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西の森は未開の土地なのか、歩行に邪魔な草木が生え放題であった。
人が通った形跡はあるものの、このけもの道の歩きにくさと言ったら草木がうっとおしくてこの上ない。マルシェから橋を渡り、北西の方を数時間かけて随分歩いてきたが、ビルデと思わしき人物は見つからない。時々何人かの旅人と遭遇するも彼の姿は見かけていないとの事。さらに歩を進める。
そういえば、この先は大昔に城が聳えたっていたと聞いたことがある。
どんな城かは知らないが、魔王がその城を脅威に感じ、滅ぼすために城ごと大穴を空けたとかなんとか。あくまで、若いころに旅をしていたというよろず屋のおじいさんから聞いた昔話なので、本当かどうかはわからない。
でも仮にもしそんな大穴があいているのだとすれば……
「おーー……い」
レックはハッと我に返る。
今、かすかだが人の声が聞こえた気がした。
「だれか…だれかたすけてくれー…」
今度ははっきりと聞こえた。
弱弱しくも中年の男の声が。声がする方へ駆けつけると、兜をつけた男が今にも大きな大穴へ落ちてしまいそうな体勢で、必死に崖にしがみついているではないか。本当に噂の大穴は存在していたらしい。
「大丈夫ですか!?」
大穴に驚いている暇もなく男に駆け寄る。
「おお、やっと人が来てくれたか。わしは冠職人のビルデじゃ。頼む、引っ張り上げてくださらんか。足をくじいてしまって自力ではあがれんのじゃ。材料を探していた矢先、つい足を滑らせてしまってこの有様でな」
大穴の底は真っ暗で何も見えない。
落ちたらひとたまりもなさそうで、レックはぞっとする。
「ぼくの手に掴まってください」
「かたじけない」
レックは差し出されるビルデの手を引っ掴み、力いっぱい引き上げた。
重い材料をリュックに入れているせいか、それとも崖下から吸い寄せられる不可解な吸引力のせいか、なかなか思うように引っ張り上げられない。普段は人一人を持ち上げることなど造作もないのに、あまりにも重たくて全身の力を精一杯こめる。
「うぐぐ……」
「あと少しじゃ。頑張れ」
「うう、うおりゃああ」
普段温存していた馬鹿力をこれでもかと発揮し、ビルデを崖上まで引っ張り上げた。が、その反動で今度は自分が大穴に吸い寄せられるようにひっくりかえった。崖にしがみつけそうな手ごろな場所が見当たらない。手が滑り落ち、ビルデの反射的に差し出された腕にも掴まれず、そのまま落下。
「っ…うわあああ〜〜!」
レックは底なしの奈落へ落ちて行った。
「……ああ、なんてこったい…」
瞼の裏は異様に明るかった。
真っ暗な闇の大穴に落ちてしまって、光なんて存在しないはずだ。ならば、自分は闇の中で死んでしまって天国にいるんじゃないだろうか。大穴の一番最下層まで落下して、地面にたたきつけられて昇天してしまったのか。そうでなくとも、あんな底なしな大穴に落ちてしまったのだ。即死は決まっていて、生きてられるはずがない。
どれくらいの高さだったのだろう。
底が見えない程なら確実に死んだはずだ。今までの事が走馬灯のように駆け巡り、自分の運命を悲観せずにはいられない。できれば死ぬ前にターニアの晴れ姿をこの目で見ておきたかった。村祭りをこの目に焼き付けておきたかった。ランドに貸した100Gだってまだ返してもらってないし、ジュディと仲直りだってしていない。
(すまないターニア。不出来な兄でごめんよ。俺ァもう君には…)
「あ……あれ」
目が覚めるとそこは見知らぬ森の中だった。
樹齢何千という大木から木漏れ日が差し込み、辺りから鳥のさえずりまで聞こえる。美しい自然だ。ここは本当に天国なのか。天国に森などあるのか知らないし、一般的な天国のイメージとはかけ離れているような気もする。そんな真剣に見えて悠長な事を考えている矢先、視界に青い柔らかそうな物体が飛び跳ねながら横切った。
(え…スライム?)
数匹のスライムの集団がどこからともなく現れ、またどこかへ移動している。
ライフコット村ではぶちスライムしか出ないから、青いスタンダードなスライムなんて見れるのも珍しいものだ。
(なんで天国にスライムがいるんだろう…)
ていうか、天国にスライムがいるなんて聞いたことがない。
天国だからなんでもありなのか。
いや、まてよ。どう考えたってありえないだろう、天国に魔物なんて。魔物は魔王の影響で生み出されたものであって。
「………」
レックはなんとなく自分の手で自分の頬を強くつねってみた。
「痛ってェ…」
この時、やっと自分は死んでいないのだと気づいたのだった。
ならば、ここが天国でないというならどこだというのだろうか。
空を見上げても自分が落ちてきた大穴なんて見当たらないし、それほど強くはないが見たことがない魔物もウヨウヨしている。地図を見ても自分がいる場所の検討もつかない。もしかして、よく空想やおとぎ話とかにある異世界とやらにきてしまったのか…?
しばらく当てもなく放浪していると、向こうの方で民家が立ち並んでいるのを発見した。
『トルッカの町』
町の門の前でレックは立ち止まる。
そんな名前の町は聞いたことがなかった。持ち歩いている世界地図にも記されていない。一応、自分が読める文字であるのは幸いだが…。
(わっからないなーとにかく誰かに聞いてみよう)
「あのー…すみません」
レックが通りすがりの町娘に声をかけた。
町娘は気づいているのか気づいていないのか、何食わぬ顔でレックの前を通り過ぎて行った。
(ちょ…シカトしなくてもいいのに。たしかに今の俺ァ汚い格好してるけどさ)
気を取り直して、今度は兵士風の男性と宿屋の女将に声をかけた。
「おい、おかみ。今よんだか?」
「あたしゃ何も言ってないよ。今草むしりしてるんだから邪魔しないどくれ」
女将は庭の草むしりを淡々と行っている。
「むぅ…寝ぼけたかな。最近この町の治安も平和すぎてるから」
「こんな時間に寝ぼけるなんて兵士としてどうなんだい。さっさと持ち場にもどりな」
「ひいい、すいませーん」
気づいてないのか。
いや、ありえない。たしかに二人の目の前で大きめに声をかけたはずだ。無視されているとも思えないし、自分の姿が見えてないかぎりは――…
――見えてない…?
ふと、民家のガラスを見て驚愕な事実に気づいた。自分の姿がガラスに映っていない事に。
(どういう事だよ。見えてないって)
勘違いなんかじゃない。
何度町人に声をかけても気づいてもらえず、鏡やガラスにも映らない自分。本当の幽霊になってしまっているではないか。
(ど、どうしよ…。まさか自分の姿が見えてないなんて、これじゃあどうしようもないじゃないか。おまけに知らない土地だから土地勘なんてないし)
レックは路頭に迷った気分になった。ここはどこで、なぜ自分の姿が見えないのか。このまま自分は元の世界に戻れないままひっそりここで過ごす羽目になってしまうのだろうか。不安は尽きない。けれど必ず帰れる方法があるはずだ。あんな大穴に落ちたにしたって、自分はこうして生きているのだから。
どうするべきか悩みあぐねていると、向こうの井戸のそばで子供たちが話している。
「この井戸で遊ぶのも飽きてきたなあ」
「でしょ〜?だから今度は北の山小屋にある夢見る井戸に行ってみようよ」
「それはだめだよ。ママに絶対行くなって言われてるじゃん。あそこへ行って帰ってこれなくなった人もいるんだよ」
「そんなのうそだよ。ジミーの弱虫」
「弱虫じゃないやい!本当なんだぞ。井戸に飛び込むと別世界に飛ばされちゃうって話だ。そういうのをカミカクシだってママが言ってたもん」
(……夢見る井戸…別世界…)
自分が探し求めているキーワードの数々。
もしかしたら、元の場所へ戻れる手がかりとなるかもしれない。とは言っても、これはあくまで子供の戯言に過ぎないのがネック。信憑性がないにしろ、どうせ行く当てなんてこれっぽっちもない。ダメもとで行ってみようか。
今は子供の言葉さえも信じる他なかった。
噂の山小屋は一時間ほどで到着した。
小屋の前の立札にはご丁寧に「キケン!近寄るべからず」とまで記されてある。普段ここへ来るのは遊び目的の子供くらいだけで、小屋周辺の雑草はあまり手入れがされておらずに生え放題だった。草をかき分けて扉に近づく。異様に静まり返っている寂れたドアをそっと開けると、草が生え放題の奥の方にポツンと噂の井戸を発見した。数十年も使われていないコケだらけの古びたものだ。
井戸の中を覗くと、ぼんやりと青白い光が点滅を繰り返している。底は深くて見えない。
(ここに入ればいいのだけれど)
若干、怖気づきたくなる。
本当に戻れる保証なんてどこにもない。井戸一つで空間が飛び越えられるなんて聞いたことがないからだ。
むしろ、また別の世界に飛ばされる危険性もある。
「ええい考えても仕方ない!行ってやる!」
レックは井戸の中へ飛び込んだ。
井戸の底から漏れ出す青い光に導かれるがまま、手を伸ばした。
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