」
「言ったじゃないわよ!これだけ言ってもわかんないなんてひどいわよ」
「あーあ。レックの鈍感ぶりには、男を手玉に取るジュディも形無しだぜ。やれやれ」
レック、ランド、ジュディの幼馴染メンバーがいつもの青春的なやり取りをしていると、向こうの方から準備OKという合図がかかった。
「おい、そろそろ始まるみたいだから静かにしろ」
灯りの火が消え、しんと静まり返る。
村長の家の扉が開かれると、たいまつを持った神の使いのエスコート役の子供が現れ、続いて美しく着飾ったターニアと後ろに村長が歩いて出てくる。
ターニアの頭部にはレックが取ってきた精霊の冠。衣装は高級な白い絹のローブ。周囲からうっとりするような溜息が漏れる。
「わあ、ターニアめちゃくちゃ綺麗だぜ」
「そうだな」
「ふんだ!あたしの方が綺麗なんだから」
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