Melt me like a chocolate.

二月十四日はバレンタインデーだ。毎年この日が近くなると、街中がチョコの香りでどことなく甘ったるい。
そんな街の雰囲気を肌で感じながら、太宰はこっそりと溜め息を吐いた。街を歩いていると、ずしずしと気持ちが重たくなっていく。
思い出すのは去年のバレンタインデーのことだった。


一年前。
バレンタインデーの前日。
太宰は仕事を終えて帰宅をすると、慌ただしくキッチンへ向かった。両手に提げていたビニール袋を調理台へ置く。袋の中身は板チョコやホットケーキミックス、着色料やチョコを流し込む為の型などなと。
『……よし』
太宰は意気込んだ様子で腕まくりをすると、さっそくお菓子作りに取り掛かった。
あらかじめ調べていたレシピと睨めっこをしながら調理を進めていく。
料理を作るのが好きな太宰にとって、こんなふうにチョコを砕いて溶かして混ぜたりする作業は楽しい――筈だった。
板チョコを砕いてボウルに入れたタイミングで、早くも太宰は首を傾げることになった。
『チョコってどうやって溶かすのだろう?』
ボウルの中の粉々になったチョコを見下ろす。うーん、と考えてから何かを閃いた。
お湯を使えば良いのだ。
ここで通常ならば湯煎という手段を思い付くのが当たり前であるが、ここはやはり歴代最年少幹部様なだけある。常人には考えもつかない突拍子も無いアイディアをぶっこんでくる。
すぐに太宰はお湯を沸かすと、熱々のお湯をボウルの中に注いだ。当然、チョコは一瞬にして溶けた。溶けたのは良いものの、
『ありぇ?』
どう見てもサラサラだ。試しにスプーンで掬って舐めてみたが美味しくない。チョコの味がしない。
『うむ……』
腕組みをして考える。
ちらりと時計を見やると、もうすぐ日付は0時を跨ぐところだった。

明日、どうしてもチョコを渡したい相手がいる。
どうしても気持ちを伝えたい人がいる。

想い人の顔を思い出すと、自然と太宰は顔が綻んだ。じわじわと熱を帯びる頬。どきどきと胸が高鳴って呼吸が苦しくなる。
その人の為に頑張らなくては。
明日がきっとチャンスなのだから。
そう思って気持ちを奮い立たせる。
神様なんて信じてはいないけれど、心の内でまじないを唱えた。
(想いが届きますように……)
なんだか恥ずかしくなってきた。
ぎゅっと目を閉じてから開くと、太宰は再びお菓子作りに取り掛かった。

そして迎えた二月十四日。
太宰はいつものバーで想い人を待っていた。膝の上に小洒落た小さな紙袋を乗せて。珍しく行儀よくちょこんと椅子に座っていた。
やがて、待ち人が現れる。
バーへ続く階段を下りてくる足音。それだけで太宰は相手を特定できた。
ばっと階段の方を振り返る。顔を覗かせたその人は太宰の姿に気が付くなり微かに微笑んだ。
『待たせたか?』
『……ううん』
太宰は小さく頭を振った。店内に踏み入るなり、織田はマスターに注文を告げると、着込んでいたジャケットを脱いだ。それをハンガーに掛けてから、いつもの席に腰を下ろす。
その一連の動作を目で追いながら、太宰は体をもじもじさせていた。
(相変わらず、いつ見てもかっこいい……)
織田本人は自分の容姿にさほど気を配っている様子はないが、その長身と体つき、額から顎に掛けてのシャープなライン、男らしい太く長い首、直線的な鎖骨と肩幅……それらはいつだって太宰の気持ちを昂らせた。
思わず身惚れそうになってしまう。目が合いそうになると、ぱっと太宰は膝の上の紙袋へ視線を落とした。じわっと顔が熱くなった。
『今日は忙しかったの?』
『まぁ、お前ほどじゃないだろ』
言いながら織田は手に提げていた袋の中身をあさり始めた。
『買い物の帰りかい?』
『まあな……』
袋の中からはペットボトルのジュースや調味料の小瓶が覗いていた。織田は袋は手を突っ込むと、中からあるものを取り出してた。それを見るなり太宰はギョッとした。
『お、織田作……それ?』
おそるおそる太宰はそれを指差した。織田が手にするそれは明らかに買い物で入手できるものではない。尋ねてくる太宰に対して織田は「ああ」と口元を綻ばせた。
『咲楽がくれたんだよ』
可愛らしいピンク色のラッピング袋に包まれた手の平サイズの小さなお菓子。
『こういうの貰うと、なんていうかこう……グッとくるっていうか……』
織田は愛おしそうに目を細めた。あまりにも優しい目をしていた。不意に太宰はギュッと心臓を鷲掴みにされたみたいな心地になった。
『……そう、なんだ……』
そっと視線を膝の上の紙袋へ落とす。
(果たしてこれを渡しても、織田作は同じ顔をしてくれるのだろうか……)
悶々とそんなことを考えてしまった。
織田の前にガラスのコースターが置かれる。すぐに頼んでいたウィスキーのグラスが、コースターの上に乗せられた。
織田はマスターへ礼を告げるとグラスに口付けた。織田がウィスキーをひと口飲んだタイミングで、太宰は意を決した。
バッと紙袋を織田へ差し出す。
織田はびっくりした様子で目をぱちくりさせた。
『あ、あの……これ……』
恥ずかしい。声が震えている。
しどろもどろになりながらも、太宰は必死に言葉を紡いだ。
『おいしく……なかったらごめん……でも、一生懸命つくってみたんだ……その……』
顔を真っ赤にして太宰は上目遣いに織田を見た。目が合うとますます顔が熱くなってきて視線を落とす。泣きそうな気持ちのまま手が震え出す。
僅かな沈黙の後、ようやく織田は紙袋を受け取ってくれた。途端に太宰は気持ちが舞い上がりそうになった。
『……ありがとう』
その一言で充分だった。ぱあぁと華やいだ顔をすると、太宰は嬉しそうにはにかんだ。
それから太宰はわざとらしく、くりくりと目を大きくさせて織田を見上げた。おそらく今がチャンスだろう。思い切って、太宰は口を開いた。
『あ、あのね……私ね――』
『そう言えば安吾は?』
喉元までせり上がっていた言葉が思わず引っ込んだ。太宰は間抜けな顔をして織田を見ていた。
『あいつはこないのか?』
どうしてここで安吾の話題が上がるのだろう。太宰は残念な気持ちのまま「わからない」と口にした。
『……そうか』
それだけ言って、織田は紙袋をテーブルへ置いた。
告白のタイミングを逃してしまった太宰は、織田の横顔と紙袋を交互に眺めていた。どうしたら良いか分からず、何も言えずにいた。
気まずい空気が流れる。
先に口を動かしたのは織田だった。
『忙しいのに悪いな……』
『……え?』
『大変だったろう?こういうの作るのって。一人分ならともかく人数分作るとなると材料費だって掛かるし、それなりに手間も掛かるだろ』

――………………あ。

この時。
やっと太宰は気が付いた。織田はきっと勘違いをしている。それを知った途端、急激に恥ずかしくなった。
ガーッと顔が熱くなる。沸騰しそうなほど真っ赤になった顔を見られたくなくて、バッと太宰は俯いた。
『太宰?』
きょとんとした顔をして覗き込んでくる織田から必死に顔を背ける。織田が怪訝そうに眉を顰めた。
『どうした?顔が真っ赤だぞ?』
『……別に』
『熱でもあるんじゃないのか?』
人の気も知らないで。呑気にそんなことを言って、織田は太宰の腕を掴んで引っ張った。不意打ちで目が合う。
ドキッと太宰の心臓が大きく跳ね上がった。
咄嗟に太宰は腕を振り払うと、椅子から滑り降りた。
『……帰る』
テーブルにお札を叩きつけてから、背後に掛かっていた外套をもぎ取ってそそくさと店を去った。

駅へ向かう道を歩く。
だんだんと視界がぼやけてきた。
ネオンや街灯の灯りが視界の端でぼんやりと揺れ動く。
足を進めれば進めるほどに悲しさが増していく。
(……頑張ったのに、なぁ)

好き、という気持ちを伝えるために。
せっかくのチャンスなのだから、と。
バレンタインに、男の自分が手作りのお菓子をあげるなんて、馬鹿げていると思っていたけれども。手作りだからこそ伝わるものがあると思っていた。
失敗に失敗を重ね、ようやく納得のいくものが完成したのは明け方ごろだった。キッチンにはお菓子とは呼べないようなものの残骸が積まれ、そのわきで太宰は渾身の出来のお菓子を丁寧にラッピングした。
赤いリボンで袋の口を縛った時、嬉しさからつい口元が緩んでしまった。
これを渡して、告白するのだ――!

そんなふうに意気込んでいた自分が馬鹿みたいだ。
太宰は立ち止まると俯いたまま涙を零した。
ぽたぽたと滴り落ちてくる涙の雫。乾いたアスファルトに黒い沁みを作っていく。
夜の飲み屋街の街頭に立ち尽くしていたら、ふいに何者かに腕を掴み上げられた。一瞬、織田が後を追って迎えに来てくれたのかと思った。
が、現実はそんなにロマンチックには出来ていない。
見知らぬ大柄の男が太宰の腕を掴み上げていたのだ。男は、目をぱちくりさせる太宰の顔を見るなり顔を顰めた。
『あ?女かと思ったら男じゃねぇか』
開口一番で不躾な発言だ。異様なまでに酒臭い男の腕を振り払おうとして、太宰はあることに気が付いた。いつの間にか、太宰は見知らぬ男の集団に囲まれていたのだ。
『なんだよはずれかよ〜』
『ていうかこいつ未成年じゃねぇの?いいのかよ、こんな時間にふらついてて』
口々にそう言いながら、男達は太宰へ距離を詰めてくる。すっかり涙が引っ込んでしまった太宰は、ただ静かに男達を睨み付けた。
そんな太宰の態度が気に入らなかったのだろう。男の一人が大袈裟に舌打ちをした。
『餓鬼のくせに余裕ぶりやがって……』
『…………』
『礼儀ってやつを教えてやんねぇとなぁ』
男が指の関節をポキポキと鳴らす。まずい、と悟った瞬間、ガッという鈍い音と共に太宰の頬が殴り付けられた。
予想していたより強い力に太宰の体がふらつく。地面に倒れそうになるのを、腕を掴んでいた男の手によって引き上げられる。
太宰が苦痛に歪んだ顔を上げようとしたのも束の間、
『……っ、ぐぅ』
別の男の膝が腹へとめり込んだ。お腹の中のものが逆流して口から飛び出してしまいそうな衝撃だった。
ふらつく足。華奢な太宰の体はまたもや相手の思うように引っ張られてしまう。
『紛らわしいツラしやがって……!』
目の前に拳が見えた。反射的に太宰は目を瞑った。
衝撃に身構えていたら、
『なにをしてるんだ?』
見知った声が聞こえた。夜の静寂に溶け込み、かつ良く通る低音。
(……織田作?)
男達が口々に暴言を吐き捨てる。織田は微動だにすることなく、視線を太宰へと向けた。目が合うと気まずい。思わず太宰は目を逸らしてしまった。
そんな太宰の顔面、腫れ上がった頬と血が滲んだ口の端を捉えるなり織田は僅かながらに目を瞠った。そして、ゆっくりと男達を見据えた。
『そいつから離れろ』
織田の言葉には不思議と強制力があった。さっきまで太宰の周りを取り巻いていた空気が変わった予感がした。男達に若干の動揺が見られたのだ。
『なんでてめぇにそんなこと言われねぇといけねぇんだよ』
『せっかく楽しんでたのに』
腕を掴んでいた男がいやらしい目で太宰を睨め付けた。
『なぁ?お嬢ちゃん?』
わざとらしく太宰をそう呼んで、髪を掴み上げられる。思いっ切り引っ張られるとさすがに痛い。太宰の口から小さな呻きが漏れ落ちた。

『口でも言っても分からんのか……』

あくまでも冷静に、静かに織田はそう告げた。ジャケットの内側に片手を突っ込む。次にその手が姿を現した時、その場にいた誰もが息を呑んだ。
真っ白な街灯の下。赤い髪を揺らして。
長身の体躯。真っ直ぐに伸びた背筋から垂直に伸ばされた長い腕。
その腕の先――手には拳銃が握られていた。
『すぐにそいつから手を離せ』
珍しく、織田が怒っている――瞬時に太宰はそう思った。無感動に光る眼光は野生の肉食獣みたいだ。狙った獲物は逃がさない。
(私のために……織田作が……?)
きゅんっと胸が高鳴った。
酔っ払っていた男達は突然突き付けられた銃口に右往左往しつつも、「やべぇよこいつ」と言いながら太宰から離れて行った。解放された太宰はその場に膝をつくと、蹴り上げられた腹部を撫でさすった。今更ながら痛みが込み上げてきた。
『……太宰、大丈夫か?』
太宰のもとへ近寄りながら、織田は拳銃をしまった。
そっと腰を落として屈み込んで、織田は太宰の顔を覗き込んだ。太宰は俯いたまま、目を合わせようとしなかった。
大きな目が次第に潤んでいく。街灯が反射して、きらりと光った涙の粒がとめどなく溢れ出る。ぼろぼろと涙を零す太宰へ、織田は手を差し伸べた。
ぎゅっと太宰は織田に抱き着いた。
織田の首に腕を絡めて抱き着く。その体を抱き留めてやってから、織田はぽんぽんと優しく背中を撫でてやった。
『怖い思いをさせて悪かったな……』
『……ぅ、おださく、が……目を離したら、わたし、どっかいっちゃうんだから……』
『悪かったって……』
離れたくない。
ずっとずっと、こうしていたかった。
こうしている間は、織田のことを独占できる気がしたのだ。
力強く抱き着きながら、太宰の目にあるものが映り込んだ。
太宰を抱き締める織田の手。さっき拳銃を握っていたのは逆の手に提げられた袋――その中に見覚えのある小さな紙袋を見付けた。
その紙袋に寄り添うようにして、織田が孤児の少女から貰ったという愛らしいお菓子の袋があった。
それを見ていたら、なんとも言えず切ない気持ちになってきた。ますます太宰は泣きじゃくった。



それが去年のバレンタインデーのことだ。
(……もう今年はチョコは作らないもん)
悶々とそんなことを思いながら、太宰は百貨店へと足を運んだ。
食品売り場に陳列するお菓子屋さんのディスプレイ。まだバレンタインまで数週間ほどあるためか、その周囲はそれほど混雑していなかった。ちらほらと女性客が散見されるくらいだった。
女性客に紛れて、太宰もディスプレイを眺めた。
(いっそのこと、うんと値段の高いチョコでも送ってあげればいいのかな……?そうしたら織田作も、私の気持ちに気付いてくれるかな……)
頭の中でシュミレーションする。が、どうにも織田が高級ブランドのチョコに関心があるように思えなかった。
織田からしたら、一粒数百円のチョコも、一枚数十円のチョコも同じ価値にしか感じないのだろう。そういう男なのだ。織田という男は。
(まあ、私はそういうところも好きなんだけどね……)
心の中で惚気る。自然と顔が緩みそうになってしまった。
「何かお探しですか?」
ディスプレイの向こうから女性の店員さんが声を掛けてきた。小柄で可愛らしい外見の笑顔が素敵な女性だった。
いつの間にか太宰の周囲には女性客の取り巻きが出来ていた。
女性客ばかりのバレンタインチョコの売り場において、太宰のような美少年がひとりでチョコを眺めていたら、確かにそれは目立っていて当たり前だ。
「かわいい、逆チョコかしら?」といったヒソヒソ声が聞こえてきた。
正直、こういう状況は悪くない。
悪くないけれど――
「いえ……貴女のような美しい女性からチョコを貰える男性は幸せですね」
そう言い残して、太宰は売り場を去った。
エスカレーターを上りながら、小さく溜め息を吐く。瞼の裏に、さっきの女性店員さんの愛らしい笑顔が貼り付いて離れない。
(……私も女性だったら良かったのに)
何の偏見も持たれず、堂々と織田と関係を結ぶことが出来たかもしれない。泣きそうになるのを堪えながら、やることもなく紳士服売り場でもぶらつこうとしたら、
「あれ?太宰君じゃないですか?」
偶然にも安吾と鉢合わせした。
安吾の手にはスーツのお店の紙袋が提げられていた。
「どうしたんです?浮かない顔をしていますけど」
くいっと安吾は丸眼鏡を押し上げた。
「……安吾」
途端に太宰はへにゃりと表情を崩した。今にも泣きそうな顔をした太宰は安吾は「ゲッ」と口を歪めた。

そのまま安吾と上の階にあった喫茶店へ入った。運ばれてきたコーヒーに角砂糖をいくつも放り込んで、ミルクをどばどばと注ぐ太宰を苦い顔で見詰めながら、安吾は紅茶を啜っていた。
「私はどうしたらいいと思う……?」
「何をです?」
「……バレンタインデー」
ぼそりと呟いてカップに口付ける。もはやコーヒーとはいえないくらいに甘ったるい液体が喉を通った。
「確か去年、織田作さんに義理だと勘違いされた件でしたっけ?」
「……う」
安吾がティーカップを置く。対面する太宰はカップから口を離すと、意味もなくティースプーンで中身をぐるぐる掻き回した。
「私、一生懸命つくったんだよ……?美味しくなれって願いを込めながら……渾身の出来だったと思うのだよ」
「後日、織田作さんが胃腸炎になったのは間違いなくそのせいだと思いますけどね」
「ちがうよ!」
バレンタインデー。
好きな相手に想いを伝える絶好のチャンス。
「……今年こそは成功させたいのに」
はあ、と息を吐いてコーヒーを啜る。そんな太宰を見詰めながら、安吾はティーカップを手に取った。
「なら、チョコから離れてみたらどうですか?」
「え?」
「太宰君のように交流関係が盛んだと、手作りのお菓子というのはしばしば義理だと勘違いされ易いのではないですか?だったら、いっそお菓子ではなく、別のものを作って差し上げてみては如何でしょう?」
「別のもの……」
うーん、と首を傾けて考える。お菓子以外で手作り出来るもの――
「例えば手編みのマフラーとか」
ガタンッ
テーブルが揺れる。弾かれたようにその場に立ち上がる太宰を、びっくりした様子で安吾は見上げた。
「それだ……!」
真剣な顔でそう呟いて、太宰はコーヒーを飲み干した。財布からお札を引っ張り出すと、それをテーブルに置いた。
「ありがとう!安吾。助かったよ……!」
そそくさと太宰は店を後にした。


その後は百貨店の中の手芸売り場へ足を運んでから、マフラーの作成キットを購入した。
初めての挑戦にそわそわと気持ちが昂ぶる。気が早いのも承知だが、太宰の脳内では手作りのマフラーをぐるぐると首に巻いて微笑む織田の姿が再生された。
冬場に、織田がマフラーの類を身に付けているのを見たことがない。これはきっとチャンスだ。マフラーをプレゼントして、そのまま甘い雰囲気になれたら……なんて想像をしただけで、太宰は気持ちが弾けそうだった。

その日から、マフラー作りに奮闘する日々がスタートした。
仕事を終えて遅い時間に帰宅すると、太宰は食事もろくに摂らずにマフラーを編んだ。最初のうちは編み目を間違えてしまったりで、思うように進まなかった。寝不足の日々が続いた。
それでも頑張って人知れず没頭した。
少しでも時間を無駄にしたくない。
その期間、太宰はバーに行くこともなかった。ただひたすらに、必死にマフラーを編み続けた。
そんな日々が続き、いつしか日にちはバレンタインを目前に控えていた。
二月十三日の夜中。
「……で、できた」
やっとの思いでマフラーを編み終えたのだ。
完成したそれを広げてみる。色合いは使いやすさを考慮してグレーのグラデーションの毛糸を選んだ。大人な織田に相応しい。きっとよく似合う筈だ。
自然と笑みが零れそうになった。
「くしゅっ」
寒い。くしゃみをして、太宰は二の腕をさすった。思えばここ最近、天気が安定していなかった。やけに寒い日々が続いた気がする。
マフラーを作ることに入れ込んでいたから気を配る余裕なんてなかったけれど、太宰の体は相当冷え切っているようだった。
「ぅ……」
マフラーを手にベッドに潜り込む。完成したマフラーを抱き締めながら、明日が待ちきれなくて目を瞑った。

翌日。バレンタイン当日。
昼過ぎくらいから安吾の携帯電話がけたたまひく鳴り響いた。
「はい」
『安吾……、太宰のやつがどうしてるか知らないか?』
電話の相手は織田だった。仕事をしていた安吾は手にしていたファイルを机に置いた。
「太宰君は確か今日は休みを取っていた筈ですけれど」
『ああ。あいつと約束をしていたんだが、待ち合わせの時間になっても姿が見えないんだ……電話を掛けても繋がらないし』
そんなことを言われても安吾にも分からない。飽きれた顔をしつつ、安吾はあることを思い出した。つい数週間前、最後に太宰と会った時の百貨店での出来事だった。
「……これといって僕に思い当たる節はありませんが、気になるのなら直接自宅に伺ってみたら良いのでは?」
『え?』
「それくらいしか分かりません」
暫しの沈黙。
電話の向こうで織田は何かを考えている様子だった。沈黙の後、織田が告げる。
『……分かった。ありがとう』
「どういたしまして。今日はとても寒いですから、くれぐれも風邪をひかないようにして下さいね」
『すまんな……』
電話が切れる。
やれやれと肩を竦めてから、安吾は仕事に取り掛かった。


寒い。熱い。怠い。苦しい。
ガンガンと痛む頭でそんなことを考えながら、太宰はベッドから起き上がれないでいた。
短い呼吸を繰り返して、時々「こほっ」と咳き込みながら布団にくるまる。
今日は大事な約束があった。
けれど、こんな状態じゃとてもじゃないが会いに行けない。迷惑を掛けるだけだ。
(……どうして私ってこうなんだろう)
シュッパイばかりだ。
何でも出来て天才だと敬われる反面、好きな人に関してはことごとく無力だ。何も出来ないし、迷惑ばかりかけている。
そう思うとますます悲しくなってきて、太宰は布団の中で小さく小さくなった。蹲りながら、マフラーをギュッと抱き締める。
今日、渡さないと意味がないのに。
なんだか悲しくなってきた。
滲む視界から目を背けようと瞼を閉じる。
真っ暗な景色に支配される。疲弊しきっていた体は少しでも気を抜くと意識を手放してしまう。

いつの間にか太宰は眠ってしまった。

汗が滲んだ額。
ひんやりとしたものが押し当てられる感触がした。柔らかくて優しい触り心地だった。触れた瞬間は、ひやっとしたけれど、だんだんと温もりを帯びていく。気持ち良くて、太宰はもぞりと寝返りを打った。
だんだんと意識が引き上げられていく。
うっすらと目を開く。焦点の定まらない目が、輪郭のぼやけた赤い色を捉えた。
「……ぁ」
夢かと思った。
そこにいた人物を確認するなり、太宰は目を丸くした。
「お、おださく……?」
心配そうに太宰の顔を覗き込む織田がそこにいた。
「なんで……?」
「いつまで待っても来ないから、心配して来てみたんだ」
織田の手には太宰の家の鍵が握られていた。いつしか太宰が「私が自殺にシュッパイした時は助けに来てくれ給え!」と言って渡したものだった。
「熱あるんじゃないのか?」
「あの……」
「無理はしなくていいから。薬は飲んだのか?」
ふるふると力なく首を振る。織田はやんわりと微笑むと、太宰の頭をくしゃりと撫でた。
そうして織田が立ち上がる。
その時、太宰は織田の首元に視線がいってしまった。
「……あ」
太宰が声を上げる。不思議に思った織田が首を傾げた。
まじまじと太宰は織田の首に巻かれたそれに目を凝らした。同時に、自分の腕の中に感じる毛糸の感触。
「おださく、それって……?」
織田の首にはマフラーが巻かれていた。ざっくりと開いたシャツの喉元を隠すように、もこもこのマフラーがぐるりと巻き付けられていたのだ。
「寒いからな。特に最近は冷え込むから、今日に備えて買っておいたんだよ」
「……そう、なんだ」
力なく太宰は目線を落とした。
「よく似合っているよ……」
ぼそりと呟く。織田は「ありがとう」と礼を告げて、コートとマフラーをハンガーに掛けた。
太宰は顔を上げることなく拳を握った。握り込んだ毛糸の感触が憎らしい。今すぐにでも引き千切ってしまいたかった。
――本当に、私は好きな人の前では役立たずだ。
ますます頭が痛くなってきた。
「ッ、ごほ、ごほ……!」
「おい、大丈夫か?」
織田がコップを差し出してくる。受け取ると中に注がれていた水を飲み干した。
「何か食べたか?」
「……別に。お腹すいてないし」
織田の手が伸びる。叱られると思った太宰は、びくっと身を縮めた。大きな目で織田を見ると、伸びてきた手に頭を撫でられた。
「薬を飲むなら何か胃に入れてからじゃないとな……」
ずるい。
決して織田が太宰を叱ることはない。むしろ甘やかしてばかりだ。大きな手で優しく頭を撫でられてしまうと、太宰は自分の心の汚さに嫌気がさした。

織田が作ってくれたお粥を食べてから薬を飲むと少しだけ眠ってしまった。
目を覚ますと、外はすっかり暗くなっていた。なんだか一日を無駄にしてしまった気がする。
どんよりと落ち込んだ気持ちのまま、太宰はベッドから起きようとした。
薬が効いてきたのかだいぶ体が楽になった。体を起こすと、本を読んでいた織田がこちらを向いた。
「どうした?」
「あ、その……汗臭いから着替えようかと……」
その一言を聞いて、すぐに織田は洋服ダンスの引き出しを引いた。
中から替えのシャツを引っ張り出してくると、それを太宰へと手渡す。
「……ごめんね」
悲しげに笑って太宰は着替えようとした。そんな太宰の姿に違和感を感じたのか、織田は何も言わずに太宰を見詰めていた。
身につけていたシャツを脱ごうとして、太宰の体を隠していた布団が捲れ上がる。
ふと、布団の中からグレーの毛糸が覗いているのが目に止まった。
「それ……」
言いながら、織田はその毛糸を引っ張った。
「あっ!」
太宰が声を上げる。織田の手を引き止めようとするも遅く、布団の中からマフラーを引っ張り出されてしまった。
「マフラー……?」
織田はマフラーと太宰の顔を交互に見た。太宰の顔がガーッと真っ赤に染まっていく。
「ぅ、あの……」
織田の手がマフラーの表面を撫でる。
「手編みか?これ」
「……ぅ」
さわさわとマフラーを撫でる手付きを見ていると、なんだか粗探しをされているみたいで泣きたくなった。すぐにでも織田の手からマフラーを奪い返して、自分の首を締め上げたかった。
「柔らかいな……」
予想もしていなかった発言。ばっと太宰は顔を上げた。しつこいくらいに何度も、織田の手はマフラーを撫でていた。
「誰かから貰ったのか?」
鈍感にもそんな問い掛けをしてくる織田に対して、太宰は「さあ?」と不貞腐れた返事をした。
「貰い物だとしたら、送った相手はすごくお前のことを好きだと思うぞ?」
「……どうしてそう思うの?」
「分かるよ。そんなことくらい」
本当は何も分かっていないくせに。

それを編むために、どれだけ私が苦労したか。どれだけ大変な思いをしたか。どれだけ頑張ったか。その全て、君に伝わることはないのだろうか?

太宰の目から涙がぼろぼろと零れ落ちた。すぐに織田はギョッとした様子で太宰の顔を覗き込んだ。
「おい、どうしたんだよ……?どこか痛いのか?」
「ぅ、るさ……、くぅ……」
泣いている顔を見られたくなかった。ごしごしと乱暴に涙を拭う。なんだか自暴自棄になってきた。
「どうせ私は……私なんか……」
「太宰……」
「私なんかに好意を持たれたって、迷惑なだけだろ……!」

言ってしまった。
つい、カッとなってしまった。
沈黙が流れる。
先に口を開いたのは織田の方だった。

「……もしかしてお前、これ――」
「…………」
気まずそうに太宰は身じろぎをした。溢れた涙が布団に滴り落ちた。
「バレンタインだから……その……」
言わない限り、いつまで経っても織田に伝わることはない。
太宰は意を決して織田を見据えた。
「好き、なんだ……君のこと。ずっと、その…………好き……」
なんて色気のない告白なのだろう。
言ってしまってから後悔した。しかし、後悔よりも、抑え込んでいた気持ちが堰を切って溢れ出す予感がした。
「食べ物よりもマフラーの方が良いと思ったのだよ……君、いつも首元が寒そうだし……」
「太宰……」
「で、でもね……その、やっぱり市販のものの方が形も綺麗だしかっこいいよね……良く似合っていたし……」
言い掛けたところで、ふわりと温かいものに体を包まれた。ぎゅっと体を抱き締めてくる力強い感触。ほんのりと香った煙草のにおい。
「……ありがとう。嬉しいよ」
耳元で囁かれた瞬間、太宰の胸に熱いものが広がった。じわじわと喉元をせり上がってくるそれは、とても甘くて蕩けそうな味がした。
ぎこちなくはにかむと、太宰は織田の胸元に鼻先を擦り付けた。
「これ、俺が貰っていいのか?」
「でもおださく……もう……」
ちらっとハンガーにかけられていたマフラーを見遣る。太宰の視線の先を追ってから、織田はそっと体を離した。
そそくさとハンガーまで向かうと、自分が身につけていたマフラーを取り外した。そのマフラーを手に再び太宰のもとへ戻ってくる。
きょとんとした顔で見上げる太宰へ微笑み返すと、織田は手にしていたマフラーを太宰の首へ巻いてやった。それから自らも、太宰から貰ったマフラーを首に巻き付ける。
「……これで文句はないだろ?お揃いみたいで素敵だな」
「……〜〜〜っ!!」
織田が身につけていたマフラー。
奇しくもそれは太宰が編んだのと良く似た色合いをしていた。こうしてみるとペアルックだと思われても不思議ではない。
マフラーが巻かれた首のあたりが熱い。心臓が熱い。体の末端までが熱を帯びて熱かった。
「お、おださく……」
「ん?」

今なら何を言っても良いような気がしてきた。
熱に浮かされた、といい訳してもいい。
それくらい、私は君が欲しくて堪らなかった。

「……したく、なっちゃった」
顔を赤らめて恥じらうように太宰は身じろぎをした。
「は?」
織田は間抜けな返事を返すと目を丸くした。懲りずに太宰は勇気を振り絞る。
「き、今日の私は、その……熱があるから、いつもよりも体が熱くて、甘くて美味しいと思うのだよ……」
「何を言って……」
「触り心地はその……あまり良くないかもしれないけれど、君の好きにしてくれて構わないから……」
ここだけの話、太宰と織田は「恋人」という関係を結んだことはなかったけれど、体を繋げたことは何度かあった。優しい織田は太宰の求めに応じて、優しく抱いてくれた。壊れ物でも扱うみたいに優しくて、その度に太宰はこんなふうに織田に愛して貰える女の子は幸せだろうなと思った。
「…………やっぱり嫌?」
「あのなぁ、太宰……」
「私が女の子じゃないから?告白なんてされても迷惑?」
「そうじゃない……」
「女の子じゃないから乱暴にしてくれても平気だよ……?壊れないし、赤ちゃん出来ないし……」
途端に物凄い力で肩を押された。そのままベッドに押し倒された太宰の体に覆い被さって、織田はやけに鋭い眼差しで太宰を見下ろしていた。
「……そうじゃないよ」
何かを噛み締めるみたいな顔で、もう一度だけ織田はそう言った。
(どうしておださくが泣きそうな顔をしているのだろう?)
そんなことを思いながらも、太宰は気まずそうに目を伏せた。
「ごめんなさい……」
「謝らなくていい」
織田の指がやんわりと前髪を梳いてくる。その手付きがあまりにも優しくて、幸せだと思う反面で心が痛んだ。
「太宰、俺はお前を大切にしたいんだよ……」
「え……?」
「だから、お前の体に傷が付くのも、お前が自分で自分を痛めつけるのも、嫌なんだ」
剥き出しになった太宰の額には擦り傷の痕があった。今日の太宰は顔面に包帯を巻いていない。だからこそ、治りかけの傷が顕著に目立って見えた。
いつも包帯で隠れている片方の目の瞼に残る切り傷の痕。そこへ視線を落とすなり、織田は切なげに顔を歪めた。
「本当は優しくしたい……」
「おださくはいつも優しいよ」
「いや、俺は……」
大きな手が頬を撫でる。こつん、と額と額がぶつかった。
「実のところお前に煽られて……優しくしたいと思う気持ちと、酷いことをしたい気持ちで葛藤している……」
なんて嬉しいことを言ってくれるのだろう。
その言葉を受けるなり、思わず太宰は噴き出してしまった。
「……おださくかわいい」
「男なら仕方ないだろ……」
こんな自分の体にも、ちゃんと織田が欲情してくれていたなんて。例えようのないくらいの幸せが込み上げてくる。
じっと至近距離で見詰め合いながら、どちらからともなく口付けを交わした。


「んっ、ん……」
脱ぎ掛けだった太宰のシャツは前が完全に開いていた。剥き出しになったいた素肌に唇を滑らせると、やがて織田は脚の付け根に辿り着いた。
ズボンをずり下ろして両脚を抜く。下半身に下着を身につけただけの状態にされた太宰の脚の間に体を滑り込ませて、織田は片方の太腿を手に取った。
筋の張った硬い太腿だ。チュッと唇を落として、そこに巻き付けられていた包帯を唇で撫でた。
「ここ、まだ治らないのか?」
太宰が返答に困っていると、無遠慮に織田は包帯に歯を引っ掛けた。ぐいっと引っ張るとプチッと包帯留めが外れる。緩んだ包帯が描く白い螺旋。そこから覗く色白の素肌。
そこには銃弾が撃ち込まれた痕があった。過去に敵組織と抗争になった際に、太宰が負った傷である。
その傷のまわりには、ほんのりと黒ずんだ痕があった。その箇所に織田は唇を押し当てた。
「お前、傷が治りにくい体質だよな」
言いながら、織田は黒ずんだ箇所をチウッと強く吸い上げた。ちりっとした痛みに太宰は顔を顰めた。
「分かってて付けるんだもん……悪趣味だよ……」
「そうか?」
綺麗に咲いた紅い華。満足そうに織田はそこを舐め上げてから、弾痕の傷の周りに噛み付いた。薄い皮膚に歯が食い込む。
「ぃ、痛いよ……」
口を離せばくっきりとした歯型が刻まれていた。じんじんと痛むそこを労わるように優しく啄んでから、織田は顔を上げた。
その眼差しにドキッとする。
いつもは覇気の感じられない織田の目に、ギラギラとした情熱のようなものが燻っていた。銀色の眼差しの向こう側で、熱い何かが燃えているように感じられた。
そんな目で見詰められてしまうと、不覚にも太宰は下腹部がずくりと疼いてしまった。
反射的に膝を擦り合わせようとして、織田の体を挟み込んでいるから出来ないことに気が付く。
余計なところに鋭い織田は何かを悟ったらしく、すぐに太宰の下着のゴムを引っ張った。
「あっ、やだ……」
芯を持ち始めてしまっていたそれが暴かれる。ぷるりと震えて天を仰ぐその幹を、織田の手がゆっくりと握り込んだ。
「濡れてる……」
「い、言わなくていいから……ゃだ……」
人差し指が先端の窪みに突き立てられる。くちっという粘ついた音がした。織田が指を離すと、透明な糸が間をツツッと伝った。
そんな光景を見下ろしているのが恥ずかしくて、思わず太宰は目を逸らしてしまった。
すると、今度はねっとりと湿ったものに、敏感な部分が包まれた。
「ぁひ……!?」
変な声が漏れてしまった。おそるおそる目を開いて見下ろす。織田の口が、太宰の中心を咥え込んでいた。
「ん、や……」
根元の部分を揉みながら、織田は舌を使って先端を舐め回した。括れの部分に歯を立てると、捲れた薄皮の裏側に舌の先が引っ掛けられる。
「やだ、ゃ……きたな……」
嫌々と首を振る太宰に構うことなく、薄皮の裏側をぐるりと舐めてから、じゅっと先端を吸い上げた。
「んうぅ!」
咄嗟に太宰は織田の髪を掴んでしまった。窘めるかのように、織田の指が根元から袋の裏側を持ち上げた。
人差し指と中指で、左右交互に中身を揺すられる。ぐにぐにと揉みしだかれると、だんだんと太宰の体から力が抜けていった。
「ぅ、う…….それやだ……きもちわるい、よ……」
「……そうか?」
あっさりとそんなことを言いながらもやめてくれない。男の象徴であるその箇所を執拗に責められてしまうと、なんだか馬鹿にされているような気がしてならなかった。悲しい気持ちになってきて太宰は黙り込んだ。
明らかに元気を失くしてしまった太宰を見兼ねた織田が口を開く。
「好きにしていいんだろ?」
「……ぅ」
確かにそう言ったけれども。
太宰が言い淀んでいるうちに、織田は行為を再開してしまう。
いつもはカレーを食べたり、煙草を吸ったり、子供達へ優しく囁きかけるあの口が、淫らに口淫を繰り返す。
自分の体の中で汚い部分を、甘い声音を発するあの口が舐めているのだ。織田が頭を傾けると、恥骨のあたりに髭があたってチクリとした。それすらも刺激になってしまう。
「ふぅ……んっ、や……でちゃ……」
織田の髪を強く掴む。このままだと口の中に出してしまう。それが嫌で、太宰は必死に引き剥がそうとした。
カリッと窪みを歯で引っ掻かれた瞬間、思わず太宰は達してしまった。
織田の口腔にねばねばした白い粘液が放たれる。織田はそれを全て受け止めてから、先端を強く吸い上げて残滓を搾り取ってから口を離した。
ぎろりと鋭い目が太宰を見上げる。達した余韻に痺れながら、太宰はびくっと肩を跳ね上がらせた。
「ぁ、あ……ごめんなさ……くち、出すつもりは……」
怯えたように身を竦める太宰は狼に対面した兎のようだった。茶色い野兎が織田の脳内でぴょんぴょん跳ねた。
「……甘いな」
「ふぇ?」
「生クリーム?」
なんて恥ずかしいことを言ってのけるのだろう。
言った本人よりも聞いてる方のが恥ずかしくなってしまった。かあぁっと顔を真っ赤にして織田を睨む。
口をはくはくさせる太宰の額にキスをして、織田はまたもや頭を降下させた。太宰の太腿を持ち上げて、中心よりしたの蕾を眼前に曝け出す。
織田に見られているのを意識すると、ひくんと蕾が収縮した。浅く息衝くその箇所を、意地悪く織田は指先で引っ掻いた。ついでにぐいっと引いて入口を広げる。僅かに開いた隙間に、ぬるりと舌が滑り込んできた。
「……ひゃ」
柔らかい舌が体の中を出たり入ったりする。浅い部分をぐるっと掻き回して、慎重に粘膜を解していく。織田は口の中に残していた太宰の精液と唾液を絡めたものを丁寧に塗り込んでいった。やがて、体の中が濡れてくると指を中へ挿入していく。二本の指が忙しなく、くちゅくちゅと体の中を弄り回す。
「うぅ……んっ、あっ……」
「太宰……」
体を起こした織田が顔を覗き込む。背ける太宰の顔を追って唇を啄んだ。
「悪いがそろそろ俺も限界なんだ……入れてもいいか?」
「ん、んぅ……」
カチャカチャという金属音と衣擦れの音。それを耳にすると、淫乱にもほどがあるくらい太宰は期待に胸が踊ってしまった。
織田が自らの身につけていた衣服を押し下げる。すっかり勃起してしまっていたそれが姿を現した。
大きく膨れ上がった熱の塊。太宰の口の中に唾液が溢れた。
「い、れていい、よ……?おださくもつらいでしょ?」
「平気か?」
「うん……わたしは、へいき、だから……はやくおださくほしい……」
うわ言みたいにそんなことを呟く太宰の頭を撫で撫でしてやりながら、織田は唇を貪った。キスをすると太宰の体は自然と弛緩した。
その隙に指を引き抜いて、入れ違いに猛ったものを捩じ込んだ。
「あぅ!?あ、ぃ……んんぅ!!」
熱くて硬くて大きい。
粘膜がぴっちりと織田の欲望に張り付く。ゆっくりと腰を動かして奥まで埋めていく。太宰の体の中はとても狭くて窮屈だったけれど、織田を拒むことはなかった。
まるで、織田の熱に溶かされていくみたいに、とろとろに蕩けた粘膜が織田を包み込んだ。
「……熱いな」
「ん、……きもちよくない?」
肩で息をしながら太宰が尋ねる。敢えて織田が答えないでいると、泣きそうな顔をして太宰は「ごめん」と謝った。
「す、好きに動いて、くれていいから……ね?わたし、痛くてもがまんするし……へいきだよ……?」
必死にそう訴えかける太宰の瞳が潤んでいく。目尻に滲んだ涙の雫を、織田は唇で拭い取ってやった。間近で見詰める太宰の目はとても大きくてつぶらで愛らしかった。
「……もう少しだけこうしていたいんだ」
「へ?」
「可愛いな、お前」

可愛いな、お前。

その言葉の意味を噛み締めるなり、みるみるうちに太宰は顔を真っ赤にした。まさに顔から火が噴くみたいに熱くなった。
「えっ、あの……わたし……」
もごもごと口を動かして織田を見詰める。言葉を奪うみたいに織田は唇を啄んだ。
「可愛い。好きだよ、太宰……」
「っ〜〜〜!!」
もしかして、これは夢なのかもしれない。
自分に都合の良い夢を見ているだけなのかもしれない。
優しく微笑む織田。囁きかけられる甘い声。
甘い甘い――どんなお菓子よりも甘い至福のひと時だった。


その後はただひたすらに行為に没頭した。
今までに無いくらい、たくさんたくさん抱き合った。
熱があるのも忘れてしまうくらい、太宰は体を求められた。織田になら喜んで差し出す。
こんな体でも愛してくれるのなら――


ベッドに丸くなって寝息を立てる太宰の体には複数の傷痕があった。包帯を剥ぎ取られた首元や鎖骨、二の腕、腹部、恥部――複数の箇所に赤い鬱血の痕が残されていた。
太宰を寝かし付けてから、織田はそんな太宰の体を見下ろして若干の罪悪感に苛まれていた。
とうとう一線を越えてしまった、と。
今まで興味本位で体を重ねたことはあったけれども、あくまでそれは欲の発散に過ぎないと思っていた。そう思わねばならないと思っていた。
太宰と気持ちを通わせるには立場が違すぎる。
それなのに、太宰はどこまでも真っ直ぐで一生懸命で、全力で織田を誑かしてくるのだから。
せめて、体の関係だけにしておこうと思ったのに。
シャワーでも浴びようかと、織田はベッドから起き上がろうとした。ふと、床に転がったままになっていたマフラーが目に留まった。
重なり合って縺れ合うように。
ふっと織田は笑みを零した。
「……去年のチョコも悪くはなかったんだがなぁ」
その声は眠っている太宰には届かないだろう。幸せそうに眠る顔は天使みたいだ。

まだ、冬が終わるまで時間がある。
春を迎えるまでにお揃いみたいにマフラーを身につけてどこかへ出掛けよう。
そんなことを思いながら、織田はシャワールームへと向かった。


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